日替わりトーク

☆過去現在未来☆

紅葉旅行 (2)

2007-11-27 15:31:12 | Weblog
メンバーの仕事の都合で湯布院の旅2泊はキャンセルになってしまったが、寸又峡と大井川SL列車に遠州三山巡りの紅葉旅行に出かけた。 仲間は買い物好きな 「食堂オバちゃんグループ」 である。

御朱印帳を持ち歩き、400円ぐらいで社務所に行ってはお寺の名前を立派な字で書いてもらって御朱印をいただく。 よく意味が分からないけど、みんな有難そうに大事にしている。 火防霊山、目の霊山、厄よけと忙しく周り、バーサンになった気分だ。 

宿泊先の掛川つま恋温泉のヤマハリゾートはとっても良かった。 広い部屋に4つのベッドが入っている上に、リビングルームセットがゆったり置いてあり、落ち着ける (但し3人だと二人部屋にエクストラベッドを置かれる)。 食事は、夕食も和洋中のバイキング形式であったが、どれもこれも、とっても美味しかった。 刺身は活きが良いし、手巻き寿司コーナーもあり、ローストビーフも目の前で切ってもらって柔らかくて美味しい。 以前に夕食がバイキングのツアーに行った時は、子供向けのケチャップスパゲティーや生臭い刺身でヒドイ目に遭ったけど、ここはお薦めです。

次の日の寸又峡は紅葉が未だ進行中ながら、充分見応えがあった。 あちこちハイキングしたかったのに、バーサン連中は、お寺の階段を登るほどファイトがなく、歩くのはそこそこにしてお土産屋さんを覗いている。 SL列車は期待したほどではなかったのは、乗ってしまったら汽車が見えないせいか、子供心を失ってしまったのか、こんなもんかいなと40分ほどの乗車だった。

今回の上野・新宿からの一泊2食付バスツアー料金は2万円弱で、静岡県で近いせいか無理のない行程で、とっても満足でありました。

マイペース

2007-11-23 10:28:51 | Weblog
「食わず嫌い」 という言葉があるが、「やらず知らない」 が年齢とともに多くなってきた。 パソコンからDVDを見られることを知っていて購入したのに、恐ろしく難しいことのような気がして、タッチしなかった。

膨大に長~い韓流ドラマ 「チャングムの誓い」 をどうしても全章みたくて、DVDレコーダーを電気屋で覗いてみたら、ビックリするほど高額である。 性能が大変よろしいみたいだけど、7万円以上もする。 パチスロでは母が心臓マヒを起こしそうな位お金を使うが、悪魔の人格に変わってしまい本人自身が制御不能であるのに、普通の買い物は母からの洗脳で、なかなかお高いモノは買えない。

そこで仕方なく意を決して 「チャングムー1」 をレンタルし、思い切って(ドキドキしながら) パソコンからDVD機能を試してみると、ただ指示に従えば良いだけの簡単操作の上に画面が綺麗! ワーイっ!って感じだった。 この頃、わけの分からないDVDが出回ってきたので、苦々しく思っていたが、これで解禁見放題だ。 録画したいときは、ビデオでとっているし、もう少し安くなったらDVDレコーダー購入も深慮するが、自分なりのステップアップを遂げて嬉しい気分でありました。 時代遅れでも、マイペース!マイペース!

不思議 (4)

2007-11-20 09:59:28 | Weblog
朝 「おはよう」 も早々に、母は死んだ父の夢を見たと言う。 「こっちにおいでって言われなかったの?」 と聞くと、母は急に父が出てきたのでビックリして 「あらぁ~!」 とトンマ声を出したら、ニコニコするばかりで何にも言われなかったそうだ。

父が知り合いにプレゼントされ気に入って使っていた大皿が、いくら探しても無い。 何かと重宝して中華など大皿料理を盛り付け、ドンと中央に置いていたのに、ボケ母がしまう場所を間違えたとしても、あんなに大きいものが見つからない筈がない。 何かモノが無くなる度に、「お父さんが持っていった」 と言っているが、他の小さいものは、どこかで見つけている。

つい先日、母が大きな焼き芋を買ってきた。 みんなで後で食べようと言っていたら、無くなってしまった。 石焼き芋は、父の大好物である。 母は 「知らない間に (意識しないで) 食べちゃったのかしら?」 と言っているが、どれもこれも、トンでもない所から出てくるかもしれないね。

こちらのドジを押し付けられる父がいるから、笑って済ませることができるのは助かるけど、これからは三ボケバーサン家庭内でミステリーが増えそうだ。

褒めてほしい

2007-11-17 09:49:12 | Weblog
40年以上も前に米軍の新聞社で働いていた時、テレビ局に取材に連れていってもらって 「由美かおる」 さんを真近に見た事がある。 当時はベトナム戦争の記事が大半を占めていたが、その中でホッとするコーナーなのか、駐留先ご当地の話題を取り上げるページがあった。

