自作の俳句

長谷川圭雲

0809健太郎日記本文公開(2009年7月)

2012-08-13 10:05:32 | インポート

0809健太郎日記 翁のつぶやき(31)

 朝日新聞の『竹島』についての本心はどこにあるのか?

 今日(2012・8・12)夜帰って朝日新聞を見て驚いた。あの朝日新聞の主筆が堂々と自分の名前と役職を前面に押し出し、竹島の問題を論じていたからだ。李明博(イ・ミョンバク)大統領が堂々と竹島に上陸した事に対して「これみよがしの上陸で(日本国民の感情を)逆なでするのは、いまや立派な大国の元首らしい振る舞いではなかろう」と述べている。

 今宮啓文氏は週刊新潮2012・7・19日号で「竹島は韓国へ譲ってしまったら、と書いた」と書かれている。その反論も無いままに、今回のわざわざ自分の名前を前面に出しての記事である。まさに『恥』の感覚は朝日新聞の主筆には無用の長物なのだろうか。

***

 「0809健太郎日記本文公開」は前回お知らせ致しましたように、9月10日より開始致します。

 今回の「翁のつぶやき」は、まさに号外と言えます。次回は予定通り進めます。


0809健太郎日記本文公開(2009年7月)

2012-08-09 09:17:28 | インポート

七月五日(日曜日)北朝鮮弾道ミサイル日本全土を射程距離に

 青葉台駅近くの叔父の家に遊びに行くと、丁度鹿児島からキビナゴが冷凍で送られてきて、それを刺身にして一杯飲んだ。会話の途中、源氏物語の話が出て、光源氏が十八で十歳の女の子を将来の妻にすると引き取った話をすると、下宿している東京外語大の叔父の孫娘が「それは若紫(わかむらさき)でしょう」と、間髪を入れず言い当てた。

 飲んでいる時に携帯に電話が入った。トリゴエ・ユイ氏からで、アートフォーラムの展示が終了し、片付けが終ったから、健太郎が買った『受胎告知』を引き取りに来るようにとの事で、健太郎は早々(そうそう)に叔父の家を出た。

 展示会場の片付けは殆ど終っていて、健太郎の絵も持って帰れるように梱包されていた。そこで初めて健太郎は自分が買ったアクリル画の作品が画布ではなく、ベニヤ板に描かれたものである事を知った。

額縁に入れて飾る事にしていたが、ベニヤの枠(わく)の厚みもあり、額は無理だと分って、そのまま持ち帰り、家で考える事にした。

画布であろうが、ベニヤであろうが、描かれた絵は素晴らしいものである。描くものがあればそこに描いた画家も多い。そして描かれたものは貴重なのだ。

ベニヤは軽く、居間の壁に掛けても危なくない。

健太郎は部屋に籠(こも)った長男を呼び出し、壁に掛かった絵の評価を聞いた。二十五歳の作家の絵を二十七歳の長男がどう思うか知りたかったのだ。

長男の答えは「まあ、良いんじゃない」である。健太郎も、それで良しとして、一人になるとしばらくその絵を眺めて悦に入った。

新聞はアマゾン・ドットコムの日本委託法人に追徴課税140億円の見出しである。売り上げは米国が得ていたが、実際の本社機能の一部が日本にあると判断した税務署の措置である。

そのニュースと、日本人にとって捨てて置けないニュースがあった。北朝鮮の弾道ミサイルの日本海での実験で、七発の発射があり、うち二発は優に日本全土を射程距離に収める性能を持つという。

新型インフルエンザの耐性ウイルスの発見はデンマークが世界初とされたが、実は日本が世界初である事が判明した。発表が遅れたのは非常識にも、米医学雑誌への論文を優先させた結果だという。自分の国の人々の安全を優先させるのが公衆衛生研究所だと思うのだが。

