ハイクノミライ

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西東三鬼スタディーズ(1)たとえば、健吉が三鬼を語るとき。

2007-12-09 23:13:44 | 新興俳句スタディーズ
西東三鬼は、もつとも特異な經歴を負つた俳人の一人であります。三鬼の俳句の特異性は、一つには、彼が中年に至つて俳句をはじめたことから來てゐるようです。彼の俳句には、はじめから春性がありません。誓子や草田男や草城より一つ年長ですが、彼が俳句を作り出したのは、昭和六年、數へ年三十二になつてからです。その前は、大正十四年から昭和四年まで、シンガポールで齒科醫を開業してゐました。そのまま順調に進んでゐたら、彼は日本へ歸つてこなかつたかも知れないし、いはんや俳句など作らなかつたかも知れません。ところが、田中大將の濟南出兵を機とする日貨排斥にあひ、その上腸チブスにかかつたりして、商賣不能となり、昭和四年に歸國しました。シンガポールでは、在留のバグダッドやアレキサンドリアの市民を友とし、夜の市街を彷徨し、遠く乳香と沒藥の彼等の國へ永住しようとまで思ひつめたりしますが、勇氣がなく果さなかつたと言つてゐます。わざわざここでこんなことを言ふのは、三鬼の俳句といふものが、そのやうな春の夢の挫折の上に咲いたものであることを、言ひたいからであります。(平畑静塔・山本健吉著『俳句とは何か―俳句の作り方と味い方―』)


『俳句とは何か―俳句の作り方と味い方―』という本は、「学生教養新書」全五十巻中の一巻として、昭和28年、至文堂から刊行された。同じシリーズには、詩の鑑賞書として名高い、三好達治の『詩を読む人のために』(現在は岩波文庫で読むことができる)も含まれている。

なお、本書は平畑静塔と山本健吉との共著であり、前半部の俳句論を静塔が、後半部の俳人論を健吉が担当し、本引用部は健吉の筆によるものである。

実は静塔が語る俳句論の方が、語り口鋭く、僕にとっては示唆されるところが多いのだけれど、それはまた別の機会に。

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