桜が咲きました。
青空の下、綺麗です。
川沿いは、満開まで、もう少し。
凛と花開く。
タンポポや、
ヒメオドリコソウかな。
イヌノフグリかな。
コブシかな。
春ですね。
桜が咲きました。
青空の下、綺麗です。
川沿いは、満開まで、もう少し。
凛と花開く。
タンポポや、
ヒメオドリコソウかな。
イヌノフグリかな。
コブシかな。
春ですね。
水腫にて 臍のまわりも 腫れ痛み 胸せき腹も ならば水分
(永田徳本『灸治歌』より)
すいしゅにて へそのまわりも はれいたみ むねせきはらも ならばすいぶん
分水(ママ)は臍より上の一寸ぞ 七壮 はりさせぬ穴ときく
胸痞へ 咳逆上気 喘息は 華蓋の穴に しくことはなし
(永田徳本『灸治歌』より)
むねつかえ がいぎゃくじょうき ぜんそくは かがいのけつに しくことはなし
華蓋とは咽なる高き骨よりも五寸下なり 仰てとれ
嘔血し 胸脇痞へ 痛して 霍乱吐利は 巨闕なるべし
(永田徳本『灸治歌』より)
おうけつし きょうきょつかえ いたみして かくらんとりは こけつなるべし
巨闕とは 鳩尾の穴の下よりも一寸にあり 七壮をせよ
永田徳本『灸治歌』から一日三首掲載したします。
脳重く 頭痛目暈り 乾嘔 肛門出は 百会なるべし
のうおもく ずつうめまわり からえづき こうもんでるは ひゃくえなるべし
百会とは ニの眉のまん中の墨より上の八寸にあり。
喘欬し 咳逆をしつつ 咽も鳴り 胸に気せかば 天突の穴
ぜんがいし がいぎゃくをしつつ のどもなり むねにきせかば てんとつのけつ
天突は 咽なる高き骨よりも三寸したぞ 仰てとれ
曲池より 二寸手先は 三里にて 伸屈せず 痺るるによし
きょくちより にすんてさきは さんりにて しんくつせず しびるるによし
曲池とは かいなの節の 折かがみ 臂を挙なば 陥みなるべし
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
ヒゲ長く 腰曲るまで いきたくば 背と三里に 煙たやすな
(沢庵禅師)
〇
鍼をさすは
気血の滞りをめぐらし
腹中の積をちらし
足の頑痺をのぞく
(貝原益軒『養生訓』「鍼」より)
〇
灸すべき所をえらんで、要穴に灸すべし。
みだりに処多く灸せば、気血をへらさん。
(貝原益軒『養生訓』「灸法」より)
お灸する場所は、する必要ある所に、適切な数だけしましょう。
〇
健康であるということは…
喜びと苦しみの中にあって生命を感じうること…
(イヴァン・イリッチ『脱病院化社会』「文化的医原病」金子嗣郎訳より)
〇
自分を征服できない人に限って、
思い上がって他人の意志を自分の思い通りにしようとするのですから……
(ゲーテ『ファウスト』高橋義孝訳より)
〇
自然の力で治ってゆくのを医者は監督しているに過ぎぬと医者は云うが、
そんなバカげた医学があるものですか。
(代田文誌『鍼灸真髄』より)
明治から昭和にかけての鍼灸の名手、沢田健の言葉。
人に自然治癒力があるからといって、ただ見守っているだけでは、医学でもなんでもありません。
時には積極的な働きかけが必要です。
〇
病あるときに、或は薬を服し、或はくさぐさのわざをしてこれを治むるも、又みな神の御しわざ也、…
神のみたまによりて病は治まる也。
(本居宣長『答問録』より)
今まで健康だったのに、突然難病に苦しむことがあります。
他の人には効いた薬や治療法が自分には効果がなくて悩むことがあります。
いくら考えても、自分が悪くなく、病になった理由を思いつかないときがあるものです。
そういうときは、自分を責めなくて良いのです。
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
文明。それに比べれば、死はさしたることではない。
われわれは星に向かって消えた音楽である。
(サン=テグジュペリ『手帖』より)
〇
徳とは一種の健康であり、美であり、魂のよい在り方である。
(プラトン『国家』より)
〇
恬憺虚無なれば、真気これに従い、精神内に守る。
病いずくんぞ従い来たらん。
(『黄帝内経素問』「上古天真論篇」より)
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
それは
丈夫ナカラダヲモツ
秘訣です。
〇
若し人、心神快からざれば、そのとき茶を喫し、心蔵を調へ、万病を除愈すべし。
心の蔵快きときは、諸蔵病有りと雖も強く痛まざるなり。
(栄西『喫茶養生記』より)
〇
病は口より入り、禍は口より出ず。
(『太平御覧』「人事」より)
口より出入りするものにご注意あれ。
〇
すべての人間らしいあやまちを
