goo blog サービス終了のお知らせ 

いそのまさはるの教育間欠泉

中学校教師を定年退職し、現在は大学非常勤講師をつとめる立場から、折に触れ教育課題への発言を間欠泉の如く吹き上げます

子どもの“心の闇”に寄り添う

2013年11月11日 | 日記

 元受刑者の更生を支援する企業家による「職親プロジェクト」という取りくみがある。

 そのメンバーであり、建設業を営む草刈健太郎さんは、かつて米国留学中の妹さんが殺されたという経験を持つ。

 はじめてそのプロジェクトに誘われた時、草刈さんは「なんでわざわざ加害者を」と悩んだそうである。しかし、少年院での面接で、結局雇うことになる少年の生い立ちや「おにぎり3つとたばこを盗み、女性のバックをひったくった」という犯罪にいたる貧しい生活ぶりを聴き、「こんな厳しい環境の子がいるのか」と驚かされ、「再犯を食い止めることができるのなら」と採用を決めたのだという。(朝日新聞より)

 我々教師は、学校現場でさまざまな課題をかかえた子どもたちと出会う。中には他の子どもたちや教師に暴言を吐いたり暴力をふるう子も少なくない。そんなとき、教師が表層の言動だけで「困った子」「指導の入らない子」などというレッテルを貼ってしまうのか、それとも彼・彼女らの言動の背景に何があるのかに思いを馳せるのか、そこに教師としての基本的なスタンスが問われている。

 子どもが「荒れ」るのは、厳しい生い立ちの中で心に“闇”を抱え込んでしまい、大人不信に陥ったからである。だとしたら、教師が「『荒れ』に立ち向かう」ことを実践課題とするならば、その子どもにとって信頼に値する大人として対する他ない。

 そのためには、子どもの言動の背景に思いを馳せ、彼・彼女らが生い立ちのなかで抱え込んでしまった“心の闇”に寄り添うことが求められる。もちろん、それは言葉でいうほど簡単なことではない。しかし、「課題をかかえる子の在り様こそが学校や学級の“今”を映す鏡」だと思うが故に、課題を抱える子にこだわる重要性を発信し続けていきたいと思う。