空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

山田洋次 夢をつくる31

2024-07-16 06:40:08 | 日記

今日は、笠智衆さん。

うちのヨメさんは、おじいさんがそっくりだったといつも言う。

私の邦画第一位は、「東京物語」。40代で70代を演じたとは、びっくりびっくり。

でした。

 

 

【子規365日】■7月16

(のみ)に足らず虱(しらみ)にあまる力かな     1895(M28)年

夏井いつき【子規365日】朝日文庫

一茶さんの俳句です。矢羽勝幸 ジョイ・ノルトン「雪五尺 四季の一茶」信濃毎日新聞社 より

《蚤》の俳句

蚤にも閉口する。蚤の夫婦というようの雌の方が大きい。蚤取粉。蚤の跡。

・蚤虱(しらみ)馬の尿(しと)するまくらもと     芭 蕉

・大いなる蚤や二つに割(わ)れ飛べり     今 更

・見事なる蚤の跳躍わが家にあり     三 鬼

横田正知編「写真 俳句歳時記 夏」現代教養文庫 より

 

 

谷口 璽照さんのコメントです。

まるで生き仏! (谷口璽照)

 私は仕事柄、いろいろな方にインタビューをしましたが、とても感じの良かった方の一人に、映画『男はつらいよ』の帝釈天の御前さま役、笠智衆さん(明治三十七年~平成五年)がいました。笠さんは熊本の来照寺(お西のお寺)の次男に生まれ住職の資格も取りましたが、半年ほどで撮影所に戻っています。あの原節子さん主演の『東京物語』の時でも、笠さんは五十歳頃です。二十代のときから老(ふ)け役ばかりだったそうですが、実物はそりゃもう惚れ惚れするほど素敵な顔でした。松竹の大船撮影所で話を伺いましたが(その撮影所も今はもう、影も形もないそうですが)、映画とはまるで感じが違いましたね。渥美清さんが、笠さんのことを「まるで生き仏みたいな人だった」と言っていたそうですが、本当にその通り。善良な日本人を代表する俳優でした。
『晩春』という映画で明治生まれの男を演じていたとき(笠さん自身も明治の生まれでしたが)、小津安二郎監督から「笠さん、そこで声を出して泣いてください」と注文されても、笠さんは泣かないんですね。「明治の男は、こんなことで泣きません」と、頑として譲らなかったそうです。〽泣くな嘆くな 男じゃないか(無法松の一生)。男がべそべそと泣くことは女々(めめ)しいこと、恥だったんです。そういう頑固なところもあったようです。》

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <コラム 筆洗>医療法人・徳... | トップ | 相田みつをさんの書8 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まるで生き仏! (谷口璽照)
2024-07-16 11:10:30
 私は仕事柄、いろいろな方にインタビューをしましたが、とても感じの良かった方の一人に、映画『男はつらいよ』の帝釈天の御前さま役、笠智衆さん(明治三十七年~平成五年)がいました。笠さんは熊本の来照寺(お西のお寺)の次男に生まれ住職の資格も取りましたが、半年ほどで撮影所に戻っています。あの原節子さん主演の『東京物語』の時でも、笠さんは五十歳頃です。二十代のときから老(ふ)け役ばかりだったそうですが、実物はそりゃもう惚れ惚れするほど素敵な顔でした。松竹の大船撮影所で話を伺いましたが(その撮影所も今はもう、影も形もないそうですが)、映画とはまるで感じが違いましたね。渥美清さんが、笠さんのことを「まるで生き仏みたいな人だった」と言っていたそうですが、本当にその通り。善良な日本人を代表する俳優でした。
『晩春』という映画で明治生まれの男を演じていたとき(笠さん自身も明治の生まれでしたが)、小津安二郎監督から「笠さん、そこで声を出して泣いてください」と注文されても、笠さんは泣かないんですね。「明治の男は、こんなことで泣きません」と、頑として譲らなかったそうです。〽泣くな嘆くな 男じゃないか(無法松の一生)。男がべそべそと泣くことは女々(めめ)しいこと、恥だったんです。そういう頑固なところもあったようです。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事