日替わりトーク

☆過去現在未来☆

お邪魔です

2008-03-29 18:13:47 | Weblog
暖かくなってきたので、愛犬リリがトリミングに行きました。 迎えにいくと、ペットショップの狭い部屋にチワワとプードルが元気に走り回っている最中、目が見えないリリは、角の壁にベッタリ張り付いて心細い顔をしています。 まるで、「アザラシのジョーくん」 のように、お邪魔にならないように気を使っているみたい。 私の声でホッとしたのか、ペロペロと喜び、家に着くとドッと寝てしまいました。

ぶつかられるのが嫌なのでしょうが、誰かの進行方向の妨げにならないようにしているところは、傍若無人な人様達 (若者より中高年が多い) に見せたいくらい。

うちの母も、ジョーくんとリリを見習って欲しい。 調理時にジッとしていられなくて、ウロウロ無駄な動きで私の邪魔をする。 今日もチンと電子レンジが鳴ったら、まだ炊き上がっていない電気釜のコードを抜いてしまった (チンとピーピーの違いも分からない?)。

娘だから、「座っていて!」 ってキッパリと言えるけど、嫁さんは大変でしょうね。

料理人

2008-03-27 10:35:09 | Weblog
調理学校時代の、息子より若い同級生がテレビに出ました。 朝のバラエティーワイドショーで、「芸能人が選ぶ美味しい店」 から、ご家庭でもできる簡単料理を10分以上もご披露(初出なのに長いよね)、これから有名になるかもしれない 「ヒデトモくん」 です。 われら8人グループの中でダントツにデキた寿司屋の息子で、将来は故郷の店を継ぐかもしれないけど、創作和食も加えたい夢を語っていました。

8人のうち、一人は事故で30歳の若さで亡くなり、一人は行方不明、私を含めて4人が調理関係から離れ、いつ縁が切れてもおかしくないグループなのに、14年近くも思い出したように会えるのはヒデトモくんが集合の号令をかけてくれるからで、世に出るような人には人が集まるのね。

調理の世界は体力的にも並大抵ではなく、ヤクザに終わってしまう人が多いなか、いつも真面目で礼儀正しく、落ち着いた統率力があるうえにハンサム(目がきれい)、私が30年ほど若かったらぁ、と何回思ったことか。

31歳で料理長になった 「お友達」 を誇らしく思います
(うちの息子もどうにかならないかなぁ~

冬ソナ ・ 総集編

2008-03-25 10:21:46 | Weblog
韓国では連続ドラマ放映が、週に2回だそうで、かなりキツイ製作スケジュールなうえに、 「チュモン」 のように30%以上の視聴率になったら、ファンの要望に応えてストーリーを引っ張る柔軟性もあり、スタッフの給料も上がるけど、大変な 「作品づくり」 と聞きました。

「冬ソナ」 は現地では20%台の視聴率、日本で初めて放送されたのは、BSの夜11時だったのに20%以上の驚異的な視聴率になり (口コミでしょうねぇ)、反響が大きかったので、地上波に再放送されて大ブレイクとなったわけです (その時は噂を聞いても見る気無かった)。

ただ、、、BGMは日本人作曲家からの盗作とか、韓国で70分の放映なのに60分に縮めたから多少削ってあるとか、日本語吹き替えの誤訳が少なからず指摘されている、とかとか、、、本当なんでしょうか

アメリカ映画を字幕スーパーで見ても、「エッ!こんな訳で良いのかなぁ」 と思う箇所もあるので、やっぱり言葉のニュアンスを伝えるのは難しいね。

なんだかんだ細かいことが耳に入るのに、「冬ソナ・総集編」 でも、感動して泣いているのです

初めての外国 - 香港・マカオ

2008-03-22 09:35:32 | Weblog
1960年代に父がサイドビジネスで中国人の友人と旅行業者の下請けをはじめ、仕事の手伝いをしたご褒美で、ホンコン・マカオに行かせてもらいました。 私は10代最後の春休みに華を飾りたかったのですが、なにせ100人も集まった団体旅行の一員。 参加者は、若い私から見たら、ジーサン・バーサンばかりだったのです。 まだ空きがあったので、短大の友人も誘いました(旅行代金はいただきました)。 彼女は、「オーラがない大原麗子」 のような美人なうえに車で通学していた金持のコでありました。

海外旅行がブームになりはじめたかなと思う頃で、父は忙しい本職があるのに、友人の強い要望を断りきれず、人を雇って 「架け橋」 の役目をしたのです。 だから、中国人の 「おじさま」 は、とっても気を使って私達だけ特別扱いに大切にしてくださったのですが、「大原麗子」 はトンでもなく不良で (私は悪くない)、肝心な昼間の観光時は、張り切ってバス3台から乗り降りするシニア達を 「元気だねぇ」 と横目で見ながらバスの中でグーグー寝て、夜になるとフヮァッ~と遊びに行きました。