七月六日(月曜日)政治の地殻変動

山が動く

 今日、北海道帯広が三十一度、島根の松江が三十二度の真夏日であった。だが、東京、横浜は長袖でも良い暑さであった。

株価も一日冴えない値動きで、健太郎も何をするとも無く、居間に掛けたアクリル画『受胎告知』を眺めて一日をぼんやりと過ごした。

ただ、ニュースとしては久しぶりの全新聞派手な同じ見出しのトップ記事があった。

『静岡県知事 民主党系川勝氏 自公系候補を破る』である。

「新しい風を吹かせて欲しい、という気持ちを受けて立った事が勝因になったと思う」、川勝氏の勝利の言葉であった。

いよいよ日本の政治の地殻変動が始まった。山が動いたのだ。

今度の日曜日の東京都議選でその動きが止まらなければ、旧体制は音を立てて崩れていく事になる。時代に沿った新しい日本を作るマグマが動き始めた。

新型インフルエンザは神奈川で新たに4人の感染が確認され、累計137人となった。うち海外からの帰国者が3人である。

 また、一部の高齢者の血清から免疫反応が見つかり、過去に新型インフルに似たウイルスに感染していた可能性が有るという。六十歳以上の人の血清三十人分を調べた結果である。この四割から新型インフルに対する抗体が見つかった。ただ、実際にそれが今回の新型インフルに対する抑止効果をもたらすかは分かっていない。

金曜日のニューヨーク市場は休みで、東京は135円下げて、9,680円。為替は1ドル95円、1ユーロ133円、金は1グラム3,053円、オイルは1バレル64ドルであった。

健太郎が288円で買ったインフル関連銘柄ダイワボウは4円下がり、289円となった。市場は新型インフルの成り行きをじっと見詰めている。買った銘柄の株価が上がらないで、下がる方が社会には良い事なのだが、健太郎は面映(おもはゆ)い気持ちである。

七月七日(火曜日)日銀景気判断下げ止まり

    色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)

天の川で隔てられた男女の星、織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)がこの日だけ川を渡って会う事が出来る。横浜で空を見上げても星は見えない。

健太郎の田舎では満天の星が見えるが、牽牛と織女が会う場所の見当がつかない。健太郎は子供の頃から七夕(たなばた)という言葉にロマンチックな響きを感じる。

 今日から下書きのある短編小説、『拾っちゃダメ』を本格的に仕上げる事にした。内容は、高校の教師が門の前に落ちていた女の子のパンティを拾った事から誤解されて窮地に陥(おちい)る、という内容である。

三ページ程進んだ所でパソコンを打つ手を止めた。少しずつ書き進めれば良い。急いで息切れするより、少しずつでも着実に進む方が却って早い事を健太郎は体で知っている。

三時近くにマンションを出ると、銀座松屋に行った。ある画家の個展を目的で行ったのだが、目指した画家の絵は無く、別の画家の作品のみであった。

だが、その隣でフランスの版画家ルイ・イカールの展示即売会があり、健太郎はその方へと足を運んだ。

イカールの女性像にはコケティッシュなものが付きまとうが、ここに展示された絵は少女の初々(ういうい)しさが際立つものであった。

健太郎がイカールを知ったのは昭和五十五年(一九八0)、夏休みを利用してロンドンに行った際で、ピカデリー・サーカスの本屋でイカールの版画作品集に一目で魅せられてA4サイズより少々大きめの178ページにも亘る、ずっしりと重い本を日本に持ち帰ったのである。その後何度もイカールの版画をあちこちの画廊で目にするようになったが、健太郎の手の届く額では無かった。


0809健太郎日記本文公開(2009年7月)

2012-08-07 09:59:37 | インポート

七月二日(木曜日)共感覚

 健太郎は渋谷からの帰りの電車の中でハッと息を呑むほど美しい女子高生を見た。いや、一緒に居たもう一人の女性がアルバイト等の話をしていて大学生のようであったから、その女性も高校生では無いのかもしれない。咄嗟(とっさ)の感覚で健太郎が高校生と思ったのである。制服ではなく、浅黄(あさぎ)のワンピースを着ていた。健太郎はその女性に目を奪われた。六十五の健太郎が十八くらいの女性に見とれるのは人には言えない事である。

