私のご先祖様の林勇蔵の年表その1。「林勇蔵日記」の巻末より。(注:)は私が補ったもの。年齢は数え年。文化10年(注:1813年)7月16日。林勇蔵は吉敷郡矢原村(現山口市)山田和吉(酒造業)の四男として生まれる。(注:和吉の父は矢原村大庄屋の吉富藤兵衛で勇蔵はその孫にあたる)。(注:今年は2024年なので、林勇蔵が生まれたのは、211年前である)。文政8年(注:1825年)11月。伯父吉富惣右衛門が林勇蔵の林家養子入について、「庄屋家の当主なるとも奢ることなく、農の道を忘れるな」と訓戒する。(数え年13歳)。文政9年(注:1826年)3月2日。吉敷郡上中郷(現小郡町上郷)(注:2024年の現在では、小郡町は山口市と合併してなくなった)。林文左衛門の養子となる。(注:林文左衛門は、林家の九代目当主にあたる)。(数え年14歳)。文政10年(注:1827年)。上中郷知行地の給庄屋となる。(数え年15歳)。文政10年(注:1827年)。手習師匠清水順治から「郡中御制法」を習い精読する。文政12年(1829年)8月28日。小郡宰判勘場見習加勢役となる。(数え年17歳)。天保2年(注:1831年)。上中郷庄屋役代勤となる。(数え年19歳)。天保11年(注:1840年)6月。椹野川が大洪水のため、黒川村(注:私の実家、つまり母が住んでいるところは「平川」である。「平川」は「平井」と「黒川」が合併してできた名前で、近くに椹野川が流れている)より下流域は三日間一面の大洪水となる。このとき林勇蔵は炊出船に乗り、食糧を村内住民へ配る。(数え年28歳)。
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