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ペットロス・緩和ケア>エゴ

2012年03月23日 09時16分56秒 | ペットロス・QOL

グーグルアラートで

ペットの悩み相談が

入って来た。

内容は差して気に留める

モノでもなく

食糞の悩みだったかと

思う。

しかしそこから

どういった経緯か

飛び飛びで

ペットロスの

飼主さんの手記が

目に触れる事となった。

とてもでは無いが

3行程度を拝読する事が

やっとだった。

しかもその子は2才半にも

なって居ない、まだまだ

若犬。。。

事故でも飼主の不注意でも

なかった。

ショックで呼吸が苦しくなる。

 

像や亀、チンパンジー等ではない。。。

余程の事が起きない限りは

飼主が送る事になる。。。

それはもう定め、どうし様も

無い事だと解る。。。

頭では。。。

が、心が受け入れない。

逆であれば残された子は

悲惨な末路を

過ごさなければならない

だろうとも思う。

 

或る日突然、飼主を

失ったなら

恐らく暫くは戸惑うだろう。

その内に会えない飼主の事も忘れ

新たな生活に順応しなければ

ならない。

しかしその新しい生活は

けしてそれまでの

恵まれたモノではない。

。。。いや、そうとも言い切れない

のかも知れないが

以前の暮らしよりも勝る生活を

得られるのは

ほんの一握りかも

判らない。。。

 

どう考えても

飼主が先に逝く事は

罪だ、

と自分を納得させなければ

気が狂ってしまう。

本当に狂う。

 

イヌの世界では看取る、

という事も介助、介護も

何も無い。

当たり前だが。。。

 

色々思う。

高度医療の恩恵に

与る事が可能な今のイヌ。。。

それが幸せか、と言えば

そうではないかも知れない。

では、そのままが良いのか、

と問われれば

そうだとも言えない。

 

この13年半、事有る毎に

突き当たった「野生」と「現代」の狭間

での悩み。。。

 

イヌは狼からの進化だと

言われて居る様だが

ゆきは遠吠えも忘れて居る。

何百年もかけ家畜化されここまで来た。

身体も相違し、何よりも

これ程までニンゲンに依存し生きる様

仕向けた。

肉食から、限り無く肉食に近い雑食にし

腸の長さまでも変化させた。

何処まで野生を尊重すべきか

解らない。

今でも。

 

。。。13年前、悩んだ。

ゆきの避妊手術。。。

これは野生の狭間で悩んだ部分より

ニンゲンなら病気ではない

子宮は取りませんよね、

と言った獣医の一言が

何年も考えさせられる元に

なる。

その折の考えは

ニンゲンは悪くない臓器を

切除はしない、

しかしイヌは飽くまで

ニンゲンに飼われた動物、

ニンゲンが衣食住全てを

与える。

あらゆる面でそのニンゲンが

支配しても良いのではないか、と。。。

その考えに及ぶまでに5年を

要した。

 

ゆきを迎えての

初めての悩みだったろう。

。。。そしてその悩みは

容を変え、13年間

ずっと付き纏って居る。

 

高度医療に付きも同様。。。

こういった事を考えると

行き着く所は

イヌの幸せとはなんだ?

といった事に集約される。

 

もうイヌの幸せとは、

ゆきは幸せか?

等、無駄な事は考えない事に

したが。

一つ言える事は

ゆきは幸せではない、

という事だけだ。。。

それは横に置いておく。

 

飼主が無理矢理出した結論、

それは、

全てがエゴで幕開けをしたのだから

最期までエゴを突き通す事。。。

ここまでヒトの生活に

食い込ませ、

ヒトに順応させ、

引っ張って来たのだから。

しかし、その時点での現状に因り

ゆきを心身共に苦しめるかも知れない、

と判断されるのであれば

例え抗癌剤で寛解が見込まれ様と

足掻く事はしまい。。。と。。。

今は思う。。。

そう、今は。

 

具合がかなり悪いと

飼主の傍へ寄って来るでしょう?

と言われた事がある。

ゆきは違う。

本当に劣悪な身体の状況の際には

飼主から少しでも離れ様と

試みる。

野生では死を察知したなら

恐らく一頭、群れから離れる

のだろう。

それは弱った身体では

群れに足手纏いになる、

或いは伝染性の疾患では

仲間にうつしてしまう、といった

本能からかも判らない。

ゆきは野生が強い部分がある。

その名残か否か。。。

 

イヌの幸せが何かは

解らない以上、その最期も

どうして良いのか解らない。

 

絶対に忘れてはいけない事。。。

痛い、苦しい、だけは

取り除こう、という事。。。

現代の獣医療を以てすれば

幾らでも可能だろう。

この時代に生まれ、この時代に

ニンゲンと共に生活し、

ニンゲンの為に生きてくれるイヌ。

ターミナルには

その獣医療の総動員をし

苦痛を取り払わせて貰う、

それだけだ。

 

先般、偶々観たテレビに

驚いた。

もしかすると

これがイヌの幸せかも

知れない、と朦げながら考える。

 

フランス原産のハウンド種を

400匹か500匹

飼育をして居る人が映し出されて居た。

犬種名は忘れたが

セントハウンドの狩りの仕方

ではなかった気がする。

良く耳にするのは

イヌは5頭以上になると

それ自体が群れになって

しまう為、飼主の言う事に

耳を傾けなくなる、と。。。

しかし彼等は飛んでも無かった。

食事でのマナーの良さと言い、

争う事も一切無く、

更には彼等の本質である、狩猟に

大所帯で出掛けるのだが

一糸乱れぬ程、統制が取れ

指揮をする飼主の言う事を聞き

素晴らしいモノだった。

きちんとニンゲンの言う事を

聞き乍らも

その様に改良された本領を

思い切り発揮出来る環境に居る彼等。。。

これが当にイヌの幸せなのだろう、

と深く思った。

もし、ゆきがサイトにしろ

セントにしろ、ハウンド系で

あったなら

居ても立っても居られなかった。

雑種であってくれて良かった。

でなければ、何等の意図とし改良された

その子の本領を発揮して

貰えず、その様に改良されたにも

拘わらず、その能力を生かしても

貰えずに才能の芽を摘み取った

自分を今以上に責めたろう。

 

あのイヌは何だったのか。。。

正しく「イヌの幸せ」がそこに

存在した気がする。

 

ゆきがその犬生の終盤に

差し掛かる上で

心して置かなければ

いけない事。。。それは

研究に因り多くのゆきの

仲間達が犠牲になって

くれたお陰で、

今の獣医療の恩恵に

与る事が出来て居る、その子達への供養の

意味も含め、それ等に

身を委ねる事も大事だ。

現に実際相当、与って居るだろう。

。。。しかし、それを

最期の最期まで突き詰めては

いけない、という事だ。

本当にきついであろう、終の刻

には、尊厳を持ち

その事実を受け入れる。。。

心して置かなければ

この自分はどうなって

しまうのか解らない。。。

それだけは

忘れない様、頭に叩き込んで

おこうと思う。