うろ覚えではあるが、白髪の川端康成が美しい、やはり高校生ほどの女性をじっと見詰めていた事があって、女性は後でその事を『気味悪く思った』と述べていた。

康成の美しいものへの執念をぞっとする程その時感じたが、今では健太郎が十八くらいの女性をじっと見つめているのである。自分の娘より、十あまりも若いその女性は、視線を感じたのか、健太郎の方を見て、健太郎と目が合った。一瞬であった。

女性の目は健太郎を受け入れていた。そしてまた友達と話を続けた。健太郎の視線は自然なものに変わった。車内広告などに視線は移ったがいつの間にかまた女性へと返っていく。

女性の話し方は一方がごく普通な話し方なのに対して、甘い、聞いていて心が浮き立つような音質の話し方であった。ゆっくりとではあるが、遅くは無い、むしろ凛とした美しさがあった。

時々話しながら健太郎の視線と波長を合わせた。離れていて感覚を共有する『共(きょう)感覚』であると女性が溝の口の駅で降りた後で思った。

 健太郎は今日、あざみ野駅の郵便局に寄ると、そのまま渋谷に足を延ばした。電気量販店でプリンターのインクを買い、文化村から東急本店八階の美術画廊を覗いてみた。隣の工芸のコーナーにはルネ・ラリックのガラス工芸や、棟方志功(むなかたしこう)の木版画の展示があった。

すぐ隣の画廊の新作展示の会場入り口で、奥の方に立った女性と、ソファーに座った女性が見え、何か違和感があり、中に入って見ると、立っていたのは画廊の女性で、座っているのは人ではなくて大きな絵の人物であった。

『卯野和宏(うのかずひろ) 油絵展』で、中に入って直ぐに健太郎は絵に魅せられた。右奥には壁いっぱいの大きさの絵で、裸のままベッドに寝そべった少女が穢(けが)れの無いあどけない目をひょいと上げた瞬間の絵であった。

キスリングの『キキ』よりも、もっと直截に健太郎の心を捉えた。その絵は日展に出品され、今度東急渋谷の本店で売りに出される事を知った四国の人が、朝一番の飛行機で買いに来たとの事で、既に売却済みの赤いマークが付けられていた。

健太郎にも買えそうな値段の絵の中に素晴らしい物がいくつか有ったが、健太郎は年金暮らしで出費は極力抑えなければならない。逡巡していると画廊の女性が近づいてきて、色々と説明を始め、健太郎が展示してある絵の批評をちょっとすると、女性は画廊の中程に立っていた若い男性を指差して「あの方がこの絵を描かれた先生です」と、絵の作者を紹介した。

卯野和宏氏は若い、モヒカン刈りに髪を短く刈ったダンディな画家であった。

画家は健太郎の批評をニコニコして聞いた。十二号の『雲間(くもま)の頃』のベッドに上向きに横たわり、上半身をはだけて、目を瞑(つむ)ったその若い女性の表情はまさにハッとする美しさで、肌の下の血のぬくもりさえも伝わるものであった。健太郎はその絵から動けなかった。

「モデルさんを使ってお描きになったんですよね」、健太郎は画家の反応を試すように聞いた。

「ええ、でもそのままではなく、私の頭の中にあるイメージで描いたんです」

値段は健太郎の買える金額を上回っている。健太郎は決断が出来ないまま、画廊を出た。入り口に置かれた展示会案内の絵葉書を手に下りのエレベーターの方へと歩き始め、絵葉書を見た時、「これだ」と、また会場へと取って返した。

