時代と共に変わる定義と分類
多数決で冥王星降格、惑星は8個に
国際天文学連合(IAU)総会で惑星数を8個に減らす定義案に投票する天文学者。賛成多数で採択され、第9惑星と位置付けられていた冥王星は「矮(わい)惑星」に降格した(24日、チェコ・プラハ)(時事通信社)
定義と分類は時代と共に変わる。それを教えてくれたのが、むしろ国際天文学連合(IAU)の総会であったのかもしれない。今回は、1つの学問分野の分類上の便宜から冥王星が「惑星」から外されることになったが、この先々で、さらに発見と研究が進めば、この冥王星が再び「惑星」に分類される時が来るかもしれない。
「惑星が8個に」のニュースに悲喜こもごもの声は聞こえてくるが、しかし、このような視点もあって良いのではないだろうか?
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太陽系の様子(産経)
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クライド・トンボーの功績
冥王星が発見されたのは1930年3月13日。ローウェル天文台(米アリゾナ州)で助手をしていたクライド・トンボー(1906~1997)が、星空を写し取った2枚の感光板を綿密に比較してその存在を発見。
今日のような精細な写真技術も、ハッブル望遠鏡のように宇宙のはるか遠方を映し出す技術も無かった時代のことで、ましてコンピュータも存在していなかった。トンボー自身の精根尽き果てるほどの努力による成果であったことは想像に難くない。
その功績は、たとえ、冥王星が「惑星」の分類から外されても、学問上、永く讃えられるべき業績であることには変わりはない。
時代は変われども、先人の業績は変わらず。ふと短稿をめぐらせてみた。
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【筆者記】
ノーベル賞の権威。その高低や価値については様々な論議があるが、それらについては別機会の話としたい。
わが国のノーベル賞受賞者は12名。その内、1968年の川端 康成氏(文学賞)、1974年の佐藤 栄作氏(平和賞)、1994年の大江 健三郎氏(文学賞)の3氏を除けば、他の9氏は理系の受賞者であり、アジアの中では突出している。
初めからノーベル賞ありきで、論文を捏造してまでノーベル賞受賞者を輩出したい国や、平和賞を欲しがるその関連の宗教団体は存在しているが、その国や団体には理系の受賞者はゼロである。
以前に、医学賞の利根川 進博士を訪ねたことがあったが、「賞のために研究しているのではないし、賞を貰おうと意識して論文を書いたことはない」。その淡々とした言葉が思い出される。
無欲で取り組む研究。純粋に「知りたい」と思う絶えざる探究心。そして努力。その延長線上でノーベル賞に出会った。わが国に数多く存在するこのような研究者の活躍に期待したい。
↑
1人でも多くの方に、それが願いです。
お力を与えていただければ幸いです。
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【本編は「博士の独り言」のアーカイブ】
多数決で冥王星降格、惑星は8個に
国際天文学連合(IAU)総会で惑星数を8個に減らす定義案に投票する天文学者。賛成多数で採択され、第9惑星と位置付けられていた冥王星は「矮(わい)惑星」に降格した(24日、チェコ・プラハ)(時事通信社)
定義と分類は時代と共に変わる。それを教えてくれたのが、むしろ国際天文学連合(IAU)の総会であったのかもしれない。今回は、1つの学問分野の分類上の便宜から冥王星が「惑星」から外されることになったが、この先々で、さらに発見と研究が進めば、この冥王星が再び「惑星」に分類される時が来るかもしれない。
「惑星が8個に」のニュースに悲喜こもごもの声は聞こえてくるが、しかし、このような視点もあって良いのではないだろうか?
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太陽系の様子(産経)
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クライド・トンボーの功績
冥王星が発見されたのは1930年3月13日。ローウェル天文台(米アリゾナ州)で助手をしていたクライド・トンボー(1906~1997)が、星空を写し取った2枚の感光板を綿密に比較してその存在を発見。
今日のような精細な写真技術も、ハッブル望遠鏡のように宇宙のはるか遠方を映し出す技術も無かった時代のことで、ましてコンピュータも存在していなかった。トンボー自身の精根尽き果てるほどの努力による成果であったことは想像に難くない。
その功績は、たとえ、冥王星が「惑星」の分類から外されても、学問上、永く讃えられるべき業績であることには変わりはない。
時代は変われども、先人の業績は変わらず。ふと短稿をめぐらせてみた。
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【筆者記】
ノーベル賞の権威。その高低や価値については様々な論議があるが、それらについては別機会の話としたい。
わが国のノーベル賞受賞者は12名。その内、1968年の川端 康成氏(文学賞)、1974年の佐藤 栄作氏(平和賞)、1994年の大江 健三郎氏(文学賞)の3氏を除けば、他の9氏は理系の受賞者であり、アジアの中では突出している。
初めからノーベル賞ありきで、論文を捏造してまでノーベル賞受賞者を輩出したい国や、平和賞を欲しがるその関連の宗教団体は存在しているが、その国や団体には理系の受賞者はゼロである。
以前に、医学賞の利根川 進博士を訪ねたことがあったが、「賞のために研究しているのではないし、賞を貰おうと意識して論文を書いたことはない」。その淡々とした言葉が思い出される。
無欲で取り組む研究。純粋に「知りたい」と思う絶えざる探究心。そして努力。その延長線上でノーベル賞に出会った。わが国に数多く存在するこのような研究者の活躍に期待したい。
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1人でも多くの方に、それが願いです。
お力を与えていただければ幸いです。
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【本編は「博士の独り言」のアーカイブ】
兄博士のブログはあれよあれよと云う間に、ランキング2位にまで昇りつめ極東問題のオピニオンリーダーになられましたね。
最初の頃から拝見させて頂いている者として、うれしい限りです。
どの世界にも嫌なやつが居ますよね。気落ちせず、これからも地道に、地に足をつけて一歩一歩、着実に未来に向けて歩んで行って下さい。
はやおきさんのおっしゃるように、夏休みが終わって学校でお友達(といったら失礼か)に会えたみたいです。
博士弟さんがまたご健筆を振るわれる事を心待ちにしております。
再開されて、とても嬉しいです。
訪問させていただきます。
ところで、少し前にチェックしたところ、
博士のランダムノートを検索しても、
メインが引っかかりませんでした。
嫌がらせでしょうか?
跳ね返すためにクリックします!
博士に何が起こっているのか読者に公開していただく訳にはいかないでしょうか?公開により予防につながるとは思いませんか?
読者が協力できることはありませんか?
ご多忙とは思いますが、ご一考ください。ご本人にお聞きするのははばかれましたので、このブログをお借りいたしました。
がんばってくださいとか無責任なことは言いたくありません。博士の身の安全を第一に考えなければなりません。ご無事をお祈りします。
コメント欄の反映もあのコメントを最後に行われていないようですし。
まずは御身大事に。
しかし、博士とつながっているアーカイブは表示されるわけですから消えたわけではないと考えていますが、何があったのか?
わたしがエンストを起こしている間でも、電話だけは博士から頻繁にあったのですが、今日は無かったので異常に虫が騒ぎました。
みなさんにご心配をかけるようだったら大変なので、これから調べてみます。
何か情報がありましたら、このBBSに教えていただければ幸いです。
まず、ランキングから消えて、記事が消えて、ブログが消えて
という経緯です。
たいへん心配ですが、博士のご無事をひたすら念じております。
博士さんの状態が心配です。
掲示板その他の場所もやはりコメントが無いのが心配です。
もしクラック等でブログが破壊されたとすればその犯人がリンク等を伝って他の場所も削除する恐れがあるので足跡は残しません。
弟様も気をつけられて下さい。