10代の由美かおるさんは、光り輝くオーラを放ち、アイドルでありながら中身があって感じ良かったので、アメリカ人記者はメロメロになってしまった。 取材時は真面目な顔をしていたのに職場に戻ると 「なんて綺麗なんだろう、見たか!本当に綺麗だね!」 と大騒ぎだった。

今でも美しい由美さんは、当時のプロポーションと変わらないそうで、私より少し年下の50代とは思えない。 同世代なのにマッサージや運動を欠かさないお洒落な友人も若く見えるが、私は面倒くさくて日々の地道な鍛錬や努力ができない怠け者だから、人間オモテより中身だと言っている。 オモテも中身も褒めてくれる人がいなければ、つまらない。

 K Y

2007-11-14 23:42:59 | Weblog
KYとは、「くうき・よめない」 そうで、つい先日知ってしまった(遅い?)。 つまり 「トンチンカン」 ということらしい。 KY総理ってナンだろう?と思っていたので、これで一つ謎が解けたわけだ。 どうせそこらのチンピラギャルが流行らせた言葉だと思うが、場の雰囲気を壊さないように心がけているとは、感心すべきなのかどうか。

私もよく会話中に怒られた。 仲間同士でワイワイしていると、全然関係ない (と他の人は思っている) 事を喋ると言う。 私は、みんなの会話から自分の中で勝手に連想して、その過程を説明しないで、いきなり結果だけを喋るので、会話の流れに沿わないらしい。 「ナニ言ってんの」 と言われて、仕方なく思考していた内容をご披露すると、ますます場がしらける (BS?)。

天然ボケとも言われたが、何を言われても、自分が言いたいことを言えば気にしない。 ちなみに KYR とは 「くうき・よめる」 そうで、今の若者は大した会話もしないのに、気ばかり使って大変だね。

便利な世の中

2007-11-13 13:14:58 | Weblog
自分の文章を読み返してみると、いかにも昭和30年代を懐かしんでばかりいるようだね。 でも、誰かに今よりも昔の方が良かったの?と聞かれたら、「違います」 とお答えする。 若い時の方が楽しいに決まっているけれど、やっぱり昔は不便だった。

住宅地の道路は舗装されていないから、雨が降ったらドロンコになるので長靴は必需品で後始末が大変、一般家庭は給湯設備が無かったので、お湯は沸かさなければならなかった等々等々、生活をするのに便利ではなかった。 我が家の掟として食事の後片付けは子供達の仕事だったので、冬は冷たい水に沸かしたお湯を足しながら姉に食器を洗わせて私が拭く係、夏は役目を反対にして、自分の都合の良いようにしていた。

でも当時は不便だと思って生活していたわけではなく、こんなもんだと過ごしていたけれど、今となっては、昔のような生活は到底できない (エネルギー不足、天地異変とか核戦争なんかで可能性があるかもよ)。

人生観

2007-11-10 10:33:30 | Weblog
私の人生観がまったく変わったのは、アメリカで生活をしたことだ。 人生観というより、性格そのものまで変わってしまった。 40年ほど前は、聞くもの見るもの毎日がサプライズの連続で、アメリカ女性の地位や意識が、日本よりずっと高く、自分なりに消化したので曲解もあったかもしれないが、花も恥らう大和撫子が、「ワッハッハ」 と笑うようになってしまった。

戦後生まれ (今聞くと古臭いが、当時は若さの象徴であった言葉です) は、毎日が面白かった。 掃除機が出回り始めた当初は、大きくて扱い難く、「なんて不便なものだろう」 と言われ、邪魔物扱いにされてハタキをかけられ、ホーキで掃除している4コマ漫画を思い出す。 洗濯機は一層式で、ローラーで洗濯物を絞っていた。 二層式になって洗濯がラクになったかと思っていたが、全自動にはビックリ。 昔の冷蔵庫は氷を入れて冷たさを保った木の箱であったが、最初の電気冷蔵庫にも感動。 テレビは数チャンネルしかなかったのに、釘付けになってしまった。

思い出すと、文明開化に感動したケタが今とは違う。 今は何でもアリだけど、昔は有り得ない事が起こったような気がして、ワクワクした時代であった。

オーロラ

2007-11-09 15:39:06 | Weblog
「オーロラを見てみたい」 グループと池袋サンシャインシティのプラネタリウムを見に行った。 池袋という街は、慣れないなぁ。 新宿歌舞伎町の毒々しさとは一味違う東南アジアにある異国の街みたいで、若者が圧倒的に多い。 水曜日の3時過ぎなのに、ワンサか人がいて、人疲れがしてしまった。 生活圏ではない都心地帯に踏み込むと、戸惑いと偏見で見てしまう。