会場では見かけなかった絵である。画廊の女性が、返って来た健太郎に買う決断を見てとったのか直ぐに近づいてきた。

「これを下さい」、健太郎は案内の絵葉書を見せると、「それはもう売れました」と、残念そうな表情を見せた。

その絵は画廊の外に面した柱に掛けたもので、健太郎は柱の後ろに回って、その絵を見た。八号で、健太郎の買える値段であった。

『逃げ水を追う風』とのタイトルで、若く美しい女性が涼しげな半袖の夏服で佇(たたず)む半身の絵である。健太郎は諦め切れない心のまま画廊を去った。

ニューヨークのダウ平均は57ドル高の8,504ドル、東京は63円下げて9,876円。為替は1ドル96円、1ユーロ134円、金は1グラム3,059円、オイルは1バレル67ドルと下げた。

横浜版の新聞記事に『新型インフル 県累計109人に 新たに8人感染』とあった。

七月三日(金曜日)都議選告示

           被爆国日本 核の番人に

 七月七日の七夕の日が近づいたせいか、切り取った竹に願いを込めた色とりどりの短冊がぶら下げられた光景があちこちに見られた。健太郎の前をよちよち歩く保育園の園児達が二十人ほど先生に手を取られて歩いていた。七夕が飾ってある所に来ると「バンブー・ツリー」「バンブー・ツリー」と英語で発音し、園児達も大きな声で先生の発音を真似た。

あざみ野の銀行で絵の手付金となる額を引き出し、健太郎は渋谷東急本店の画廊へと向かった。十時開店である。本当に買いたい絵であれば、手付金を払い、残額はその後で払えばよい。そのようにして、健太郎は三十年以上も前に、カシニョールの『オレンジ色の袖』の名画を手に入れたのだ。

画廊に入ったのは健太郎が二番目であった。最初に入ったのは美術学校の学生のようで、エレベーターで乗り合わせた女性であった。画廊には既に新進の若い画家、卯野和宏(うのかずひろ)氏の姿も有った。

昨日買うかどうか迷った十二号の『雲間(くもま)の頃』と、値段的にはもっと安い八号の『逃げ水を追う風』と似た、別の横向きの清楚な女性の絵があった。画廊の女性が健太郎に十二号の絵を薦めた。健太郎は買える値段の八号か、買える上限を超した十二号かで迷った。

このまま買わないで帰ったら悔いが残るのは明らかである。十二号の清らかな裸体画か、清楚な着衣の女性の絵か、なかなか踏ん切りがつかない。裸体画の女性のうっとりと目を閉じて、半ば開き加減の唇はピンクでしっとりとしてそれだけでも健太郎の心を捉えた。

画廊の女性は、健太郎が絵の金額で迷っているのを見て取ると、会場の責任者の所に行き何事かを相談し、健太郎に値引いた金額を提示した。そしてその値引きの金額がギリギリである事は健太郎にも分っていた。そしてそれが健太郎の出せるギリギリの金額でもあった。健太郎は清水(きよみず)の舞台から飛び降りた。十二号の『雲間の頃』を選んだのである。決めてしまうと嬉しさが胸奥から突き上げてきた。健太郎の頬は弛んだ。そして自分が正しい判断をした確信を持った。

健太郎は買った『雲間の頃』の絵の前で三十一歳の卯野和宏氏と記念の写真を撮った。画廊を出ても嬉しくて、駅近くのビル五階の飲み屋に入ると、五時の開店前であったが中に入れてくれて、先客のいるテーブルへと案内された。

先客との間には鉢植えのゴムの木があり、それが衝立(ついたて)となっていた。健太郎は渋谷駅前交差点の人の動きを眺めながら冷たいビールを口に運んだ。前の二十を半ば越したと思える女性はしきりに携帯で誰かと連絡を取り合っている。話の内容から女性がテレビに出演していて、その打ち合わせであった。隔てた鉢植えの木の間から女性もチラリと健太郎に目を走らせた。

健太郎は買った絵が日曜日まで画廊に展示してあるので、つい六ヶ月ほど前に一緒に飲んだ教え子に買った絵を見に行くようにメールを送ると、東京都議選のウグイス嬢をやるので、選挙が終るまで無理だとの事であった。

朝刊トップには『国際原子力機関(IAEA)の事務局長に日本人の天野之弥(ゆきや)氏が選出された事を報じていた。核の番人に被爆国の日本がなったのだ。


0809健太郎日記本文公開(2009年6月)

