七月二日(木曜日)共感覚
健太郎は渋谷からの帰りの電車の中でハッと息を呑むほど美しい女子高生を見た。いや、一緒に居たもう一人の女性がアルバイト等の話をしていて大学生のようであったから、その女性も高校生では無いのかもしれない。咄嗟(とっさ)の感覚で健太郎が高校生と思ったのである。制服ではなく、浅黄(あさぎ)のワンピースを着ていた。健太郎はその女性に目を奪われた。六十五の健太郎が十八くらいの女性に見とれるのは人には言えない事である。
うろ覚えではあるが、白髪の川端康成が美しい、やはり高校生ほどの女性をじっと見詰めていた事があって、女性は後でその事を『気味悪く思った』と述べていた。
康成の美しいものへの執念をぞっとする程その時感じたが、今では健太郎が十八くらいの女性をじっと見つめているのである。自分の娘より、十あまりも若いその女性は、視線を感じたのか、健太郎の方を見て、健太郎と目が合った。一瞬であった。
女性の目は健太郎を受け入れていた。そしてまた友達と話を続けた。健太郎の視線は自然なものに変わった。車内広告などに視線は移ったがいつの間にかまた女性へと返っていく。
女性の話し方は一方がごく普通な話し方なのに対して、甘い、聞いていて心が浮き立つような音質の話し方であった。ゆっくりとではあるが、遅くは無い、むしろ凛とした美しさがあった。
時々話しながら健太郎の視線と波長を合わせた。離れていて感覚を共有する『共(きょう)感覚』であると女性が溝の口の駅で降りた後で思った。
健太郎は今日、あざみ野駅の郵便局に寄ると、そのまま渋谷に足を延ばした。電気量販店でプリンターのインクを買い、文化村から東急本店八階の美術画廊を覗いてみた。隣の工芸のコーナーにはルネ・ラリックのガラス工芸や、棟方志功(むなかたしこう)の木版画の展示があった。
すぐ隣の画廊の新作展示の会場入り口で、奥の方に立った女性と、ソファーに座った女性が見え、何か違和感があり、中に入って見ると、立っていたのは画廊の女性で、座っているのは人ではなくて大きな絵の人物であった。
『卯野和宏(うのかずひろ) 油絵展』で、中に入って直ぐに健太郎は絵に魅せられた。右奥には壁いっぱいの大きさの絵で、裸のままベッドに寝そべった少女が穢(けが)れの無いあどけない目をひょいと上げた瞬間の絵であった。
キスリングの『キキ』よりも、もっと直截に健太郎の心を捉えた。その絵は日展に出品され、今度東急渋谷の本店で売りに出される事を知った四国の人が、朝一番の飛行機で買いに来たとの事で、既に売却済みの赤いマークが付けられていた。
健太郎にも買えそうな値段の絵の中に素晴らしい物がいくつか有ったが、健太郎は年金暮らしで出費は極力抑えなければならない。逡巡していると画廊の女性が近づいてきて、色々と説明を始め、健太郎が展示してある絵の批評をちょっとすると、女性は画廊の中程に立っていた若い男性を指差して「あの方がこの絵を描かれた先生です」と、絵の作者を紹介した。
卯野和宏氏は若い、モヒカン刈りに髪を短く刈ったダンディな画家であった。
画家は健太郎の批評をニコニコして聞いた。十二号の『雲間(くもま)の頃』のベッドに上向きに横たわり、上半身をはだけて、目を瞑(つむ)ったその若い女性の表情はまさにハッとする美しさで、肌の下の血のぬくもりさえも伝わるものであった。健太郎はその絵から動けなかった。
「モデルさんを使ってお描きになったんですよね」、健太郎は画家の反応を試すように聞いた。
「ええ、でもそのままではなく、私の頭の中にあるイメージで描いたんです」
値段は健太郎の買える金額を上回っている。健太郎は決断が出来ないまま、画廊を出た。入り口に置かれた展示会案内の絵葉書を手に下りのエレベーターの方へと歩き始め、絵葉書を見た時、「これだ」と、また会場へと取って返した。
会場では見かけなかった絵である。画廊の女性が、返って来た健太郎に買う決断を見てとったのか直ぐに近づいてきた。
