健康と鍼灸マッサージ in キュアーズ長町 season 14 宮城県仙台市太白区長町七丁目にある鍼灸マッサージ治療院

ぴーちゃんによる鍼灸マッサージ雑学と独り言・14年目&食いしん坊な食べ歩き日記とクライミング雑記

灼熱のクライミング

2014年08月04日 | クライミング
昨日は仙台でも32℃を超える真夏日の中、NPO法人モンキーマジック代表・小林幸一郎さん、パラクライミング世界選手権・日本代表の大槻さん、インストラクターのユーヤん、我々夫婦の5人は定禅寺通りのクライミングジム・ビーナッツでクライミングをしてきました。
目的としてはパラクライミング世界選手権の日本代表選手である小林さんと大槻さんのトレーニング。
午前11時からクライミングをスタートし、終わったのが夕方6時。
ジム内は扇風機が全開で回っているものの、午後3時過ぎくらいには意識が遠のきかけたりする暑さでした。
我々夫婦は久しぶりのロープクライミングというのもあり、5.10cに四苦八苦。
小林さんは左足首捻挫の足に、クロックスという有り得ないスタイルで5.11cを果敢にトライしてました(笑)。
お陰で、今日は全身筋肉痛になってます。
でも、この筋肉痛が気持ち良かったりね。
暑い中でのクライミングでしたが、楽しく登れた一日でした。
今日はここまで。
 
キュアーズ長町(仙台市太白区長町七丁目 美容鍼灸・不妊鍼灸治療・小児鍼・逆子灸治療・妊婦マッサージが受けられる専門治療院)

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久々のルートクライミング

2013年06月03日 | クライミング
2013060209380000.jpg
昨日は曇天の肌寒い中、妻と共に宮城県第二総合運動場・クライミングウォールへと出かけてきました。
今回は久しぶりに鬼軍曹・ユーヤんに時間を作ってもらえたので、これまた久し振りにルートクライミングでした。
我々の他には国体予選も兼ねた、仙台カップ出場者の皆さんの合同練習もあり、クライミングウォールは賑やかに♪
それにしても、本当に久しぶりのルートクライミング。
登れるか少し心配ではありましたが、そこはRockPillarsのシューズ性能を信じてクライムです!
まぁ、腕がパンプしたり、動きが悪かったりしたものの、5.10bのルートでゴール3手前まで登ることが出来ました☆
最後のハングを越えられなかったのだけが残念でなりません。
また、頑張って登ります!!
今日はここまで。
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河北新報朝刊に記事が載りました♪

2012年02月28日 | クライミング
全盲クライマー 世界の頂点狙う 9月にパリで選手権

 仙台市太白区の鍼灸(しんきゅう)師・小松範明さん(39)は全盲のクライマーだ。突起物をつかんで壁を登る「パラクライミング」の大会で好成績を挙げている。競技を始めて約4年。世界の頂点を目指し、「障害を感じさせない強い選手になりたい」と意欲を見せている。
 パラクライミングの視覚障害者部門は、ルートやホールドと呼ばれる突起物の位置を示した立体コピーを手でなぞって記憶して競技に臨む。クライミング競技と同様に、ホールドが設置された壁を指定されたルートで登り、制限時間内での最高到達地点を競う。
 「コースをしっかり覚えておかないと、次のホールドをつかむために、最善な体の位置を取ることができない。記憶力が勝負です」と語る。
 競技に出合ったのは2008年の夏。健常者の妻典子さん(31)と一緒に楽しめるスポーツを探していた。「障害者用にアレンジされたほかの競技と違い、ほぼ同じ条件で楽しめるフェアな世界が魅力的に感じた」と振り返る。初めは未体験の高さに戸惑ったが、「自力で登り切った達成感が楽しい」とやみつきになった。
 その後、週1、2回、仙台市内のクライミングジムに通い、技術を磨いた。177センチ、64キロのスリムな体形も競技に合っていたという。10年12月行われた第1回視覚障害者世界選手権(千葉県習志野市)のB1(全盲)クラスで銅メダルを獲得。昨年7月、イタリアのアルコで行われた障害者世界選手権でも同クラス5位に入った。
 「最終目標は(世界選手権での)金メダル」と語る。ことしの障害者世界選手権は9月、パリで行われる。今は、主催団体から出場決定の連絡を待っている状態だ。
 選手として頂点を目指す一方で、競技の魅力を広めようと、1月に健常者、障害者が共に楽しむクラブ「マジック・ウオール」を仙台市内に設立した。「障害の有無を問わず普及させることで、有能な人材を発掘したい」と夢を描いている。

