花がいっぱい。

どんな花も無心に
咲いているから素敵なんだって。
無心になんかなれないよ。
どれもこれも気になっちゃってるんです

奇ッ怪 其ノ二

2011年08月27日 | 芝居
世田谷パブリックシアタープロデュース 現代能楽集VI
『奇ッ怪 其ノ弐』

其の二ですから壱もあったわけで、前回も構成・脚本・演出は、前川知大さん。そして舞台は、、小泉八雲の怪談がモチーフとなって、ちょっと背筋がぞくっとするような舞台になっておりました。
その舞台が気にいって今回第2弾ということが出て
出演者も前回と同じ、仲村トオル/池田成志/小松和重という名前があり、それに山内圭哉とあり・・前回は、同じ敷地?のシアタートラムだったものの、今回は、大きな会場パブリックシアターに。
そして前回とはちがって「能・狂言」から想を得た、ちょっと恐くて不思議なお話なんだそうな。
そう・・能や狂言ってけっこう亡霊的な存在がちゃんと描かれる幻想的な世界観があるのですよね。
舞台は、そんな能のようなのか?なんて思ったものの・・
そうではない。でもそんなもの。
とある死んだ村。それは、地震が原因なのか、地熱ガス爆発とでもいうものなのか、自然のできごとに村全体がその時を最後に死滅化。生きている人間はいなくなってしまった・・はずの村。だがその村にやって来た男。
その村の神社の息子。やってきたのは、場所は、自分の自宅兼神社だった。
誰もいないと思ったものひとり浮浪者か?
いや昔父親にせわになったという的屋の男が住みこんでいる。
そしてそこには奇怪な幽霊達も姿を見せてる。
別になんの被害を与えるわけでもなく淡々と幽霊が存在している。
そこに奥から地質調査にやってきた!後々はここに温泉を!なんていいながら。

そんな登場人物達の会話から、身近なものの死を受け入れられなかった者の話やたまたまであった他人でありながら、死を救えずに殺してしまったのではないか?と追い目をかんじで悩んだものの現代にありがちな話を組み込みながら・・

そして、その話を聴きつつも、やってきた男・・神社の家の息子は、奇怪な現象のなかになくなったオヤジにも会えるのではないか?と思う。
そうそしてその村が死滅する前の時間となって・・いつもの生活そしていつもの夏祭り、
死者である幽霊達も活き活きとした村の未来を語るのだ。なんとも奇妙な世界なのだ。

死者達は語りだす。その時の時間を・・。

いっや~これが不気味だけでなく、池田成志と小松和重の絶妙な笑い。
思わずなんかいも声をだして笑ってしまう。

こんなに笑ったのに・・最後・・すべてが終わった瞬間。
人・いや幽霊達が、いなくなった神社に一人のこった男(山内圭哉)の空気感の余韻を醸しながら・・がすごい良かったです。

泉鏡花のような雰囲気もあり、現代社会のひずみをかんじる場面もありで・・
このメンバーでこの作品。いいです。
シンプルな舞台装置も効果がでます。
1時間半という上演時間も集中するに値するいい時間。

チラシからは・・ちっとも想像できませんでした。
そこから、この舞台は不思議です。



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