リンポウアカデミア

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テレビサッカー観戦記日本VS中国(後半)240905

2024-09-05 21:37:17 | 日記
試合終了。日本7-中国0。見事な攻撃から日本が3点目をあげた。その後日本が4点目を入れた。ゴールラッシュだ。その後少しラッキーなゴールで5点目を入れた。その後6点目を入れた。日本選手は、海外でプレーしている選手も多く、臆病なところが感じられない。なんか、すごい強くなっている。その後7点目を入れた。サッカーファンとしてはホクホクだ。前人未到の記録なのではないか。


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テレビサッカー観戦記日本VS中国240905

2024-09-05 20:32:52 | 日記
前半。日本2-中国0。ワールドカップのアジア最終予選である。森保ジャパンの試合を見るのは、久しぶりである。立ち上がりから日本が押している。コーナーキックから日本が1点を入れた。日本の選手をあんなにフリーにしていたら、中国は点を取られてしまう。日本がずっとボールを支配しているので、点が入るのは時間の問題だと思っていたら、アディショナルタイムに2点目を入れた。


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(人気記事)達人240905

2024-09-05 01:46:02 | 日記
人気記事。2016年12月24日、7年前の記事である。―――――NHK教育テレビ、「達人」、2012年ロンドンオリンピック。村田諒太、むらたりょうたさん、準決勝、決勝は、本人としては、納得していないという。「明らかに、オーバーワークだった」。日経新聞、2016年12月24日付。史上最年少で将棋のプロ棋士になった藤井聡太四段、14歳が、2016年12月24日、東京都渋谷区の将棋会館でプロデビュー戦を指し、現役最年長の加藤一二三・九段(76)を破った。21世紀生まれの中学2年生棋士が、中学生プロ第1号の元名人との対決を制した。第30期竜王戦の予選の1回戦で、10:00に対局が始まった。先手の加藤九段の得意とする相矢倉を受け立った藤井四段が、中盤から反撃し鋭い寄せを見せた。20:43分、110手で加藤九段が投了した。対局後、藤井四段は「反省点もあるが、デビュー戦で大先輩と戦えて光栄。将来タイトルを取りたいので、まず自分の実力をもっと上げたい」と力強く語った。敗れた加藤九段は「藤井四段は素晴らしい才能の持ち主。渋い手もシャープな手もあった」と絶賛した。両対局者の年齢差は62歳で、これまでの記録を塗り替えた。藤井四段は2016年10月、14歳2カ月でプロ入りした5人目の中学生棋士。羽生善治王座(46、王位・棋聖)ら先輩4人はのちにタイトルを獲得している。加藤九段は1954年に14歳7カ月でプロ入りし、藤井四段に抜かれるまで最年少記録を保持していた。(感想)なんか、いろいろな分野で若返りしているね。でも、昔みたいに、いろんなことをやる余裕がないのも、なんか面白くないね。Q.言葉について。A.自分で、何を言おうが、書こうが自由だが、相手にどう通じるかが問題なような気がする。「死者の書、口笛」折口信夫作、2010年5月14日発行、6年前の本である。「おれは、もっともっと長く寝ていた」。「おれは、このおれは、どこにいるのだ。第一、おれは、だれなのだ」。「それを、すっかり、おれは忘れた」。「待てよ、それは、なんだか、一目惚れの女の泣き声だったような気がする」。「にわかに、広々とした空間に出たような感じがした」。「ああ、そのとききり、おれ自身、このおれを、忘れてしまったのだ」。「依然として、暗闇」。「ああ、おれは死んだ、殺されたのだ」。「姉御の声で、塚道の扉を叩きながら、言っていたのも、今も昔」。「10月だったから、鴨が鳴いていたのだ。その鴨みたいに、首をねじちぎられて、何もわからぬものになったことも」。「姉御が、墓の戸で、泣きわめいて、歌を歌いあげられたっけ」。「尊い姉御が来てくれたのは、居眠りの夢を覚まされた感じだった」。「今度は、深い眠りの後だったようなきがする」。「おお寒い」。「月は、依然として照っていた。山が高いので、光に当たるものがすくなかった」。「足元には、たくさんの峰があった」。「静かな夜である。やがて、鶏鳴近い山の姿は、しっとりとして、静まり返っている」。「難波から、飛鳥への都への古い間道」。「こんな奥山に、迷うてくるものではない」。「これで、大和の、河内との境じゃで」。「4,50年前までは、唯関というばかりで、何の標、しるしもなかった」。「天若日子、あめわかひこ、の昔語りに任せて、そのままここに運び出されて、お埋けになったのか、この塚よ」。「さいや、あのときも、墓づくりに雇われた」。「9人は、完全に現世の庶民の心に、なり帰っていた。山の上は、昔語りするには、あまり寂しいことを忘れてたのである」。「9人のこころは、ばらばらの9人のこころであった」。「姫の身は、この庵室に、しばらく留置かれることになった」。「たとい、都からの迎えが来ても、結界を越えた、贖を果たす日数だけは、ここに居させよう、というのである」。(感想)家の地名の「大塚沖」の九田川の橋が、民話に言う「結界」で、その先の山の中の、私の家は、やはり、お墓だったんだね。これからも、いろいろ勉強していきたいと思う。―――――(2024年9月5日の感想)この記事を書いた2016年、7年前はすでにかなり妄想に支配されている。統合失調症の症状だろう。
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