サンノゼにも所々で桜は咲き、やがて桜吹雪となって季節の移る空を桜色に染めます。
チェリー ブロッサム。
こちらの桜は、日本の桜「染井吉野」とはちょっと違いますが
やさしい桜色の花が咲きます。
がっつりとまとまって公園などに植樹されているわけでないので
日本のように花見とまでいきませんが
所々で散見できる桜たちに、場所によっては
ふと足を止めて見入ってしまいますね♪
二月後半に一気に咲いて三月上旬に散ってしまいます。
この桃色が木々を彩る季節に
暖かい気持ちになるのは、日本人だけじゃないのかも知れませんね。
けども、世界で一番、日本人が桜に思いを馳せるのかもしれません。
散る桜に美を感じ、散った後の桜に期待を寄せるのは日本人ならではとも言われます。
花は桜木 人は武士
-新渡戸稲造・「武士道」より
話それちゃいますが
西欧の文化は 華は薔薇、人は騎士
とたとえられています。
「武士道」のなかでは、文化を花に、人を騎士や武士に例えることで
西欧文化と日本文化の差を差ではないこととして紐解いています。
そもそも宗教教育のない日本で日本人が道徳を重んじることがなぜ出来ているのか
これが西欧人の日本に対する謎だったところからこの本は執筆されています。
この本は皆さんが読んで自分で何かを感じていただくとして、
本文はさておき、途中で桜と薔薇のたとえが色濃くなる章に入るところで
おもてなし、プレゼントという話題に入ります。
僕の理解は次のような感じでして。
人をもてなす心は同じでも、文化が違うと添える言葉も態度も変わってくるというものです。
西欧では人におもてなし(プレゼント)するとき
「これが俺の最高の選択です。かならず気に入るよ」というスタンスで差し出しますね。
一方、日本では「つまらないものですが、どうぞ」(最近は違うけど↓後に書く)と、
いうとおもいます。これが西欧の人に誤解されるんですが
(謙遜は日本独自でよろしくない、とちょっと昔はTVで盛んに言われたけど、そんなことはないですよ
アメリカにも謙遜はあります。言葉を直訳すると謙遜のニュアンスが消えちゃうけども。
文全体で謙遜があるんです。うまく伝えられなくてすみません><、
といっても確かに、「つまらないものですが」、といって渡すのはちょっとNGかもしれません・笑
どちらも直訳していけないし、直訳できないんですね。文化が絡むので。)
実はこれらは、どちらも同じなんです。
最高のあなたに見合うよう、自分の最高のものを渡す西欧の気持ちも
自分のものがいくら最高でも、あなた自身のすばらしさには勝てない、という気持ちも
想うのは「最高のあなた」
こういった文化の違いによる言葉や態度の表面上に惑わされることなく
お互いの真理をすくいとれるように文化の教育があるんでしょうね。
ちなみに日本では現代ではちょっと変化して
「お気に召しますかどうか」
といって渡すほうが主流になってるとおもいます。
これは時代の流れに日本語が変化対応して編み出された結果でしょうかね。
これはこれですばらしい添え言葉。
「一生懸命最高のものを選んだよ。けどあなたには勝てないけど」
というニュアンスがすごく伝わりますね。
もっと話それるけど
誰かへのプレゼントを選ぶときの「自分の気持ち」で
相手のことを大切に想っているかどうかがわかってしまいます。
たとえば夫婦で自分の妻への、といった場面です。
これでいいだろう?こんなもんかな、
という選び方をするということは・・・
あなたの相手を想う気持ちはすでに・・・です。
そういった気持ちは必ず相手に普段から伝わっていて
悪循環が漂っていると想います。
誰かとの仲をもう一度きれいに整えて、保ちたいならば
プレゼントはまずもちろん有効でしょう。
さらに言えば、「真剣に考えて選ぶ」と
流れが変わるとおもうのです(ぴよあじは)。
面倒くさがらずすべてを無駄にしても3日は考えて歩き回って
プレゼントを選びましょう。(報われるかどうかも置いておいて)
大切なのは金額でなく、なにかを真剣に選ぶこと。
場面によって渡すものも違うだろうけど
真剣にプレゼントを考えることで
自分にとっても。二人にとっても
なにか思い出すものがあるはずです。
と、ぴよあじはおもうんでして♪
プレゼントが気に入ってもらえなかったとき?