2012年02月28日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/02/20120228t14002.htm
↑↑↑
河北新報サイト内に掲載されてる写真、登っている壁はZI;BOX。
履いてるシューズはスポンサードを頂いているRockPillarsのダイヤモンド。
着ているTシャツはNPO法人モンキーマジックの活動を支援しているノースフェイスのモンキーT.


長野・日本選手権の旅 その2日目

2011年10月26日 | クライミング
10月23日(日曜日)、この日は第3回 視覚障害者クライミング日本選手権・決勝が行われた。
まずは朝7時半、ホテルの食堂へ向かう。
ホテルの朝食といえば、やはりバイキング。
和食、洋食のメニューが並んでいたが、我々夫婦は洋食をチョイス。
それにしてもクライマーは食べる、食べる、食べる。
決勝進出を決めた小林さん、井戸本さん、黒澤さん、翔君もモリモリ食べてる。
そんなに食べて、体が重くならないかなと心配になるくらい。
食後、決勝進出組は一足早く会場へ向かい、アイソレーション。
応援組は割りとゆっくり、10時にホテルをチェックアウト。
大会会場に着くと、体育館の中ではクライミング日本選手権の準決勝が行われていた。
観戦する場所を陣取っていると、イタリアへ一緒に同行したカメラマンの山口さんも応援に駆けつけていた。
山口さんとアルコでの話、今大会の話などを一頻りしていると、渡辺数馬君が準決勝を登っていた。
数馬君は山口国体でも好成績を残し、今回も調子いいように見える。
登り終わってフロアへ戻ってきたところを、妻と二人で挨拶に行く。
いつものように、力強い握手をして応援。
そうこうしていると、いよいよ視覚障害者クライミング日本選手権決勝が始まる。
登攀順は翔君、井戸本さん、黒澤さん、福本さん、小林さん。
予選に比べても、明らかに難易度が上がっている壁。
翔君は若いだけあり、スルスルッと調子よく高度を稼いでいく。
しかし、ゴール4手前くらいでフォール。
続く井戸本さん、危なげない登りで高度を上げていくが、ゴール3手前でフォール。
次の黒澤さん、力強い登りで高度を上げていくものの、最終傾斜壁手前でフォール。
4番手は福本さん。調子よく安定した登りでゴール1手前フォール。
最後は小林さん。フロアの声援を背に、綺麗なクライミングを観衆に見せ、観衆も小林さんの華麗なブラインドクライミングに魅せられる。
日本を代表する世界のブラインドクライマーは、ゴール2手前でフォール。
拍手喝采の中、第3回 視覚障害者クライミング日本選手権は幕を閉じた。
フロアへと戻ってきた4名に健闘を讃え、握手をする。
小林さんの前腕はパンプしており、課題の厳しさを物語る。
JFAの北山さんがやって来て、確定順位と、グレードが5.11d相当であったことを教えてくれた。
その後、お弁当が配られて昼食。
食事をしながら、皆それぞれ今大会の登りを振り返って、次へのスタートを切っていた。
続く女子決勝までの時間、主催企業であるマムートのアパレル商品を見たり、ホールド屋さんの懸垂ホールドを利用して皆で何回出来るか競ってみたり、しながら時間を潰した。
そうこうしているうちに女子決勝が始まった。
日本を代表する女子クライマーの決勝。
スポットライトを浴びながら壁を登っていく選手達。
最後に登ったのは、女王・野口啓代ちゃん。
危なげない美しい登りで終了点を掴み、見事に完全優勝を果たした。
続いて男子決勝が始まるが、我々夫婦と黒澤さんは電車の時間があるので、翔君のお母さんに信州中野駅まで送ってもらう。
長野駅までは長野電鉄特急「スノーモンキー」に乗車。
「モンキー」が付いているだけで親近感が湧くから不思議だねと3人で笑う。
電車の中、黒澤さんが筑波技術短大の後輩だと分かって盛り上がる。
楽しい時間は過ぎ去るのが早く、アッという間に長野駅到着。
我々夫婦は新幹線の時間まで少し間があったので、黒澤さんとは駅でお別れ、次の大会での再開を誓った。
新幹線出発までの間、長野駅周辺をチョロチョロ散策、お土産などを買って過ごした。
17時50分、長野発の新幹線に乗り込み、一路仙台を目指して長野を後にした。
2日間しかいないのに、とても長い時間を過ごしたような、満足感に包まれた長野の旅だった。
遠く離れていても、クライミングで繋がっている仲間に感謝。


