浜岡原発永久停止裁判 原告団・弁護団・支援組織共同ブログ

 中部電力を被告にした浜岡原発永久停止裁判(静岡地裁浜松支部)の原告団・弁護団・支援組織の共同ブログです

2013年9月9日(月) 第9回口頭弁論 詳報

2013年10月20日 09時15分00秒 | 浜岡原発裁判日記

2013年9月9日(月) 浜岡原発永久停止裁判 第9回口頭弁論 詳報

 9月9日(月)晴れ

 14:00 浜松市地域情報センターホールに原告や傍聴者が集まり始めた。

 14:25 傍聴抽選のために裁判所南側広場に集合した。

 14:30 抽選で外れた原告も30席分の原告席で傍聴に参加。傍聴席は満席となり、傍聴できない人は、ロビーで待機した。

 参加者には事務局から、今日の裁判の日程や、国を被告とする訴状の「請求の趣旨及び原因変更(追加)申立書」概要を紹介したプリントを配布した。参加者 約90人。

 15:00 裁判が開始。

 裁判長は桐ケ谷敬三、右陪審は千松順子、左陪審は植村一仁、

 訴訟代理弁護団計20名の弁護団のうち、今日の参加者は14名

 田代博之、大橋昭夫、森下文雄、塩沢忠和、杉山繁二郎、阿部浩基、北村栄、

杉尾健太郎、小池賢、平野晶規、加茂大樹、末永智子、山形祐生、北上紘生、

 被告側は国と中電で18名。

 15:00 裁判長;1~4次訴訟に関して、裁判官の変更により、弁論更新を行う。

 阿部弁護士;

 弁論更新にあたり、原告を代表して一言申し上げます。本件訴訟は3・11東北地方太平洋沖地震で福島第一原発の1,3号機は炉心溶融し、大量の放射能が環境に放出されるという最悪の原発事故を目の当たりにし、世界一最も危険な浜岡原発の運転を永久に差し止めるために提起したものです。

 当初浜岡原発の地元とその周辺の住民が原告となり、次第にその周辺の自治体の住民が原告となり、5次訴訟まで提訴しています。さらに原告を募っています。

 私たちが原発に反対し、その運転の差し止めを求める理由は以下の通りです。

 ①    原発事故の被害は甚大で、福島第一原発事故で原発周辺は人が住めなくなり、いまなお十数万の人が避難を余儀なくされ、地域のコミュニティが崩壊し、自治体の体をなしていない市町村もあります。避難の過程や避難先で亡くなる人も大勢います。

 いつ故郷に戻れるか見通しも立っていません。バラバラになった家族もいます。自然環境、生態系の損傷、農業・漁業に与えた影響は、風評被害も含めて極めて大きなものがあります。

 事故の収束作業中に被ばくした人たちも含めて、放射線を浴びた人たちは、生涯、がんなど、晩発性障害が発生することが予想されます。

 子どもたちは被ばくの感受性が大人の数倍高いと言われています。被ばくした人の精神的ストレスも非常に大きいものがある。この事故は収束どころか、放射能に汚染された水がタンクから漏れ出し、地下水に達するという重大な事態を招いています。

 除染、損害賠償、廃炉費用などどれだけお金がかかるかの見通しもついておりません。原発事故は航空機やガスタンクの事故などとは明らかに性質を異にするものです。

  ②   原発に絶対の安全性はないということです。原発は巨大技術の集積であるが、技術は常に進歩しています。原子炉についても、新しい原子炉が設計されていて、スリーマイル島事故を教訓にして、ウェスティングハウス社が設計したAP1という原子炉は、俗に第三世代プラスと言われています。

 いま浜岡にあるのは、古いマーク型改良型だ。第三世代プラスに比べれば安全性は低いとされています。なるほど、浜岡原発でも福島第一原発の事故に教訓にして、耐震補強工事をさらにして、津波対策として防波壁をつくり、水密扉を設置すれば、以前よりも安全性は向上するかもしれません。しかしそのような付け刃の対策では、別の想定外の事態に対応できないと考えています。

