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いそのまさはるの教育間欠泉

中学校教師を定年退職し、現在は大学非常勤講師をつとめる立場から、折に触れ教育課題への発言を間欠泉の如く吹き上げます

運動会・徒競走とジェンダー

2017年09月11日 | 日記

 体育の日を前に、秋の運動会シーズンがやってきた。女の子も男の子も、障がいのある子もそうでない子も、外国にルーツのある子も、みんなが一生懸命にに走り、力を合わせて演じるのは見ていて微笑ましい。

 ところが、ある市で教育長が徒競走を男女別にするように「指示」を出し、学校現場にとまどいが広がっている。実はこの教育長、夏休み前には「プール開放では、子どもを能力別に分け、記録が伸びるようにすること」という「指示」を出し、それまでの子どもたちが楽しく水に親しむという「プール開放」に文字通り水をさした御仁なのである。

 「新自由主義」「競争」を旗印にした某政党推薦の市長が任命したこの教育長、学校現場に「競争」を持ち込むことに熱心なだけでなく、「男女共生教育」に無理解であるばかりか、それを「組合的な考え」だと曲解している風がある。

 もちろん、徒競走や「プール開放」をめぐって、教育長の個人的な考えも含めてさまざまな考え方があることは当然だ。しかし大切なことは、学校現場で教職員が話し合い、その学校における実施のスタイルを作り上げていくことだ。それを教育実践のこまごまとした部分にまで、一片の「指示」で、学校現場に変更を求めるやり方は、学校現場から創造力や「やる気」を削ぐ。 それは学校の「死」を意味することになると思うのだが、件の教育長には、そうしたマクロ的な視野はないらしい。「地方分権」を掲げながら、その政党の下ではむしろ「権力集中」が進む今日の自治体の象徴的な出来事ではある。

 で、気になって、昨年度の「全国体力・運動能力等調査」の結果を見てみた。それによると、小学校5年生の50m走の平均記録は、男子が9.38秒、女子が9.61秒で、その差はわずか0.23秒である。4年生以下ならもっと差は小さいと考えられる。0.23秒とは、男子が走る距離にすると約1.2mということになる。もちろん、男子平均より早い女子や女子平均より遅い男子もいるわけで、男女がいっしょに走っても、上位が男子ばかりで占められることはなさそうだ。だからこそ、その市の多くの小学校で男女がいっしょに走る徒競走が長年にわたって行われてきたのだろう。

 その教育長が、そうした実態を踏まえて、「男女別で」という「指示」を出したとは思えない。むしろ「男女いっしょに」というやりかたを「組合的だ」としての「指示」だったのではないか。だとしたら、学校現場は、「男女共生教育」の観点だけでは、その「指示」を跳ね返すことは難しい。「調査なくして発言なし」。上記のような事実を学校ごとにしっかりつかみ、「小学校においては、分けなければならないほどの男女差はない」ことをもって教育長を説得することが大切なのではないか。もちろん「上位が男子であるか女子であるかは関係ない。そそも競争させることが問題だ」という考え方も成り立つことはいうまでもない。

 


大阪市立大笑小学校

2017年07月14日 | 日記

 大学で担当する「教育実践論」の講義も残すところあと2回。で、ここまでの講義のまとめとして、学生たちを4人グループに分けて、それぞれで「理想の学校」を考えてもらった。

 考えてもらったのは、まず「学校名」。当然そこには「どんな学校にしたいか」という思いがこもっている。次に、その学校でどんな子どもを育てたいかを「めざす子ども像」として3つ挙げてもらっとた。そして、そうした子どもを育てるための教育実践を考える。これは、全国の小中学校のほとんどがHPを持ち、そこには「めざす子ども像」が掲げられてはいるが、それをめざしたものとして教育実践が紹介されている例が少なかったことを踏まえてのぼくからの提起であった。そして、最後に、その学校をアピールするキャッチコピーを考えてもらった。

 席はいつものことだが、ぼくが名札をアトランダムに置いて座ってもらう。そうしてできた前後左右の4人で1グループを作る。ここまで何度もやった方法なので、学生たちも慣れたもの、欠席者がいるところは詰めて9グループができあがった。

 話し合いを進める学生たちはとても楽しそうで、あちこちで笑い声がおこりながら、議論が進む。全てのグループで課題が達成できたことを確認し、「発表者は、『〇〇小(中)学校の校長の~です』と自己紹介してから発表すること」と指示してプレゼンに移った。

