空の洪水

春名トモコ 超短編、日記など

ノスタルジック (超短編)

2006年07月30日 | 超短編
 コの字型に建っている市営住宅のベランダに色とりどりの傘が干されてまるで花みたいだった。
 ランドセルを背負った僕たちは、コの字の内側から自分ちのベランダを探した。そこから見上げる空はいつだって青色が濃くて、雲の流れが速かった。
 よく、四つ葉のクローバーを探したんだ。コンクリートの隙間で黄色い花が咲いてた。あれ、カタバミだったんだよ。四つ葉は見つからなかったね。
 ゆるく握った手の中で、ダンゴムシが動いてる。おかあさん、喜んでくれると思ったのにな。
 
 みんなどうやって離れていったんだろう。
 僕は今もここで、流れる雲から落っこちそうな気持ちでいるよ。

文鳥のこころ(超短編)

2006年07月28日 | 超短編
 五歳上の従兄は、縁側に置かれた籠の中の文鳥ばかり気にしている。何が楽しいのか、その鳥は一日じゅう歌い続けていた。高く転がる声は、姉の、小さいけれど涼やかに響いた笑い声を思い起こさせる。
 二週間前。いつも俯いてひっそりと微笑んでいた姉は、突然死んでしまった。「鳥籠の鳥には死者の魂が宿るそうよ」と、亡くなる数日前に言っていた。
「惣一にいさん」
 強く呼びかけて、ようやく従兄は私が問題を解き終わったことに気づいた。大学に通う為にうちに居候している従兄に時々勉強を見てもらっている。座卓の向かいで採点をしている従兄を見つめた。こちらの視線に少しも気づかない。この前まであんなに私の唇や首筋を意識していたのに。もう少しだったのだ。なのに何もかも台無しになってしまった。
 おとなしく、控えめで、誰よりも計算高かった姉が死を選んだ理由。すべて姉の思惑どおりになった。従兄は文鳥に姉を重ねて見ている。魂が宿るなんてそんな作り話、私は信じていない。けれど、従兄の肩で見せつけるように高らかに囀り、私の指には鋭く噛みつくこの鳥には、本当に姉が乗り移っているのではないかと思う時がある。
 忌々しいこの鳥を食い殺してやりたい。

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MSGP2006 2回戦 「文鳥のこころ」

もっとエロい感じにしたかったのですが、力不足でした。
エロはムズカシイ…。

作品締め切り前に読んでもらった人に、「食い殺してやりたい」が安易やから変えた方がいいと言われて、ひとり大混乱に陥ってたのでした。(結局意見を聞き入れてないし)


緑の傘(超短編)

2006年07月04日 | 超短編
 雨の日がいちばん好きな娘は、赤い傘を差して蓮の花咲く池のふちでカエルの合唱を聴いているときに、池の主である大フナ様に見初められて水の世界にやってきました。
 池の底で、娘と大フナ様はしあわせに、おだやかにすごしておりました。娘は大フナ様を愛していました。しかし、緑色の水面を見上げては、ときどき溜め息をつくのです。蓮の葉のすきまに、いくつもの小さな円が生まれては消えていきます。娘の好きな雨は水面で波紋を広げるばかりで、一粒も底までは届かないのでした。
 やわらかな泥の中で、娘は雨のにおいを、傘の上を転がる軽やかなリズムを、カエルたちの歓びの歌を思います。池の主の妻になった娘には、地上で雨を感じることはもうできません。雨の降る日は娘の溜め息が泡になって、いくつも水面にあがりました。
 ある日、娘が水面を見上げていると、丸い影がゆっくりと降りてきました。一枚の大きな蓮の葉の茎をつかんだカエルたちが泳いでくるのです。
「これは、大フナ様からの贈り物です。ゲコ」
 娘は驚いた顔で蓮の葉を受け取りました。大きな蓮の葉は、彼女の頭の上で広がります。まるで、大好きな傘のように。娘の顔に笑顔がひろがりました。
「あなた、ありがとう」
 照れた大フナ様は、尾ひれを揺らして答えました。

糸 (超短編)

2006年06月19日 | 超短編
 細い糸が部屋中に張り巡らされている。その、まるで蜘蛛の巣のような檻の中に、ひとりの女が横たわっていた。彼女は瞬きもせず、窓から差し込む飴色の光を見つめている。絡み合う糸は白銀に輝いていた。
 言葉と優しい指先で女を搦め取り、ある日男は出て行った。女は男が残した糸を断ち切ることができずに、ただ彼の戻りを待っている。
 なぜ自分を置いていったのか。そのことばかり考えていた。澱んだ思いは変質し、彼女の思考を殺していく。涙は干乾び、代わりに糸の上に無数の水滴が玉を結んでいた。女はただ、体が腐っていくのを感じている。

 どこで羽化したのか。黒い蝶が一匹、彼女の指先に止まり羽を休ませていた。ぬるんだ空気の中、そっと手を上げてみた。蝶は指先に止まったまま。女はゆっくりと天井に向かって腕を伸ばす。
 ふっと、蝶が飛び立った。女の指が離れた蝶を追い、長く伸びた爪が糸を弾いた。張り詰めていた糸は隅々までその震えを伝え、絡み付いていた水飴のような水滴が、ゆっくりと、落ち、いくつもの、燃えるような西日を閉じ込め、彼女の上に落ちて次々と、砕けて。

 女の耳に、世界が壊れる音が響いた

プラスティックロマンス(超短編)