 人間はすべてをコントロールすることはできません。確かに技術と言うのは、過去の失敗に学んでそれを克服していく過程で進歩していくものです。しかし原発事故はあまりにも被害の大きさゆえに失敗に学んで技術開発をすることは許されないものです。スリーマイル、チェルノブイリ、福島から学ぶべきは、人類は原発を制御できないと言うことです。

  ③  使用済み核燃料、放射性廃棄物の処理方法が確立されていないことです。わが国では使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出し、高速増殖炉で燃やすという核燃料サイクルを取っています。その柱となる高速増殖炉もんじゅと、六ヶ所村再処理工場が失敗続きでいまだ稼働せず、事実上破たんしています。

  核燃料サイクルを取るにしても、高レベル放射性廃棄物であるガラス固化体の有効な処分方法はなく、また核燃料サイクルを放棄して、使用済み核燃料を直接処分する方法を取るとしても、同じことです。後の世代に過大な負担を押し付けるしかない原発は廃炉しかありません。

  次に訴訟において、具体的危険性が問題になっています。原発の差し止めには事実関係等の信頼の具体的危険性が必要とされています。

 しかしその具体的危険性は相対的概念であると考えます。事実関係等の信頼の程度も、小さい事故では抽象的な危険性の程度で差し止めを認めると、操業している不利益は大きくなり、世界銀行(?)の損失となるので、切迫した危険性を要求してもよいと思いますが、逆に原発事故のように重大な侵害をもたらすものは、その危険性の程度、切迫性は低く見るべきです。原発事故の被害は無限大であるといってもいい。その危険性はもはや抽象的な危険性は軽いとみるべきです。

 立証責任については、原告側で原発の危険性を一応立証すれば、被告レベルで、事故発生の危険性はまったくないところまで安全性を立証すべきであると考えます。

  本訴訟の争点ですが、本年4月に新しい規制基準ができました。これに対して被告中部電力がどのように対応するかによって、この争点は変わってくると思いますが、技術そのものにも問題があると思っています。規制基準の問題点については、今後明らかにしていきます。現時点では、次の点が争点であると考えています。

  ①     一つは地震の問題です。菅首相は、被告中部電力の浜岡原発の運転停止を要請したのは、近い将来、浜岡原発の真下を震源域とする直下型大地震が襲うということが確実視されているからです。

  3・11以後、内閣府の南海トラフ巨大地震モデル検討会ができましたが、この検討会が示したマグニチュードマグ9.0から9.1の巨大地震の地震動に浜岡原発の施設が耐えられるかということであります。被告中部電力はその点についての主張立証はしておりません。

  ②    次は津波です。津波についても同様です。先ほどの検討会で示した最大の津波高は19mです。被告中部電力は18mの防波壁を22mにかさ上げするという工事をしておりますが、仮に22mにかさ上げしても、後から後から壁のように押し寄せてくる津波が防波壁を乗り越えてくるのは明らかで、防波壁は果たしてそれに耐えられるのかどうか、原発敷地内に浸水した場合、どのような体制が取られているのか、その有効性はどうなのかが争点になってくると思います。

  ③  次に活断層の問題です。H断層という活断層があるということがいわれていますが、12~3万年前以降、活動した形跡が本当にないのかどうかが問題です。

  ④   次に、マークⅠ型格納容器の問題点です。マークⅠは、もともと格納容器は小さすぎるのでないかということが当初から指摘されていました。瞬時に圧力抑制室で発生する水力学的動荷重について一応対策を立てているといわれますが、地震動と共振による影響について考慮していないという指摘があります。地震動と共振が同時に加わることにより、格納容器、圧力抑制室が破損する可能性があるわけです。

