春の雨とは傷口に置くガーゼ
文体は好き。ぎりぎりの文体には色気があるなあと思う。
ただ、いくつかの言葉が定型に置かれている限り、読者はそのいくつかの言葉の間の連関を考えるわけで、「『春の雨』は『ガーゼ』みたいなもんだと言いたいのかな」だとか「春の雨で滑って転んじゃったのかな」だとかいう鑑賞をされるともったいない。
要するに、「春の雨」と「傷口へ置くガーゼ」が巧みな距離感を保ってはいないよ . . . 本文を読む
輪郭の淡き小鳥の卵かな
糸桜鳥のあたまに触れにけり
派手な句は少ないものの、俳句的な「機微」とでもいうべきものを感じる。特に2句目。すごいところを見ているなと思う。些事を些事に見せない業。
スカーフのいつしかほどけ月見草
「いつしかほどけ」なんかは、その言い方自体としては、かなりゆるい。しかし、それに続く下五を「月見草」でビシッと着地して揺るがせない、その力量。
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いつの日か、僕も椅子にふんぞり返って自句自解をするような立場になるのかしらと思っていたところ、こんなに早く実現するとは思いませんでした。
というわけで、以下、自句自解形式でお送りします。
夏の暮とは清盛のものならむ
もともとは「冬の暮」でした。個人的にはかなり好きな句です。
夕蝉よ濡れバスタオル皆つかふ
10年近く前、テレビのバラエティー番組で森口博子が、
「私の家 . . . 本文を読む
春闌ける丁寧に炒る鶏そぼろ
平均作ながら、鶏そぼろ、おいしそう。
朧夜の夢より覚めし身を拭ふ
常套の作り方ながら、上等。
葉桜や先輩として会釈する
スカートを軽く払ひて春惜しむ
こういった軽めの書きぶりが、きっとこの作者の持ち味なのだと思う。
作句信条の中の一文、
「強靭な中にわずかな甘さのある俳句を作りたい」
の「わずかな甘さ」というところ、とて . . . 本文を読む
面白さが分からない、というのが全体を見渡した印象。
棘抜きの数だけ棘のあり 朧
ん??この情景はイメージできるんだけれど、果たしてどこが面白いのか。
絶対神無くて連翹咲き満ちぬ
青葉潮テトラポッドはしづかな牙
語彙がカッコよすぎてついていけない感もある。
絶対1句目は「ホッチキス無くて・・・」みたいな感じの方が、僕は面白いと思うのだけれど。
作句信条にデカルトについ . . . 本文を読む
この人は他の「新鋭俳人」と呼ばれてる人たちとは、ちょっと次元が違う。
つまり、個性がないわけです。
隣のページの田島さんと比べてみるとそれが顕著だと思うんですけど、田島さんには田島さんの文体があります。
句会の最後、作者を発表する段階で「(作者は)田島です」とカミングアウトされると、ああ、田島さんの句か、なるほどな(にやり)となってしまう、そういう文体が、この人にはない。
しかし、彼自身 . . . 本文を読む
先日「炎環」の句会にお邪魔した際、田島さんに「谷くん、早くブログに僕の感想を書いてよ。楽しみにしてるよ」という言葉をかけていただいた。
僕の確信犯的な「いたずら」を大人の態度で見ていただける人たちの存在は、非常にありがたい。お蔭様でちょっぴり遊ばせてもらってます。
一方、僕のいたずらについてホントに激怒しちゃう人たちもいるみたいで、そういう方々はきれいに僕の存在を無視してくださる。
つまり、 . . . 本文を読む
何で2日もブログの更新が滞ってたかって、そりゃあ次が高山れおなだからですよ。
高山れおなと言えば、第2句集『荒東雑詩』での前書きの多用により、僕の頭の中の「前書きの人引き出し」にひとりぼっちで収納されていたわけであるが、どうも前書きの季節は彼の中で過ぎ去ってしまったらしく、さて、彼のためにまた新たな引き出しを用意しなければなるまい。
夏の露 はだれて流れ 易きかな
形式としては『蛇 . . . 本文を読む
鶏の首まつすぐありぬ青嵐
さみだれや擬音ひしめくコミックス
このあたりの季語の斡旋の巧みさは、流石。
まつしろに花のごとくに蛆湧ける
この句は作者と同席した句会で特選としていただいた。
きれいな句。「~に~に」というリフレインもにくい。
籐椅子やひかり退く海の果
「よき伝統」が踏まえられているということを感じる。
虹消えて小鳥の屍ながれゆく
水貝や . . . 本文を読む
さへづりの本気に近き空の色
中七で「本気に近き」と少し隙のあるような、主観的な言い方をしておいて、下五で「空の色」という手堅いところへ落ち着ける。このテクニックはなかなか。
夫眠る躑躅そんなにひかるなよ
後半のフレーズ、ちょっとびっくりした。
「夫眠る」もよく効いていると思う。
蛍火や晩年もけふ忘れぬやう
この晩年を思う感じ。
蛍火が少しおセンチながらも、いいなあ。 . . . 本文を読む