今日からGWですね.今年のワタシは三連休+中二日働いて+四連休です.毎年どうやって過ごそうかと悩むのですがやっぱり悩んでいます.この時期の旅行はそもそも考えていませんし.交通費をなるべく抑えて近場をうろつくぐらいですが,今朝の良い天気&平和なカンジが続けばいいなぁ...と思います.本日,また通販で買った収納シェルフが届きましたので,まぁ前半は部屋の片付け(模様替え付き)...これ,毎年恒例で哀しいです.恒例といえば,「ねむい病」は襲ってきていませんな.これは時期的なものでもなかったのか(爆)
アメリカでの銃乱射事件,長崎市長射殺事件を皮切りにして以降,「物騒な世の中」を意識するようになったと感じています.(ワタシが意識していないということではなく,とりあえず第三者的な書き方をしてます)
ただ警察庁調べの数字統計的に見ますと,「銃による殺傷事件」はたしか90年代をピークに年々減少しているそうです.
しかし,この統計はほぼ無意味に近いという解釈もあります.つまり「銃による殺傷事件」の減少は裏社会での寡占化が進んで組同士の抗争が少なくなってきたことによるものなので,少なくとも銃の保有量との相関関係はまったくないだろうということです.
むしろ抗争で押収する機会が少なくなったため,過剰在庫の銃をさばく需要先を求めてインターネットなどで一般市場に流すケースが増えてきているわけですから,より困難な状況になってきたというのは間違いありません.
ここで唐突ですが,先のJR特急列車「サンダーバード」で起こった事件を思い起こしてみます.Complex_Catさんがすでに深い考察(「電車男」は居ない-Sim Self-defense 2007年4月22日)をされておられますが,それに触発されてのエントリーです.
トイレ内での暴行事件に発展するまでの同じ車両に居合わせたら,ワタシならどうするか. どういった状況であれば,彼女を助けることができたのか.
Complex_Catさんは,立ち向かう場面を想定して,さまざまに苦慮されておられますが,こちらは「か弱い」女性なので,そんなことはそもそも考えません.
そんな「か弱い」立場の者として,改善して欲しいと思いつくのは,警察への通報手段として一般的に普及しているのが,「110」をオンコールすることだけだという点です.メール通報という手段もありますが,通常緊急の場合とはみなされていないと思います.
しかし,もし人質事件に発展した場合でも,オンコールで110番しなければならないと,犯人にバレちゃいますが,メール通報であればバレない可能性が大です.これ,どうにかならないでしょうか.
ところでComplex_Catさんは,被害者の女性に関しては「何も言えない」と書かれています.それは男性としておそらく「正しい態度」です.
んで,これから書くことは女性として「正しい態度」と信じて書くワケですが,もしかしたら反発もあるかもしれません.
つまりワタシが思うには,何故,被害者の女性はそのような状況に追い込まれるまで何の抵抗もできなかったのかということです.
そういえば以前,「それでもボクはやってない」試写会の感想をエントリーした際に,大学関連のある方から,痴漢行為の冤罪を必要以上に知らしめることは,電車内の痴漢行為に苦しむ女性にとって,これまでの闘いを退行させることにつながるかもしれないという感想を聞かされました(あの映画の中でも,瀬戸朝香さん扮する弁護士さんが言っていたことです).
しかしワタシ自身は,こういった痴漢行為に限らず,DV等に関してもかなり疑心的です.ぶっちゃけ被害者だってある種の共犯関係から逃れられないのではといった横暴な考えを持っています.もちろん加害者の方が悪いに決まっています.
大切な人の安全・生命をどう守るかという問いは,よく立てられますが,ワタシはむしろ,自らの身辺をどう守るかということに,女性と言えども個々人が真剣に考えたほうがいいと考えるからです.
これは決して,守ってもらえる人がいないが故の「やっかみ」から言っているわけではありません!
さて,ここでようやく冒頭の銃の話と繋がりますが,自らの安全を守るために,いざというときに銃がそれに値するという考え(たしかアメリカではそういう意見があった)を持つのはなんとも不合理極まりないです. 銃を毎日何時でも身辺に携えている人が,一体どれほど存在するのでしょうか.そういった状況になったとしたら,それこそ暗黒の社会です.
