日本支配を目論んだ創価王国構想
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池田大作氏の「正体」
北朝鮮の金正日と「よく似ている」
創価学会員が「永遠の指導者」(会則)と仰ぐ池田大作氏とはどのような人物なのか。創価学会関連の出版物にはさまざまな伝記的な記述が存在しているが、最近のものになるほど「神格化」が著しく、北朝鮮の金正日総書記の生い立ち「伝説」
と重複してくる。
その感慨を抱いていたところ、性格の悪い筆者と同様の認識を述べる記事『徹底比較「創価学会と北朝鮮」』(FORUM21) があったので、本稿に紹介しておきたい。
こうした証言と、一般に指摘されている両者の共通点とを考え併せると実に興味深い。
① 短躯(たんく)で肥満タイプ。
② 人心掌握術に長け、カリスマ性を持つ。
③ 美食家で好色。
④ 大事な局面で姿を隠す、臆病な性格。
⑤ 半島の血、等々。
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筆者が目の当たりにした「池田氏」の印象
「先生にお会いしてもいないのに」と、創価学会員の方からお叱りの声が聞こえてきそうだ。だが、筆者は一般人の一人として、この「池田先生」にお会いしている。若かりし学者の卵であった時期に、やおら研究施設(創価大学ではない)に訪問して来られた「池田先生」を目の当たりにし、話を聞き、直に会話もしているのである。
率直な第一印象を語れば、大変に「落ち着きのない人」であった。視線が定まらず、話も右へ左へと飛ぶ。意味のない質問をしてくる、等々。
それに符合するのは、たとえば、加藤紘一氏らが、テレビ討論などで、何かを警戒するかのようにキョロキョロと視線を動かし、何を喋っているのかおそらく本人も理解していないだろう、との印象を与える様子によく似ていた。
友人に勧められ、それまでに何冊かの池田大作氏の“著作”を読み、それなりの人物像を抱いていただけに、実物を目の当たりにしてガッカリした、というのが正直な感想である。話し言葉の中で、「か行」の発音が聞き取り難かった。そのことも印象に残っている。
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池田氏の生い立ち-もうひとつの分析
伝記には無い「池田大作」像を探るとすれば、読者にはよくご存知の冨士谷紹憲氏による「池田大作帰化人説」が的を得ている。
戸田城聖氏経営の金融会社・営業部長時代の池田氏
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ここで、冨士谷紹憲氏の記述を紹介する(以下、引用):
冨士谷氏によると、父方の本名は成田作(ソンジョンチャク)で母方は池(チ)姓という。
また、池田は昔から
「日本に先祖の墓がない」
「大田区大森海岸の朝鮮の海苔の漁師出身」
「日本語がうまく喋れず、寡黙な男」
と言われているが、学会機関紙「大白蓮華」(2000年3月号)に掲載された池田の人生記録の中で
「父が韓国語を教えてくれた思い出がある」
「私の少年・青年時代には多くの在日韓国朝鮮人の方々との出会いがあった」
「韓日文化交流」と「韓」を「日」の前に記述するなど、
父母が戦前に帰化した朝鮮人であれば納得できる記述が散りばめられている。
(以上、引用)
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近隣の品川に別用があったのだが、若き日の池田大作氏を知る当時の創価学会員らが住む大森を訪ね、複数人の証言をもとに、冨士谷氏の指摘は正確であることを確認できた。
で、「あなたは」と尋ねると口をつぐむ。違う話題にまた口をひらくが、「あなたは」とまた尋ねるとまた口をづぐんだ。およそ証言者らも池田氏と同胞だったのである。
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池田大作氏のこれまでの生きざまを調べ、または見聞するにつけ、「欲」の塊(かたまり)というべき一生であることが筆者には読み取れる。
仏教の教えを紐解けば目に入る「少欲知足(しょうよくちそく=欲少なく知足りる)」の生き方とは正反対の、欲望の権化・亡者の生き方に映る。
そのためには他者を使い捨て、その犠牲も省みない異常なほどの上昇志向と権力欲。金欲と名誉欲の凄まじさには、知れば知るほど背筋の凍りつく思いがし、道徳と美徳を重んずる日本人の血は感じられないのである。
上記の生い立ちにおいて、日本社会に対する激しいコンプレックスと復讐心がつのり、創価学会という新興団体が、その実現にの場となった。そうとらえる方が、すべてがわかり易くなる。
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池田大作氏が目指した「創価王国」
さて、その創価学会とは何か。池田大作氏はこの日本で何をしようとしているのか。その本質を知るために、池田氏が胸の内を吐露した言葉を本稿に列挙したい。
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・「(池田氏)は常に言う『天下を取ろう』と」
(『聖教新聞』昭和27年3月10日)
