北の暮らしに役立つ防災コラム&豆知識

防災委員会情報部会((社)日本技術技術士会北海道支部)

「防災雑感」  高宮 則夫(建設・総合技術監理部門)

2006-11-13 10:37:20 | 防災コラム
 私にとって、自然災害の中で最も恐ろしいと思うのは「地震」である。これまで幾度か大きな地震を経験している、何の前触れも無く突如として大地が唸りをあげ揺れる様には、何時も恐怖を覚える。

 若い頃、東京に住んでいると生活のどこかで「地震への恐怖」というものが有った。部屋には必ず懐中電灯等の防災必需品を用意していた記憶がある。特に、地下鉄に乗っている時「もしここで地震が起きたらどうなるだろう」と考えることがあった。
その後、札幌に住んでからは、日常の中での「地震への恐怖」というものは、頭の中からスッカリ消えていた。やはり東京は札幌と違い、いつ大地震が起こるかわからないという恐怖がある。

 このような思いには母親の影響を受けている。私の母は、3才の時に関東大震災を経験し、この震災で屋根から落ちてきた瓦で頭に大怪我をしている。まだ幼子であったにも関わらず当時の悲惨な状況をよく覚えており、私ら子供たちに大地震の怖さについてよく話をしてくれた。このことで、地震への恐怖を植え付けられたものと思う。

 台風や低気圧による暴風や豪雨については、気象予測から警戒発令などが事前に出されることで防災への事前対応や災害への心構えができる時間的余裕があるが、地震はいつ何処で起きるか分からないのでなお恐ろしい。

 最近、某新聞の社説に日本の地震対策に対するショックな記事があった。その概要は「日本はこれまで地震予知に莫大なヒトとカネを注ぎ、予知を前提とした大規模地震対策特別措置法も制定するなど、予知技術を法律で地震防災の柱に据えてきた。しかし、現在の科学レベルをもってしても、いまだ地震の場所と時間を特定した直前予知は困難であるというのが結論であり、さらに、専門家へのアンケートを基にした政府の科学的技術予測でも、防災に有効な地震予知技術が開発されるのは2035年以降とされている」と。また「学識者が予知をして、首相の宣言で新幹線や工場の操業を停止、住民を避難させるというこれまでの対策は、虚構の上につくられたものである」と指摘し、「今、日本の地震災害対策には根本的な政策転換が求められている。それは現実的な防災と減災対策への転換である」と提言している。
日本の地震予知技術は世界の最先端をいっており、間もなく予知は可能になるものとばかり確信していたが、現実はまだ厳しい状況にあるという。この社説での「現実的な防災と減災対策」は、これまで防災研究会が取組んできた研究課題そのものであり、17年4月に発刊した「都市型災害に備えて・・・今、都市が危ない・・・」は、まさに現実的な防災と減災対策についての研究成果報告書である。

 「地震予知」が出来ないとすれば、これまでの防災計画の見直しは必然となる。「予知」を前提とすれば、当然住民や自治体は国の指示待ち対策になる。「予知」ができないとすれば、自治体や消防・警察の対応そして住民の防災意識ももっと現実的なものとなり、いかに被害を小さくそして被災者を少なくするかという「被害管理」に重点をおくこととなる。住民は地域の中で助け合い(共助)、更には自分の命は自らが守るという自助が芽生える。

 平成7年の阪神淡路大震災を教訓として国・地方とも防災計画を策定し、組織体制や危機管理マニュアルなどを整備してきているが、毎年、台風や集中豪雨などによる災害で悲惨な犠牲者が多数発生している。それも社会弱者である高齢者に偏ってきている。

 これまでの様々な災害の反省から見えることは、体制や組織を強化してもそれらは「必要条件」であっても「十分条件」ではないことである。危機管理で大切なのは、防災や危機管理についての「知識」よりも危機に関する「意識」が大事であると考える。「知っていること」と「実際に行動する力」とは同じではない。いざ、災害が起きた時にマニュアルどおりに行動できるかは日頃の防災に対する意識を持っているかどうかである。

 年1回の「防災の日」に限らず、日頃から災害や防災に対する住民意識を高める働きかけを行政はしなければならない。その支援役として、日本技術士会及び防災研究会の大きな役割がそこにあると考える。

 防災研究会は、これからも国や自治体が策定する防災計画の行間詰や、外側からでしか発信できない防災・減災対策を積極的に研究提言し、安心で安全な国土造りを目指し研鑽して行く所存である。

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