抹(まぐさ)負ふ人を枝折の夏野哉
(陸奥衛 むつちどり)
『芭蕉全発句』下巻 山本健吉著 昭和49年刊 河出書房新社
元禄二年
元禄二年 己巳(一六八九) 四六歳
四月三日、
那須餘瀬(よぜ)の鹿子畑忠治、号、翠翆桃宅を訪ね、十六日に出立した。その間の一日、芭蕉・翠桃・曾良その他で歌仙を巻いた折の挨拶の発句である。
脇句は
「青き覆公子(いちご)をこぼす椎の葉」
と、主の翠桃が付けている。翠桃とは江戸での舊知であった。
黒羽の館代(かんだい)、浄坊寺図書、号秋鴉(あきあ)の弟で、餘瀬は黒羽の西にあたる。
紀行に、
「黒羽の館代浄坊寺何がしの方に音信(おとづ)る。
思ひかけぬあるじの悦び、日夜語つづけて、其弟桃翠など云が、朝夕勤(つとめ)とぶらひ、自(みづから)の家にも伴ひて、親蜀の方にもまねかれ、日をふるまゝに」云々と書かれているが、この句はない。 秣(まぐさ)を背負ってゆく人を草深い那須野での道しるべとして進んでゆく、と言ったもの。那須野の深い草原を踏み分けて、はるばる翠桃を訪ねたという意味をこめて、翠桃が餘瀬に隠栖しているその境涯を示唆した。
秋鴉(しゅうあ)主人の佳景に對す
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