「これを下さい」、健太郎は案内の絵葉書を見せると、「それはもう売れました」と、残念そうな表情を見せた。
その絵は画廊の外に面した柱に掛けたもので、健太郎は柱の後ろに回って、その絵を見た。八号で、健太郎の買える値段であった。
『逃げ水を追う風』とのタイトルで、若く美しい女性が涼しげな半袖の夏服で佇(たたず)む半身の絵である。健太郎は諦め切れない心のまま画廊を去った。
ニューヨークのダウ平均は57ドル高の8,504ドル、東京は63円下げて9,876円。為替は1ドル96円、1ユーロ134円、金は1グラム3,059円、オイルは1バレル67ドルと下げた。
横浜版の新聞記事に『新型インフル 県累計109人に 新たに8人感染』とあった。
七月三日(金曜日)都議選告示
被爆国日本 核の番人に
七月七日の七夕の日が近づいたせいか、切り取った竹に願いを込めた色とりどりの短冊がぶら下げられた光景があちこちに見られた。健太郎の前をよちよち歩く保育園の園児達が二十人ほど先生に手を取られて歩いていた。七夕が飾ってある所に来ると「バンブー・ツリー」「バンブー・ツリー」と英語で発音し、園児達も大きな声で先生の発音を真似た。
あざみ野の銀行で絵の手付金となる額を引き出し、健太郎は渋谷東急本店の画廊へと向かった。十時開店である。本当に買いたい絵であれば、手付金を払い、残額はその後で払えばよい。そのようにして、健太郎は三十年以上も前に、カシニョールの『オレンジ色の袖』の名画を手に入れたのだ。
画廊に入ったのは健太郎が二番目であった。最初に入ったのは美術学校の学生のようで、エレベーターで乗り合わせた女性であった。画廊には既に新進の若い画家、卯野和宏(うのかずひろ)氏の姿も有った。
昨日買うかどうか迷った十二号の『雲間(くもま)の頃』と、値段的にはもっと安い八号の『逃げ水を追う風』と似た、別の横向きの清楚な女性の絵があった。画廊の女性が健太郎に十二号の絵を薦めた。健太郎は買える値段の八号か、買える上限を超した十二号かで迷った。
このまま買わないで帰ったら悔いが残るのは明らかである。十二号の清らかな裸体画か、清楚な着衣の女性の絵か、なかなか踏ん切りがつかない。裸体画の女性のうっとりと目を閉じて、半ば開き加減の唇はピンクでしっとりとしてそれだけでも健太郎の心を捉えた。
画廊の女性は、健太郎が絵の金額で迷っているのを見て取ると、会場の責任者の所に行き何事かを相談し、健太郎に値引いた金額を提示した。そしてその値引きの金額がギリギリである事は健太郎にも分っていた。そしてそれが健太郎の出せるギリギリの金額でもあった。健太郎は清水(きよみず)の舞台から飛び降りた。十二号の『雲間の頃』を選んだのである。決めてしまうと嬉しさが胸奥から突き上げてきた。健太郎の頬は弛んだ。そして自分が正しい判断をした確信を持った。
健太郎は買った『雲間の頃』の絵の前で三十一歳の卯野和宏氏と記念の写真を撮った。画廊を出ても嬉しくて、駅近くのビル五階の飲み屋に入ると、五時の開店前であったが中に入れてくれて、先客のいるテーブルへと案内された。
先客との間には鉢植えのゴムの木があり、それが衝立(ついたて)となっていた。健太郎は渋谷駅前交差点の人の動きを眺めながら冷たいビールを口に運んだ。前の二十を半ば越したと思える女性はしきりに携帯で誰かと連絡を取り合っている。話の内容から女性がテレビに出演していて、その打ち合わせであった。隔てた鉢植えの木の間から女性もチラリと健太郎に目を走らせた。
健太郎は買った絵が日曜日まで画廊に展示してあるので、つい六ヶ月ほど前に一緒に飲んだ教え子に買った絵を見に行くようにメールを送ると、東京都議選のウグイス嬢をやるので、選挙が終るまで無理だとの事であった。
朝刊トップには『国際原子力機関(IAEA)の事務局長に日本人の天野之弥(ゆきや)氏が選出された事を報じていた。核の番人に被爆国の日本がなったのだ。