清い人間性がつぐなう
(ゲーテ「クリューゲルへ、1827年3月31日、「イフィゲーニエ」について」高橋健二訳より)
〇
五つの知恵
・からだは健康になりたがっている
・治癒は自然の力である
・からだはひとつの全体であり、すべての部分はひとつにつながっている
・こころとからだは分離できない
・治療家の信念が患者の治癒力に大きく影響する
(アンドルー・ワイル『癒す心、治る力』上野圭一訳より)
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計
(『三好達治詩集』より)
〇
日に一日を慎む
(『淮南子』「主衛訓」より)
〇
百戦百勝は、善の善なるものに非ず。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。
(『孫子』「謀攻篇」より)
それは病と闘うときも。
〇
老人病あらば、先ず食治すべし。
(貝原益軒『養生訓』「養老」より)
〇
衰老の人は、薬治、鍼灸、導引、按摩を行ふにも、
にはかにいやさんとて、あらくすべからず。
あらくするは、是即効を求むる也。
たちまち禍となる事あり。
若当時快しとても後の害となる。
(貝原益軒『養生訓』「鍼」より)
〇
限りある 露の身をもて はかりなく 胸ニまかセバ はやくこぼれん。
(曲直瀬道三『養生誹諧』より)
〇
常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田に入るべし。急なるべからず。
(貝原益軒『養生訓』「総論下」より)
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
言語を慎んで以て其の徳を養い、
飲食を節して以て其の体を養う。
(朱熹『近思録』「存養篇」より)
『周易上経』「頤」にある
「君子は以て言語を慎み、飲食を節す」
の注釈。
〇
音楽は、活力あふれる健康人には、それが自分の仕事でない限り、
ますます活力と生活の悦びとをもたらし、
活力のない病人には、悦びを与え、
また活力のないことに対する神経の苛立ちをぬぐい去ってくれる。
(フロレンス・ナイチンゲール『看護覚え書』より)
音楽のある生活、
いいですね。
〇
沈黙を学べ、ああ我が友よ、
言葉は銀にも等しい、
だが時にかなった沈黙は純金だ。
(ベートーヴェン『音楽ノート』小松雄一郎訳より)
〇
病むものは汝一人ならざるを知れ。
(内村鑑三『基督信徒の慰』より)
〇
たがいに知りあうということは、
たがいに相手のことをなにもかも知りつくすということではなく、
たがいに愛と信頼とを抱きあい、
たがいに信じあうことである。
(シュヴァイツァー『生い立ちの記』国松孝二訳より)
心と身体についても同じことが言えそうですね。
〇
仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚なり。
(『論語』「陽貨篇」より)
思いやりがあり情け深い人は学問を好む必要があるようです。
愚かにふるまわないように。
〇
古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。
(『ブッダのことば』中村元訳より)
伝統医学、漢方や鍼灸、
現代医学、東洋、西洋医学などに関しても同様かもしれませんね。
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
運も健康と同じように管理する必要がある。
好調な時には充分に楽しみ、
不調な時には気長にかまえ、
そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである。
(ラ・ロシュフコー『箴言集』二宮フサ訳より)
〇
問曰、人間世第一にねがひもとむべきものは、何事ぞや。
答云、心の安楽に極れり。
問曰、人間世第一にいとひ捨べきものは、何事ぞや。
答云、心の苦痛より外はなし。
問曰、苦を去て楽を求る道はいかん。
答云、学問なり。
(中江藤樹『翁問答』より)
学問は惑の塵砂をあらいすてて、本体の安楽にかえる道である、と中江藤樹は云います。
〇
妄心は心の病なり。
(柳生宗矩『兵法家伝書』より)
此妄心をさるを病気をさるといふ也。
此病気をされば、無病の心なり。
即ち此無病の心を本心と云ふ。
〇
賢人なる者あり。
法は天地に則り、象は日月に似り、星辰に弁別し、
陰陽に逆従し、四時を分別す。
(『黄帝内経素問』「上古天真論」より)
賢人は、無為自然に生活をおくるのではありません。