  ⑤  テロやミサイル攻撃に本当に耐えられるかということです。原発が攻撃対象にならないという保証はどこにもありません。地震や津波の数百年、数千年に一度のものに耐えられるようにしておかなければならないということですが、そのスパンでいえば、世界の政治情勢の変化は瞬時のことで、日本が空襲を受けたのはわずか68年前で、その場合、使用済み核燃料プールは原子炉建屋に覆われているだけで、ほとんど未防備の状態であるということに注意しておかなければいけない。

  ⑥  次に、老朽化の問題です。原発の寿命は、沸騰水型では40年と言いましたが、さまざまなところに老朽化の問題が発生しています。とりわけ原子炉圧力容器の中性子照射脆化では、冷却材喪失事故が起こった際、容器が割れてしまうという究極の重大事故につながる可能性があり、極めて重要な点です。

  ⑦  次に、シビリアンアクシデント対策です。今回の新規制基準では、シビリアンアクシデント対策が盛り込まれていますが、被告中部電力は具体的にどのような対策を講じていくのか、見極めていきたいと思います、

  ⑧  最後に事故の場合の地域防災計画です。この点については、行政がやることであって、防災計画が出ていようがいまいが、原子力規制委員会の審査さえ通れば、稼働してもいいというのが中部電力の考えかもしれませんが、住民側から見れば、地域防災計画が作成されていないのに稼働するなどもってのほかであって、この点については、今後の争点にしていきたい。以上です。

 15:12  裁判長;被告側、特にあるか。 被告;ない。

   裁判長;5次訴訟については?  原告;変更なし。

   裁判長;被告から9月2日に準備書面が提出されている。原告から9月2日、求釈明の書面が出ている。5次訴訟では同じ主張だということなので、用語を統一してほしい。

 原告から請求の趣旨追加の書面はまだよく見ていないので、次回伺いたい。原告からの書面では、安全対策に重大な欠陥があるにも関わらず、国はいつまでも浜岡原発の稼働を計画しているので、10万円の請求をしているが、この点で、慰謝料請求の国の加害行為は、平成23年5月10日の停止から書面が提出された8月28日までの間に、いつでも稼働を準備しているのでそれへの損害か、それ以外でも損害賠償の加害行為なのか、それを明確にしてほしい。

 請求額10万円、一部請求か、全部か、明らかにしてほしい。

 塩沢弁護士;2点については明らかにする。

  裁判長;損害を被ったというとき、公権力の行使、国家公務員とは、誰のことか。役職の誰かが加害行為をしていたのか。明らかにしてほしい。どのような行為か。不作為ならば、それはどういうものか。おおむね請求原因は理解できるが。発言はあるか。

 塩沢弁護士;無言

 15:17 裁判長;本日は以上だ。次回期日はどうか。特に希望はどうか。

   (原告、被告のやりとりにあとで)次回は、12月9日(月)11:00から         

 15:22で終了

 15:30 地域情報センターで報告集会

 司会;中谷信和(第4次原告団・県の事務局次長) 裁判は短時間の20分で終わりました。まず弁護団長の田代博之弁護士から挨拶を簡潔にお願いします。

 田代博之弁護士;

 みなさん、ご多忙のところ、参加ありがとうございます。 15時から開廷していま3時半、わずか30分、いままでの裁判で初めてのこと。本来ならば、4名が、5次の原告も加えれば、5名の代表原告が証人台に立って、原告団に参加したなかで、原発裁判は国民のために何をやらなければならないか、積極的な意見の開陳、またなぜ原告に入ったのか、さまざまな観点から意見を一人5分で述べられる予定であった。その中には、著名な国際政治学者の畑田重夫先生が原告団に参加されていたが、他の原告の方も法廷で意見陳述されないまま進んで残念だった。この集会の場で報告があればありがたい。

 原発再稼働阻止の動き、強まっている。首相が中東で原発を売りに歩いていることにブレーキがかかっている。法廷闘争を外の闘いと結びつけて、再稼働阻止の動きと全面的に対決して、裁判も重要な一翼を担って皆さんとともに頑張っていきたい。

