よんたまな日々

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私たちがウチを買うまで(その1)

2021年06月28日 | 日々徒然
奈良の実家にいた頃は当然、ずっとこの家に住むと思っていた。
就職する時も、家から通える範囲の会社を選んだ。

この時はサラリーマン舐めてました。
以下、商売屋の息子が、誤解していたサラリーマン像。
1. 基本、定時に帰れると思っていた。
だって、サザエさんのお父さんは毎日、夕飯の時間に帰って来ていましたよね。店閉めてからも、売り上げの金額が一致するまで、場合によっては、深夜まで、算盤弾いていた父を見ていて、絶対サラリーマンのほうが楽だと思っていました。配属されたら「24時間戦えますか?」部署で、終電で帰れないこともしばしば。残業100時間超えが普通の部署でした。最近のワークライフバランスはありがたいですね。

2. 異動は希望を聞いて貰えると思っていた。
一応全国的に展開している会社の大阪の部署に入って、そこでずっと仕事できると思っていました。そういう人もいますけどね。今回はこの話です。

3. 年功序列で失敗しなければ普通に出世できると思っていた。
うちの母がしがない小売業の父を嘆いて、「サラリーマンと結婚していたら、今頃、部長さんの奥さんで優雅な専業主婦で、きっと近所の奥さん達と、ランチを楽しむ日々だったのに。」と言ってました。
ごめんなさい、母さん、僕は部長にはなれそうもないです。
あるネット記事で、社会人生活でみんな異動距離は同じで、縦方向(つまり、出世方向)に異動する人と、横方向、つまり、出向や部門間異動を繰り返し、出世しない方向に異動する人がいると書いていたのがありました。
私は典型的な後者タイプで、会社の経歴書で異動歴だけでA4、3枚という、異色の多部門勤務歴を誇ります。
まあ、責任の重い仕事すると潰れそうな気がするし、社内根無草で色々と楽しく仕事させて貰った思ってます。


4. 仕事ができれば、人にペコペコしなくていいと思っていた。
いや〜、もう謝りまくりですよ。サラリーマンの仕事は謝ることと見つけたりという感じです。人の中にいる仕事なので、当然ですね。数を重ねれば、謝ることは辛くない。と思った時期もあったのですが、カスタマー対応で理不尽な怒りに対して謝り続けるのは、心折れます。まさか、自分が鬱の前期症状になるとは思わなかった。

サラリーマンが家を買う話は、転勤をどうするかという話が避けて通れないです。うちの会社では、家買ったら転勤の辞令が下りると言われてます。先輩、後輩、同期見ても、そんな事例はザラです。
私が聞いた一番酷い話は、
「まだ、独身だけど、将来の結婚生活に備えて、金利の安いうちに、分譲マンション買った人が、まだ建築途中に海外赴任の辞令が出て、5年間日本に戻って来れなかった。」
会社が借上社宅として引き受け、しばらくローン分くらいは肩代わりしてもらったそうですが、新築の自分の家に、先に他人が暮らすのはとても嫌です。

だから、落ち着くまでは賃貸が基本だと思います。
私もずっと奈良の自宅から通うつもりが、本人の意向とは全く無関係な辞令で、東京異動になりました。

東京暮らしは、最初は会社の寮でした。
その様子はこの記事に書いてます。
東京で独身寮に入ると聞いた時に、これまでの伊丹の寮や南林間の寮の記憶から、四人部屋とか、四畳一間の部屋を思い浮かべて、すぐに寮を出て、自分でマンション探すと言っていたのですが、入寮してみると、
・十畳一部屋の個室、クロゼット、デスク、ベッド付き。
・賄い付き、平日の朝晩はかなり贅沢なご飯が食べられる。
・風呂トイレ共同。掃除要らずなので、独身男には寧ろメリット。特に風呂は、銭湯並みの広さがあって、明け方に一人で伸び伸び入るのが、とても気持ちよかった。
・バブル時代に作られた寮で、所々無駄に豪華。 

居心地よくて、居付いてしまいました。
ところが、他の寮は、みんなとっとと出て行くのに、この寮だけは、誰も退寮しないので、私が入寮した後で、年齢制限がかけられました。30歳、もしくは入寮5年の長いほうで退去するルールが課せられ、私も34歳が退寮期限となりました。

この記事に書いたように、お見合い50連敗と退寮期限が同時に来たので、どこか住む所をと探し始めました。普通は土地勘のある寮の近くとか探すのでしょうが、それではつまらない。何か面白い場所はないかと、会社のトイレで考えていたら、眼下に広がる隅田川の川向こうに、住宅街が広がっているのが、目に止まりました。当時勤めていたのは、日本橋箱崎町だったのですが、そこから川を挟んだ向こうは、江東区。早速、門前仲町駅前の不動産屋の扉を開き、家探しを始めました。
結果、ちょっと時間はかかったのですが、福住にある小さなアパートに居を定めました。1DK30平米。一人で暮らすには十分な広さです。あと、寝室と食堂台所が分けられるのが、ワンルームよりよく、寝る部屋に食べかすが散らからないのを重視しました。

帰路、永代橋を渡っていると、夜10時であろうと11時であろうと、IBM本社ビルの消えない灯りが背中を照らします。IBMは重要顧客の一つでしたが、「いい加減にうち帰って寝やがれ。」と悪態を吐くのが、帰路の習慣になっておりました。

大家のおばあちゃんが同じアパート内に住んでおり、朝の出勤時は、挨拶して出て行くような感じでした。
ところが、半年ほどして、うちの奥さんがこのアパートに転がり込んできて、飲んで二人で真夜中に帰宅した時とか、足音がうるさいとか、声が大きいとか、よく怒られました。
ある時、一人で外出しようと大家さんの部屋の前を通ると、大家さんが呼び止めて来て、
「あなた、あのお嬢さんはお辞めなさい。ひどいドラ猫じゃないの。女の子はもっとお淑やかなものです。」
と意見されました。
「ご忠告痛み入ります。」とだけ返しました。コイバナの記事にも書いたように、私はその淑女達にひたすら拒否されたのですから。「皮肉と受け取られたら、寧ろ望むところ」くらいの気持ちで返しております。
福住のアパート自体は気に入っていたのですが、二人で暮らすには手狭だったのと、大家さんに嫌われたのを感じて引っ越しました。
引っ越し先は深川のファミリータイプのマンション。もちろん、会社へは歩いて行ける範囲です。
このマンションに引越すに当たって、うちの奥さんのご両親に挨拶し、キチンと籍も入れました。

ここまでは東京で賃貸マンションで暮らしていた話。
この後、大阪での話をしたいと思いますが、随分長文になりましたので、今日はこの辺りで筆を置くこととします。
続きは、またいずれ。


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2 コメント

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会社員 (紫苑)
2021-07-02 08:59:41
自分のことより、愚息にサラリーマン生活に重ねて拝読しました。転勤が嫌で出世するより地域勤務が希望などと言っております。ワタシ自身も実家は商売だったので、母も父がサラリーマンだったらよかったなどと言っていました。サラリーマンも大変ですね。また遊びにきますね。
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Unknown (h_tutiya)
2021-07-03 09:52:08
紫苑さん、いらっしゃいませ。
サラリーマンというのは、給与をもらう仕事だと言っているだけで、実際の生活や転勤状況は、会社によって全然違いますからね。息子さんの職業生活に何か参考になるようであれば、書いた甲斐があります。これからも、応援よろしくお願いします。
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