一生懸命選んだんだから、ふくれてもいいとおもうでして♪
でも、一生懸命選んだんだから、気に入らない理由も聞けるよに。
聞いて納得できればほら。
「やっぱ相手のこと理解しようとする心が足りなかったのかな」とかさ
あはは、そんで、後は潔く「次回」にてリベンジ♪
潔く。武士道ですねw
(うんうん、なんかまとまった気がする。うんうん)
ん?ぴよあじ?ぴよあじはいつもいつでもプレゼントは真剣でして♪
渡したときの、後の、いろーんな景色で妄想いっぱいでして♪
さて、桜の話。
カリフォルニアのどの地区でも桜は見れます。
特にサンノゼは多い気もしますが
僕が住んでて気づきやすいだけなのかもしれないです。
いまこの記事がアップされるころ(1週間後の自動更新のため)、
サンノゼの桜はもう散っていることでしょう。
そうだ、
去年の桜は日本で見たんだよなぁ。
アメリカに赴任する直前だ。
家族みんなで。
もうじきに迫る出発に
張り裂けそうな気持ちを抑えながら
無理矢理楽しくつくろいながら
花見した。
息子が無邪気に桜吹雪を楽しんでくれていたのが
僕ら夫婦の切な陰りを紛らして
すべてを桜色に照らしてくれていたように想う。
また、日本で。
家族みんなで、桜の木の下で
お花見したいな。
散る桜吹雪に両手広げてふわっと喜ぶ息子の笑顔を思い出す。
今度は娘も同じような笑顔を見せてくれるのだろう。
桜。
日本の桜。
日本人の桜。
またね。
チェリー ブロッサム。
こちらの桜は、日本の桜「染井吉野」とはちょっと違いますが
やさしい桜色の花が咲きます。
がっつりとまとまって公園などに植樹されているわけでないので
日本のように花見とまでいきませんが
所々で散見できる桜たちに、場所によっては
ふと足を止めて見入ってしまいますね♪
二月後半に一気に咲いて三月上旬に散ってしまいます。
この桃色が木々を彩る季節に
暖かい気持ちになるのは、日本人だけじゃないのかも知れませんね。
けども、世界で一番、日本人が桜に思いを馳せるのかもしれません。
散る桜に美を感じ、散った後の桜に期待を寄せるのは日本人ならではとも言われます。
花は桜木 人は武士
-新渡戸稲造・「武士道」より
話それちゃいますが
西欧の文化は 華は薔薇、人は騎士
とたとえられています。
「武士道」のなかでは、文化を花に、人を騎士や武士に例えることで
西欧文化と日本文化の差を差ではないこととして紐解いています。
そもそも宗教教育のない日本で日本人が道徳を重んじることがなぜ出来ているのか
これが西欧人の日本に対する謎だったところからこの本は執筆されています。
この本は皆さんが読んで自分で何かを感じていただくとして、
本文はさておき、途中で桜と薔薇のたとえが色濃くなる章に入るところで
おもてなし、プレゼントという話題に入ります。
僕の理解は次のような感じでして。
人をもてなす心は同じでも、文化が違うと添える言葉も態度も変わってくるというものです。
西欧では人におもてなし(プレゼント)するとき
「これが俺の最高の選択です。かならず気に入るよ」というスタンスで差し出しますね。
一方、日本では「つまらないものですが、どうぞ」(最近は違うけど↓後に書く)と、
いうとおもいます。これが西欧の人に誤解されるんですが
(謙遜は日本独自でよろしくない、とちょっと昔はTVで盛んに言われたけど、そんなことはないですよ
アメリカにも謙遜はあります。言葉を直訳すると謙遜のニュアンスが消えちゃうけども。
文全体で謙遜があるんです。うまく伝えられなくてすみません><、