  司会;では県の会を代表して、林先生、お願いします。

 林弘文;今日はごくろうさまです。5人の方が陳述の準備をしていたのに、発言できなかった経過を後で教えてほしい。以前4分間の発言をしたがずいぶん考えた。今日の方も準備されたと思うが、今後陳述の機会があるのか、伺いたい。

 先日、ブエノスアイレスのオリンピックのプレゼンテーションで首相は、「0.4平方メートルの中で完全にブロックされている」と言ったが、ほとんどの人が疑問を抱いている。神田先生(東京海洋大学教授)が3・11以降調査されていて、湾の中で44%の水が外洋と交換されているという指摘をしている。

 いま浜岡はどうか。国土地理院は1962年から測定して、掛川~御前崎のひずみ、50年で約30cm、御前崎が沈んでいる。このまま沈めば、安政東海地震から沈んでいるとすると、90cm、沈んでいる。石橋先生はいつ地震が起きてもおかしくない危険性があると指摘された。そんなことしか述べられないが、よろしくお願いします。

  司会;今日は、傍聴席、原告30席、一般席30席、全部埋まりました。法廷に入れなかった人が30人いたと思います。阿部先生の10分の再現、お願いします。

  阿部弁護士;(この報告会での記録をもとに、法廷の記録としましたので、上記の記録を参照)

 15:50 司会;今日は珍しく裁判長が長々としゃべった。そのやりとりが聞き取れないところがあったので、今日の中味を塩沢先生、お願いします。

 塩沢弁護士;

 裁判官からの質問に触れる前に、この間の意見陳述を与えろという我々の要求をしてきた経過について触れたい。そもそも裁判長は原告5名の意見陳述の機会をできるだけ与えたくないという姿勢に終始した。我々の裁判だけでなく全国的にその傾向にある。

 第5次の提訴で何人かの意見陳述がしたが、あれは裁判長に要求してようやく実現できたが、あれで終わりになっている。6次の提訴があれば、いままでの流れからして、何人かの意見陳述はさせるかもしれないが、新しい提訴がない限り意見陳述はさせないと、杉尾先生が事前に申し入れしたが、頑として認めない。

 そこで次に考えたのが、国を相手とする損害賠償請求を追加したのだから、その意見陳述をさせろと言ったら、追加の請求が先月出たが、裁判所でも質問をして聞きたいことがあるので、今日陳述させるわけにはいかない。それを出したところで、正式に取り上げたいと。それが出たところでやりたい。だから意見陳述はないと。

  どうしようかと思っていたら、裁判長2人の裁判官が交代する。弁論の更新の手続きがある。これは1次から4次までの訴状を読み直すこともできるが、さすがにそこまでやるのは疲れてしまう。

 弁護士の方から弁論更新にあたってのいままでの主張の取りまとめをしたい。これは裁判所も断ることができず、認めた。それで急きょ、阿部弁護士が弁論更新にあたっての弁論をした。これは非常にまとまったもので、長いものを読むよりはこれを読むと全体の主張と争点がつかめる、すぐれものです。阿部先生がまとめられて、原告のみなさんの発言の機会はなかったが、かろうじて弁論をすることができたという経過です。

  さて、私に対しての請求作成資料に関する質問は3つあります。実は、国に対しての損害賠償請求訴訟は、全国的に見ると、京都で行われている大飯原発、佐賀地裁で行われている玄海、そして鹿児島の裁判所で行われている川内の裁判があるが、私たちはそれらの訴状をもとに、請求の趣旨を作成したが、それらでは全然議論されてない極めて専門的法律論をぶつけてきた。

