日替わりトーク

☆過去現在未来☆

地 雷

2008-11-28 15:02:07 | Weblog
仲良しクラスは和気藹々で、つい調子に乗り、「この韓流ホームドラマ、見てるとイライラする!」 と言ってしまった・・・父親は厳格すぎ、母親は甘すぎ、娘4人の長女は浮気して離縁され、次女は父親の顔色ばかり伺って言われた通りにするばかり、3女は厳しい父親の目を盗みながらも我侭し放題、末娘は追いかけまわした男の子供を身ごもり結婚したのは良いが姑に思いっきりイビられている、母方の不良バーチャンまで押しかけて、強引に同居。 みんな、言ってはいけないことを言い、言わなくちゃいけないことを言わない・・・
だからドラマになるのでしょうが、「バカばっかり!」 とか散々悪口を言っていたら・・・

せっかくの休み時間なのに、クラス全員がシーン・・・
やっと一人が 「アナタ、そのドラマ見るのやめなさいよ!性格悪くなるわよ」 と言われて・・・
しまった!地雷を踏んでしまった! と後悔・・・

きっと韓流フアンは、バカだのチョンだの言われているのでしょうね。 「こんなのドコが良いの?」 やら 「家事を怠って韓流に夢中になるなんて!」 とか。

「でも面白いから、見るのやめられないの」 と冷や汗をかいてタドタドジタジタ・・・
もう絶対に韓流ドラマの悪口を言うのはやめます。 外に出るから、空気を読めるようになって、人に嫌な思いをさせないように気を使えるようになるのよね。
(だいぶ錆ついてきたみたいだから、若者のKY精神を見習います)

第一歩

2008-11-26 09:59:50 | Weblog
「アンタの人生を縛る気無いから、出て行きたければ出ていっていいよ!」 と、母は言いました。 「はい、そうですか」 と喜んで出て行きたいのですが・・・

母担当のケアマネージャーが付き、3ヶ月ごとに訪問が決まって、デイサービス施設も見学。 なかなか充実したプログラムで、朝は体と頭の体操、午後は散歩や手芸・工芸・トランプ・百人一首、そして麻雀もあるそうです。

その日はクリスマスの飾り物を作る作業・・とっても綺麗な部品がたくさんあり、大きめの松ボックリにカラフルな玉をさしたり、玄関に飾る輪に造花・柊の葉・リボンやサンタクロースの人形まで付けて楽しそう・・母のセンスは贔屓目ながら、なかなか良かったです。

隣のテーブルでは百人一首を読み上げる声が聞こえ、他ではビックリするくらい大きなトランプで七ならべをしている。 お仲間は、母と同じ程度の方々なので安心したのですが・・・
実習生も交えた若い職員達が一生懸命サービスしているのに 「気の毒に!年寄り相手の仕事なんてツマンナイだろうねぇ!もっと他の仕事を探せば良いのに」 とか言っちゃって、ホントに可愛くない。

我が家までミニバス送迎サービスがあるし、週一の4時間コースに決めました。 こんな年じゃ無理かもしれないけれど、少しだけでも世間に心を広げて欲しいのですが・・・

遊んでほしい!

2008-11-22 15:20:52 | Weblog
母の介護度更新のために区役所の方が来てくださいました。 超スローペースだけど自分のことは自分で出来るし、間違いが多くなってきても買い物や家事をやりたがる。 
介護度1で、問題は無いのですが・・・

訪問インタビューは手馴れたもので聞き上手だから、ついつい母も嫁さんの悪口を言ったりして・・・やっぱり私じゃなくちゃダメみたいね。 私が旅行するときは、兄が差し入れを持ってきて見回ってくれるが、義姉が 「家事をやりましょう」 なんて言ったら大手を振って断る。 これじゃ長い旅行ができないよ。

体操したり手芸などが楽しめる 「年寄りクラブ」 を紹介してくださるそうです。 母は、見学してみるけど乗り気じゃない・・・仲間になって、くだらない噂話や雑談をするのがイヤ(耳も遠いし)・・・頭の良い人の文化的なハナシを聞くのが良いそうで、それじゃ講演会だ・・・憂さ晴らしの井戸端会議ができないなんて(ナニさま?)。 
自分が頭が悪いので、頭の悪い人と喋りたくないと言うので、話し相手は私だけだから 「エッ!別に大したハナシもしてないのに」・・・

