リンポウアカデミア

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論語 学而第一(11)

2013-03-01 22:47:45 | 日記

先生は言った。「父親が生きている間は、その志を観、父親が亡くなったら、生前の行為を観察する。3年間、父親の道を変えなかったら、孝行と言える。」

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論語 学而第一(11)

2013-03-01 22:47:45 | 日記

先生は言った。「父親が生きている間は、その志を観、父親が亡くなったら、生前の行為を観察する。3年間、父親の道を変えなかったら、孝行と言える。」

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孫子 <2>計篇(2) 第3版

2013-03-01 22:42:36 | 日記

「道」とは、民をして、リーダーと思うところを同じにするリーダーへの信頼感のことである。これによって、兵士はリーダーと生死を共にし、危険を怖れなくなる。「天」とは、明るさ暗さ、晴雨、湿度、寒さ暑さ、時期のことである。「天」に自在に従ったり逆らったりして戦争に勝つことができる。「地」とは、遠近、険易、広い狭い、高低のことである。「将」とは、知恵、信頼、いつくしみ、勇気、厳しさである。「法」とは、組織編成、指揮命令系統、各リーダーの役割分担のことである。この5つのことは、リーダーは必ず聞かなければならず、これを知る者は勝ち、知らない者は負ける。したがって、戦争前にはこれらをもって、両軍の力量を計算して比べ、その実情を知る。つまり、リーダーはどちらに「道」があるか、将軍はどちらが有能か、自然環境はどちらが有利か、法令はどちらが徹底して執行されているか、兵隊はどちらが強いか、将校はどちらが熟練しているか、信賞必罰はどちらが明確に行われているか。私はこれによって、勝敗を知るのである。

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韓非子 姦刧弑臣(かんきょうしいしん)第十四(5)

2013-03-01 22:34:16 | 日記

これに基づいて見ると、聖人が国を治めるときは、必ず人が自分のしたいように出来ないようにするのであり、人が自分のためにしてくれることを頼みにしてはならない。人が自分のためにしてくれることを頼みにするのは危険である。人が自分のしたいようにすることが出来ないようにすれば安全である。そもそも君主と家臣の間には家族のような骨肉の情があるわけではない。正直の道を行っている者が身の安泰を得られるとなると、家臣は力を尽くして君主に仕える。しかし、正直の道を行っている者が身の安全を得られないとなると、家臣は自分勝手なことを行い君主の権威を侵す。明君はこれを知っているので、利害の道を設けて天下中に示す。従って、君主は自分の口で官僚たちに教えたり、自分の目で悪いことをする者を探したりしなくても、国は治まるのである。君主は、昔のリロウのようなよい目を持っているからものがよく見えるのでもなく、昔のシコウのようなよい耳を持っているから耳がよく聞こえるのでもない。目の数は多くないから、目でもって明らかにしようとしても、見えるものは少ない。これは、隠しごとを暴く術ではない。耳の届く範囲は遠くないから、耳でもって明らかにしようとしても、聞こえるものは少ない。これは欺きごとをなくす道ではない。明君は、天下に自ずから見えるようにさせ、自ずから聞こえるようにさせる。従って君主の身は宮廷の奥にあっても、4つの海に囲まれた天下は明らかになる。そこで天下に隠しごとができず、欺くことができないのはなぜか?裏の道や混乱の道は廃(すた)れ、聡明の体制が作り上げられたからである。したがって、この聡明の体制に任せる者は国が安泰となり、その体制に任せることを知らない者は国が危うくなる。

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私訳論語 学而第一(10)

2013-03-01 22:25:55 | 日記

子キンは、子貢に質問して言った。「先生が国を訪問すると、必ず政治のことを訊かれる。先生は見返りを求めて助言するのか?それとも、無償で助言するのか?」は言った。「先生は、温良でつつましやかで謙虚だから、見返りを得られるのだ。先生が見返りを求めるやり方は、他の人が見返りを求めるやり方とは違う。」

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