初日はホテルのディスコでアメリカ人の水兵や中国人のケバイお姉さん達と漢字で会話をしたり踊ったり、2日目はガイドのお兄さんと水上生活者の小船に乗せてもらって海から百万弗の夜景を楽しみ、3日目は若い日本人のホンコン駐在員達にバーでご馳走になり、3晩続けて、「おじさま」 は太った体で汗だくになりながら、私達を探し回るはめになり、ご迷惑をかけました。 

親に怒られた記憶が無いから、それほどのことはしなかったと思います。
(何を観たかも覚えていない)。

 迎 春

2008-03-20 14:52:17 | Weblog
恋のヤマイで寝込んでいるかと思われているのもナンなので申し上げますが、「ヨンさま」 は、まるでポラリスのように、あまりにも遠い存在なので、「クェンチャナヨ(大丈夫)」であります。

私が生まれて初めて目がハートになり周りがピンク色になったヴァイオリニストの 「徳永さん」 は、なんと学生時代の友人が一緒に飲んで、あの立派なお腹をポンポコ叩いたという話があるし(あんなの好きなの、フ~ンと言われた)、国技館で審判役に出ていた羽織袴の立ち姿にウットリした元横綱 「千代の富士」 は、食堂のオバちゃんがフト見たら、隣の席でパチンコしていた、とかいう話を聞いたりして(彼女は両国在住)、ガクッとくるほど具体的存在な上に、だいたい (幅広く) 同じ世代でもあるから安心してファンでいられるけど、息子のような若者を、集団で追っかけるような恥ずかしいことは決してしないと、自分を信じています (現時点のハナシ)。

ブログを見てくれる友から 「アンニョンハセヨ」 とオチョクリメールをが来たので嬉し恥ずかしながら 「アンニョン」 「コンベ(乾杯)」 と返信しました (やっぱりアタマおかしい)。 

韓国語が耳に入りはじめた、「チャングム」 のような時代劇から、終戦直後の 「頑張る物語」 などを通って 「冬ソナ」 に来て良かった。 「どこにいくの」 「あいしている」 「おねがい」 と優しい言葉が多くて、とっても分かりやすい。 

それにしても、文法が殆ど同じとは前から聞いていたけれど、韓国語がこんなに学びやすいとは、感動であります 
(4月に学校へ行きはじめたら考えが変わるかも)。

冬ソナ (3) ハッピーエンド

2008-03-17 10:09:02 | Weblog
とっても印象的で、余韻が残る 「冬ソナ最終話」 でした。 できれば、もう少し引っ張って3話ぐらい足してほしかったなぁ。 今度は字幕スーパー無しで見られますようにと、韓国語のお勉強に励みが出るよ。

個人的な感想ですが、、、、、あの・・・目が見えなくなってしまった 「チュンサン」 を見て、日本のオバちゃま達が完全にノックアウトされたのだと思います (息をのんで呼吸困難になってしまった)。  ヨンさまは、、、キムタク・モコミチ・竹野内豊・玉木宏、、、のような素敵なスターの1人だと思っていたのに・・・演出・景色・採光も良いのだと思うけれど、、、
ラストシーンの透き通るような、清々しい、クラクラっとするような・・・あの微笑み・・・ 
やっぱり遅まきながら 「ヨンさまぁ~!」 となってしまいました。

でも、、、「あの名作」 の中だからキラキラ輝いたのかもしれないね。 おかげさまでドキドキときめかせていただいてワクワク本当に幸せでした・・・
(熱が出てきた)。

アウトドアワーカー (2)

2008-03-16 20:08:42 | Weblog
息子の就職が決まりました。 やっぱり飛行機じゃなくて、船でした。 いくら聞いても私には理解できないナントカ免許が効いたそうで、面接日の次の日に早くも連絡が来て採用決定 (怪しい?もしかして過酷な労働?)。 その仕事とは、海をパトロールして、油を回収する作業、環境保護管理と言えばカッコいいけど、つまり海の清掃係です。

どんな船でも多少の油漏れがあるそうで、ワシントン州沿岸を小型船3人チームで担当海域を細かく見て周り、大きな事故が無い限り8時間労働のマイホーム亭主になれる仕組。 いずれは、操縦その他の免許も取りたいと希望しているので、定員3人乗りの船だったら、「船長の母」 になれるかもしれないね。(再々・・・転職しなければ)。

ということは、マリナーズのイチローくんにまた会える 別に息子がいなくても行けば良いのに、それほど熱狂的な野球ファンではないのです。 息子は、シアトルとタコマの二つの港を、日によって担当するので、その間にある地域に再び引越を計画中 (一刻も早く家に帰りたい)。

何もかも落ち着いてからシアトルに行くつもりですが、ハテサテ落ち着けるかどうかが、当面の課題であります。

冬ソナ (2)