 質問の中味は確かに法律論としてこちらが、きちんとやらなくてはならないが、ある意味、どうでもいい、どうでもいいというと語弊がありますが、あまりに専門的な法律論であって、例えばどういうことかといいますと、国に対しての損害賠償は、公務員が国民に対して不法行為をした場合、その不法行為で損害を被った国民は、国に対して損害賠償が請求できるという法律があって、国家賠償法に基づく請求ができる。

  そうすると、違法行為をしたのは誰か。それは答えれば内閣総理大臣だ。原発を推進、特に福島の原発事故後、原発を国が民間会社の事業を介して推進してきた結果として、あれだけの大きな被害があり、収束していなくて、将来に向かって大きな不安を残しているわけだから、国が率先して廃炉に向けて大きく舵を切る、政策転換をする、それがいまや国民の人格権、平和的生存権、幸福追求権、そういう権利を侵害する行為だ。誰が悪いかと言えば内閣総理大臣だ。

  不法行為がなかったかといえば、福島の第一原発事故以後、大きく逆転させて、政策的転換をする法的義務がある。それをしないのが違法だ、それでは国民に対する加害行為は何かと言われて、浜岡の場合は、菅さんの行政指導でいまのところ止まってはいる。

 止まってはいるが、いつ再稼働されるか分からない。そういう不安の状態で原告たちは日々不安な生活を強いられている、そこには当然慰謝料の発生があると言ったら、裁判官はそこだけとらえて、だったら国民に対する違法行為とは、菅さんが行政指導で止めたけれども、いつ再開するかもしれないという不安を与えていることだけが加害行為かと頓珍漢な質問をしてきた。福島第一事故以来、将来にわたって原告のみなさんが不安な日々を送るわけなので、全体像が加害行為だ。

  10万円を請求した。これはずいぶん少ないがと、裁判官は、これは一部か、本来はずいぶん多いが、その一部として10万円を請求してきたのかと。そんなことはどうでもいいが、お金を目的に請求しているわけではないのに。次回までにきちんと答えて、国に対する損害賠償、私たちはどれだけ日々不安を強いられているか。精神的苦痛を被っているか、そこに焦点を当てた意見陳述ができるよう、とりくみたいと思う。

 15:58司会;質疑応答したいのですが、今日は本来の法廷であるべき姿を再現したい。4人の原告、お願いしたい。まず清水区に住んでいる国際政治学者の畑田重夫さん、よろしくお願いします。

 畑田重夫;原告の一人です。弁護団のみなさん、感謝と敬意を表したい。意見陳述をするつもりだった。90年間の人生をかけたつもりだったが、機会が得られず残念だった。4分の原稿を読み上げたい。そのあと、ほんの2,3分、原発問題のコメントをしたい。

  私は、6月1日をもって鎌倉から静岡市清水区の高齢者ケアハウスに転居してきた。思いがけなくも、静岡が終焉の地となったが、県民の一人として世界一危険な浜岡原発に格別の関心をもたざるを得ない。

  さて、今年は学徒出陣70周年という節目の年に当たっている。私は青年学生時代に、学生服を軍服に着替えさせられ、ペンを捨てて銃を渡されたいわゆるわだつみ世代の生き残りの一人だ。その深刻な戦争体験から、戦後、今日にいたるまで国際政治学の研究に専念してきた。国際政治学とは、分かりやすく言えば、戦争と平和に関する科学といってもいい。そのようにして戦後今日まで生き抜いてきた。90歳という人生の節目にあたって、改めて日本の戦後史を振り返って、生活しつつある。

  顧みれば、日本と日本国民は1945年8月の広島・長崎への原爆投下、1954年3月、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験、そして2011年3月11日の福島原発事故と、前後4回の放射能による被害を被ったという世界でもまれな国であり、国民である。したがって心ある日本国民は人類と地球は核兵器と原発から放出される放射性物質とは共存はできないということをさまざまな体験を通して、痛いほど感じ取っている。

