今日は終戦の日であり、また、盂蘭盆会(お盆)でもある。檀家になっている寺からの信徒だよりによれば、この日は、静かに先祖を想い、感謝の念を捧げる日である、と。
たまたま、自分の近い親戚で先の大戦で命を落としたものはいない。戦死、と言うことでは母方の親戚に、日露戦争の旅順攻囲戦(二〇三高地攻防戦)で落命した人がいた。自分の家の墓のある墓地にその人の顕彰碑が建てられていて、大きな台座の上の細長い、これまた大きな石に、そのことが彫られていたように思う。子供のころ見上げたその碑は空高くそびえているように見えて、ものすごい威圧感があった。さらに、戦争、と言う言葉から、子供なりに想像を膨らまし、大人たちによる、想像もできないような恐ろしいことがあったのだと思うとますますその碑が空から自分の上にのしかかってくるように思えたものだ。
10年ほど前、その人の子孫がいわゆる墓じまいをする、という話を聞き、自分の家の墓参りに行ったついでにその碑の傍によってみたら、確かに三メートルほどの高さはあるものの、子供の時に感じた威圧感やおどろおどろしい雰囲気はなく、風にさらされていたせいかすっきりとして穏やかに見えた。その直後にその石碑は撤去され、今は別の人の墓が建っている。
先祖を想う、というと、やはり祖父母、両親のことだ。祖父母のうち、母方の祖父は自分が生まれる前に他界していたから写真でしか見たことはない。それ以外の三人は比較的長寿だったので、良く記憶に残っている。父方の祖父は口数の少ない静かな人で、いつも穏やかに自分を見守ってくれていたという記憶だ。二人の祖母は、性格はかなりちがっていたが、自分に対しては赤ん坊の時の印象がぬけないせいか、幾つになっても小さな子供に接するようだったのにはいささか辟易した。
自分の両親は長男長女だったので、祖母らから見ると最初の孫のひとりとして何かと気になっていたのだろう。二人ともいつも和服を着ていて、畳のある部屋で座布団に座っていたので、あいさつに行くと正座をしなければならなかった。そして近くに寄ると微かに防虫剤のにおいがしていた。
この二人の祖母は、明治時代に幼少期を過ごし、親に連れられて何度か転居したのだろうが、結婚してからは同じところに住み続け、特に旅行などせず、自分の身近なことだけに注意を払って生きていたように思う。いや、むしろ、その時代のせいなのか、天下国家を論ずるなどは不可だと思っていたのかもしれない。海外に飛び出していった孫を見てもただ話を聞くだけで、あとはいつも愛情深い視線を向けてくれていた。
良く言われるように、人間は二度死ぬ。一度目は肉体が生命を失った時。そして二度目は人々から忘れ去られた時。こういう風に祖父母と過ごした時間を鮮明に思い出すということは、祖父母はまだ自分のなかでは死んでいないということか。すくなくとも、今日と言う日に限って言えば。
自分を生み育ててくれた両親については言うまでもない。