小恵(シャオ・ホイ)は、いわゆる中国残留婦人のひ孫にあたる。ぼくが現場教師を退職し、中国人児童を支援するたの非常勤教員として勤めた小学校で出会った。
彼女は日本生まれだが、家での会話では中国語、学校では日本語を使っていた。ぼくは、その学校に中国にルーツを持つ子どもたちが集える“場”を作ったが、当時5年生だった彼女は子どもたちの「ちょっとこわいお姉さん」的存在であった。
その彼女との会話の中で印象的だったのは、「日本では中国人と言われていじめられる、長期間中国に帰ることがあるが、その時は中国人の子どもたちから日本人とバカにされる。いったい私は何人なのか」と漏らしたときだ。
かようにアイデンティティが揺れていた彼女だが、中学校や高校では、本人曰く「泣きながら勉強がんばった」のだそうだ。で、今回、高校の推薦を得て、私立の外国語大学に合格したということを、小学校に担任に報告し、「いっしょにご飯でも食べよう」言われ、ぼくも誘われたのであった。
待ちわせたレストランで5年半ぶりに再会した彼女は、うっすらと化粧もし、食事でもダイエットを気にする年頃の女性になっていた。
小恵、彼女の友人(中国人)、もとの担任2人とぼく、久しぶりの再会で大いに話は盛り上がった。しっかりとした中国語を身につけ、将来は日中貿易の会社に勤めたいという彼女。おそらくは大学でも真摯な態度で多くのことを学ぶだろう。
帰りがけに「いろいろ世話になったから」と白酒を手渡ししてくれた彼女。ふと見ると瓶には「56度」とあった。この熱い白酒のように、これからも山あり谷ありだと思われる人生を、小恵が熱くを送ってくれることを願わずにはおられなかった。