はーちゃんの気晴らし日記

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NSP---天野滋氏に思う

2005年09月10日 | 雑談
みなさんは、NSP(ニュー・サディスティック・ピンク)というグループをご存知でしょうか?

私が若かりし頃に流行った曲に
「夕暮れ時はさびしそう」というのがあります。
一時グループを解散し、2002年に16年ぶりにオリジナル・メンバーで復活し、最近まで、コンサート活動を続けていました。
ところが、リーダーの天野滋氏が2ヶ月前の7月1日、脳内出血のため都内の病院で亡くなりました。52歳でした。
昨年初めに大腸がんが見つかり、今年3月12日の東京・渋谷公会堂でのコンサートを最後に治療に専念していたそうです。


19年ぶりの新曲発表コンサートの時の天野氏


天野氏は去年の2月、手術した時、医師に「あと半年、もって2年」と宣告されました。彼は療養を選ばず、コンサートを精力的にこなし、毎回「このコンサートでピリオドかな」と思っていたそうです。
19年ぶりの新曲の披露は、メンバーが「体調悪いからやめよう」と言ったにもかかわらず、全身全霊をふりしぼってのコンサートでした。
そのとき、視力がなくなっていた天野氏は、曲を何度もやり直し、最後に「翌日か翌々日入院します。絶対、帰ってくるから!」と言ったそうですが、そのコンサートがピリオドになってしまいました。最後までファンに、自分の歌のメッセージを送り続けた天野氏は、”これからは、どれだけ生きるのか?”よりも”どう生きるのか?”がテーマです。皆さんも一日一日を大切に!」という言葉を残して他界しました。
メンバーのコメントによると、天野氏は最後はほほえんでいたそうです。

私が何故こんなに天野氏のことに詳しいかというと、友達が天野氏の大ファンだからです。
天野氏が亡くなった当時、友達からこんなメールが来ました。

<天野は、自分の命をかけた活動に満足して旅だったんだと思った。
もともと叙情的な詩は、天野は得意だから、すごいなと思って今までも聴いていたけれど、死に対する恐怖だったり、自分の笑顔を心にきざんでおいてほしいとか、自分の心をヨーグルトに例えて、冷蔵庫に入れて、少しでも腐らないようにしたいとか、死後の世界の宇宙の事など、死ぬかもしれないと思って書いた歌詞だと思うと、どれもこれも、感動だよ。
彼のその心情と、それがわかってからの勢力的なコンサート活動やら、その身体をおしての新曲作りに感涙している。
人間は最後までこう生きるというかね。
去年の冬、大腸がんの手術してから、それが全身にまわっていたらしい。今年は入退院を繰り返していたらしい。最後は脳内出血だったけれどね。すごい人だと思った。すごい生き様だと思った。>


どう生きるかファンへの答えを自分の生きざまで示した人だったようです。




夕暮れ時はさびしそう

田舎の堤防 夕暮れ時に
ぼんやりベンチに すわるのか
散歩するのも いいけれど
寄りそう人が 欲しいもの
あの娘がいれば 僕だって
さびしい気持にゃ ならないさ
まわりの暗さは 僕達のため
あの娘が来るのを 待っている
夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない

夕焼け雲さん 伝えてくれよ
あの娘のお部屋の 窓ぎわに
虫にさされるのは いやだけど
肩をならべて いたいのよ
こんな河原の 夕暮れ時に
呼び出したりして ごめんごめん
笑ってくれよ ウフフとね
そんなにふくれちゃいやだよ
夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない
夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない

おうちの人に おこられるかな
呼び出したりして ごめんごめん
もうちょっとだけ いっしょにいよう

帰りたいなんて いわないで
そうか 君は笑うのが
へたに なっちゃんたんだね
あまり僕を 困らせないで
そろそろ 笑ってくれよ
こんな河原の 夕暮れ時に
呼び出したりして ごめんごめん
笑ってくれよ ウフフとね
そんなにふくれちゃいやだよ
夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない
夕暮れ時は さびしそう
とっても一人じゃ いられない
夕暮れ時はさびしそう
とっても一人じゃ いられない・・・

(作詞・作曲 天野 滋)

ご冥福をお祈りいたします。


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