空の洪水

春名トモコ 超短編、日記など

誰か叫んでいないか (超短編)

2005年11月09日 | 超短編
一日が終わる静かな浜辺の波打ち際に、一匹のミズウサギがいた。硝子のように澄んだ水は、白い砂をゆっくりと揺らしている。ミズウサギは水硝子の奥にチラチラと現れる紫水晶を、まあるい瞳で見つめていた。何度ねらいを定めても前足を入れた途端、紫水晶はかき消えてしまう。
 不意に。ミズウサギは顔を上げた。真っ白な耳をぴんと張り、後ろ足で立ち上がって波のない穏やかな海の向こうをじっと見つめる。

 白骨のような月がかかる薄紫の空からイッポンアシ鳥が降り立つ。浜辺は穏やかな潮騒だけが満ちていた。だが、ほのかに熱が残る砂の奥の奥。何かから逃げようと砂がうごめいている気配がする。イッポンアシ鳥は飛び去ることもできず、不安そうにミズウサギが見つめる海の彼方に目を向ける。


 やがて、行き場をなくした雲が、空をさまよいはじめる。

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500文字の心臓 トーナメントMSGP 2005 決勝戦
  お題「誰か叫んでいないか」
   ・人間を登場させないこと 
   ・何かが失われること

せっかく何度も目を通してもらえる機会なので、一読目は印象が薄いけど、後からじわじわと奥行きが見えてくる作品を目指してみました。
競作とかたくさんの作品の中だと地味でうもれてしまうだろうなぁ。

なるべく核心にふれない書き方をしたんですが、思った以上に分かってもらえてびっくりしました。
でも紫水晶の正体は伝わらなかったですね。「ふたつの」を入れればよかったのかと後で思ったり。