時に則し、季節に合うように、身の回りを調えます。
暑い夏は涼しく、寒い冬は暖かく。
エアコンを使っても罪悪感をもたなくてもよいのです。
〇
眼、それが絵筆だ。
(コリン・ウィルソン『アウトサイダーを超えて』中村保男訳より)
フランスの印象派の画家、セザンヌの言葉。
だれもが、自分の世界を自分の眼で描いています。
大都会の人ごみの中で孤独を感じることができるように、
誰もいない山奥で人のあたたかさを感じることもできる、
それが人間です。
〇
静坐忘思
(曾慥『道枢』「修真指玄篇」より)
静かに座り、思うことを忘れる。
道元は「只管打坐」と謂いました。
何も考えない、本も読まない、ラジオも聞かず、テレビも見ない、スマホをいじらない、
ただ静かに座る、
毎日とりたい時間です。
〇
わたしたちの心のなかに、
いのちの波はまだ脈々として生き続ける。
生命記憶の一つとして・・・。
(三木成夫『胎児の世界』より)
生命にも心にも、波があり、リズムがあります。
うまくサーフィンを楽しみましょう。
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
真実というものは、いつも人間の病気にきくわけじゃない・・・
真実さえあれば、いつでも魂の療治ができるというもんじゃあない・・・
(ゴーリキー『どん底』中村白葉訳より)
正直が一番。
でも人間には、ときにはウソも必要です。
〇
常に歩き、常に働くは、養性なるべし。
なんぞいたづらに休みをらん。人を悩ます、罪業なり。
(鴨長明『方丈記』より)
〇
観の目つよく、見の目よわく、
遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。
(宮本武蔵『五輪書』より)
木を見るときは、森も観ましょう。
患部を見るときに、全身も観るように。
〇
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ。
(サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳より)
〇
寿ながければ辱多し
(『荘子』「天地篇」より)
古の聖人、堯の言葉。
長寿だからといって徳を養えるわけではない、と言いました。
それに対して荘子は、
命が長ければ自然の摂理にしたがって、自由気ままに生きたらよい、
と言います。
〇
一、深くこの生を愛すべし
一、省みて己を知るべし
一、学芸を以って性を養ふべし
一、日日新面目あるべし
(会津八一「秋艸堂学規」より)
〇
先掬ぶ 暁わくや つつ井づの 井づつの水は 薬とぞなる
(曲直瀬道三『養生誹諧』より)
まずむすぶ あかつきわくや つついづの いづつのみずは くすりとぞなる
朝に一すくいの水を飲むことは身体によいものです。
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
(『宮沢賢治詩集』「手帳より 十一月三日」より)
〇
無病とも 心つかずに 無病なり
(平田篤胤『志都乃岩室(静の岩屋)』より)
江戸時代の川柳です。
〇
百病は気に於いて生ず。
(『黄帝内経素問』「挙痛論」より)
病は気から。
でも、その気とは、天地人の中にたくさんある、もう少し具体的な気、病の原因のこと。
どんな気で発病したか知るには、ふだんから心にアンテナを張っておきませんとね。
〇
惻隠の心は、人皆これ有り。
羞悪の心は、人皆これ有り。
恭敬の心は、人皆これ有り。
是非の心は、人皆これ有り。
惻隠の心は仁なり。
羞悪の心は義なり。
恭敬の心は礼なり。
是非の心は智なり。
仁義礼智は、外より我を飾るに非ざるなり。
我固より之を有するなり。
思わざるのみ。
(『孟子』「告子章句上」より)
人間が禽獣と異なるのは、これらの大切な心があるためです。
人はだれでも、もともとそれらを持っているのに、気が付いていないのです。
〇
少しお考えくだされば、あなたはきっと、今日の病気は明日の健康な状態なのであり、またその逆もありうるというあの考えが、もう一度あなたの心によみがえるのに気づかれるでしょう。
一見あれほどたくましく、呪わしいほど健康に見えるお金人間、機械人間がもう一世代のあいだ幸せに痴呆化を続けたならば、そのときには彼らはおそらく、彼らをふたたび美と秘密の世界へ案内してくれる医者や教師や芸術家や呪術師を雇って、高給を支払うことになるでしょう。
(ヘルマン・ヘッセ『庭仕事の愉しみ』「百日草」岡田朝雄訳より)
ヘッセの時代から一世代の後、現代はどのような状態なのでしょうか。
美と秘密の世界への入場料金はないのです。