・「広宣流布(池田氏のいう広宣流布とは仏教とは無縁の、国民のほとんどが創価学会員となる状態)の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できやしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行していきなさいよ」
(『聖教新聞』昭和32年9月6日)
・「広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を結成して」
(『大白蓮華』昭和39年2月号 池田氏に鼓舞された秋谷栄之助氏の発言)
・「池田先生が、日本の指導者として立っていただく」
(『聖教新聞』昭和40年7月26日 同じく北條浩氏の発言)
・「広布(広言流布)の斗(たたか)いで、政党、学校、文化、民音等もできた。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする」(「第一回社長会」昭和42年6月25日)
・「広宣流布への挑戦をしていこう。天下を取らなければ途中の苦労が何にもならない」
(「第四回社長会」昭和42年9月22日)
・「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。(中略)中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ、坊やだ」(「第六回社長会」昭和42年11月25日)
・「(この社長会は)未来の経済革命をしてゆく会合であり、日経連など問題でない」(「第十回社長会」昭和43年3月22日)
・「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」
(「第十三回社長会」昭和四43年7月8日)
・「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」
(『現代』昭和45年7月号)
・「九月の初めに、三泊四日で霧島に行こう。歩いたら大変だ。六十五万坪、文京区くらいあるんだから。独立国を作ろうか。創価王国を作ろうか。帷幕の内に謀りことをめぐらそう、ゆっくりやろう」
(「第五十一回社長会」昭和46年7月20日)
・「本当は全体主義は一番理想の形態だ」
(「第六十一回社長会」昭和47年6月15日)
・「天下をとれることが少し私には見えてきた。天下をとらない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」
(「公明党議員との記念撮影」昭和51年11月16日)
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古くからの脱会者諸氏によれば、上記以外にも同趣旨の発言が無数にあるそうだ。たとえば、「昭和54(1979年)年の「七つの鐘が鳴り終わる」(創立年としている昭和5年をスタートに、7度目の7年目にあたる年の昭和54年までに日本人全員の創価学会員化を目指すとした思想)までに、日本人口のかなりの割合が創価学会信者になっている、と池田氏は周辺に豪語していたとのことだ。
これらの発言の要旨をまとめると、日本国中を創価学会に帰依せしめ、政治では公明党が政権与党となり、日本経済を創価学会系の企業で支配する。それ以外の各界、たとえば、行政、司法、教育、メディア、芸能も創価学会が支配し、これらを全体統括する日本の最高権力者の座に池田大作氏が座る。
これが「永遠の指導者」池田大作氏が率いる創価学会の究極の目的であり、氏が「総体革命」と名づける“日本のあるべき理想像”としていることが読み取れる。
しかし、日本国中の多くの良識の抵抗に遭い、創価学会の布教は頭打ちの傾向を見せはじめたのである。布教の勢いに陰りが見えはじめ、昭和54年にかかげていた創価学会の布教達成が困難とみてか、昭和40年代後半から、布教のベクトルを重点的に海外に向けるようになった。
この時期から、池田氏は「創価王国」という言葉を用いるようになっている。さらに、池田氏の発言を紹介する。
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・「創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう」
(「第二東京本部最高会議」昭和50年6月10日)
・「創価学会さえ健在であれば、全て守られる。日本、世界も。その大前提に立って、世界観、創価学会観を築け。一閻浮提(いちえんぶだい=全世界のこと)の広宣流布のため、世界にも手を打っている」
(「第一回本部中央会議」昭和50年6月16日)
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創価学会と公明党が、言論出版弾圧事件(昭和45年)で社会に謝罪したはずの池田大作氏だが、創価学会には、この時期から社会的な不正が目立つようになった。替え玉投票事件、共産党宮本委員長宅の盗聴事件、リクルート事件への関与、砂利船舶汚職事件、巨額の脱税が摘発された明電工事件への関与、等々。
「創価王国」の王・池田大作氏の名誉と富と権力を守るために、他党勢力を盾にしてまでも同氏の国会喚問を防ぎ、さまざまな暴力や汚職、社会不正すらも、学会の教えは国の法律にも勝るともいわんばかりに、創価学会の「正義」として展開されるようになった。一方、海外の「有名人」も盛んに用いるようになった。