  核兵器も原発もともに時間、空間を超えて、放射能の被害を人間と自然界に及ぼすものあるという点では違いはない。ヒロシマ、ナガサキの被爆者は生きている間に核兵器廃絶の悲願をかなえたいと叫び続けている。福島ではいまなお15万人の人たちが避難生活を強いられ、高濃度の放射性汚染水がいまも海に流れている。

  私は長い間、諸悪の根源は日米安保であると言い続け、書き続けながら、日米安保条約を中心とする日米関係史の研究、その成果の普及に努めてきた。日本における原発問題も、日米関係史の上でとらえるべきだ。

 1953年にアイゼンハワーが国連でアトミックピースという有名が演説を行った。これで原子力平和利用ということが提起され、アメリカ原子力法が成立した。それからまもなくアメリカは日本に濃縮ウランを売りつけてきた。1954年3月2日、当時まだ若い一人の代議士であった中曽根康弘氏らによって、原子炉の建設に2億3500万円の予算が衆議院に緊急提案され、同4日に可決された。

  1955年11月に日本原子力研究協定が調印され、日本でも本格的なウラン燃料の事業が進められてきた。このように原発は日本政府の国策として導入され、稼働してきたという歴史的経過がある。一般に戦後の日本では、戦争責任の追及のあいまいさのために、さまざまな分野での責任の所在が明らかにされないままに今日におよんでいるという問題がある。

 原発安全神話をふりまき、福島の3・11の惨禍を招いた責任は間違いなく、第一義的には国にあると言わざるを得ない。浜岡原発は南海トラフのM8~9クラスの巨大地震は、今後30年で60~70%起こると言われている。しかも事前予知は不可能であると言われている。だとすれば、浜岡原発はいますぐに廃炉の作業に入らなければならず、こんな時に再稼働などもってのほかだ。いうまでもなく、浜岡原発だけでなく国の責任において、日本列島の50基すべての原発の廃炉の即時決断をされるべきと考えている。これこそが経済主義や電力会社の企業利益第一主義よりもはるかに重要な、人命と人権を最大限尊重するという日本国憲法の原理原則にもっとも忠実な道であると確信するからである。

  その意味で、本法廷において、裁判官各位が歴史的大局的観点から勇気をもって、公正にして、理性的な判断を下されることを切に期待して私の意見陳述を終わる。

  これが4分間にまとめられたものだが、一つだけコメントすると、ドイツのフィール廃炉研究所が昨年の、2012年9月6日に、一つの発表をした。その中で福島原発の放射能汚染水は、 汚染が起こってから6年後に、全太平洋、世界の海に拡散すると発表。このシュミレーションはごく控えめ。今回東電は最初、120リットルの水が流れた、すぐに300トンと訂正した。まったく無責任。企業は能力が何もない。国が全責任を負わなければいけない。メルトスルーした核燃料は冷却しなければいけない。京都大学の小出助教が言いました。あ!時間だ、3人の意見を拝聴したい。

 16:12司会;第5次原告団の長田さん、4分間の発言をお願いします。

 長田栄一;

 4分なので、情勢部分はカットして私の考えを述べたい。私は1952(S27)年、中電静岡支店に採用され、何回か転勤して、1970年(S45)1月15日退職。18年間在職。その後の国のエネルギー政策、電力会社の原発推進のことを注視してきた。3点に絞り、述べたい。

  ①  日本の電力事情は、国の介入は、昭和の初期、戦争時の傘に、戦後はアメリカ主導となり、電力会社の9分割が行われ、発電形態は、水力、石炭発電が重油火力中心となる。商業用原子炉がイギリス、ロシアから遅れていたアメリカは、1953年 国連で平和利用と濃縮ウラン提供を提唱。日本に強力な働きかけを行った。その結果、1954年、政治的意図で国の原子力予算が成立。関連の法案成立とともに、全国的展開の原子力平和利用大博覧会などで安全神話が積みあがる。

