怠惰なひな菊

漫画家・萩原玲二(はぎわられいじ)の怠惰なブログ(2006~2019)

赤ひげ診療譚

2014-12-28 01:54:55 | 映画



赤ひげ [東宝DVDシネマファンクラブ]

監督:黒澤 明 原作:山本周五郎 脚本:井手雅人/小国英雄/菊島隆三/黒澤 明 出演:三船敏郎/加山雄三/山崎 努/二木てるみ/内藤洋子/杉村春子 他

モノクロ/185分/シネスコ/音声14ch2ステレオ/字幕:日本語/1965年

東宝


最近、頻繁に近所の図書館を利用するようになって、それはなぜなら、資料的に参照したい幕末のノンフィクションなど、けっこうマニアックな書籍が検索すると蔵書にあるからで、「ぎょぎょっ!あるじゃん!」と予約し、借りてきてはぱらぱら眺め、「なるほど、なるほど」の箇所をこっそりスキャンして満足という生活を送りつつ―――‥‥‥

という流れもありの、ちょっと理由もあっての、今、山本周五郎作品を図書館でまとめて借りて、読んでいるところなのだった。

黒澤映画から甚大な影響を受けている自分としては、当然これまでいくつか周五郎作品は読んではいるわけだが、年の功(!)であろうか、10~20代の読書とはまるで違って、文章ひとつひとつの意図、それによって紡ぎだされる構造(プロット)が、明瞭に理解できるようになっており、気分がよろしい。

で、周五郎先生の『赤ひげ診療譚』と、その映画化である黒澤明の『赤ひげ』を比べて、そのシナリオ化の、アダプテーションの的確さと繊細さに感じ入ったりもしているのだった。

意外なほど、映画は原作に忠実である。
ことに、ダイアログがほとんどそのままなのには驚く。

全体の構造はバラバラにされ、登場人物も増幅されたり、二人を一人に合体させたり、複雑に再構築されているのだが、ダイアログは別人の台詞に横滑りさせたりして、とても丁寧に生かしている。

堀川弘通の『評伝 黒澤明』で、

 もう一つ私が気になるのは、『天国と地獄』からはっきりしてきた現状肯定主義である。新出去定は確かに悪を恐れぬ剛毅なヒューマニストだが、自分が主宰している「小石川養生所」を改革して収容人員を増やし、設備をもっと良くしようとする意欲が見えぬことである。赤ひげは「現在、われわれのできることは貧困と無知に対する戦いだ。それで医術の不足を補うほかはない。それは政治の問題だというのだろう。誰でもそういってすましている。だがこれまで政治が貧困と無知に対して何かしたことがあるか」と確かにいってはいる。この言葉は原作にはない。

とあるが、これは堀川氏の勘違いで、この台詞は、ほぼそのまま原作にある。

 去定は自嘲とかなしみを表白するように、逞しい肩の一方をゆりあげた、「――現在われわれにできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対するたたかいだ、貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない、わかるか」
 それは政治の問題ではないかと、登は心の中で思った。すると、まるで登がそう云うのを聞きでもしたように、去定は乱暴な口ぶりで云った。
「それは政治の問題だと云うだろう、誰でもそう云って済ましている、だがこれまでかつて政治が貧困や無知に対してなにかしたことがあるか、貧困だけに限ってもいい、江戸開府このかたでさえ幾千百と法令が出た、しかしその中に、人間を貧困のままにして置いてはならない、という箇条が一度でも示された例があるか」


映画の感動的な、嬉し恥ずかしなラストシーンの三船と加山のダイアログも、ほぼそのままである。

原作は保本(加山)の自室内が舞台だが、映画では雪解けの光線が反射する晴天の養生所の門前で、このシーンの印象に限っては、映画のほうが圧倒的に優れている。


狂女の話
駆け込み訴え
むじな長屋
三度目の正直
徒労に賭ける
鶯ばか
おくめ殺し
氷の下の芽

↑の全8章から原作は成る。

オムニバス形式の連作を、映画はひとつの流れに組み替えている。
そのアダプテーションのあれこれを逐一解題するだけで、映画学校の講義数回分を消化してしまうのではなかろうか。
小説を脚本にするにあたっての、教科書のような仕事ぶりだと思う。

映画では削除された挿話が、「三度目の正直」(BL!)「おくめ殺し」(ミステリ!)と、「鶯ばか」の一部(サイコパス!)である。

そして、新たに追加されたのが(休憩明けの後篇冒頭からの)、保本がおとよを看病する一連のシークェンスで、ドストエフスキーの『虐げられた人々』から引用している。
原作では、おとよはほんのちょい役‥‥‥

削除された中で、ことに「おくめ殺し」は、一つのプロットとしてがっちり出来上がりすぎていて、映画の流れには容易に組み込めない。
探偵小説のような謎解きに誘導される、皮肉にも『赤ひげ診療譚』の中で最も娯楽性の強い挿話だろうと思う。

自分としては、「むじな長屋」―――映画では山崎努の演じた佐八の挿話の辛気臭さが耐えられず、「三度目の正直」ととっかえてくれ!と思ったりするのだが、佐八の辛気臭い悲恋は、保本登の甘酸っぱい破談と、やんわりと対を成しているので、映画のプロット的には絶対に必要!である。

佐八の死で、保本は仕着せに着替えるのであるからして。

映画という視覚芸術の強みもそこにある。
しかし辛気臭いことには代わりがない!


山本周五郎長篇小説全集 第七巻 赤ひげ診療譚・おたふく物語

“脚注”で、さらに深まる物語の味わい。

新潮社


評伝 黒沢明

名作『生きる』『七人の侍』など数々の製作現場を助監督として支えた著者が初めて明らかにする黒沢明の映画人生と、その横顔。

毎日新聞社




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