やがて、それは自身の「カリスマ性」の維持と、勲章欲しさの売国発言へと変貌を遂げて行った。
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日本の恥-それは池田発言
ノリエガ氏との会見
ガッチリ握手するノリエガ氏と池田氏
パナマ訪問の際、ノリエガ氏と池田氏とが会見した場所を『ミラドール・イケダ(池田展望台)と命名した』とノリエガ氏が述べたのに対し、
・「大変に光栄です。(中略)中米諸国で内乱とか紛争のある国が多いなかにあって、将軍の指導されるパナマの国にそれがないことは、まことに喜ばしいことです」。
・「(ノリエガ将軍は)パナマと中米の〝柱〟として、平和と安定と繁栄(はんえい)のために活躍なされる方である」。
(「池田大作氏とパナマの最高指導者ノリエガ氏との会談」 昭和60年5月30日)
後に、このノリエガ将軍は、「パナマの麻薬王」として逮捕され、刑務所暮らしの身となった。“すべてを見通せる仏様のような方”と創価学会員が尊敬して止まない池田大作氏が、麻薬王に対して「パナマと中米の〝柱〟として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方である」と言えたのも、その果てしない心の大きさから来るものであろう。
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チャウチェスク氏との会見
池田大作氏との入魂の仲が伝えられたチャウチェスク元大統領
・「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることが、よく理解できました。」
(「池田大作と、チャウシェスク・ルーマニア大統領〈当時〉との会見」
昭和58年6月8日)
そのチャウシェスク氏は独裁者として、6万人以上の自国民殺害に関与した件で、平成元年12月、銃殺(じゅうさつ)刑に処された。すると今度は、
・「民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を私は、両手をあげて祝福いたします。(中略)『民衆が勝った』『人間の叫びが勝った』。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました。」
(「池田大作と、新生ルーマニアのブラッド駐日大使との会見」平成2年1月6日)
創価学会員が、不世出の大指導者として仰ぐ池田氏は、こうした機転の速さも不世出な存在に欠かせないものなのかもしれない。
一般には、これを「自語相違」というのだが。
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中共に国を売り渡す言動
池田氏の弟子・北側一雄国交相と王駐日大使
(観光経済新聞社)
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(以下、聖教新聞より引用)
万代に光る日中友好の金の橋を!池田名誉会長は16日午後2時、中国の王毅駐日大使一行を東京・信濃町の聖教新聞本杜に歓迎(中略)
(王毅駐日大使の)鋭い頭脳と端麗な容姿。「中国外交界のスター」「若き工ース」と称される。(中略)
2003年からスタートした朝鮮半島の核問題をめぐる「6カ国協議」の議長役を務め、優れた外交手腕が高く評価された。(中略)
席上、王大使は、「池田名誉会長は、中国人民が尊敬する、私たちの古い友人です」と語り、1968年の「日中国交正常化提言」など、両国関係の正常化に果たした名誉会長の功績を高く評価。
大使は「名誉会長は『井戸を掘った功労者』です。その素晴らしい貢献は、日中交流の歴史のなかで、大変重要な一ぺージとなっています。
国交正常化の後も、周恩来総理との出会いをきっかけに、日中間に友情の『金の橋』をかけ、教育・文化の面で両国民の相互理解のために多くの有意義な仕事をしてこられました。さらに、アジアと世界の平和のために奔走してこられました。名誉会長は、まさに『友好の使者』であるだけでなく、『平和の使者』です」と共感を寄せた。
名誉会長は、大使の厚情に深く感謝し、周総理が「平和友好の正義の事業は断じて壊さない」と述べたように、変わらぬ信念で両国の友好に進んできた思いを伝えた。
さらに名誉会長は、「私どもが信奉する仏法をはじめ、日本の多くの文化は貴国から学んだものです。貴国は、日本にとって文化大恩の『師匠の国』です」と強調。
その意味で、中国を心から敬愛し、大切にし、その恩義に報いていくところに、日本の正しき軌道がある。その上に立ってこそ、真実の日中友好があり、アジアと世界の平和にも寄与していくことができるとの一貫した信条を語った。
(以上、引用)
(「名誉会長中国の王毅大使と永遠の日中友好へ会談」
(聖教新聞)平成18年2月17日))
中共公安部下の連絡員であり、「中国は死傷者3500万人という巨大な代価を払っており、ほとんどの家族も不幸な経験をしています」(「防衛大学での講演」2005年10月26日)と。