2012-08-05 09:36:26 | インポート

六月三十日(火曜日)行き帰りの人身事故

       五月の有効求人倍率 統計以来最低

 六月三十日午後二時、東急田園都市線急行通過駅の用賀(ようが)で急行が止まった。健太郎の乗った四号車は駅のホームに面している。先頭車両はホームを抜けて、地下トンネルに入っていた。急ブレーキは無く、誰もが変に思いながらも、直ぐに動き始めると思っていた。車内アナウンスがあった。

「用賀の駅で人身事故が発生した為、ただ今電車が止まっています」

車内では状況が摑めず、互いに顔を見合わせている。十五分経つても健太郎の車両はホームに面しているのにドアは開かない。トイレが近い健太郎は不安になった。隣で本を読んでいた女性もさすがに本を畳んであたりの様子を窺い始めた。携帯で連絡を取る人の数も目立ち始めた。また車内アナウンスがあった。

「人身事故が発生したため、今救護活動を行っています」

健太郎はほっとした。救護活動を行っているのなら『生きている』のだと思ったからである。それなら電車が動き始めるのも、もうすぐだと思いながらも、尿意を催しそうで不安な面持ちでホームに止まったまま、開かないドアを恨めしそうに眺めていた。

ホームを駆ける駅員の姿がただならぬ事態を教えた。何人もの駅員が先頭車両の方へホームを急いで行く。消防署の救急隊員が担架を持って行った。警官の姿が目立ち始めた。駅員が青いビニールシートを持って行くのを目にして、健太郎は初めて人が死んだのを知った。

先頭車両から健太郎の乗った車両までのホーム側ドアが開けられた。後方車輌のドアは閉まったままである。『助かった』と健太郎は思った。そのうち、全車両のドアが開けられた。ホームの混雑を避けるため、時間差でドアを開けたのだ。

振替輸送の証明を貰う人が駅改札に長い行列を作った。作動している自動改札に定期を押し当て、そのまま出て行く人の数も多かった。健太郎は駅改札に並んだ人の横をすり抜けてトイレへと急いだ。用を済ますとまたホームに戻った。

先頭車両の方は警察官と駅員だけである。ホームの客はそれを遠くから眺めているだけである。ホームを駅員が駆け足で行き来する。担架に乗せられた遺体が青いビニールシートに包(くる)まれて運ばれて行った。電車から全員下ろされ、電車の電気が止められ車内は真っ暗になった。ホームにいた乗客は警官から全員ホームから改札の方へと移動を命じられた。