〇
何事もあまりよくせんとしていそげば、必あしくなる。病を治するも亦しかり。
(貝原益軒『養生訓』「総論下」より)
種をまき、水をやったら、あとは待つ。
苗を抜き、手入れし過ぎは、毒となるべし。
〇
人間のほんとうの理性は、肉体と関係なく形成されるどころか、健全な肉体こそが、精神の働きを容易にし、確実にするのである。
(ルソー『エミール』戸部松実訳より)
障害を持っていても、健全な肉体であることはできます。
でも病気であるときに精神の働きを確実にするには努力が必要です。
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
医術とは、人間とはなんであるか、どんな原因によって生じるのか、その他のことをくわしく知ることである。
(ヒポクラテス『古い医術について』小川政恭訳より)
具体的な治療法を知ること、ではないのですね。
東洋医学、鍼灸医学も基本は同じです。
古典医学書の『黄帝内経』、『素問』や『霊枢』に書かれてある、中心的なことがらも、
これです。
養生する時、自分で自分を治療するときも、これを知っておく必要があります。
〇
教育は、気づきの教育のみが可能であり、また価値がある。
(カレブ・ガテーニョ『赤ん坊の宇宙』土屋澄男訳より)
治療するから治癒するのではありません。
教育するから成長するのではないのと同様に。
〇
志を以て言を発し、言を以て信を出だし、信を以て志を立つ。参は以て之を定む。
(『春秋左氏伝』「襄公二十七年」より)
身を定め立てるには、志、言、信、の三つがたいせつです。
〇
ぼくはあなたに仕える「健康である幸福」です。
ぼくは一番美しいというものではないけれど、一番大事なものです。
(メーテルリンク『青い鳥』堀口大學訳より)
これからはもうわたしがわかるでしょうね?
これは「清い空気の幸福」で、ほとんど透き通ってます。
それからこれが、「両親を愛する幸福」です。
灰色の着物をきて、いつも少し悲しそうです。
というのは、だれもこれを見てやらないからなんですよ。
これは「青空の幸福」で、もちろん青い色の着物を着てます。
次は「森の幸福」で、これももちろんのこと緑色の着物を着てます。
窓のところへ行けば、いつでもこれは見られるでしょう。
それからこれは「昼間の幸福」で、ダイアモンドのような色をしていますし、
「春の幸福」はエメラルド色をしています。
〇
酒は百薬の長
(『漢書』「食貨志」より)
「漢」を滅ぼし、「新」を建国した王莽は、こう言って、お酒を専売制にしました。
いつの時代でも、専売にしたり、税金をかけたりするには、一応建前が必要です。
心置きなく、お酒をたしなむにも、理由があると助かりますね。
ほどほどに飲めば、お酒は健康に良いのです。
〇
無病にして後の福を祈らんには、力(ツトメ)と倹(ツマシキ)との二ツを行うにしくはなし。
(平野重誠『病家須知』より)
勤勉と倹約。
〇
「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
灯台守がなぐさめていました。
「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」
(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
一利を興すは、一害を除くに若かず。
(『十八史略』「南宋 理宗」より)
良いことを一つ始めるより、今ある悪いことを一つやめることのほうが良い、
という、政治の言葉は、人の身体についても当てはまります。
ある薬で副作用が現われたとき、その症状をおさえる薬を新たに飲むのではなく、まず、その薬をやめることが必要であるように、
日々の生活の中でも、健康のために何か始めるとき、薬や健康食品を服用し始めるとき、
自分が、今、健康に悪いことをしていないか、悪いものは身近にないか、
思い返すことが必要かもしれませんね。
〇
深く愛することのできる人だけが、同じように、深く悲しむことも経験できる。
(トルストイ『幼年時代』より)
悲しんでもいい。
泣いてもいい。
〇
幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだ。
(アラン『幸福論』「ストイシズム」白井健三郎訳より)
不機嫌は、無視していると、犬が犬小屋に戻っていくように、動物的な生命力の中に戻って薄らぐものだ、
とアランは言います。
「わたしが満足しているのは暖まったからではない。満足しているから暖まるのだ」
〇
死期は序を待たず。