銃はどう考えても計画的な攻撃用です. 現在はそのような流れになっていませんが,万が一,アメリカと同様に銃の所持を認めることとなれば,一所帯ごとに一丁,あるいは成人以上の国民全員に一丁ずつ配布するべきだと思います.いや義務にしなくても自然と行き渡るかもしれませんが.
では,どうやって身を守るかですが,やはり防犯グッズは必携でしょう.しかも,いつでも持ち歩いている携帯電話にそういった機能(よくわかりませんが催涙ガスとか)があれば素晴らしいと思います.GPSをつけるという話は進んでいますが,宇宙から所在を見守られてもほぼ無意味な状況が多いのではないでしょうか.(むしろ銃にGPSを付けちゃえばいいんじゃないでしょうか?)
ホントに「いざ」というときは,我が身を守るのは自分自身の意思(プラス,稀にヒーロー)だということを,先日TVで放映されていた「海猿」を観ていても思いましたが,大多数の人間はテレビの前で現場の状況を見守るしかないということです.
だから,その現場に遭遇したときにどうするか?なワケですが,それは,一にも二にも,どのように「応援」を呼ぶかということだと思います.「応援」とはもちろん警察やら公安やらというプロ集団ということです.一個人が無防備で立ち向かったとしても無駄死を強いるだけです.なので,いざというときに守ってくれない人はいや~などど述べるオンナは,とんでもない悪党ですと思います.もちろん守ってくれた人が何の不利益も被らない(死なない)のなら,結果論的にはOKでしょうが,大切な人にそれを要求するべきではありません.
当然ながら警察や公安の方々が不利益を被るのは仕方ない,と言っているわけではありません.前述の「海猿」でも,先日レンタルして観た「突撃せよ!あさま山荘事件」でも,一般人の一名を救うために,数名の公職の方の命が落とされる可能性が大きい.なんとも不合理で理解できないシステムです.
だとすれば,ホントにどういった解決方法があるのか.そういった事件が起こらないような社会状況をつくることが大前提として重要ですが,こういった物言いで逃げるのは,ワタシとしてはかなり虫唾が走ります.
で,Complex_Catさんは,さすがに優しい方のようですが,やはりワタシは,DVなど個々のケースで見た場合,被害者の女性にも大きな自己責任があると思っています.
とにかく,そうなる前に逃げる.これは基本ではないでしょうか.
さて,今日の「なかのひと」報告です.特に大きな変化はありませんので,一般公開に行かれた方のブログを一部ですが勝手連でリンクしておきます!
連休三日目は、スプリング・エイト!!【ボーっと生きてる気がするけど・・・さん】
物騒な世の中とは真反対のゆるキャラな「ハバタン」会いたかった~
娘さんがおられる親御さんとして,とても他人事でなかった事件だったでしょう.
わかってくださっていると安心して書きましたが,読み取れない人が読むと,不本意な流れをカタチ作る一部分になるかもしれないと自戒します.
ありがとうございました.またお気軽に書き込んでください.
今回の事件で悪いのはもちろん被疑者だと思っています.ただ取調べでさらに詳しい事情がわからないと何とも言えませんが「やめてください」なり「ぎゃー」なり「ひゃー」なり,声にならなくとも口からまったく何の音も出てこなかったということに,ワタシは別の意味での「不安」を持ってしまいました.
もちろんワタシは痴漢行為をされるような状況に陥ったことがありませんので,いざというときに声が出るかどうかの想像力がありませんが,ぽこさんの書かれるように「ごくごく普通のウブな娘さん」であれば訓練が必要ではないのでしょうか.
本日は都銀での人質事件が起こりましたが,こういった場合,たとえ女性の行員でも落ち着いて非常ボタンを押す訓練,声を上げる訓練をしていると思います.
こういった事件が起こらないために為しうることは何か.たとえば精神的な障害を持つ人を排除したり拘束したりといった手段以外で出来うることはいくらでもあると思います.ふだんの生活から男性を恐れず物言いをすることと同列とは思わないですが,まったく関係ないとも思えないのです(ご紹介いただいたウェブ記事はかなり酷い書き方ですが)共犯というのは言い過ぎだったかもしれませんけど.