2008-03-15 09:47:16 | Weblog
「若いお友達」 から3分で 「冬ソナ」 のアラスジを聞いた時、二人で涙が出そうなくらい大爆笑したのですが、今は悲恋物語 (まだラスト3話を見ていません) にジワッと (時々3~5粒ぐらいの涙) でもらい泣きをしています。

中高年女性を狂喜乱舞させた 「冬ソナ」 は、続々と来日する韓流ドラマのキッカケを作り、日韓友好にまで発展しちゃった理由が、すっかり分かりました (たぶん)。

このドラマを見ていると、今まで使っていなかった脳細胞をフル回転させなければならず (状況を把握するため)、おまけに胸の底からキュンキュンと懐かしい (40年ほど前の) 感情が湧いてくる。

下手するとストーカーにもなりかねない 「恋路の邪魔者達」 は、男性、176cm、甘いマスクのパクちゃん (かわぃぃ!!!)、女性もスタイルが良いカワイコちゃんだから 「摩訶不思議な部分」 は、それで許せちゃう (美男美女は何をしても良いのだ)。 脇役は普通の人、その他大勢はグーンと普通の人、という陣で固めています。 

みんな感心するほど真面目で真剣で、誠実に一生懸命、自分の 「想い」 を果たそうとしたり、美しい友情を交わしたりする清潔感溢れる姿を見て、「諦めと忍従を強いられてきた」 日本のオバちゃん達が自分のやりたかったことを思い出し !ドカーン!と心が揺さぶられ、ついでに脳が活性するうえに 「憧れ」 という元気までもらっちゃうのです。

韓国語で見ているけど、日本語と文法が同じうえに、「大丈夫?」 「ごめんね」 の分かりやすいセリフが多いから勉強にもなるよ。
(チェ・ジウは吹き替えより本人の声の方がずぅっと良い)。

K Y R 犬

2008-03-13 18:58:32 | Weblog
父方の祖父母が終戦で中国から引き揚げる時、なんと飼っていたマルチーズ犬 「チーコ」 を連れて日本に帰りました。 チーコは中国生まれのとっても可愛い犬で溺愛され、祖母は連れて帰れなければ中国に残るとまで言ったそうです。 引き揚げ船の中で5日間も袋の中で大人しくしていたのも凄いけど、犬を垣間見ながら周りの人が知らん顔をしてくれた話も感激します。 

祖父は東京に居住地を移していたので、九州の佐世保から東京までの当時は気の遠くなるような距離を、リュックで背負われたり、不便な旅にも耐え抜きました。

連れてきた 「犬バカ人間」 も偉かったけど、(空気が読めた)KYR犬も偉かった。 チョット間違えれば、どこに捨てられてもおかしくないボロボロの時代だったのです。 そんなに苦労した甲斐あって、チーコは22歳まで頭がツルッパゲになるまで頑張りました。 私が成人する頃、母が毛糸で編んであげた帽子をかぶって戦中に散っていった犬達の分まで生きて、チーコはアッパレ大往生を遂げました。

チーコは頭が良くて気が回るだけではなく、周りの暖かい応援に巡り会い、運がとっても強かった犬です。

いぬとも

2008-03-12 15:50:45 | Weblog
犬を散歩させていると、同じ時間帯に必ず会う人がいて、何となく挨拶を交わすようになります。 両親は犬が大好きで、晩年の父は犬と一緒にユッタリと歩くのが唯一の運動だったし、母もそうしたいのだけれど、今いるリリは目が見えなくなってからは食べるばかりで歩きたがらない (母もヨボヨボしてきたから調度良い感じもするけどね)。

プードル♂犬がいたときは早足であったので、私がいつも散歩していた。 その時に知り合ったスコッチテリアを連れた近所の奥さんと別に仲良しではなかったのに、リリを乳母車で連れ出したらパッタリ会って話し込まれてしまった。

テリアくんを飼った経緯は、ダンナの浮気だったそうです。 アタマにきたから、最初はパチンコにのめりこんだが、資金が続かない。 それで犬を飼いはじめたら、可愛くてたまらなくなり、せっかく幸せにしていたのに、ダンナまでテリアくん可愛さに会社から早く帰宅するようになった。 「でもこのコは、私じゃなくちゃダメなのよ」 とスゴイ勢いで捲くし立てる。 「ヘーヘー」 と返すしかなかったけど、要するに 「今さらナニヨ!」 と誰かに聞いてもらいたくてしょうがなかったらしい (さすがの私もビックリしたよ)。

リリは乳母車も好きじゃなくなったので犬なしで歩いていたら、テリアママと久しぶりで会ったのに、こちらも犬を見なくちゃ飼い主が分からなかったけど、あちらさんも、まったく私に気付かなかった。 「いぬとも」 の間では、犬なし人間は見分けがつかないのです。