コロナウイルスの感染拡大防止のためにいわゆる三密が求められ、また、経済活動の停滞もあって食事を伴う接待は今やほとんど行われていないのではないかと思う。しかし、長い間働いてきた間には、文字通り数えきれないくらいの食事接待をしてきた。もちろん、公務員を相手にするときには十分注意しなければならないし、民間同士の間でも当然一定の限度がある。大人数の食事はあまり記憶に残らないし、また、1対1と言うのははじめからテーマがある程度決まっているので驚きはない。これがこちらは二人先方も二人と言うようなときには思いがけない話題が飛び出して後まで記憶に残ることがある。
そんな数多い接待の中で今でも記憶に残っているのは、ロンドンで旧東ドイツの要人と食事をしたことだ。かつては外国政府機関などとの食事はそれが華美に走らない限り情報収集や親睦のためにある程度は許容されていた。1980年代ロンドンの和食で最も頻繁に接待に使用されたのはバッキンガム宮殿にも近いロンドン中心部のセント・ジェームズ・ストリートにあった「サントリー・レストラン」、基本はステーキ店なのだが、目の前で手際よく調理をしてくれる、いわばパフォーマンスも兼ねたレストランで、そこにまだ統一前の東ドイツの要人を招いて食事をした。
当時東ドイツでは海外出張時の亡命をおそれて、夫婦での出張を認めていなかった。そのため、通常であれば夫婦単位の食事が一般的なイギリスで、やむなく、こちらは当時ロンドンのトップで日本でも最高幹部の一人と直接の担当だった自分が、先方の総裁と副総裁の二人を応接することになった。食事自体はこちらの上司の豊富な話題でスムースに進んだのだが、終わり近くになって、先方から、旧知の人物としてある人(上司の部下だった一人)の名前が挙げられ、彼は今頃どうしているかと訊かれ、元気にしていると答えたのについで、こちらの上司が、彼から聞いたという話を始めた。
その人は広島県出身で小学生の時に原爆投下に遭遇したという。彼は、原爆が投下された時、爆心地よりは少し離れたところにいたのだが、投下爆発の瞬間の閃光が「あまりにも美しかった。それで何が起きたのだろうかと友人たちとそちらの方に向かっていこうとした」と。その後の広島の惨状はいうまでもないが、子供の目にはあの閃光の「信じがたい美しさ」がいつまでも焼き付いている。数十万の命を一瞬にして奪ったあの原爆が子供の目に美しい光と見えた、と言うのは何という残酷な皮肉だろう、と。先方は暫く言葉がでないくらいの衝撃を受けていた。
どのような意図があってそんな話をしたのか、当時の上司もすでに他界しているし、話題になった彼もとうに他界している。そして東ドイツの両名も今となっては存命していないだろう(さらに東ドイツ自体が消滅してしまっている)。その場所にいた中で生きているのは自分一人だけだ。しかし、今になってもそんな話があったということがなぜか鮮明に思い出せるから不思議。
その後も話が盛り上がって接待としては大成功だった。つい酒も進んだ(先方の二人は強い酒をよく飲んだ)。自分もふだんよりは随分多く飲んだと思うが、お開きになって客を見送りその後、その上司と近くのセントジェームズパークのそばを通って帰る道すがら、その上司が笑いながら「君はあまり酒を飲まないのだね」と言ったのには驚いた。彼はあれだけ飲んでいてもびくともしていなかった。ちょうど今頃の時期、日が長くて夜10時を過ぎても空に明るさがまだ残っているような夜だった。あのサントリー・レストランは今はもうない。
バッキンガム宮殿に向かう近衛騎兵隊の隊列越しに見るセント・ジェームズ・パーク