BOOK2・14章
14章の「手渡されたパッケージ」は、青豆が小学校の教室で天吾に手渡したメッセージであるが、ここの主体はふかえりである。
ふかえりと青豆が同一化する。まさに壮大なジグソーパズルの一つのピースがはめ込まれた感がある。
「『こちらにきてわたしをだいて』
『君を抱く?』
『わたしをだきたくない』
『いや、そういうわけじゃなくて』
『あなたもパジャマにきがえてあかりをけして』
天吾は言われたように寝室の天井の明かりを消した。服を脱ぎ、自分のパジャマを出して、それに着替えた。いちばん最近このパジャマを洗濯したのはいつだっけ、と天吾は着替えながら考えた。~体臭も強い方ではない。とはいえパジャマはもっと頻繁に洗っておくべきだと、天吾は反省した」
この出だしの文に天吾とふかえりのセックスの全てが示される。
「おはらいをする」と言ったふかえりに性的な欲望の感じは全くなく、まさに儀式を始める巫女(みこ)のおごそかさすらある。
天吾がベッドに入り、ふかえりが天吾の右腕に頭を乗せると、外ではリトル・ピープルが怒り狂うように激しい雷鳴があり、雨も窓ガラスをたたきつけていた。
「ノアの洪水が起こったときも、あるいはこういう感じだったのかもしれない。もしそうだとしたら、こんな激しい雷雨の中で、サイのつがいやら、ライオンのつがいやら、ニシキヘビのつがいやらと狭い方舟(はこぶね)に乗り合わせているのは、かなり気の滅入ることであったに違いない。それぞれに生活習慣が違うし、意思伝達の手段も限られているし、体臭だって相当なものであったはずだ」
十七歳の美少女とベッドの中にいて、天吾が頭の中に描いた光景である。非常に現実的な描写であるが、天吾自身は現実からかけ離れた所にいる。
まさに日本で言う『純文学』的なものがものの見事に吹き飛ばされる描写ですらある。
天吾はふかえりにセックスを求める気持ちはみじんもない。
「そしてふかえりが求めているのが彼の性欲ではないことも、おおむね理解していた。天吾には何かべつのものが求められているのだ」
だが、天吾は自然に自分のものが硬くなるのを恐れる。
「かたくなってもかまわない」と、ふかえりは天吾の気持ちを読み取って言う。
だが天吾のペニスは勃起の兆候を見せない。天吾はふかえりの言葉で幾分楽になり、年上のガールフレンドの事を思い出す。そしてふかえりが本当の自分の恋人だったらと考えたときであった。
「彼はそんなことを考えるべきではなかったのだ。天吾のペニスは背中を指でとんとんとつつかれ、泥の中での穏やかな眠りから目覚めたようだった。それはひとつあくびをし、そろそろと頭をもたげた」
そのあとの会話をゆっくりと読むと春樹流の面白さが読者を笑わせる。
「『きにしなくていい』とふかえりは言った。『かたくなるのはシゼンなことだから』
『ありがとう』と天吾は言った。『でもリトル・ピープルがどこかから見ているかもしれない』
『みているだけでなにもできない』
『それはよかった』と天吾は落ち着かない声で言った。『でも見られていると思うと、なんとなく気になるな』」
「もういちどネコのまちにいく。だからねむらなくてはならない」と、ふかえりはオハライの目的を告げる。
「天吾は知らないうちに眠りに落ちてしまった。~気がついたとき、彼は裸になっていた。そしてふかえりもやはり裸になっていた」
天吾はベッドの上で仰向けになり、その上にふかえりがまたがるように乗っている。見上げるふかえりの乳房は成熟をとげたものだが、陰毛は無かった。
ペニスは硬く勃起しているが、天吾の身体は麻痺したように自分では指一本も動かせない。
「うごかすヒツヨウはない」とふかえりは言った。
「動かすヒツヨウはある。これは僕の身体だから」と天吾は言った。
ふかえりは自分の身体を下の方へとずらせていく。「彼女の目にはこれまで見たこともない色合いの光が宿っていた。~ふかえりは天吾を深く受け入れ、天吾はふかえりに深く受け入れられたまま、そこにじっとしていた。
「身体には感覚がない。身動きもできない。しかしペニスには感覚はある。いや、それは感覚というよりも、むしろ観念に近いかもしれない」
この天吾とふかえりの交わりは、前の13章でふかえりの父が青豆に話した内容と一致する。
「わたしが交わったのはあくまで観念としての娘だ」
ふかえりの父が交わったのはドウタとしてのふかえりの可能性が高いが、天吾は実体?としてのふかえりと交わっているのである。
騎上位のふかえりの口からもれた言葉は「テンゴくん」である。これはまさに、青豆の生霊(いきりょう)がふかえりに乗り移って言わせた言葉に思える。
ふかえりは身体をかがめ、天吾の唇を割って、自分の柔らかな舌を中に滑り込ませ、右手を伸ばし、天吾の左手を強く握る。
目を閉じた天吾はいつのまにか十歳の天吾にかえり、小学校の教室に青豆といる。
「少女はそこに立ち、右手を伸ばして天吾の左手を握りしめていた。彼女の瞳は天吾の目をじっとのぞきこんでいた。~彼女が求めているのは自分の感情を天吾にしっかりと送り届けるという、ただそれだけのことだ。それは小さな固い箱に詰められ、清潔な包装紙にくるまれ、細い紐できつく結ばれている。そのようなパッケージを彼女は天吾に手渡した」
そして青豆が教室を出て行った時、天吾は激しくふかえりの中に射精した。
ふかえりは言う、「しんぱいすることはない。わたしはニンシンしない。わたしにはセイリがないから」
ここの「わたし」の傍点(赤字)は後になってから分かる。つまり、妊娠したのはふかえりではなく、青豆である。つまり、そのことをふかえりは知った上での、儀式だったのだ。
「ヒツヨウなことだった」と、ふかえりは天吾に言う。
儀式が終わると、雷鳴はやみ、あたりは非現実的なまでにしんとしていた。ふかえりはシャワーを使ったあと、寝室に戻ると、空中に指先でするりと小さな円を描いて言う、『もうおわった』。
そしてまた天吾の横にもぐりこみ、頭を天吾の肩に載せて言う、「ねむったほうがいい」
天吾は眠って目覚めたとき、どんな世界があるのだろう、と思う。
「それはだれにもわからない」と、ふかえりは彼の心を読んで言った。
かげろうの詩(14)
君に捧(ささ)ぐ
僕の白い手が
君の細いゆびと重なるとき、
神が来て
僕達を祝福してくれるだろう。
その時まで
その時まで
励ましあって
僕達は
弱い心にうちかたなければならないんだ。
今日もほら、
ビートルズの
レコードを聴いて
無限の世界に
旅立とうよ。
君の細いゆびが
僕の白い手と重なるとき、
神が来て
僕達を祝福してくれるだろう。
(一九七六・九月五日)