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華灯り

起きることには意味がある

今日はコラム調です。
見出しの写真は、たまたま娘が撮った写真に映っていたドクターヘリ。

朝、考えていたこと。

占いを始め、おまじないや魔術など
神秘の事象について
「信じる」というか現実にあることと
受け止めている人は、圧倒的に女性が
多い。

男性でも中には「傾倒して」いる人が
いるのだけど、少ないのは何でかな
と考えたことがある。
私が思うことを書く。

大きな理由としては、
子供を産み出さないから。

子供が宿ることは、完全なる神秘。
自分じゃどうにもならない。

若くて健康で、子供が出来にくい体質でも
なく、相手も健康で子供を残しにくい体質
でなければ、避妊しなければ簡単に
出来てしまうのだけど。

妊娠中の不調はホルモンによるものだけど、対処が出来ないこともあり。
気をつけているのに便秘になったり、
貧血になったり。
イライラしたり悲しくなったり、
妊婦さんにありがちの悪阻(つわり)、
猛烈な痒みなど。

あれらは、そうなるかどうか
妊娠してみないとわからず。
急にアレルギーが発症したり。
今まで動物の毛に反応がなかったのに、
いきなり咳やら呼吸困難やら。

そして、産む時の凄まじさよ。
陣痛を「神通」というけど、
命を宿らせるというのは
そういうこと。

もちろん帝王切開も
麻酔をして術中に
死に近づいた状況になるので
色々なことを考える。

何か、自分の意思では
決定できない環境に身を置くことで、
霊的な存在に気づくのではないかと思う。

産まれたての赤ちゃんに対面し
育てていくことにも、
自らの力だけでなく
神様の力があり、
周りの人の助けがある。

子供を産む前の人、子供を産まない人も
月経があり、
感覚はミニ流産に近いので
体の変化の中、精神が過敏になり
目には見えないあらゆるもの
(人の悪念なども)感じたりする。
女性そのものが、感覚の器であると思う。

男性にも、第六感が鋭い人はいる。
でも女性とは、ちょっと働きかたが違う。
システムが違うんだと思う。
捉えるものも、だいたい違う。
〝落とせる女〟とかをキャッチしてる。
このバカっちんが…
ミーさんなどに向けて)

性別関係なく神秘学を理解しやすい
職業って、ある。
まずは医療関係。
命に関したこと、
奇跡も絶望も日常的に知っているから。

同じように、介護関係。
それと、教育関係。
お年寄りも子供も、思い通りにはならない。理屈が通らない場合があり。

あとは意外に警察官。
特に誰かが亡くなった場所に
立ち会う職務の方々。
世の無常や、人の無念を感じ取る。
真面目に生きていた人が、
悪事を尽くした人に殺されてしまったり
といったようなことを見ている。

経営者も。
運の波を知っているはず。
工夫やアイディアだけでは
どうにかならない「流れ」。

そして霊感の強い人々。
普通に霊の存在がわかる人々は
これが当たり前だから、
「信じる」とか「傾倒する」とか
その段階の話じゃなくなる。

でも、それ以外の人間の物質的な世界で
生きているので
霊的な世界だけでは、やっぱり生きるのが
難しい。

神秘の世界だけを漂いたいと、願っていた
ことがあるのだけど。
最初は出家して尼さんになれば、
良いのかと考えていた。これが19才。
それだけでは無理。
形だけでは駄目。

元々拒食気味だったけど、
食べ物を極力絶って
最後辺りは腐りかけの果物など
(なんで腐りかけか?って
食品ロスを防ぐし安いから)
食べていたら
霊が常に近くにいて、一緒に暮らすかの
ような形になった。これが20才。

つまり、死にかけてた。
体重28とか29kg。
入院と言われて
自分じゃ元気なつもりなので
(痩せ過ぎるとランナーズハイみたいに
なる)
断ってバイトしていたりして。

身近な生きている人々じゃなく、
霊や神様が近い状態。
だけど体は生きたい。
眠っても覚醒しがちで、寝ている間に
ヨダレがめっちゃ出るの。
体は、食べ物を欲しているんだね。

即身仏が、長い修行の中で
食べる量を減らし、
8年〜10年くらいかけて最終的に
木の実の皮など口にして、
漆を飲んで吐いて、わざと脱水症状に
して体の水分を失わせる
というのは、余程の覚悟と意志と…
だけでなく、神様に選ばれて限界を
超越している。

その時期に思っていたのは
「死」も「霊」も「神様」も
わかったし
義理父に
刺された時に
「痛み」「恐怖」「無」も
わかったから
後は他の光を知りたい、ということ。

光というのは、愛ってこと。
愛は何だろう。まだわからなかった。

中学生〜高校生で多嘉良と接して
愛の片鱗は、わかったけど
愛の完全体がわからないから、
神様に教えてくださいと祈った。

そうして、色々とあり
娘が産まれて、娘を産んだ瞬間に
だいたいわかった。人間愛が。
この子を育てるにあたり、
全て犠牲に出来ると思ったので。

恋愛は、ミーや多嘉良のいくつかの側面で
わかったので、恋愛を超えた
男女の愛が知りたい。恋愛じゃなくて。
人間愛の1つの種類の、夫婦愛かな。

それで、今は夫婦愛もわかった。
次にやりたいのが、
保護猫、保護犬活動。

遠い国に寄付するのは
出来るけど、その場所まで行って
土に根ざした活動が出来れば最も良い。
今の私の持っている体だと、
なかなか難しそう。

娘が巣立ったら、
大きめな一軒家に多嘉良と暮らし、
引き取り手がない犬、猫を
育てたい。病気の子も積極的に。
最期まで穏やかな環境の中、
安らかに眠る時まで。

それも、まだまだ元気にならないと
難しいけど。これからね。

ジェルネイルの影響で、
爪周りが腫れる化膿性爪囲炎に
なってしまい、爪のおしゃれで
簡単に細菌が入るわけだから
地味に気力を削がれるけれど。

自分が病気を幾つか経験したのも
病の中でどうなるか、
苦しみの中で救いがあるのか
知るためだったと思う。

老い、死が怖いという人も
多いと思うのだけど
どちらも自然なこと。
癌も自然なこと。

人はいつか、自力では歩けなくなり
口から食べられなくなる。
寝たきりになり、霊の世界に近い状態で
生きる。

苦しいと、体から離れる時間がある。
そうすると楽。
会いたい人に会える。
すでに亡くなった人や、遠くにいる人にも。

遠くに住んでいる人は、あっちからは
通常、視えないので静観するだけに
なるけど。

亡くなった人とは話せる。
まだ、体の死の時じゃなければ
話してくれない場合もある。
「戻らないといけない」と言われ、
仕方なく体に戻ることもある。

だんだん体から離れる時間が
長くなり、体とはお別れになる。
その時は、たいてい未練はない。
未練があると、少し面倒くさいので
動ける内に色々やっておくべき。

死が本当に近い地点にいくと、
全てがわかる。
人生で起きたことの意味が。

何げないことであっても、
必要なことだったのだとわかる。






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