といっても確かに、「つまらないものですが」、といって渡すのはちょっとNGかもしれません・笑
どちらも直訳していけないし、直訳できないんですね。文化が絡むので。)
実はこれらは、どちらも同じなんです。
最高のあなたに見合うよう、自分の最高のものを渡す西欧の気持ちも
自分のものがいくら最高でも、あなた自身のすばらしさには勝てない、という気持ちも
想うのは「最高のあなた」
こういった文化の違いによる言葉や態度の表面上に惑わされることなく
お互いの真理をすくいとれるように文化の教育があるんでしょうね。
ちなみに日本では現代ではちょっと変化して
「お気に召しますかどうか」
といって渡すほうが主流になってるとおもいます。
これは時代の流れに日本語が変化対応して編み出された結果でしょうかね。
これはこれですばらしい添え言葉。
「一生懸命最高のものを選んだよ。けどあなたには勝てないけど」
というニュアンスがすごく伝わりますね。
もっと話それるけど
誰かへのプレゼントを選ぶときの「自分の気持ち」で
相手のことを大切に想っているかどうかがわかってしまいます。
たとえば夫婦で自分の妻への、といった場面です。
これでいいだろう?こんなもんかな、
という選び方をするということは・・・
あなたの相手を想う気持ちはすでに・・・です。
そういった気持ちは必ず相手に普段から伝わっていて
悪循環が漂っていると想います。
誰かとの仲をもう一度きれいに整えて、保ちたいならば
プレゼントはまずもちろん有効でしょう。
さらに言えば、「真剣に考えて選ぶ」と
流れが変わるとおもうのです(ぴよあじは)。
面倒くさがらずすべてを無駄にしても3日は考えて歩き回って
プレゼントを選びましょう。(報われるかどうかも置いておいて)
大切なのは金額でなく、なにかを真剣に選ぶこと。
場面によって渡すものも違うだろうけど
真剣にプレゼントを考えることで
自分にとっても。二人にとっても
なにか思い出すものがあるはずです。
と、ぴよあじはおもうんでして♪
プレゼントが気に入ってもらえなかったとき?
一生懸命選んだんだから、ふくれてもいいとおもうでして♪
でも、一生懸命選んだんだから、気に入らない理由も聞けるよに。
聞いて納得できればほら。
「やっぱ相手のこと理解しようとする心が足りなかったのかな」とかさ
あはは、そんで、後は潔く「次回」にてリベンジ♪
潔く。武士道ですねw
(うんうん、なんかまとまった気がする。うんうん)
ん?ぴよあじ?ぴよあじはいつもいつでもプレゼントは真剣でして♪
渡したときの、後の、いろーんな景色で妄想いっぱいでして♪
さて、桜の話。
カリフォルニアのどの地区でも桜は見れます。
特にサンノゼは多い気もしますが
僕が住んでて気づきやすいだけなのかもしれないです。
いまこの記事がアップされるころ(1週間後の自動更新のため)、
サンノゼの桜はもう散っていることでしょう。
そうだ、
去年の桜は日本で見たんだよなぁ。
アメリカに赴任する直前だ。
家族みんなで。
もうじきに迫る出発に
張り裂けそうな気持ちを抑えながら
無理矢理楽しくつくろいながら
花見した。
息子が無邪気に桜吹雪を楽しんでくれていたのが
僕ら夫婦の切な陰りを紛らして
すべてを桜色に照らしてくれていたように想う。
また、日本で。
家族みんなで、桜の木の下で
お花見したいな。
散る桜吹雪に両手広げてふわっと喜ぶ息子の笑顔を思い出す。
今度は娘も同じような笑顔を見せてくれるのだろう。
桜。
日本の桜。
日本人の桜。
またね。
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