また,「刑法三十九条」が「問題」視されたのは,「怪奇大作戦」のお蔵入り分を見ても,遙か40年近く前で,最近の論議だけではなく,その頃いくつかの例判がありました。長いですよ。ネットだけを見ていると,あたかも最近論議が起きたように見えますが。ミーガン法もそのままでは日本社会に上手く適合するとは私は思えませんが,不完全な性犯罪者の取り扱いの状況故,現状追認ではなく,もう少し論議があって,状況が変わった方がよいと思いますがいかがでしょうか。
また,この件,初対面の彼氏の暴力と言うことであっても私はDVと同列に扱うことは出来ないと思います。自分に暴力を仕掛けてくる人間の情報がない場合に,何をされるか分からないという不安から,逃げたりする反応が出来ないことは多いと思います。また,列車の座席という半密室状態で,居眠りをしたらとか,簡単には逃げられない致命的な体制に陥る隙は誰にでもあります。事件の当事者以外になら,隙を作るな,しっかりしなさいとは言いますが,被害者への非難は・・・できませんよね。
同性に対しての一般論的な呼びかけはともかく,親しいお友達が被害に遭われた場合そのような指摘をされる方ではないでしょうことも分かった上で,このように書かれた意味と勇気は或る程度は理解できます。
一方で,既に本人が悪いという論調の典型的なセカンドレイプの記事をWebでも見ています。
http://news.livedoor.com/article/detail/3136851/
みんな判別が着かないようなそんな馬鹿じゃないとは思いますが,ネットでのとらえ方は恐ろしいですね。
女性に限らず,本人が真剣に危機管理を考えることが重要だと思います。でも,昔の武家ではないので,そういう意識をいつも持つことは非常に大変なことですし,また,そういう緊張社会は,単純に楽しく無さそう。周りの顔の見えない社会において,頼って良いのか,巻き込んで良いのか,人を信じて頼ることもなかなか難しいと思います。
なお,護身用の武器を携帯する場合は,相当なトレーニングをする必要があります。私は違うけど。女性の場合,自分への危害を増幅するものとして,武器を使った護身術を認めない立場の人もおられます。威力が大きい故,使うときためらったり,逆に過信して隙を与えてしまうことは普通にあります。
DVは,ともかく相手から離れることが重要ですが,難しい状況も想像できます。相手の行為に対して,自分にも責任があるという考え方は,私も基本的に賛成です。ただ,様々な性格の人もおられすし,それまでの履歴など状況もいろいろあります。意地悪な想定でもないと思っていますが,逆DVの場合,多くの場合,男は簡単には逃げられません。
最近は悲惨な事件の原因究明をする際に,まず被疑者の病歴探しが先行されがちですが,この傾向は「刑法三十九条」が「問題」視され始めてからだと思います.卵が先か鶏が先かの議論にもなりますが.
森田義光監督に『39』という映画もありますが,現実的には少なくとも長い裁判の過程で障害があるかなしかの判断(診断)は信じうるレベルに達すること.その前提を共有してもなおかつ「第39条」が問題かどうかですよね.
被害者遺族の気持ちは推し量って余りあるものですが,責任を持って治療,あるいは拘束ということは,一筋縄ではいかないし,完璧は求められないでしょう.医療も科学と同じです.
ひとつ感じるのは,被疑者が公判中だったという点で,ひねくれ者としては,この再犯事件が公判中の裁判にどのような影響をもたらすかということを,もしかしたら計算ずくでやった犯行ではなかったかという気もしています.もちろん憶測ですが...
この事件は,実は刑法三十九条問題(http://complexcat.exblog.jp/6558683)にも関わっているような気がしてます。女性が抵抗したけっか殺されてしまうなど,ありそうな流れです。また,被害者が死なない限り,酷い性暴力事件として終わるというのも,なんかおかしいような気がします。
この事件のこの部分,また取り上げようと思ってます。研究者はしつこいので(笑)。