長野・日本選手権の旅 その1日目

2011年10月25日 | クライミング
10月22日(土曜日)、我々夫婦は長野県北志賀高原で開催される「第3回 視覚障害者クライミング日本選手権」に出場するため、朝5時起床で小雨の降る中をJR長町駅から東北本線の始発電車に乗って出発した。
新幹線は6時25分発の「はやぶさ」。
実はこの「はやぶさ」に乗れるのが楽しみでならなかったのである。
乗ってみると、さすがは新型車両である。
シートの座り心地も良く、前のシートとの間隔が広くなっている感じ。
仙台駅を出発し、乗り換え駅の大宮を目指す。
早朝ではあったが、腹が減っては戦は出来ぬとばかりにモリモリと買ってきたパンを食べる二人。
のんびり列車のたびを楽しめるわけも無く、アッという間に大宮駅に到着。
大宮からは長野新幹線で長野を目指すわけだが、乗り継ぎの時間が30分以上あったので、一旦新幹線改札を出て、駅構内の喫茶店にてコーヒーブレイク。
8時18分発の「あさま」は行楽で長野を目指す人々で満席状態。
こんな時ほど指定席を取っていて良かったと思う瞬間は無い。
途中、高崎駅で上り列車の車両故障により、ホームが塞がっているため入線待ちをしますとのアナウンスがあった。
我々は時間に余裕があったので、少々の遅延は問題なく、無事に長野駅到着。
長野でまずしなければならないこと、それは長野電鉄長野駅の確認。
これは、後続の新幹線でやって来る、小林さんと高知チームと合流、信州中野駅を目指すためだ。
長野電鉄の駅はJR長野駅から少し離れている上、、地下鉄のように地価ホームの構造駅。
これは下見をしていて正解だった。
駅確認後、我々夫婦は長野旅の第一の目的、善光寺を目指す。
バスがたくさん走っているようではあったが、雨降りなのでタクシーを迷わず利用、善光寺大門前まで送ってもらった。
仲店通りを左右に見ながら、大きく立派な山門をくぐる。
本堂に入り、お階段巡りをする。
なるほど、これが御本尊と繋がっているのかと感心しながら、お願い事をする。
ゆっくりとお寺を眺めたいところではあるが、12時07分の特急電車に乗らなければならないのでササッと見学。
仲店通りで土産を買い、少し早めの昼食を蕎麦屋さんで摂る。
さすがは蕎麦の産地、とても美味しい。
美味しい蕎麦を頂いていると、携帯に小林さんから電話。
話によると長野新幹線が3時間ほど遅延していて、長野駅到着が12時27分になるとのこと。
当初の予定を大幅に繰り下げて、新たにスケジュールを組み直す。
おかげで、我々は善光寺を再び参詣。
六地蔵や山門の大額の解説を全く関係のないツアーに混じってガイドさんから受けたり、境内を散策したりと、善光寺を堪能することが出来た。
そうこうしているうちに待ち合わせの時間が迫ってきたので、再びタクシー利用で長野駅に。
長野駅に着いてみると、遅延した長野新幹線の影響か、改札前、みごりの窓口は大混雑していた。
まずはイタリアへ一緒に行った井戸本さんを見つけピックアップ。
続いて出てきた小林さん、高知チームの前岡夫婦と中越さんの4人もピックアップ。
どうにか合流し、昼食を摂る。
5人は新幹線の中を3時間も立っていたせいで、既にお疲れモードである。
13時半くらいの長野電鉄に乗って我々7人は信州中野駅へ向かう。
電車の中では、上手い具合に向かい合わせで座ることが出来、高知チームと1年ぶりの再会、近況とクライミングの話で盛り上がる。