 55年、東京電力は社長室に原子力発電課を設置。57年、他の電力(中部電力、関西電力)は、原発計画原子力課を設置。1959年の社長会議は、重油火力が(?)電気事業最大の合理化という決定をしている。電力会社が原発リスクを嫌いながら政治的に屈服した経過である。以後現在まで継続したアメリカと日本、政治家と電力会社の関係を示している。

  ③    1956年、正力松太郎初代原子力委員長・科学技術委員長は、5年後の原発構想を示した。原子力委員会・湯川秀樹委員は、自主・民主・公開3原則無視に抗議し辞任。60年代、原発建設は進み、1963年中部電力は紀伊半島南部で計画。しかし反対運動の高まりで見通しが立たなくなる。

  1967年1月、自主財源30%の浜岡町に白羽の矢を立て、同年5月31日に町に正式に説明を行う。町では、地元出身で財界四天王といわれる水野重雄氏を訪問。泥谷に金の卵を有する、これはのちの静岡新聞の報道。以後原発誘致を決断し、以後、地元説明、従来の数倍の買地用収、69年漁協も補償交渉を受け入れ、1970年5月浜岡原発1号機の建設申請を行う、続く2号機の建設申請、その認可は、5か月半、8か月という極めて短い審査であった。

 1968年に日米原子力協定でほぼ30年間必要なウラン235の利用を個々に明記し、154トンの受入れの義務化が進められ、そのもとで浜岡原発などの建設が進められた。

  ④  中電は、地元の暮らしと労働者の安全を軽視し、体質化してきた。重油化学発電所は、典型である四日市公害を引き起こし、労働者にはアスベストで多くの人々を苦しめた。浜岡原発では、被ばくで死亡した下請けの労働者の被ばく労災認定に3年近くの運動を必要とした。安全神話のために、地元自治体や諸組織に膨大な費用を注ぎ込み、地元の依存体質を醸成してきた。

 1988年、中電の全女性社員を対象に原発炉心近くでの安全体験研修が計画された。無謀な計画が世論を背景にしたたたかいで中止になり、原発に反対し活動した社員に対して、賃金、昇格で著しい差別が行われた。裁判の中では電力会社の陰湿な策謀が白日のもとにさらされた。在職中、お客様が常に正しいと、会社は社員に謙虚な対応を求めた。今被告側に原子力基本法の平和・民主・自主、学術会議の民主・自主・公開の原則に立ち返ることを強く求める。

 16:19司会;続いて第5次原告安達とし子さん、お願いします。

 安達とし子;

 静岡市の小学校の教員、静岡市内に住んでいるが、出身は浜岡町の隣の大東町。いま私の祖母がそこで生活している。もしも浜岡であのような事故が起これば、私の祖母は生活できなくなり、私も実家に行けなくなることを恐れている。祖母は浜岡原発の廃炉を求めている。

 夏休み、全国の教員と勉強する機会があり、その中で福島の先生の話があり、それを伝えたい。

  まず福島の原発を抱える双葉郡の7町村は、原発事故がなければ在籍したはずの2割の子しか今年度入学しなかった。親の考えとしては、安全とはいえないところに住むことはできないなと。

  6月5日、福島県が開催した県民健康管理検討委員会では、福島県の甲状腺検査で、17万人のうち12人の子が甲状腺ガンと診断された。さらに疑いのある子が15人にも上っていると報道され、最近の検査でさらに増えている。

 通常ならば、100万人に1~2人しか出ない甲状腺がんがこのように子どもに出るのは異常であり、なぜなっているのかきちんと分析すべきだと福島の教員は言っている。さらに言えば、この子どもたちに対して治療費全額を国が責任をもって生涯保障したとしても、子どもの本当の健康が戻ってこないために、子どもの受入れに誰も責任を持てない現実がある。