サンシャインシティは駅から意外に遠く、徒歩10分以上にも感じられた。 秋のプログラムは、「ユニバース」 「恋するオーロラ」 「天の川幻想」 と3つに分けられて、3本全部観覧。 最初に見た 「ユニバース」 で、ブラックホールを抜けたり、超リアルな宇宙旅行をしてしまったら、あとの2本はロマンチック過ぎて、やや退屈であった。

座席はユッタリとリクライニングで、音響効果が素晴らしく、映像もスゴイ! 我々が学生時代に見たプラネタリウムは、移動教室みたいであったから、時代の違いを感じる。 この点では、技術の凄さを有難く甘受したい。

でも正直言って 「オーロラ」 はあまり興味ない。 今年は何とか誘いを免れたけど、来年 「行こう!」 と再びのお誘い。 極寒の夜、首まで被る 「コタツ」 を貸してもらえるそうで、「イェローナイフ」 だったら90%以上の確立で見えると言う。  「運悪く見られなかったらドウするの?」 と聞いたら 「そんなマイナス思考で生きていてはダメ!」 と怒られた。

人生観が変わるとか、説明できない感動で涙が出るとか、オーロラ体験者の話をするが、「偉大なる自然に接すると人間は、なんと小さいのか」 とはもう経験済みであって、結局は元のモクアミの生活に戻るだけだ。

水餃子

2007-11-06 22:55:12 | Weblog
戦前に北京の中国人の親友に教えてもらった母の最も得意料理で、私達も子供時代から手伝っていたのは、水餃子であった。 具は豚挽肉に白菜、韮、長葱などの微塵切りを粘りが出るまで練りまわし、胡麻油と醤油をタップリ入れる。 皮は強力粉と薄力粉を半々に混ぜ、力いっぱいコネて作る。 化学調味料やニンニク・生姜は入れない。 茹でたての出来たてが一番美味しいので、お正月やお祝いのときに食べる家庭料理だ。 焼き餃子と同様、酢醤油に好みでラー油か豆板醤をつけて食べる。 みんなが食べ盛りの時は、200個も作ったが、ここ数年は100個が目安になってしまった。 とっても美味しくて、材料費も安いが、何しろ手間がかかる。 

料理好きであった母が、近頃は私の邪魔をしなくなった。 つい最近まで、野菜を洗ったり、何かと下拵えをしたがってモタモタとぶつかり 「台所に女二人はいらないねぇ」 と言うので、「じゃぁ~アンタやれよ!」 とムッとしていたが、何もしなくなってきたのも気になる。 どうやら下拵えの手順も分からなくなってしまったのか? 犬にゴハンをあげたら、ずぅっと犬を撫でてテレビを見ている (犬がハゲそう)。

水餃子は、家族みんなで協力して作っていたほど本当に手間がかかるので覚えるのは嫌だったけど、やっぱり教えてもらおうかな。 皮を作るのが、とぉっても大変 (売っている皮とは全然違う) なので、食べたいけどヤル気と体力が必要だ。

不思議 (3)

2007-11-04 20:10:18 | Weblog
北海道の離婚率は沖縄に次いで日本第2位だそうで、開拓時代から男女平等に働き、女性が男性に特に依存することは無かったようだ。 釧路に住む母の弟である叔父は、幼い時に子供が恵まれなかった伯母に引き取られた。 今から80年ほど前の北海道奥地で、望まれて養子になったのに、どの兄弟姉妹よりも苦労をした人である。

離婚暦がある妻の血の繋がらない子供達の面倒をみて、養父母を見送り、今はやっと穏やかで幸せな老後を過ごしている。 成長期の過酷な労働と不十分な栄養で、叔父は小さくて痩せているが、初めて出会った時から、いつもニコニコして優しい。 我が家の母方の親族は、男性が優しくて、女性の方が気が強いようである。

自己中真っ盛りであった学生時代に友達を3人も連れて北海道に遊びに行った時、そこら辺をプラプラして何時に着くとも言わなかったのに、小さな田舎の駅に着くと真っ黒に日焼けした作業服の叔父がホームに立っていたのでビックリした。 汽車が着く度に駅を覗きに来たそうで、さすがにズシンと応えてしまった。 何日か泊まってご馳走になって、その上お小遣いまでいただいて 「何て良い人だろう」 と思った。

今は子供達も同じ町に住み、何かと気にかけてもらっている。 良い人が良い老後を過ごせることは良いことだが、幼少の時から苦労の連続であった人が、誰も恨まず、どうしたらこんなに良い人でいられたのか、不思議である。