半次郎の“だんごんがん”

要するに、居酒屋での会話ですね。
ただし、半次郎風のフレーバーがかかっています。
≪安心ブログ≫

水曜の朝、午前3時

2017年06月11日 16時45分38秒 | 音楽(・・・いろいろな“音”も)

こんにちは、半次郎です。

梅雨入り宣言があったと思ったら、翌日からもう梅雨の中休みだそうで、休みが有っていいなぁと梅雨を羨ましがっている半次郎です。

さて、3月からかなり忙しいプロジェクトにアサインされ、一週間に2度とか3度は終電で帰宅する生活を余儀なくされています。
仕事を終え、発車間際の電車に駆け込み、空いている席に崩れ落ちるように腰を下ろし、フーッと安堵の溜息を吐くのも、珍しいことではなくなりました。
そんな時のひそかな楽しみは、帰りの電車で聴く音楽です。

半次郎、AmazonのPrime会員なので、Amazon Prime Music が聴き放題なのです。
お気に入りのアルバムを、スマホにダウンロードしてしてありますから、いつでも聴くことが出来ます。

コルトレーンやマイルスのアルバムに混ざって、ZZ Topやらディープパープル、EL&P、YESなどが入っています。
他にもカーペンターズやサイモン&ガーファンクルなども入っていて、その日の気分によっていろいろ選べるようにしています。

最近は、大体、コルトレーンかサイモン&ガーファンクルを聴いているような気がします。
特に、サイモン&ガーファンクルの『水曜の朝、午前3時』は、よく聴いています。

若々しい澄んだ歌声とドラムやエレキギターのないアコースティック・ギターの響きが、疲れた身体に優しく浸透して来るのが心地良いです。

このアルバムは、半次郎が中学生の頃、同級生から借りて聴いていたもので、その頃の思い出が甦ってきます。
きれいな字で歌詞の日本語訳を、ノートに几帳面に書き写していたその同級生に影響されて、半次郎もノートに書き写してみましたが、あまりにも下手くそな字にすぐさま嫌気が差して止めたことを昨日のことのように覚えています。
あの頃、PCが在ればきっと、Wordで入力していたことでしょう。

それでは、昔に戻って、訳詞を書き写してみましょう。
それにしても、ポール・サイモンの詩は韻を踏んでいて、上手いな~と思いますね。

今日は、タイトル曲の『水曜の朝、午前3時』をどうぞ。
訳詞は山本安見さんです。

      『水曜の朝、午前3時』(Paul Simon)

   愛しい女の静かな息づかいが聞こえる
   僕の隣に身を横たえ 夜にくるまって眠っている
   うっすら湿り気を帯びた髪が枕の上を漂う
   冬の月明かりの輝きを映しながら・・・・・・

   彼女は柔らかい 彼女は暖かい
   だけど 僕の心は重く沈んだままだ
   彼女の胸が静かに盛りあがり また下がるのを
   僕はじっと見つめている
   夜明けの最初の光と共に 僕はここを出る
   そして 今夜は残された唯一の思い出となるのだ

   ああ 何ということを? なぜ あんなことを?
   僕は罪を犯した 法を破ってしまった
   25ドルとわずかばかりの銀貨のために
   酒屋に押し入り 強盗を働いてしまった

   この人生 現実とは思えない 罪も幻覚のようだ
   まるで悪夢のような場面を演じているようだ
   それでも 傍らの愛しい少女を見つめながら
   僕には はっきりと分かっている
   あと数時間で 朝が訪れる・・・・・・・・・


映画の1シーンのような歌詞ですね。
きれいなハーモニーの裏で、このような詞が歌われていたのですね。
彼らの『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』というアルバムの最後に、『7時のニュース/きよしこの夜』という曲がありますが、同じような趣向ですね。

ただ美しくきれいなだけでなく、そこに汚れたものが入ることで哀れさが生まれ、儚さや切なさが加わります。
作品が膨らむ訳です。
映画でも音楽でも、そういった影の部分があった方がヒットするというのは、そうでない健全な人がいかに多いかと言うことだと思っています。

健全であることを讃え合いましょう!

From 半次郎



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