こうしたフェイクを吐いてばからない人物を指して、「中国外交界のスター」、「若き工ース」と聖教新聞に賞賛させ、中共国内で激しく展開されている人命軽視弾圧や知的財産権の著しい侵害、日本に向けられたミサイルに一言も触れずに、「貴国は、日本にとって文化大恩の『師匠の国』です」と世辞を言える池田大作氏は、もはや“仏様のような人物の大きさ”を通り越して、単なる「異常者」でしかないことを指摘しなければならない。
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【筆者記】
1998年8月、江沢民氏が「日本に対し歴史問題を永遠に言い続けよ」と放った言葉は、今や有名になった。
この江氏が、その年の11月25日~30日まで、日本を公式訪問。27日に、迎賓館で池田大作氏と会見している。この会見は20分程度であったにもかかわらず、「池田創価学会名誉会長・江沢民中国主席と会談」と聖教新聞(11月28日)は大きく報道し、創価学会は総力をあげてこの会談を賛美している。
その聖教新聞によれば、池田氏は、終始、江主席並びに中国を讃える発言を繰り広げた。
・「きょうは快晴。主席のお心のように晴天です。大切な訪日を天も祝福しています。二十一世紀へ、今こそ、『心の通う』日中関係を作るべきです。その意味で、私は、主席の『詩人の心』を、多くの日本人に紹介したい」。
(『聖教新聞』平成10年11月28日 以下、同日付)
・「今、貴国も、長い艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、勝利の春を迎えられた。心から、お祝い申し上げます。さまざまな意味で、貴国から『学ぶ』時代に入りました」。
・「(江氏がかつて作った詩を引用し)立派な詩です。政治家には『詩心』が大切です」。
・「文化、宗教のわかる指導者です。主席は、実務上の経験も豊富であり、世界にとって、どれほどの大切な存在か」。
「また主席は、師匠思いで有名です。アメリカでの美談も、うかがっています」。
当然のごとく、中共の矛盾ひとつすら指摘することもなく、ただただ平身低頭に媚びへつらい、誉め言葉を並べて20分が終わったのである。このパターンは上記に挙げた対談と同質のものであり、例のごとく、聖教新聞は、この会談をあたかも世紀の対談であるかのように演出・大宣伝したのである。
池田氏がつまらない世辞を並べる間に、江沢民氏は、国内の健康法集団・法輪功に対する大弾圧を指示し、いよいよ10万人にもおよぶ逮捕・収監と、処刑、臓器狩りが始まろうとしていたのである。
一方、この中共を「親」と仰ぎ、半島に対しては「兄」と仰ぐ池田大作氏が率いる創価学会は、この頃はすでにウリナラの三色をもとにした三色旗の高揚と、対外的な謗日宣伝を激しく展開しはじめている。
海外の権力者には世辞をタラタラ並べ、個人の反対者など弱いものには「自殺に追い込め」と異常なほどに強気になる。この人物のおかげで日本が負ったマイナス要素は大きい。
この人物と創価学会が消散すれば、少なくとも、日本が抱える問題の四分の一以上は即座に解消する。この指摘がなされて久しい。外交面でも、日本に対する特定国の誤解の多くも解消されるに違いない。
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さて、我々一般国民は、これにどう向き合って解決していくべきか、その議論はまた後稿に委ねたい。だが、創価学会はもはや改善不能である。成立の段階から、宗教を看板にした別組織の傾向があり、宗教としての根拠は薄弱であり、創価学会から抜けても「罰」は存在し無い。
本稿に目を通された創価学会員の方がおられれば、日本国民として健全な一人となるためにも、創価学会から脱会されることをお勧めしたい。
筆者は一歩も退かない。短稿ながら。
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【愚弟記】
博士の独り言(兄)の記事復刻を進めています。兄の新記事と併せてご参照いただければ幸いです。
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◆2006.10.01に
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池田大作氏の「正体」
北朝鮮の金正日と「よく似ている」
創価学会員が「永遠の指導者」(会則)と仰ぐ池田大作氏とはどのような人物なのか。創価学会関連の出版物にはさまざまな伝記的な記述が存在しているが、最近のものになるほど「神格化」が著しく、北朝鮮の金正日総書記の生い立ち「伝説」
と重複してくる。
その感慨を抱いていたところ、性格の悪い筆者と同様の認識を述べる記事『徹底比較「創価学会と北朝鮮」』(FORUM21) があったので、本稿に紹介しておきたい。
こうした証言と、一般に指摘されている両者の共通点とを考え併せると実に興味深い。
① 短躯(たんく)で肥満タイプ。
② 人心掌握術に長け、カリスマ性を持つ。
③ 美食家で好色。
④ 大事な局面で姿を隠す、臆病な性格。
⑤ 半島の血、等々。
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筆者が目の当たりにした「池田氏」の印象