まさかまさか、気難しい人の老後の相手をするとは、夢にも思いませんでした。 イヤなことはさせたくないけれど、これから100歳まで続きそうな母の宇宙は家の中だけ・・
全責任を私が被るのは性格的にできないので、外と接触を試みたい・・・
(99%失敗すると思いますが・・・)

韓流ブーム

2008-11-18 09:30:30 | Weblog
韓流ブームが未だに冷めやらないどころか、やや安定してきたわけを私なりに感じたことですが・・・
もう中高年女性達は 「待つ人生」 をやめてしまったからですね。

父は接待で外食が多かったけれど、家で夕食するときは何の連絡もしないで帰ってきました。 母は常に父メニューを用意し、一品(以上)多い特別定食を出すように待機、子供達も出かけると、待ちわびる・・待つのが女性の役目だった。 でも情報たっぷり社会の今では、何となく心中モヤモヤして納得できなくなる。

待っている間にテレビを見たら、自分の若かった時代のような背景に、くすぐられるようなスマイルの清潔感溢れる王子さまが出現。 規律正しい人間関係と、一歩間違えるとドタバタになりかねない波乱万丈ドラマが、どこか懐かしい。 そして、王子さまが何を言っているのか一言一言知りたくなる・・・

そして、待つことに飽きて外出・・韓国語を習ってみたら、少しでも知ってる単語やフレーズがドラマから出てくるとワクワク感動する (英語を習っても感動しなかった)・・
王子さまが来日すると聞いたらおっかけたくなるし、ご当地にも行きたくなる・・・

どんなに騒いでも、ナニがドウなるわけでもないのに、ウットリしてドキドキして元気になり、仲間同士で話をすれば女学生の頃に戻った気分になれるのがタマラナイ・・・
というわけで・・・
こんなに楽しい気持になれるのに、一時的なブームで終わるはずがないのです。

なんといっても韓国は近いのが良いですね。 一回ぐらいバリ島に行かなくてはと思うけれど、直通で7時間もかかるのが憂鬱 (乗り換えだったらもっとかかるし)。 もう長い飛行時間は、考えるだけで疲れてしまうようになりました。


夢と希望

2008-11-16 11:50:08 | Weblog
どんなに気持が通じ合わなくても、親子の縁は切れないものです。 やる事なす事気にくわないけれど、ふと 「どうしているかな?」 と息子を思ってしまう。 暫く音沙汰がないと思ったら、送金のお願い (私もしてもらったから、巡ってきた)。

漁船に乗るようになったら稼ぎが何倍にもなるので、そういうことは無くなったが、過酷な労働に危険が伴うので、他の心配が出てくる。 韓国で送迎サービスに来たイケメン君は、兵役で海軍に行きました。 「息子が漁船に乗っていたよ」 と言うと、「じゃ、老けてるでしょ」 「なんで知ってるの?」・・・イケメン君は30歳過ぎには見えないくらい若々しい。 「海で長年働いている人達にたくさん会ったけど、潮風をまともに当たるせいか、みんな老けていた」 そうです。

太平洋を渡って大阪に入港した時に会いに行ったら、我が子が本当に老けてしまったので胸が痛んだ。 その時は、まだ20代だったので、身のこなしや態度は若いのに、顔つきが変わっていた。 食欲も旺盛になり、焼肉をビックリするぐらい食べて、何杯もご飯をお代わり。 シアトルで陸に上がったら、元通り食の細いコに戻っていました。

お嫁ちゃんともメール交換をするようになって、別に愛情が無くなったわけではなさそう。 ただ息子は、どんなに大変でも船の仕事が好きで、もっと資格を取るなどチャレンジしたいみたいです。 結婚生活が落ち着いたら、本性が現れたのね。

それだったら、漁船の本社があるシアトルで待っていたら良いのに、お嫁ちゃんはアメリカが好きじゃないかもしれない。 私はホームシックになっても、苦労しても、アメリカに住むのが面白かった。 
それぞれ性格があるけれど、今のアメリカでは夢も希望も持てない?・・・

制御不能

2008-11-13 15:12:11 | Weblog
放っておいた息子から、お嫁ちゃんと娘をバリ島に送り返し、再び漁船に乗るというメールが来ました。 
こちらも内心、何してんだか気になってはいましたが・・・やっぱり・・・

