ある日々

日々思ったこと

「撤回」と思える馬鹿さ加減(笑)

2007-07-01 22:13:05 | ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070701-00000076-jij-pol
原爆発言、事実上撤回=「大変申し訳ない」と陳謝-久間防衛相

馬鹿というのは、マスコミのタイトルを無批判に受け入れたかと思えば、ありもしない発言が見えたりするのな(笑)。

「これから先、一切そういうこと(発言)はしない」と述べ、事実上撤回した。

どこをどうやったら「発言はしない」ことが「撤回」と受け取れるのか(爆笑)。脳みそが腐ってるんじゃないか?

もちろん、本人でなきゃ真意は分からないが、俺がヤツの立場なら
もう、ああいう発言はしない。私の言っていることは真理であり、撤回する必要もないが、白痴に真理や物の道理を説いたところで、理解できないからだ。もう豚に真珠をやることはやめた
という意味で「ああいう発言はしない」と言うがね。

つまり、あの発言を撤回と思っている人間は
豚並みの知能レベルと思われている
ということだよ(笑)。

まぁ、事実だから、仕方ないな。

日本語読解力

2007-07-01 14:40:26 | ニュース
原爆発言、訂正せず=米投下「是認しない」と釈明-久間防衛相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070701-00000035-jij-pol

残念ながら、簡単なことも理解できない日本語読解力の人間は多いんだよ。行間を正しく読み、意図を正しく理解する能力がある人を多数派だと思っちゃダメだ。脇が甘かったね。

久間氏は「一連の戦争が終わったんだという過去のこと(について)、あの時こうすればよかった、ああすればよかったと今言ってみてもしょうがない、という思いで言った」と強調。その上で「米国の原爆(投下)を是認したわけでも、米国に気兼ねして言っているわけでもない。(そう受け取られるのは)残念だ」と釈明した。


そもそも「何が」しょうがないのか、キチンと考えられていない人が多すぎる。
久間の発言をもう一度見返すと良い。

長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。

文構造は「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、~、しょうがないな」である。彼の視点はあくまで、原爆によってもたらされた悲惨な被害や、原爆を受けたという現実にあるのであって、原爆そのものを是認しているのではない。

そして、ここでいう「しょうがない」とは「受け入れるしかない」とか「諦めるしかない」という意味だろう。受身の側が「しょうがない」という場合は消極的な受け入れである。

まとめれば「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという意義を見出して、諦めるしかないなと思っている」となる。だからこそ「米国を恨むつもりはない」という文章に繋がるわけである。

こうやって文章を論理的に読み解く力があれば、上記の久間セリフは当たり前以外の何物でもない。

あくまで「過去の現実の受け入れ」を言った文章に対して

人を殺して戦争を終わらせるのはとんでもないことだ。これからどこかで戦争があれば、原爆を落として解決するというのか。怒り心頭だ」と語った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070701-00000001-ryu-oki

というのは、トンチンカン以外の何物でもない。

そもそも、戦争とは人を殺すことなのだから「人を殺して戦争を終わらせるのはとんでもないことだ」とは「戦争を終わらせるのはとんでもないことだ」と言っているに等しい。人を殺さずに紛争が解決できるなら、そもそも戦争になってないのである。

記事の見出し通り

2007-07-01 08:36:51 | 雑感
最近…に限ったことではないかもしれないが…他のブログを「愚かな考察」呼ばわりすることが多い。なので、読んでいる人の中には、俺を傲慢な人間と思っている人も、少なからずいるかも知れないが、それは誤解だ。俺は極めて謙虚な人間なのである。

だって、俺は単に事実しか言ってないでしょ(笑)!

まぁ、これは半分冗談だが。←じゃ、残りの半分は本気か。

真面目な話、先の記事で紹介したブログに書いてあることに膝を打ってしまった。

[国内]波紋を広げたい(きけしゃん)より

ヤフーのこの記事に反応しているブログやmixiでの日記群を見る限り,ほとんどの人が記事の見出し通りの事柄を何の疑いも無く受け入れ,それに対して各人が同じような反応をしている.気持ち悪さすら感じる.

