畦道に風に吹かれつれんげ草
畦道(あぜみち)に咲く蓮華草ほど懐かしいものはない。
若い人はもう畦道とは何だろうと思う人もいるだろう。
春田には風に吹かれつれんげ草
と詠んだが季重なりになる。
そう季重なりを気にする必要もないのだが
それを指摘されると嫌になる。
もっと自由に詠んで良いと思うのだが・・
れんげ草は漢字で書くべきなどと云う人が出てくる。
どうでもいいと思う。
俳句も創作や詩である以上
季語があろうがなかろうがどうでもいい
余りそれらに囚われると・・どうだろう。
さて、今日は朝早く目が覚めた。
昨夜早く寝たせいだ。
さくらも満開になったし、今日は9時には出掛けなければならない。
久しぶりに朝のシャワーでも浴びて
ゆっくりしよう。まだ4時45分だ。
貴意見に賛成です。
「俳句も創作や詩である以上
季語があろうがなかろうがどうでもいい
余りそれらに囚われると・・どうだろう。」
季重なりもどちらかに比重がかかっていれば
良いと思うのですが。
コメントありがとうございます。
自分では
「春田には風に吹かれてれんげ草」
が良いと思うのですが季重なりを指摘されると嫌なので・・
「畦道に風に吹かれてれんげ草」
に直したりします。
山頭火になりたい気分?(笑)
あまり勉強もしないで詠んでいますので・・偉そうなことは言えませんが
もっと自由に詠むように心がけていきます。
何事にもとらわれず
自由に
自分の詩心を詠む、それが1番いいですよね
(^_-)-☆
私は分かりやすい俳句を心がけるでもなく
そうなってしまうような句ばかりを詠んでいます。
何事にとらわれず
自由に
自分の詩心を詠む
そう心がけます。
コメントありがとうございます。