息子は私と同様、結婚に向いていません・・・
他人と終生同じ愛情を持ち続けられるのは、テレビに出る人達ぐらいで、大多数は忍耐と妥協に努力の日々・・・

今のところ船に乗るのが一番気に入っているけど、マイペースなくせに寂しがり屋で 「帰る家が必要」 「でも日本に帰るお金があったら、行ったことのない国に行きたい」 「子供や孫に興味のない母親なんか信じられない」・・・
私に負けないくらい信じられない勝手を言っていますが、そんな都合よく使われてたまるもんですか。

一番目に結婚したコは、あまり綺麗だったので、利用されているのかと思ったほどでありましたが、彼女はNY市で勉強したかったのに、息子は都会が嫌いで、マサチューセッツの田舎にトットと行ってしまったのです。
二番目のコの場合、知らない間に引っ越してしまった (「おかあさん、彼、引っ越しちゃったんです」 と電話がかかった時はさすがにビックリして飛んで行きました)。 
妥協心ゼロ、話し合いする気無し (逃げちゃいます)。
三番目は付き添って国に送り返すだけ、まだ愛しているようだけれど、陸より大海原に逃げてしまうのかな。

半年働いたらバリ島で3年ぐらい遊ぶつもりなのか、また世界冒険一人旅に出たくなったのか、まったく分かりませんが、もう我が子はコントロール不能 (する気も無いし)・・・
ただただ、周りの方々に迷惑をかけないように祈るばかりです。

節約と浪費

2008-11-12 14:55:12 | Weblog
父が亡くなって、遺族年金になりましたが、我が家の経済状態は変わりません。 食事がみるみるうちに簡素になり、ご接待など交際費が激減、寒がりで暑がりだった父がいなくなったら、光熱費も減りました。 もともと節約大好き母に、その申し子である姉の最強コンビとはいえ、なんの不自由もないのが不気味なくらい。

「小室哲哉」 は、飛行機のファーストクラスを借り切って旅行したりなど、自分でコントロールできる範囲を超えたお金を手にしたら、メンタル面でその財に見合うことができず、結局はお金に流されてしまったのでしょうね。 宝籤に何十億も当たった人達が決して幸せにはならなかったと、アメリカで報道されたことがあるし、日本でも何億も当てた人達が何故か数年後に借金地獄におちいった話も聞きました。

夢を追っていたオレゴン・ハワイ時代は、思い出しても泣けるほど貧乏でありました・・・
道に小銭が落ちていないか下を見て歩いたり、赤ん坊が熱を出しても医者に連れていけなかった・・・
一転して、バブル時代はかなり羽振りが良かったのですが、莫大?に費やしたお金は、楽しい付き合いや飲み代ばかり。

相変わらずの安物買いが大好きで、ブランド商品の見分けがつかない・・3千円のカーテンを居間に吊るして平気・・食器はいただきものばかりでバラバラ・・旅費は、HIS、JTB、阪急の超お得ツアーや格安チケットをあさる・・
何が何時あるか分からないので、バカバカしいお金の使い方はできませんが・・・

自分も辛い貧乏を経験して、母のおかげで節約精神が叩き込まれても・・・
青春 (動けるうち) は短い!・・・
自分らしく 「生きたお金」 を使いたいので、コントロールできる範囲内で浪費をしています  

旅行はしたいけど (2)

2008-11-08 10:23:21 | Weblog
韓国語の入門コースはますます難しくなってきました。 「これが入門だったら初級はどんなことをするのですか?」 と先生に聞くと、もっと細かい文法と今までの応用と言われ・・・

単語を覚えて、基本ぐらいの会話だったら入門だけで十分みたいだから、留年しようかな? 敬語が相手によって変わるのが大変だけど、外人だから最低限の丁寧語で良いでしょう。

教師やドクターだけではなく、専門職の人達にも 「先生様・ソンセンニム」、役がついている人には、社員じゃなくても(近所の人でも) 「部長・室長など」 役職名を呼び、既婚女性は 「○ちゃんのお母さん」、そして 「おじさん・おばさん・じいちゃん・ばあちゃん」、何でもない人に、やっと 「○さん」、タメか年下の知り合いだったら 「呼びつけ」 にするなど、身分・立場がスゴク重要なのが文化の違いです。