「先生にお会いしてもいないのに」と、創価学会員の方からお叱りの声が聞こえてきそうだ。だが、筆者は一般人の一人として、この「池田先生」にお会いしている。若かりし学者の卵であった時期に、やおら研究施設(創価大学ではない)に訪問して来られた「池田先生」を目の当たりにし、話を聞き、直に会話もしているのである。
率直な第一印象を語れば、大変に「落ち着きのない人」であった。視線が定まらず、話も右へ左へと飛ぶ。意味のない質問をしてくる、等々。
それに符合するのは、たとえば、加藤紘一氏らが、テレビ討論などで、何かを警戒するかのようにキョロキョロと視線を動かし、何を喋っているのかおそらく本人も理解していないだろう、との印象を与える様子によく似ていた。
友人に勧められ、それまでに何冊かの池田大作氏の“著作”を読み、それなりの人物像を抱いていただけに、実物を目の当たりにしてガッカリした、というのが正直な感想である。話し言葉の中で、「か行」の発音が聞き取り難かった。そのことも印象に残っている。
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池田氏の生い立ち-もうひとつの分析
伝記には無い「池田大作」像を探るとすれば、読者にはよくご存知の冨士谷紹憲氏による「池田大作帰化人説」が的を得ている。
戸田城聖氏経営の金融会社・営業部長時代の池田氏
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ここで、冨士谷紹憲氏の記述を紹介する(以下、引用):
冨士谷氏によると、父方の本名は成田作(ソンジョンチャク)で母方は池(チ)姓という。
また、池田は昔から
「日本に先祖の墓がない」
「大田区大森海岸の朝鮮の海苔の漁師出身」
「日本語がうまく喋れず、寡黙な男」
と言われているが、学会機関紙「大白蓮華」(2000年3月号)に掲載された池田の人生記録の中で
「父が韓国語を教えてくれた思い出がある」
「私の少年・青年時代には多くの在日韓国朝鮮人の方々との出会いがあった」
「韓日文化交流」と「韓」を「日」の前に記述するなど、
父母が戦前に帰化した朝鮮人であれば納得できる記述が散りばめられている。
(以上、引用)
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近隣の品川に別用があったのだが、若き日の池田大作氏を知る当時の創価学会員らが住む大森を訪ね、複数人の証言をもとに、冨士谷氏の指摘は正確であることを確認できた。
で、「あなたは」と尋ねると口をつぐむ。違う話題にまた口をひらくが、「あなたは」とまた尋ねるとまた口をづぐんだ。およそ証言者らも池田氏と同胞だったのである。
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池田大作氏のこれまでの生きざまを調べ、または見聞するにつけ、「欲」の塊(かたまり)というべき一生であることが筆者には読み取れる。
仏教の教えを紐解けば目に入る「少欲知足(しょうよくちそく=欲少なく知足りる)」の生き方とは正反対の、欲望の権化・亡者の生き方に映る。
そのためには他者を使い捨て、その犠牲も省みない異常なほどの上昇志向と権力欲。金欲と名誉欲の凄まじさには、知れば知るほど背筋の凍りつく思いがし、道徳と美徳を重んずる日本人の血は感じられないのである。
上記の生い立ちにおいて、日本社会に対する激しいコンプレックスと復讐心がつのり、創価学会という新興団体が、その実現にの場となった。そうとらえる方が、すべてがわかり易くなる。
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池田大作氏が目指した「創価王国」
さて、その創価学会とは何か。池田大作氏はこの日本で何をしようとしているのか。その本質を知るために、池田氏が胸の内を吐露した言葉を本稿に列挙したい。
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・「(池田氏)は常に言う『天下を取ろう』と」
(『聖教新聞』昭和27年3月10日)
・「広宣流布(池田氏のいう広宣流布とは仏教とは無縁の、国民のほとんどが創価学会員となる状態)の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少なくとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、ひとつ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布できやしませんよ。ひとつ天下取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行していきなさいよ」
(『聖教新聞』昭和32年9月6日)
・「広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を結成して」
(『大白蓮華』昭和39年2月号 池田氏に鼓舞された秋谷栄之助氏の発言)
・「池田先生が、日本の指導者として立っていただく」
(『聖教新聞』昭和40年7月26日 同じく北條浩氏の発言)
・「広布(広言流布)の斗(たたか)いで、政党、学校、文化、民音等もできた。最後に残ったのは経済だ。これから、この社長会を中心に経済革命をする」(「第一回社長会」昭和42年6月25日)