死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。
(兼好法師『徒然草』より)
〇
花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。
(洪自誠『菜根譚』「後集」より)
花見は半開、お酒はほろよい、
それがよろしい。
満開も、泥酔も、あと味の、趣き苦し。
〇
みんなは、特急列車に乗りこむけど、いまではもう、なにをさがしてるのか、わからなくなってる。
だからみんなは、そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ・・・。
(サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳より)
〇
人間至る処青山有り
(僧月性『清狂遺稿 上』「将東游題壁」より)
男兒立志出郷關
學若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山
男児志を立てて郷関を出づ
学若し成る無くんば復た還らず
骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん
人間到る処青山あり
スペンサー ジョンソン の『チーズはどこへ消えた?』にも同じような話がありましたね。
変化の前には勇気が必要です。
でも、どこへ行っても、青々とした美しい山があるものです。
〇
「今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。
〇
皮膚という 薄い柔らかい
伸びちぢみ自由な 大小無数の穴によって
外界と通じ合っている
複雑きわまりない
ひとつの生きた袋の中に、
液体的なものがいっぱい入っていて、
その中に骨も内臓も浮かんでいる。
(野口三千三『原初生命体としての人間』より)
自分の身体に対するイメージ。
それが変わるだけで心身がいろいろと変化してきます。
〇
多く蔵すれば、必ず厚く亡う。
(『老子』「四十四章」より)
お金も、物も、たくさん蓄えようとすると、それ以上のものを失うことがあります。
食事も、水も、おやつも、ジュースも、お酒も・・・
摂り過ぎに気をつけましょう。
〇
自ら悪を作せば自ら穢れ、自ら悪を作さざれば自らが清し、
浄と不浄と共に己にあり、自ら他を清くすること能はず。
(『法句経』「自己品第十二」より)
自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、
浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず。
(「少林寺拳法、聖句」より)
武術には自己修養がたいせつです。
養生にもそれが言えますね。
どのように生きるか、自分で決めるべき時が必ずきます。
〇
人間はガイアの一部でガイアと切り離すことはできないので、われわれの知性はガイアにとって新たな能力と力である代わりに、新たな危険でもあるのだ。
(ジェームズ・ラブロック『ガイアの復讐』竹村健一訳より)
レオナルド・ダ・ヴィンチも人体を地球の縮図とみなして、地球を人体の拡大モデルとみなしました。
天人相応。天人相関。
東洋哲学も、それにもとづく鍼灸医学、東洋医学も、基本は同じです。
〇
人の身は父母を本とし、天地を初とす。
(貝原益軒『養生訓』より)
自分の身は、自分一人だけのものではない。
不養生して若死にでもすると、それは天地父母に対して不孝である、
と、益軒は言います。
長生きして、人倫の道を行い、喜び、楽しむことが大切です。
〇
凡、薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。
飲食、色欲を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。
(貝原益軒『養生訓』より)
薬も鍼灸だけでなく、導引も按摩も同様です。
病気でもないときに、みだりに治療をおこなうことは上策ではありません。
まずは、朝夕歩き、労働して、座り、寝てばかりいることを避けること。
その上で、具合の良くないときは、治療の当否をよく知って選ぶことが大切です。
〇
養気は医の至道なり。
(本居宣長「送藤文與還肥序」より)
気を養うこと、それが医療の至道である、
と宣長は言います。
どのように気を養うのか、
食べ過ぎない、
身体を動かして、でも、やり過ぎない。
思慮は常に少なく、
これが原則。
湯熨鍼灸(薬や鍼灸)は、あくまで真気を補助する治療法です。
〇