で、ネームにしようと考えるに、はたして筒井先生はこの×××××××××を、はなからナンセンスな記号として羅列したのか、またはきちんと描写してからあえて伏字としたのか、どちらなのか?ということであります。
『バブリング創世記』や『残像に口紅を』の作者であれば、どちらの可能性もありましょう。
しかし、おそらく先生にお聞きしても「忘れた」とおっしゃるであろうことも、想像に難くない(!)。
×××××××××の部分を、漫画としてわけのわからん前衛風のものにすることはいかにもというか賢しらな気がするし、「編集ひとり」であるところのA木さんの期待は、わたくしの水谷零G的側面であることは打ち合わせで嗅ぎ取れたわけで、はて、なじょすっぺ。
そこでわたくし、勝手に『弁天さま』のリメイクと断定する『魚籃観音記』を挿入して、補完しようと思い至ったのでありました。
ところで、ほかの作品を読んだこともなければ、全巻通して読んでいるわけでもないのに、こんなこというのはなんなんですが、いくえみ綾の『潔く柔く』は12巻(最新刊)だけ、ずば抜けた傑作ではありますまいか?
“スカー・ティッシュ(消えない傷)”が子供の幻影となり、それを受け止めたとき、当人のみならず周囲の関係者もが解放されるというプロットの巧みさに、鬼のように感嘆しました。
『罪と罰』のラストのようだし、カサヴェテスの『オープニング・ナイト』〔1975〕のようでもある。
成瀬の『浮雲』〔1955〕をはじめて観たときのような読後感。
基本的にはモラトリアムのメロドラマにすぎないのに、しかし、だからこそ‥‥‥吃驚したのう。
と、またも脱線しつつ、つづく。