  さらに風評被害で福島の子どもたちは追い打ちを掛けられている。インターハイの宿泊施設に泊まったら、福島の子どもたちが入浴後に、風呂の水を替えてくれ、一緒にしないでほしいと、別の学校の関係者から県に苦情があったという。これを聞いたら福島の子たちはどう思うか。福島の高校生は、将来結婚して子どもを産んでいいのかと思っている子が大勢いる。こんな話を聞くと胸がつまる思いだ。静岡の子どもたちの将来の姿かと思うと、本当につらくなる。

 いままで原発が核燃料サイクルとして国策として進められてきた。3・11後の放射線教育でも、福島のことに何も触れていない。5年生でも、そこには自然にも放射線はあるので心配しなくてもいいとして終わっていた。

 福島では、これまで屋外での活動を制限しようという、子どもを守ろうという配慮がされていたが、もうだんだん配慮ができなくて、今年はプール開き前のプール掃除も子どもがやるようになったり、雨が降る中でも運動会をやったりということが起こっている。それは、国が収束宣言を出して、もう安全だと言って、首相が海外で原発を売り込みにいったりする中で起こっている。

  私は自分の教え子たちに平和や命を大切にすることを教えている。例えば、参観会で本を使って、一人一人の自分の名前の由来や願いを聞いて、自分の名前の願いが分かる。一人一人の命を大事にするためにも浜岡原発はすぐにやめてほしい。

  私の友達が京都大学の出身で、この夏に、京大の実験原子炉に見学に行った友人は、厳重な管理の下できちんと放射線管理がやられているが、そこで働く研究者は福島の現状を見ると、廃炉しかないと言っていると。ドイツでも、技術が発達した日本であれだけの事故が起こったので、国で廃炉に舵を切った。教員として子どもたちの命を守るために廃炉にしたいと原稿を用意した。

 16:26 司会;それでは、最後に長塚のぶ子さん、お願いします。

 長塚のぶ子 

 正直なところの話をすると、陳述できないことでほっとしている。何を書いてくれといわれたとき、なにを書いていいか分からず、あっちこっち文書を見て書いたが、正直恥ずかしい。なぜ原告団に加わろうとなったかだけ話をする。

 実は今年、沼津の組合の会議のために車で札幌に行った。車の中で原発のことも話に出た。福島の汚染されたゴミを捨てる話もいっぱい出た。

 私はそのとき何げなく「お互い様で、しょうがない」と言ったら、隣に座った人が、「それって、浜岡の後始末のゴミを何とかしてもらおうと思っているの!本気で浜岡廃炉にしたいと思っているの!」とグサッと言われた。恥ずかしくて、それが今回原告団に入る動機になった。口では廃炉と言っていても、人間、本音がつい出てしまう。あなた本気でないと言われて、今回原告になった。

 16:28 司会 今回の発言は11月発行のニュースやブログに載せたいと思う。陳述書よりはいいと思う。意見交換で、1~2人あればどうぞ。

  掛川からきた人;いつも疑問に感じるのは、相手の意見を聞きたいのに、聞くことができない。

 大橋弁護士:

 本当に同感、今日も準備書面1が出た。本来安全と言っているのだから、中電が反論を堂々とすべき。この前もHPで載っているものを安全性だと言って出している。裁判の場で説明して裁判官に訴えてほしい。しかし書面の通りと言うだけ。実質の弁論をお互いにやる、被告もやるというのが法廷の場の活性化になるのに、書面の通りでいいと、裁判法上なっているので、やむを得ない。残念だ。

 司会;それでは、事務局長の落合さん、今後の日程などを含めてまとめをお願いします。

 落合勝二;

 参加者は約90名。多くのみなさんの参加があった。弁護士からも、裁判の活性化させると、当然主張をどんどん出して、相手の主張を引き出していくためにも、弁護士にも奮闘してほしい。

 次回、12月9日11:00。月曜日。かねてより県全体に運動を広げたいとしてとりくんできた。林県評議長を中心に沼津、富士、三島で第6次の組織化を進めている。次回、提訴の予定。全県、全国的に広げて、1000人にしたい。

16:34終了  (文責;長坂)