全くもって、その通りである。
先日の架線切断に関する話題でもそうだが、マスコミの付けたタイトルを、何ら疑うことも考察することもなく受け入れ、論評・批判を始める人が何とも多い。ある意味、恐ろしいことだ。

マスコミが「運転手のミス」と書けば「運転手、何やってるんだ」と批判する。
マスコミが「産む機械発言」と書けば「女性蔑視だ」と批判する。
マスコミが「エキスポランド手抜き検査」と書けば「けしからん。人命軽視だ」と騒ぎ立てる…。
どれも、マスコミの用意した前提に、簡単に踊らされているのである。

もちろん「常にマスコミの逆をいくのが正しい」と主張するのではない(が、こういう誤読をする愚か者は多い)。「常にマスコミの逆を目指す」のは「常にマスコミを鵜呑みにする」と本質的には違いは無い。単に向いているベクトルが180度逆というだけで、共に思考停止という点では同じである。

「マスコミを疑い、考察する」とは、考えることである。考えた上で、マスコミの言うことが正しいという結論になることも当然ある。大切なのは、情報を集め、仮説を構築し、第三者的に検証し、裏づけのある論理を構築してゆくことだが、確かにこれは難しい。しかし、世の中にはこれが「難しい」「自分はできていない」と気づく以前のレベルの人が多数いて、そういう人ほど一端の評論家を気取っては、愚かな意見を垂れ流している。
もちろん、常に自戒を込めなくてはいけないわけだが。

ちなみに、俺のようなスタンスで発言していると、愚か者が次に言う台詞はほぼ決まっている。それは「自分と意見が違うからって、間違いとか愚かとかいうのはおかしい」だ(苦笑)。つまり、俺が彼らの意見を否定する理由を「意見が違うから」と摩り替えようとするのである。

もちろん、この意見はアホの上塗りでしかない。実際には俺は「なぜその意見が正しいか」「なぜその意見が間違っているか」という論拠を常にハッキリさせた上で意見を述べている。俺がある意見を「愚かだ」と断ずるには明確な論拠がある。もし俺の判断が間違っていると思うなら、その論拠を突き崩せば良いだけの話だ。

しかし、連中の頭は「論拠」という概念を理解するレベルになく、故に自分の直感や感情論でしか喋れない。よって「自分と同じ意見」「違う意見」という敵か味方かレベルの発想しかできない。だから自分の意見が否定されると、その低レベルな思考回路で「意見が違うから否定された」と考えるのだ。

全くもって、愚か者はどこまでも愚かなのである。

久間批判=「被災者は無駄死に」扱い

2007-07-01 01:59:04 | ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070630-00000911-san-pol
防衛相「原爆是認と取られ残念」 野党一斉に反発

久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」(朝日新聞) - goo ニュース

久間批判をする人間は、ある意味、原爆被災者を無駄死に・犬死にと侮辱していることになるのだが、気づいているだろうか?

先にも書いたが、久間発言の大きなポイントは

そういう頭の整理で今、しょうがないなと思っている

という部分だ。「今」思っているということは、以前は違う考えを持っていたということだ。そしてそれは当然「頭を整理」する前ということになる。

久間はこう言っている。

・原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭った
・勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしている

すなわち、久間も心の底では、ちっとも納得していないわけである。しかし原爆で日本が失ったものを嘆いてみても、それらは戻ってくるわけではない。だから

・あれで戦争が終わったのだ
・国際情勢、戦後の占領状態
・北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は、取られても何もする方法もない
・日本が自由主義陣営に加わり、日米安全保障条約を結んだことを「わが国にとって良かった」

という意味・価値を見出す

そういう頭の整理

によって

しょうがないなと思っている

となるわけだ。

いわば「原爆で多くの人が死に、苦しんだけれど、その結果として、今の日本の繁栄があると『頭を整理』して自分納得させ、『しょうがない』と考えている」という論法だ。

日本が原爆で失ったものを数えるのではなく、失わなわずにすんだものを数えて、ポジティブな側面を見ることによって、自らを「しょうがない」と納得させているのである。

ここまで書けば分かるだろう。

この久間の考えを否定することは、すなわち「原爆で死んだ人は単にアメリカの傲慢な人体実験のために死んだだけであって、その後の日本の繁栄になんら貢献していない無駄死に・犬死にである」と主張するに等しい。

原爆によって起こったことに対して、屁理屈でも良いから意味を見出し「しょうがない」と諦観することと、原爆を是認することは、天と地ほども違う。

久間は「原爆投下も、それで戦争が終わったのだから、しょうがないと思う」と言ったのではない。
久間は「原爆投下も、『それで戦争が終わったのだから』という頭の整理で、しょうがないと思う」と言ったのである。
そのわずか数文字にこめられた「気持ちの差」が分かるだろうか?

そこらへん、受け手の日本語読解力や論理思考力が問われるわけである。


■秀逸
赤い日本の可能性(Aloha! Ekomomai!!)
「しょうがない」とは言わないが・・・(無責任blog)
[国内]波紋を広げたい(きけしゃん)
久間防衛相の本心とは?マスコミが聞いても答えないでしょうね。(恋のから騒ぎ研究室)
揚げ足をとってるんじゃないのか?(本日の出来事【p2】)

■真意を理解した上での秀逸批判
「個人の本音としては問題なくても、政治家として言うべき建前はわきまえるべき」といった感じか。
政治屋には向いていない(NEWSをほかす)
しょうがない、じゃないですよ。(40代オヤヂの憂憤)