・「広宣流布への挑戦をしていこう。天下を取らなければ途中の苦労が何にもならない」
(「第四回社長会」昭和42年9月22日)
・「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ。(中略)中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ、坊やだ」(「第六回社長会」昭和42年11月25日)
・「(この社長会は)未来の経済革命をしてゆく会合であり、日経連など問題でない」(「第十回社長会」昭和43年3月22日)
・「警察だって、動かしているのは竹入・井上だよ」
(「第十三回社長会」昭和四43年7月8日)
・「私が教わったのは帝王学だ。私は最高権力者になる。そのときには創価学会を解散してもいい」
(『現代』昭和45年7月号)
・「九月の初めに、三泊四日で霧島に行こう。歩いたら大変だ。六十五万坪、文京区くらいあるんだから。独立国を作ろうか。創価王国を作ろうか。帷幕の内に謀りことをめぐらそう、ゆっくりやろう」
(「第五十一回社長会」昭和46年7月20日)
・「本当は全体主義は一番理想の形態だ」
(「第六十一回社長会」昭和47年6月15日)
・「天下をとれることが少し私には見えてきた。天下をとらない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」
(「公明党議員との記念撮影」昭和51年11月16日)
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古くからの脱会者諸氏によれば、上記以外にも同趣旨の発言が無数にあるそうだ。たとえば、「昭和54(1979年)年の「七つの鐘が鳴り終わる」(創立年としている昭和5年をスタートに、7度目の7年目にあたる年の昭和54年までに日本人全員の創価学会員化を目指すとした思想)までに、日本人口のかなりの割合が創価学会信者になっている、と池田氏は周辺に豪語していたとのことだ。
これらの発言の要旨をまとめると、日本国中を創価学会に帰依せしめ、政治では公明党が政権与党となり、日本経済を創価学会系の企業で支配する。それ以外の各界、たとえば、行政、司法、教育、メディア、芸能も創価学会が支配し、これらを全体統括する日本の最高権力者の座に池田大作氏が座る。
これが「永遠の指導者」池田大作氏が率いる創価学会の究極の目的であり、氏が「総体革命」と名づける“日本のあるべき理想像”としていることが読み取れる。
しかし、日本国中の多くの良識の抵抗に遭い、創価学会の布教は頭打ちの傾向を見せはじめたのである。布教の勢いに陰りが見えはじめ、昭和54年にかかげていた創価学会の布教達成が困難とみてか、昭和40年代後半から、布教のベクトルを重点的に海外に向けるようになった。
この時期から、池田氏は「創価王国」という言葉を用いるようになっている。さらに、池田氏の発言を紹介する。
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・「創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう」
(「第二東京本部最高会議」昭和50年6月10日)
・「創価学会さえ健在であれば、全て守られる。日本、世界も。その大前提に立って、世界観、創価学会観を築け。一閻浮提(いちえんぶだい=全世界のこと)の広宣流布のため、世界にも手を打っている」
(「第一回本部中央会議」昭和50年6月16日)
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創価学会と公明党が、言論出版弾圧事件(昭和45年)で社会に謝罪したはずの池田大作氏だが、創価学会には、この時期から社会的な不正が目立つようになった。替え玉投票事件、共産党宮本委員長宅の盗聴事件、リクルート事件への関与、砂利船舶汚職事件、巨額の脱税が摘発された明電工事件への関与、等々。
「創価王国」の王・池田大作氏の名誉と富と権力を守るために、他党勢力を盾にしてまでも同氏の国会喚問を防ぎ、さまざまな暴力や汚職、社会不正すらも、学会の教えは国の法律にも勝るともいわんばかりに、創価学会の「正義」として展開されるようになった。一方、海外の「有名人」も盛んに用いるようになった。
やがて、それは自身の「カリスマ性」の維持と、勲章欲しさの売国発言へと変貌を遂げて行った。
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日本の恥-それは池田発言
ノリエガ氏との会見
ガッチリ握手するノリエガ氏と池田氏
パナマ訪問の際、ノリエガ氏と池田氏とが会見した場所を『ミラドール・イケダ(池田展望台)と命名した』とノリエガ氏が述べたのに対し、
・「大変に光栄です。(中略)中米諸国で内乱とか紛争のある国が多いなかにあって、将軍の指導されるパナマの国にそれがないことは、まことに喜ばしいことです」。
・「(ノリエガ将軍は)パナマと中米の〝柱〟として、平和と安定と繁栄(はんえい)のために活躍なされる方である」。
(「池田大作氏とパナマの最高指導者ノリエガ氏との会談」 昭和60年5月30日)
