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いそのまさはるの教育間欠泉

中学校教師を定年退職し、現在は大学非常勤講師をつとめる立場から、折に触れ教育課題への発言を間欠泉の如く吹き上げます

学校は地域や社会と同じ空気を吸っている

2016年12月08日 | 日記

 横浜市で、原発事故で福島県から自主避難した中学1年男子生徒がいじめを受け不登校になっていたことが明らかになったと思いきや、次には新潟市で、小学4年の男子児童が、担任から名前に「菌」をつけて呼ばれ、1週間以上学校を休んでいることが明らかになった。この児童もまた、原発事故で福島から家族と避難しており、しかも同級生からもそう呼ばれ、この担任に相談していたのだという。

 横浜市の場合、被害生徒は同級生から多額の金銭を要求されており、父親はいじめ防止対策推進法にいう「重大事態」にあたるとして「法律に基づいて対応してほしい」と学校に訴えたが、学校は重大とは受け止めなかった。

 新潟市の場合は、子どもをいじめから守るべき教師自身がいじめに加担する発言をし、しかもその自覚すらない。何をかいわんやである。

 当然、マスコミは学校や教育委員会、そして当の教師をきびしく批判している。ぼくも、そのことに異論はない。しかしである。

 いじめは決して学校だけの問題ではない。学校は無人島にあるわけではない。地域や日本という社会と同じ空気を吸っている存在なのだ。いじめは子ども社会特有の問題ではなく、大人社会にも存在する。子どものありようは大人たちのつくる社会のありようを映す鏡なのである。だとしたら、いじめ問題を学校内だけの問題とし、教育委員会や学校、ひいては個々の教師のみに責任を押しつけても、いじめのない学校は創れない(もちろん、学校におけるいじめ問題の第一義的責任は学校や教師、教育委員会にある)。

 たとえば、福島の原発事故についていうならば、「被害者は補償金をもらって得している」という言い方が、ネット内だけでなく、リアル社会にも存在している。ここには、弱者が弱者を叩く、被害者があたかも加害者のように叩かれるという、生活保護バッシングと同じ精神構造があり、こうした“論”が、今回のいじめ加害者の生徒や児童に影響を与えていたことは想像に難くない。

 それだけでない。沖縄東村の高江でヘリパッド建設に反対する市民に向けて、大阪府警の機動隊員が「土人」ということばを投げつけたが、大阪府知事は、この警察官を擁護し、政府でも、担当大臣が「差別とは断定できない」と発言。閣議もこれを了承した。

 もしも学校で、ある子が他の子に「土人」という言葉を投げつけたら、教師や学校はどう対処しればいいのか。当の子どもが「政府も差別とは言えないと言っている」と居直ったら・・・・

 悲しいかな、これが今の日本の人権をめぐる状況なのである。これでは学校からいじめがなくなる日は来ない。

 


「児童公園」なのに、ワンパクっ子の声が聞こえない

2016年11月14日 | 日記

 我が朋友・園田雅春氏が、「解放」誌に「公園は禁止づくめで子どもが寄り付きたくなる魅力的な遊び場ではなくなってしまった」と書いているのを見て、「我が意を得たり」と思った。

 というのも、我が家から歩いて1分余りのところにある児童公園の在り様に常々疑問を感じていたからだ。この公園は入り口にわざわざ「児童公園」と明示されている。にも拘わらずバックネットには、大きく「野球禁止」と書かれた看板がつけられている。確かに軟球やソフトボールとバットを使った野球は他の子に怪我を負わすかもしれない。しかし、ぼくが少年だった時から「野球」という遊びは子どもにとっては多種多様なのである。

 少人数でゲームをするための2塁をなくした「三角ベース」。もっと人数が少ない時は、打ったボールを守り手がホームへ投げ、キャッチャーがベースを踏んで捕球すれば「アウト」になるという「たいこベース」というのもあった。3人でなら、2人がキャッチボールをして、それを塁間に見立てて1人がうまくキャッチボールの隙を盗んで盗塁する「はさみ」というのもあった。今どきの子どもにそこまでは望めないとしても、プラボールにプラバット、いや手をバット代わりにするという方法だってあるはず。「どうすれば危なくない野球ができるか」を子どもたちが考えることこそが大切だと思うのだが・・・公園管理者は一律に「禁止」という言葉で野球をしたい子どもを公園から追い出してしまっている。

