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回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

エアメール

2020年06月18日 10時45分12秒 | 日記

バーゼルの美術館でたまたま言葉を交わし、タクシーで駅までおくったひとからは、その後、礼状を兼ねた葉書がオフィスにきたのだが、受け取った当日、アイルランドに出張の予定が入っていた。あわただしく出発したので、そのままその葉書も持ってきてしまった。ダブリンは小さな町で、いくつかの予定をこなした後、定宿にしているシェルボーンホテルに入ると他にやることがない。聞いてみるとまだ、すぐ近くにあるナショナルギャラリーが開いているという。夕食までの時間をつぶそうと入ってみるとほとんど人の気配がない。静まりかえった展示室のベンチに座って、持ってきた葉書をゆっくりと眺めてみた。

その絵葉書は箱根外輪山を向こうにみる芦ノ湖を写したものだった。写真の上に、万葉集の「足柄の箱根飛び越え行く鶴のともしき見れば倭し思ほゆ」が書かれている。どう思ってこのはがきを選んだのか。単に手元にあった絵葉書を送ってきたのだろうか。この歌の意味するところを考えれば、もしかするとあのわずかな会話の中から、自分が日本への望郷の念にかられているとでも思ったのかもしれない。

せっかく丁寧な絵葉書を送ってくれたのに何も返事をしないのは失礼だと思い、美術館の売店でどこかアイルランドの雰囲気を持ち、かつ、その人の印象にも似通った絵葉書をさがして、無事の帰国に安心したことと、こちらは今アイルランドにいることを書き、ホテルに戻って切手を貼って投函した。

そうすると一月ほどして、今度は手紙で。そこには東京で絵と英語の塾を開いていること、すぐ上の姉が大阪の女子大で英文学の教授をしていて、アイルランドにもしばらく滞在したことがあること、蒸し焼きになりそうな暑さの東京にいると少し肌寒かったヨーロッパが懐かしく思い出される、などと書き綴られていた。そして、もう一度ロンドンに行くことがあったら、もっとましな宿を取りたいと書いてあり、最後に東京に来る際には連絡してほしいと。日付と名前の後には、手書きのイラストで,暑いので髪を切りました、とショートカットにしたという顔が添えられていた。随分丁寧は手紙であったが、こちらはもともと筆不精でもあり、忙しさも手伝って、そのままにしておいた。

その後夏休みを友人と南仏のJuan-les-Pinsで1週間過ごす事になり、海岸での海水浴にも飽きたので、レンタカーでニースの市街から少し内陸に入った丘の上にあるMusée Marc Chagallに行ってみた。ロシア生まれのシャガールは自分の好きな画家の一人であり、そしてここに展示されているステンドグラスや彫刻も含む彼の作品はどれも素晴らしかった。照り付ける南仏の太陽の下で一休みしていた時、ふと彼女が絵をかいているということが頭をよぎった。シャガールの絵葉書なら喜んでもらえるだろうと、もらった手紙の返事も兼ねて、今はCôte d'Azurの夏休みを楽しんでいることを簡単に書いて東京に送った。

返事が来ることは期待していなかったが、それから2週間ほどした後、今度は高野山室生寺金堂の額竹羅大将の、一見ユーモラスにも見える動的な仏像の写真の絵葉書。真言宗の古刹で女人高野と言われる室生寺を訪れたというのは、何か思うところでもあったのか、あるいは単なる観光で行ったのか。葉書にはシャガールが好きな画家であることや、地中海の夏休みを羨ましいと思う、お金をためてまた、ヨーロッパの美術館巡りをしてみたい、と書いてあった。

Eメールが当たり前の現在ではちょっと考えられないが、1980年代、普通のやり取りはエアメールで、ロンドンと東京の間で片道1週間ほどかかった。仮に受け取ってすぐに返事を書いてくれたとしても、送ってから返事が来るまでに最短でも2週間はかかる。それに配達は一日1回だけ。昼夜を問わず世界中どこでもいつでも瞬時に発信や受信のできる現在と違い、当時、人は本当に辛抱強かった。それに、Eメールなら発信したこちらの文や写真が残っているが、絵葉書を送った場合には手元に何も残らない。だから、自分が正確には何を書いたのか、今となっては知るすべもない。

Connemaraの少女

シャガール、ダフニスとクロエ

 

 

コメント (2)
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