後に、このノリエガ将軍は、「パナマの麻薬王」として逮捕され、刑務所暮らしの身となった。“すべてを見通せる仏様のような方”と創価学会員が尊敬して止まない池田大作氏が、麻薬王に対して「パナマと中米の〝柱〟として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方である」と言えたのも、その果てしない心の大きさから来るものであろう。
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チャウチェスク氏との会見
池田大作氏との入魂の仲が伝えられたチャウチェスク元大統領
・「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることが、よく理解できました。」
(「池田大作と、チャウシェスク・ルーマニア大統領〈当時〉との会見」
昭和58年6月8日)
そのチャウシェスク氏は独裁者として、6万人以上の自国民殺害に関与した件で、平成元年12月、銃殺(じゅうさつ)刑に処された。すると今度は、
・「民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を私は、両手をあげて祝福いたします。(中略)『民衆が勝った』『人間の叫びが勝った』。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました。」
(「池田大作と、新生ルーマニアのブラッド駐日大使との会見」平成2年1月6日)
創価学会員が、不世出の大指導者として仰ぐ池田氏は、こうした機転の速さも不世出な存在に欠かせないものなのかもしれない。
一般には、これを「自語相違」というのだが。
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中共に国を売り渡す言動
池田氏の弟子・北側一雄国交相と王駐日大使
(観光経済新聞社)
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(以下、聖教新聞より引用)
万代に光る日中友好の金の橋を!池田名誉会長は16日午後2時、中国の王毅駐日大使一行を東京・信濃町の聖教新聞本杜に歓迎(中略)
(王毅駐日大使の)鋭い頭脳と端麗な容姿。「中国外交界のスター」「若き工ース」と称される。(中略)
2003年からスタートした朝鮮半島の核問題をめぐる「6カ国協議」の議長役を務め、優れた外交手腕が高く評価された。(中略)
席上、王大使は、「池田名誉会長は、中国人民が尊敬する、私たちの古い友人です」と語り、1968年の「日中国交正常化提言」など、両国関係の正常化に果たした名誉会長の功績を高く評価。
大使は「名誉会長は『井戸を掘った功労者』です。その素晴らしい貢献は、日中交流の歴史のなかで、大変重要な一ぺージとなっています。
国交正常化の後も、周恩来総理との出会いをきっかけに、日中間に友情の『金の橋』をかけ、教育・文化の面で両国民の相互理解のために多くの有意義な仕事をしてこられました。さらに、アジアと世界の平和のために奔走してこられました。名誉会長は、まさに『友好の使者』であるだけでなく、『平和の使者』です」と共感を寄せた。
名誉会長は、大使の厚情に深く感謝し、周総理が「平和友好の正義の事業は断じて壊さない」と述べたように、変わらぬ信念で両国の友好に進んできた思いを伝えた。
さらに名誉会長は、「私どもが信奉する仏法をはじめ、日本の多くの文化は貴国から学んだものです。貴国は、日本にとって文化大恩の『師匠の国』です」と強調。
その意味で、中国を心から敬愛し、大切にし、その恩義に報いていくところに、日本の正しき軌道がある。その上に立ってこそ、真実の日中友好があり、アジアと世界の平和にも寄与していくことができるとの一貫した信条を語った。
(以上、引用)
(「名誉会長中国の王毅大使と永遠の日中友好へ会談」
(聖教新聞)平成18年2月17日))
中共公安部下の連絡員であり、「中国は死傷者3500万人という巨大な代価を払っており、ほとんどの家族も不幸な経験をしています」(「防衛大学での講演」2005年10月26日)と。
こうしたフェイクを吐いてばからない人物を指して、「中国外交界のスター」、「若き工ース」と聖教新聞に賞賛させ、中共国内で激しく展開されている人命軽視弾圧や知的財産権の著しい侵害、日本に向けられたミサイルに一言も触れずに、「貴国は、日本にとって文化大恩の『師匠の国』です」と世辞を言える池田大作氏は、もはや“仏様のような人物の大きさ”を通り越して、単なる「異常者」でしかないことを指摘しなければならない。
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【筆者記】
1998年8月、江沢民氏が「日本に対し歴史問題を永遠に言い続けよ」と放った言葉は、今や有名になった。
この江氏が、その年の11月25日~30日まで、日本を公式訪問。27日に、迎賓館で池田大作氏と会見している。この会見は20分程度であったにもかかわらず、「池田創価学会名誉会長・江沢民中国主席と会談」と聖教新聞(11月28日)は大きく報道し、創価学会は総力をあげてこの会談を賛美している。
その聖教新聞によれば、池田氏は、終始、江主席並びに中国を讃える発言を繰り広げた。
