短い期間でしたが、宮城、岩手の海岸地方を見てきました。
東京へ帰ってきた時と、被災地海岸で感じるのは、ひどい差が存在するということです。
私自身、ほっといても自然に復興作業は、進んでいくと考えていましたが、私の感じから言えば、
被災地は、第二次大戦の終わったころと変わらないと思えるほど、復興どころが、日々の生活に
苦労しておられるなとの思いです。確かに復興の足跡がしているのは、間違いないとおもえます。
例えば、牡鹿半島の月浦、支倉遣欧使節が出発したところで支倉の銅像が、あるところの駐車場に
仮設住宅を建設しています。狭いところにせいぜい10-20戸できればいいほうです。
こんなところにまで、住宅を造らなければならない状態だということです。
被災地の皆さんがどれほど苦しい生活をされているのか、想像に固くありません。
釜石でも、観音様がみえる鉄の記念館に上にも仮設ができています。
どれほど不便かと感じます。
陸前高田も、あの、山を崩して土をベルトコンベアで、街のかさ上げに使おうとしています。
さらに、海の防潮堤にも大量の土砂コンクリートが必要です。
防潮堤も、巨大な防潮堤に囲まれて暮すのがしあわせなのか、考えさせられます。
商店街での人たちは、本当に明るく頑張っておられるのは、救いではありますが、
国全体が、もっと力を入れなければならないと思います。
一本松も、コンベアのせいで、20分以上歩かないといけなくなりました。
根本は通行止めです。
釜石の観音様
遠野の河童渕
東京谷中、玉林寺前、最近車で若者二人で始めたコーヒー店