50分ほどの乗車時間を経て、信州中野駅到着。
ここで東京から来た長谷川さんとも合流、駅前へ迎えに来てくれていた、大会会場ホテルの送迎バスに乗り込み、一路会場へ。
信州中野駅から大会会場の体育館までは約40分。
途中、車窓からはリンゴ畑、色づき始めた山々、冬になれば動き出すスキー場のリフトが見える。
車内では、電車だけでは足りないとばかりに話が盛り上がる。
遠いはずの道のりも、アッという間に会場へと到着する。
体育館入り口で選手受付を済ませると、そのまま2階のアイソレーションルームへ連れて行かれる。
アイソには先着の、イタリアへ一緒に行った岩本さん、大阪の黒澤さん、規定年齢に達して公式戦デビューの翔君、神奈川の福本さんが待っていた。
急いで着替えを済ませると、長野県山岳協会会長が来室、大会挨拶をされた。
その後、セッターの木村さんより予選ルートの触知図が配られ、ルート説明が始まる。
皆、真剣に説明を聞きながらルートを想像する。
体育館内では日本選手権の女子予選が行われており、少し時間が押し気味。
我々ブラインド予選は16時半くらいになりそうだとの予想。
30分ほど時間があるので、各自ウォーミングアップをしたり、ルートを憶えたりして時間を過ごす。
そして時間となり、、いよいよ体育館内へ移動。
登攀順を控え室で待つ。
いつものことながら、自分の番が回ってくるまで、緊張感が高まってくる。
今大会予選の登攀順は最後の11番目。
10番目は今大会が初コンペという高知の中越さん。
彼の緊張もなかなかだったようだ。
いよいよ登攀順が回ってくる。
いざスタートホールドに取り付くと、いつもと同じく緊張感が消えていく。
むしろ落ち着いて壁と対峙出来ていく。
90度、105度、120度と、高度が上がっていくほど被っていく。
120度の壁、下部の4ホールド並びをクリアし、中間部の両ポケットに左手が掛かる。
これを右手に持ち替えて、足を決め、さらに左手を伸ばして次のホールドを取りに行こうとしたところでフォール。
順調に高度を稼いで行っていただけに、非常に口惜しい。
後から成績を聞くと、22+で同じB1クラスの岩本さんと同率だったことが判明。
だとしても、あと2手くらいは高度を上げられたはずと、悔やまれる。
予選は、完登者5名が翌日のブラインド決勝進出となった。
その後、ホテルへ移動、荷物を部屋へ置いて、全員で食堂へ向かい、楽しい夕食となった。
食堂では小林さんのヨセミテ挑戦の話や、フランス遠征の話にと、クライミング談義に花が咲く。
話は尽きないが、いつまでも食堂を占拠しているわけにもいかず、皆で大浴場に行くことになった。
ブラインドクライマーは話好きが多いこともあり、大浴場でも湯船に浸かりながらクライミング談義に再び花が咲く。
のぼせない程度で風呂を上がり、尽きない話は小林さんの部屋で続く。
結局、全員がビールやウイスキー、お菓子、おつまみを持ち寄って宴会に。
普段は滅多なことで交流できない高知チーム、大阪の黒澤さんと親睦を深める。
楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、、夜も0時を回ったところで解散。
視覚障害者であっても、そのクライミングに対する情熱は頼もしいものがあった。
いつものことながら、長い長い1日はこうして終わった。