・「きょうは快晴。主席のお心のように晴天です。大切な訪日を天も祝福しています。二十一世紀へ、今こそ、『心の通う』日中関係を作るべきです。その意味で、私は、主席の『詩人の心』を、多くの日本人に紹介したい」。
(『聖教新聞』平成10年11月28日 以下、同日付)
・「今、貴国も、長い艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて、勝利の春を迎えられた。心から、お祝い申し上げます。さまざまな意味で、貴国から『学ぶ』時代に入りました」。
・「(江氏がかつて作った詩を引用し)立派な詩です。政治家には『詩心』が大切です」。
・「文化、宗教のわかる指導者です。主席は、実務上の経験も豊富であり、世界にとって、どれほどの大切な存在か」。
「また主席は、師匠思いで有名です。アメリカでの美談も、うかがっています」。
当然のごとく、中共の矛盾ひとつすら指摘することもなく、ただただ平身低頭に媚びへつらい、誉め言葉を並べて20分が終わったのである。このパターンは上記に挙げた対談と同質のものであり、例のごとく、聖教新聞は、この会談をあたかも世紀の対談であるかのように演出・大宣伝したのである。
池田氏がつまらない世辞を並べる間に、江沢民氏は、国内の健康法集団・法輪功に対する大弾圧を指示し、いよいよ10万人にもおよぶ逮捕・収監と、処刑、臓器狩りが始まろうとしていたのである。
一方、この中共を「親」と仰ぎ、半島に対しては「兄」と仰ぐ池田大作氏が率いる創価学会は、この頃はすでにウリナラの三色をもとにした三色旗の高揚と、対外的な謗日宣伝を激しく展開しはじめている。
海外の権力者には世辞をタラタラ並べ、個人の反対者など弱いものには「自殺に追い込め」と異常なほどに強気になる。この人物のおかげで日本が負ったマイナス要素は大きい。
この人物と創価学会が消散すれば、少なくとも、日本が抱える問題の四分の一以上は即座に解消する。この指摘がなされて久しい。外交面でも、日本に対する特定国の誤解の多くも解消されるに違いない。
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さて、我々一般国民は、これにどう向き合って解決していくべきか、その議論はまた後稿に委ねたい。だが、創価学会はもはや改善不能である。成立の段階から、宗教を看板にした別組織の傾向があり、宗教としての根拠は薄弱であり、創価学会から抜けても「罰」は存在し無い。
本稿に目を通された創価学会員の方がおられれば、日本国民として健全な一人となるためにも、創価学会から脱会されることをお勧めしたい。
筆者は一歩も退かない。短稿ながら。
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【愚弟記】
博士の独り言(兄)の記事復刻を進めています。兄の新記事と併せてご参照いただければ幸いです。
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◆2006.10.01に
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例えば、彼女が折り紙で鶴を折って会員のバザーに出品したら、その折り紙の技量が会員みんなから絶賛され、鶴に買い手がつく、といった感じでした。かわりに彼女も学会員の拙い作品をほめちぎって買わないとならないんですけどねー。
しかし、ああいった、努力をしないでも賞賛を受けられ収入も得られるシステムは、代替が思いつきません。普通の価値観の場所では、努力の嫌いな彼女はただの無能者になってしまいますので。
それで結局友人は、池田の人格などどうでも良く、あのシステムに家族ごとどっぷりつかっていれば幸せなのです。
ですから、学会員でない友人の間では、情けないながら彼女の信仰とやらは放置の状態です。スイマセン・・・。
普通の人々の感覚では理解が難しいです。
その何か得体の知れない、パワーのような。
魅力になってしまうんですよ。勿論縁があって
入ってしまった人にとって。
居心地を良くしてしまう。そして快感にさえ
感じるようになれば占めたものなんです。
入会する人達を、そのように洗脳するんです。
それは数を増やす方法です。
とにかく巨大にする。巨大になると、
お金と権力が手に入る。
創価王国の実現が実際の目的ですが。
組織の目的は常人の想像を絶するものですね。
そうした理解不能な宗教団体をカルトと言う他
ないわけですね。
あってはならない組織ということですね。
FORUM21では元学会幹部の乙骨氏が克明に、
世に訴え続けています。
全てを知った者が訴える力は説得力がありますね。
記事を復活していただいて、非常に助かります。さっそく魚拓とっておきます。似たような事件が起こっても、すぐ対処できるように。
お疲れ様でした。どうもありがとう。
およそ宗教とは無縁な人物が考え出した創価学会とは、宗教を隠れ蓑にした税金逃れの集金システム。そして、信教の自由とやらを盾に、不法行為に対しても捜査の手が入り難いことがミソ。マスコミも金の力でがっちり支配。
創価・公明が選挙で勝ってこれたのは、全体の投票率が上がらないため、全員投票の創価票が大きく活きてきただけ。創価学会員以外も全員投票すれば創価はイチコロ。選挙は必ず投票しましょう。