 野球だけではない。その公園には町内会の防災倉庫が置いてあるが、そこはワンパクっ子たちの格好の遊び場でもあった。一度など、屋根に上っている子に「危ないよ」と声をかけたら、「百人乗っても大丈夫」と言われ、思わず笑ってしまった。しかし、今はその倉庫の横の木に「屋根に乗るな」の紙がぶら下がっており、上って遊ぶ子は見かけない。遊びには常に危険が伴っている。子どもは遊びの中で危険回避の身体術を身につけるものなのだが・・・


 また、その公園は道路より高くなってあり、子どもが段ボールを尻に敷いて斜面を滑って遊んだのだろう。草が擦り切れ、地面が顔を見せた跡が残っていた。しかし、しの遊びにもただちにその近くの木に「滑るな」の貼り紙がされ、滑る子はいなくなってしまった。


 それにしても、どうしてこうも命令口調のオンパレードなのだろう。この公園、ご近所の方のボランティア清掃でゴミ1つ落ちていない。しかし、大人による管理が進み、子ども、とりわけワンパクっ子たちの声が聞こえない「児童公園」になってしまっている。


「七」を「ヒチ」と発音するのは「間違い」か?

2016年10月24日 | 日記

 最近、小学校一年生の授業を見せてもらう機会があった。

担任は新卒2年目の女性で、教科は国語。漢数字の読み方を学ぶ授業だった。

「一」から始まって、日本語の漢数字には単位によって読み方の変わる場合もあることを学んでいく。で、「七」になったとき、教師の「読んでみましょう」に指示に続いて、子どもたちが大きな声で発音したが、よく聴くと「シチ」という声と「ヒチ」という声が混じっている。そのことに気がついた教師が、それぞれどう言ったか手を挙げさせてみると、「シチ」派と「ヒチ」派はほぼ同数だった。

関西、特に京都では「七」を「ヒチ」と発音する。それだけではなく、「シ」と「ヒ」の区別が標準語と違うのだ。例えば「質屋」は「ヒチ屋」だし、「布団は敷く」を「ヒク」と発音する。もちろん、「京阪電車の「七条駅」は「ヒチ条駅」ということになる。生粋の京都人であるぼくなどは「職員室」を「職員ヒツ」と発音するぐらいだ。京都に近いその町は京都文化の影響をうけやすかったのかもしれない。だからこそ小学生の中にも「七」を「ヒチ」と発音する子どもいたというわけだ。

で、その授業だが、教師は「ヒチは間違っています。正しくはシチです。書くときも、発音するときもシチと言いなさい」と説明した。ただ「話すときはヒチといっている人もいるとい思いますが」と付け加えはしたが。

ぼくは、教師のこの説明に違和感をもった。「七」を「ヒチ」と発音するのは、明らかに方言だし、子どもたちが家庭の中で親たちとの会話のなかで 身に着けたものだ。これを「間違い」というのは、明らかに間違っている。もちろん、標準語でどう発音するかは教える必要がある。学習言語が標準語である以上、そのことは避けられない。しかし、その場合、日常会話の中にある方言をどうとらえ、子どもたちにその違いを「間違い」としではなく、標準語と方言に優劣をつけるのではなく、どう説明していくかということが大切だと考えさせられた。

かつて、沖縄の学校現場では標準語が強制された歴史があるが、方言でしか表せない気持ちの機敏というものもある。方言を「間違い」とはしない授業のあり方を考えさせられた授業ではあった。

 


講演後の「質問」に答える難しさ

2016年09月15日 | 日記

 仕事がら研修の講師など、講演を頼まれることが多い。で、その講演の最後に「質問に答える」時間が用意されていることがある。実をいうと、これって話す側すると結構難しいのだ。

 質問者が質問している間に、その要旨や質問者がそこに込めた思いをくみ取らなければならない。同時に、すぐに答えられるように頭のなかで答える内容を組み立て置かなければならない。この二つを同時進行的にしなくてはならないので、司会者などが思っておられるほど簡単なことではないのである。