一時間経っても電車の動く気配は無かった。駅にアナウンスが流れた。

「ただ今、現場検証を行っています。運転再開見通しは四時の予定です」

轢断(れきだん)された遺体の一部を拾うためであろう、駅員がホームから落ちた物を拾う道具を持って行った。

アナウンスが有り、「気分の悪くなった方がいらっしゃいましたら、改札の方まで来るか、近くの駅員にお知らせ下さい」

駅員が液体の入ったプラスチックの箱を持って出口の方へと行った。遺体の何かが入っているのであろうと、健太郎は思った。

「パンタ(グラフ)を上げてもいいですか」駅員の声である。アナウンスがあった。

「電車を動かして遺留品の捜査をします」

電車の動く音がした。駅員が十個程のバケツを持って行った。

『洗い流すのだな』、健太郎は思った。またアナウンスが有った。

「ただ今現場検証を行っています。運転再開は四時の見込みです」

諦(あきら)めて改札を出て行く人もいた。だが、その放送の直後、またアナウンスがあった。

「ただ今より運転を再開します」

健太郎は直ぐにホームへ行った。線路にはまだ人の肉と思われるものがこびりついているのが見えた。健太郎は吐き気を覚えた。

表参道で銀座線に乗り換え、新橋で下りた。全日空の出張所に六十五歳以上の割引運賃適用のマイレッジカード申請手続きのためである。

手続きを終えると銀座の小さな画廊を二、三軒覗いてみた。ピンクを基調としたユトリロ等の作品が無造作に掛かっているのはさすがに銀座である。

帰りに渋谷で買い物をして午後六時を過ぎた頃、田園都市線の下りホームで急行を待った。

電車に乗ってもまだ来る時の事故の余韻が残っていた。急行が地下を抜け、二子(ふたこ)玉川の地上に出た。ここからは地下鉄ではなく、普通の地上を走る電車である。

二子玉川で大井町線の客を拾うと、電車は多摩川に架かった橋を渡り、溝の口の駅に着いた。その時、突然車内アナウンスがあった。

「青葉台の駅で人身事故が発生したため、この電車は当駅で停まっています。振り替え輸送でJR南武線をご利用になれます」

いさぎよく見切りをつけて、降りる客も多かったが、様子を見る客も多かった。

「また一時間半もまたされるのか」と、健太郎は度重なる人身事故にふと不安を感じた。

健太郎もJR南武線を使って武蔵小杉に行き、そこから東急東横線で日吉に出て、横浜市営地下鉄で中川まで帰る事が出来る。その方に気持ちが傾きかけた時、またアナウンスが有った。

「この電車はあざみ野行きとなり、直ぐに発車となります」

健太郎の下りる駅はあざみ野である。振替輸送のアナウンスがあってから十分後のアナウンスであった。

健太郎は家に帰っても食べる気がしなかったが、冷蔵庫からビールを出すと蓋(ふた)を開けた。

ニューヨークの株は90ドル上がって、8,525ドル、東京は174円上げて、9,958円。為替は1ドル95円、1ユーロ135円、金は1グラム3,052円、オイルは1バレル69ドルと下げた。

五月の有効求人倍率は0・44倍で統計を取り始めて以来の最低との事である。


0809健太郎日記本文公開(2009年6月)

2012-08-03 09:24:24 | インポート

六月二十六日(金曜日)マイケルジャクソンの突然死

       消費者物価1・1パーセント下落 デフレ懸念

 夕刻六時の室温はマンション八階の開け放した部屋でも27度である。明日の最低気温が23度、最高が30度を超す真夏日になるという。

江ノ島の海水浴場の海開きがあり、水着姿の幼稚園園児達が嬉しそうに手を繋ぎ、寄せ来る波に一斉に飛び上がりはしゃぐ姿がテレビに映った。

 健太郎は今日、午前十時から始まる旭化成の株主総会に行った。皇居外苑、日比谷濠(ぼり)に面した東京會舘ローズルームが会場である。479名の株主参加であった。NTTと同じようにあまりにも個人的な感情に走る質問があり、会場が辟易(へきえき)して、議長が質問を他の者にまわすとほっとした空気が流れる始末である。

この旭化成も、水俣のチッソ同様、健太郎の鹿児島の田舎、伊佐市に水力を利用した6,700キロワット出力の発電所を作り、当地の牛尾金山(うしおきんざん)に電力を送った石川県生まれの野口遵(したがう)が設立した会社である。発電所はレンガ造りでドイツ・シーメンスの発電機を用いたものである。明治四十二年の事業であった。

最前列で議長と質問者のやり取りを聞いていたがここでも株主を明るくさせる展望は聞かれなかった。

今日飛び込んできた衝撃的なニュースは、アメリカのスーパースター、マイケル・ジャクソンの突然死である。自宅での心臓停止で、五十歳であった。

経済では、消費者物価が前年比1・1パーセント下落した。昨年五月に1バレル130ドルを超えた原油が60ドル台に落ち込んでいるためである。

デフレの懸念があるという。リーマンショック以前は、インフレ懸念があったのに。まさに経済のうねりは予測をはるかに超えてしまう。

新型インフルエンザは毒性の弱さが認識されるにつれて報道の過剰が言われるようになってきた。

結果が出た後、過去に遡(さかのぼ)っての批判である。本当に毒性がこのまま弱いままで推移するのか誰にも分からないのが事実である。

地方版では、横浜、川崎で新たに3人の感染が確認され、神奈川県では累計が77人に達した。全国では感染は38都道府県で累計1,000人を超えた。

ニューヨークの株は172ドル上げて8,472ドル、東京は81円上げて、9,877円。為替は1ドル95円、1ユーロ134円、金は1グラム3,051円、オイルは1バレル69ドルであった。