2006年06月04日 | 超短編
「ファミリーレストランのテーブルの下でキスをしよう」
 って、谷本くんが授業中に耳元で囁いたから、あたしは谷本くんと結婚するって決めたの。
 でもね。山田くんは世界一のパティシエになるって言うの。毎日チョコレートケーキを焼いてくれるって。
 ねえ、どっちがふわふわあまく過ごせるかなあ。

 あたしね。
 一度だけ。
 不幸になってみたいわ。

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なんかむかつきますね。(書いた本人が言ってどうする)

自分でも得意そうなタイトルだと思ったんだけど、いざ書いてみると過去の作品の出がらしみたいなのしか書けませんでした。
ガラスじゃなく、プラスチックのタフさを意識はしたんですけど……。

すいません、はやかつさん。

☆ (超短編)

2006年06月02日 | 超短編
 真夜中。
 交差点のマンホールの穴から、小さな羽虫のような光がふわふわ出てきて、空へのぼっていた。
 狙いをさだめパチンと手を叩く。

 てのひらに残った光の跡が、何年経っても消えない。


眼球 (超短編)

2006年04月21日 | 超短編
 かつて製粉業で栄えたこの小さな町には、「猫祭り」という五年に一度しか行われない祭りがある。大人も子供も猫に扮装して町中を練り歩き、大通りには巨大な猫の山車が出て、広場やレストランでは猫の芝居が上演される。町役場の屋根からばらまかれるネズミ型のパンを食べた者は五年間病気にならないそうだ。祭りは一週間続き、この期間は町の人口の十倍以上の人が遠くからやってくる。
 猫祭りの本当の見所は夜にある。街灯がともる通りのあちらこちらでギラリと光る目がいくつも浮かび上がる。町の人たちの扮装は顔をペイントして手製の衣装を着るだけではない。眼球まで猫のものを嵌めているのだ。彼らはスプーンをまぶたの内側に差し込んでぐるんと目玉を取り出し、ぽっかり空いた穴に猫の目玉を押し込む。簡単そうにするが、もちろんよそ者は真似できない。
 祭りの最中、決まってネズミ団という盗賊が現れる。彼らは、家に置きっぱなしにされている町人たちの眼球を盗み出す。他の物はいっさい手をつけない。祭りが終わった翌朝、町役場に袋いっぱいの眼球が差出人不明で届けられる。ネズミ団の目的は誰にも分からないが、町の人たちは五年ごとに違う眼球を嵌めて生活することになる。

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500文字の心臓 競作「眼球」

「猫祭り」は実際にベルギーにあるお祭りで、「眼球」を考えているときにこのお祭りを知って、できちゃった話です。もちろん祭りの内容はいろいろ変えてますよ。

ぐにゃぐにゃ (超短編)

2006年03月10日 | 超短編
 今日は街中の電信柱が〈まっすぐ立っていることをやめる日〉のようで、風が吹けば柳のようにおおげさに揺れ、吹かなくてもぐんにゃり頭を下げているので、電線が下のほうで絡まり合って歩きにくくて仕方がないけれど、大通りの真ん中で臨時休校になった子供たちと大なわとびをして遊んでいる電信柱を見たらつい笑ってしまって、まあいいかと思う。

誰か叫んでいないか (超短編)

2005年11月09日 | 超短編
一日が終わる静かな浜辺の波打ち際に、一匹のミズウサギがいた。硝子のように澄んだ水は、白い砂をゆっくりと揺らしている。ミズウサギは水硝子の奥にチラチラと現れる紫水晶を、まあるい瞳で見つめていた。何度ねらいを定めても前足を入れた途端、紫水晶はかき消えてしまう。
 不意に。ミズウサギは顔を上げた。真っ白な耳をぴんと張り、後ろ足で立ち上がって波のない穏やかな海の向こうをじっと見つめる。

 白骨のような月がかかる薄紫の空からイッポンアシ鳥が降り立つ。浜辺は穏やかな潮騒だけが満ちていた。だが、ほのかに熱が残る砂の奥の奥。何かから逃げようと砂がうごめいている気配がする。イッポンアシ鳥は飛び去ることもできず、不安そうにミズウサギが見つめる海の彼方に目を向ける。


 やがて、行き場をなくした雲が、空をさまよいはじめる。

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500文字の心臓 トーナメントMSGP 2005 決勝戦
  お題「誰か叫んでいないか」
   ・人間を登場させないこと 
   ・何かが失われること

せっかく何度も目を通してもらえる機会なので、一読目は印象が薄いけど、後からじわじわと奥行きが見えてくる作品を目指してみました。
競作とかたくさんの作品の中だと地味でうもれてしまうだろうなぁ。

なるべく核心にふれない書き方をしたんですが、思った以上に分かってもらえてびっくりしました。
でも紫水晶の正体は伝わらなかったですね。「ふたつの」を入れればよかったのかと後で思ったり。

落ち葉あそび (超短編)

2005年10月23日 | 超短編
 黄色く色づいたイチョウの葉っぱが、はらはらと落ちる。
 地面につく直前、突然それは羽ばたいて、蝶々になって飛んでいった。
 よく見ると、イチョウの枝についているのはすべて蝶々だった。緑、黄緑、黄と、見事に色づく木になっている。
 彼らはいつから本物の葉っぱと入れ替わっていたのだろう。


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去年書いた分です。
思いついてから完成するまで時間がかかってしまうので、季節ものはたいてい一年寝かせることになってしまいます。