 で、ときにはうまく答えられず、帰りの電車の中で「ああいえばよかった」「「こういえばよかった」と反省することしきり、重たい気分になってしまうこともある。

 今夏、ある市で行われた経年3年の若い教師を対象にした研修でもそうした体験をした。

 講演のテーマは「学級集団づくり」だったが、講演後の質問で、一人の男性教師が「クラスの子どもたちの中に敵対関係があって、一方が暴力をふるい出席停止にせざるをえなかったが、こういうことはどう考えたらいいのか」と発言した。しかし、ぼくは彼の発言を聴きながら、その要旨が十分に把握できず、「出席停止の是非」を訊かれていると思ってしまい、ずいぶんと的外れな答えをしてしまった。彼が納得していないことはあきらかだった。

 で、例によって重たい気分で電車に乗っていてハタと気が付いた。彼が訊きたかったのは、「同じクラスの子に暴力をふるう子がいるなかで学級集団づくりをどうすればいいのか」ということだったのだ。

 だとしたらぼくの答えはこうだ。まず、その暴力をふるう子の心の中に何があるかを考え、その闇に共感しながら、暴力という誤った行為は厳しく批判すること。そして、同じクラスの子に暴力をふるうということは、クラスの中に、不寛容な世相を反映して、「非行」に走る子を排除しようという空気があることが、その子の暴力の矛先をクラスに向けさていると考えられるので、そこに切り込むという学級づくりの課題があると・・・・

 その質問の後すぐにはこう答えられなかったぼくは、まだまだ未熟な講演者だ。


「振り返りカード」で学生の内面にコミットすることをめざす

2016年08月04日 | 日記

 ぼくは大学での講義の際に、受講している学生に「振り返りカード」を書いてもらっている。内容は講義を受けて考えたこと、質問など何でもOKということにしている。「恋愛相談でもいいよ」と言っているけど、まだ恋愛相談を書いてきた学生はいない。

 ぼくがこの「教育実践論」を担当することになった時に思ったことは、「たった15回の講義だけど、学生たちが教師として現場にた立った時に『影響を受けた』と感じてくれる講義内容にしたい」ということだった。例えにあげるのは面はゆいが、わずかな期間で明治維新の中心的な担い手を輩出した吉田松陰の松下村塾のようになりたいと思ったりもした。

 で、少ない時間で学生との交流を図り、その内面にコミットするために考えたのが「振り返りカード」だった。ぼくは、その「振り返りカード」に毎回返事を書くことで、個々の学生と深くつながることをめざしてきた。

 今年の受講生は60人。一週間で全員の「振り返りカード」に返事を書くのは結構厳しかったが、やりとげた。最後の講義は「与えられた課題でレポートを書く」ことに充てているので、全回出席した学生でも提出するカードは14枚。しかし、最初はありきたりのことが書かれているカードが多かったのが、こちらが真摯に返事を書いていくと、回を追うごとに自分の考えやこれまでの体験、時にはプライバシーの吐露など、深い内容が書かれたカードが増えていった。

 そんなカードの中に毎回のように自分のことを書いてきたHという女子学生がいた。彼女はどうも自分に自信がなく、教師になるかどうかは迷っているとのことだった。ある日の「迷っている」と書かれたカードに、ぼくは「迷っているのは誠実な証拠。そういう人にこそ教師になってほしいと思います」と書いた。というのも、昨今の若い教師の中に、上から目線で子どもたちを見て、根拠のない自信を見せる人が少なくないと感じていたからでもある。

 また、講義の中で、ぼくが「若者の存在は組織のビタミン剤だ」と発言したのを受けて、「私がビタミン剤になれるとは思えない」と書いてきたこともある。その時、ぼくは返事に「ビタミン剤だという意味には二通りあって、一つは自ら積極的に活躍し組織を活性化させるというもの。二つめは、周りの人に『支えてあげたい』と思わせて、結果として組織を活性化させるというもので、君は後者だと思います」と書いた。

 そんなカードのやりとりも14回目の講義で終わり、最終講義はレポート作成だった。その日は、書けた者から提出して退室していいことにしていたのだが、彼女は一番最後に提出した。で、「レポートは返してもらえないんですね」と訊き、「そうだ」と答えると「写真に撮っておきたい」と言ったので許可した。そして、レポートを渡しに来たので、「まだ教師になるか迷っているんだったね。あと1年、しっかり迷って決めたらいいよ」というと、「はい」と頷き、「カードの返事を毎回楽しみにしてました」と言って、教室を出て行った。

 そんな彼女の後ろ姿を見ながら「振り返りカードをやってよかった」と思ったぼくだった。