相棒とイマイチの仲の理由ですが・・・彼女は日本各地はもちろん、ヨーロッパ・中国・アジアにわざわざ行って、かなりハードなトレッキングをするのが趣味・・・
小柄で針金のような体つきにスッピンで、まるで山女のようであります。 そしてコーラスグループにも所属し、清廉潔白、規則正しい生活をしているような、私にとってチョット苦手なタイプかもしれない。

どうして一緒に韓国旅行をするかというと、いくら興味が深い国でも、一人で言葉も分からず冒険するのは怖い (臆病です)・・・
見るからに真面目で信用できる人と一緒だと、思慮深く行動しながらも気が大きくなって、何でもできると本能的に感じたのかな。 彼女も勝手違う相手ながら、ヒョコヒョコ現地の人達に飛び込んでいく私を見て、後ろ盾になるのが楽しい♪と思ったようです・・・
(まるで猿回しの親分になった気分?)。

「ドコがソンナに良いのか」 説明し難い韓国フアンには、説明できない友情も生まれるのかもしれない。
(見たい・知りたい・喋りたい、は一緒です)。

美術眼

2008-11-05 15:04:30 | Weblog
憧れの中国で、母が一番好きだったのは、北京の紫禁城でありました。 もうすでに博物館として一般公開され、時間があれば毎日のように見に行ったので、何がどこにあるのか覚えている・・・日本軍による美術品の略奪は決して無かったと言い切るのですが・・・どうなんでしょうね。

何十年も経ってから、父と一緒に北京に訪れ、骨董店に行くと、見たような品々がある・・・「これは紫禁城にあったものではありませんか?」 「どうして売り物になっているのですか?」 と問い詰めると、「売る人がいたから買ったのです」 と答えられたそうです。

母は、素晴らしい絵画など見ると、雷光に打たれたように体が硬直して、動けなくなる・・・
ルーブル美術館で、ツアーのバスに置いていかれてしまったし、ボストン美術館では、先に出た私をずい分長い間待たせました。

ニューヨークのメトロポリタン美術館なんかに連れて行ったら気絶するかもしれない (体力のあるうちに連れていけば良かった)。 そこにはジックリ見たら1週間以上もかかるほど、大芸術家達の作品がズラズラ並んでいます。

父は、頻繁に中国に出張しては怪しい骨董品を買い込んできて、母にバカにされていました。 二人で美術館に行くと、父が3周したのに、まだ母が同じ絵の前にいたという冗談?もあったほどです。 母は一人旅が苦手なので、誰か同じ趣味の友達を見つけられていたら、本当に幸せだったでしょうね。

韓国旅行の相棒は、私とまったく性格が違うし、違う世界に住んでいるのですが、韓国への強い興味だけは同じなので、巡り会えたことに感謝します。 来春再びソウルに行く準備をしているし、一緒に語学留学をするハナシをしたりして、何か・・今までに無い不思議な関係であります。
(そんなに仲良くなくても、旅が楽しい 

自分の世界

2008-11-03 10:18:12 | Weblog
母は、同世代の女性達よりも、好きなように活発に生きてきましたが、それでも子供達の服を手作りし、今では考えられない不便利な家事をしながら家族だけのために生きてきました。 

生涯で本当に仲が良かった自分の友達は、今は亡くなってしまった数人だけ。 あとは我々子供達の幼馴染を今でも覚えていて懐かしがる・・・小学校同窓会の通知が来ると、自分が行きたがるほどです。

父の存命中は、華やかに人の出入りがあったのですが、今はパッタリ! 未亡人のところに、父の友人達が遊びに来る筈がないのに 「アノ人どうしているのかしら・・死んじゃったのかしら・・」 と、しきりに言う。 孫達は今や自分のことだけで手一杯なので、年に何回も会えない。 何だか、とっても寂しそうです。

父や私たち子供の人脈を、自分の人間関係だと混同していたみたいで、気がついてみると周りから人がいなくなっているのを不思議がるようになり、困ってしまう・・・
私も大人になったら外で遊ぶほうがラクなので、友達を連れてこない・・・

母の最大の趣味は、絵画など美術品鑑賞なのだから、もっとその方面の楽しい集いにでも参加していれば良かったのに、人の好き嫌いが激しくてグループ活動は苦手・・・
自分のやりたい事より、マイペースで家族の世話をして、その友達が自分のもののような気になって満足していたのね (都合の良いときだけ話に加わればよいし)。 

私は母の寂しい老後をしっかり教科書にしているので、自分の世界を守っていきたい・・・
早いはなし、自己中心型生活に磨きをかけます