健太郎が288円で買ったダイワボウの株は昨日より15円高くなり、285円となった。

六月二十七日(土曜日)解散 最終攻防へ

検察審査会「追起訴相当」

 今日久しぶりにあざみ野駅近くの図書館に行った。図書整理で三日ほど休館であったのだ。英字紙を机に広げるとマイケル・ジャクソンの突然死の記事が他の記事を隅に追いやっている。

四人掛けの机の左隣りでは女子大生が英語の勉強をしており、前の席ではアベックの高校生が、勉強というよりも二人で居ることを楽しんでいた。そこへ六十五の健太郎が図書館の大きな辞書を置いて、英字新聞を広げたので、二人は興味深げにチラリと健太郎を見た。

健太郎も座った当初、高校生と女子大生の一緒の席に面映(おもはゆ)い気がしたが、すぐに記事にのめりこんでいった。

夕食後七時からマンション管理組合の年一度の総会が有り、健太郎も出席したが参加者よりも委任状の数が多かった。

一年任期の理事の活動報告と、収支決算報告が有り、その後で築後二十年になるマンションの給水方式に対する理事会よりの提案がなされ、討議された。

つまり、現在の給水タンクから各戸への給水を続けるか、タンクを使わない給水本管からの各戸への直接給水にするかを決めるわけである。

理事会からは直接給水の方式を取る提案がなされ、全会一致で可決された。

健太郎が総会に出席したのは実にこの提案に賛成するためであった。

その後のマンションに関する質疑応答で健太郎は二十年前の新築時の入居者と、最近購入して入居してきた住民との間に意識の違いが生じてきているのに気がついた。

マンション駐車場の申し込みの際に車検証を添えて出すように管理規則では決められている。旧住民はそれに何の疑問も持たなかった。だが、それに新住民が異議を申し立てたのである。車検証提出は個人情報保護法に照らしてそぐわない、というものであった。

車検証によって、その人がどんな車に乗っているかが分かり、プライバシーを侵害するという訴えである。旧住民と新住民の間で少し緊張したやりとりがあった。そして次の理事会の検討項目となったのである。

二十年の間、住民の入れ替わりも進み、健太郎が初めてみる顔の人も増えてきた。

今日の朝刊トップは『解散 最終攻防へ』とあり、その下に『二階派パーティ券購入問題 西松側のみの一転追起訴』とあった。

今度の選挙は与党と野党が入れ替わる可能性の高い選挙である。検察の動きはこの微妙な時期に重要な作用を及ぼす可能性がある。検察が『不起訴処分』とした案件を、検察審査会の『起訴相当』との議決により、一転して起訴となった。

まさに重大なニュースであるが、その扱いは人々の関心を引く扱いではなかった。

そういった健太郎の心を晴らすような宇宙飛行士若田光一さんの宇宙からの写真が同じ紙面の左に載っていた。337キロメートル上空、国際宇宙ステーションから送られたものである。

千島列島マツワ島サリチェフ火山の噴火の姿がカラーで捉えられていた。地上からは絶対に見られない、噴煙の最先端部に、アイスクリームのようなふんわりとした濃い水蒸気の塊があり、島では長崎雲仙の噴火の時に起きた火砕流(かさいりゅう)が、海に注ぐのが見て取れた。

経済は大きな見出しで『止まらぬ歳出膨張』とある。来年度二○一○年度の国の予算である。アメリカも、ヨーロッパも同じ問題を抱えているが、将来破綻するような事があればと思うと身の毛がよだつ思いである。

新型インフルエンザは横浜版に、新たに6人の感染とあった。県内で累計83人である。