 今年の「理想の学校像」で、ひときわ学生たちの注目を集めたのが「大阪市立大笑小学校」。その名の通り「めざす子ども像」も「笑い」と結びつけて作られていた。曰く「自ら笑いを発信する子ども(クラスの雰囲気が明るくなる)」「どんな笑いも拾うことができる(コミュニケーション能力)」「みんなで笑いを作り出す(協力)」。そして、そんな子どもを育てる教育実践はというと「先生が常に笑顔」だという。いわずもがな教師の笑顔には教育力があるとぼくも思っている。何よりも笑顔いっぱいの教師は、子どもたちの自尊感情を育むロールモデルともなる。さらに発表者が「学校のキャッチコピーは『いじめ0! 笑顔100!』です」と言ってプレゼンを終えた時、学生たちから明るい笑い声と大きな拍手が起こった。

 さて、どのグループにも共通していたのは「子どもたちの自主性を大切にしたい」という思いだったが、学生たちが教師になった時、決して学校現場は楽観できない。彼の「大笑小学校」をわざわざ大阪市立としたのは、吉本新喜劇が念頭にあったのかもしれないが、もう一つは大阪の学校現場の厳しさを知っているが故に「笑いを」と考えたのかもしれない。いずれにしても、学生たちには、学校現場でしなやかにかつしたたかに教師稼業を楽しんで欲しいと願っている。


「教育勅語」の復権をめざす人たちのアナクロニズム

2017年04月04日 | 日記

 いわゆる「森友問題」が表面化していらい、「教育勅語」を肯定する人たちの発言が相次いでいる。もっともそういった戦前回帰をめざす人たちは、決して「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」(万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ<ウイキペディアより>)という「教育勅語」の本質には触れない、というか意図的に隠している。

 で、曰く「教育勅語にはいいところもある」というわけである。これは戦前回帰をめざす人たちの常套手段で、自分たちが本来復権させようと思っているが、未だ国民の支持を得れないことは隠して、言葉尻だけで受け入れらそうなことを持って「いいところもあった」と喧伝していく。そして時間をかけて本質の部分をも受け入れさせることを企図しているのだ。

 しかし、彼らのいう「いいところ」は、本当に「いいところ」なのか。彼らは「父母に孝行」「兄弟は仲良く」「夫婦は協力」などが「いいところ」だという。しかし、こうした徳目はどのような社会状況の中で掲げられたのか言うことをしっかり押さえておく必要がある。

 そもそも「教育勅語」が発布された1890年における日本の産業構造は、第一次(農林水産業)従事者が75%前後。全家庭の4分の3程度が農家だった。また、都会の勤労家庭でも夫婦の共働きなどはほとんどなく結婚した女性の大半は専業主婦であった。

 そのような家庭の状況の上に、父親を中心とした家父長制と長子相続が家庭の在り方の基本をなしていた。戸主たる父親は家族対する絶対的な権限を有し、明治憲法下の旧民法で家族の婚姻や養子縁組に対する同意権を持っていた。また、妻は「禁治産者」とされ、個人で契約を結ぶことはできなかったし、刑法上、妻だけに姦通罪があった。制度的にも男尊女卑で貫かれていた時代であったのである。

 戦前回帰をめざす人たちのいう「教育勅語」の「いいところ」というのは、こうした男尊女卑社会、家父長制を前提にし、そこに異議をとなえない「父母に孝行」「兄弟仲良く」「夫婦は協力」なのである。これが、男女共同参画社会、個々の人格を大切にする現代社会とマッチするはずもない。

 TPPをみてもわかるように、日本の保守政治家は今以上に日本の農業を破壊し、農業従事者の減少させる政策を進めている。また、勤労家庭でも、父親のみの給料で家族の生計がなり立つようにはなっていない。さらに長時間労働で家庭における父親の存在は低下し続けている。こうした状況をより進めていきながら、精神だけは戦前に回帰させようとするのはアナクロニズム以外の何物でもない。

 ましてや、「教育勅語にもいいところがあった」とうそぶく女性保守政治家が、実は戦後の男女平等と個人の自由化の進展の中で誕生した人たちだということは滑稽ですらある。

 

 


ある教え子との出合い直し

2017年02月13日 | 日記

 教師をしていてうれしいことのひとつに「教え子との再会」がある。

 もちろん街角で出会って、少しの時間立ち話をするだけでも十分にうれしいことなのだが、自分自身の「生き方」と教え子の「生き方」がクロスして出会う、ある意味では出会い直したとき、出会いがしらの再会の何倍もうれしいものである。

 そんな再会がこれまでも幾度となくあった。ぼくが教職員組合の役員をしているとき、組合運動の中で再会したNさん、もんじゅ反対の現地闘争で再会したPさん、大学の講義のゲストティーチャーに招いた障がいのあるYさん、さらに同じ教師として再会した教え子は数えきれない。

 ごく最近32年ぶりに再会したUさんも、そうした「生き方」を通して出会い直した一人である。

 FBの友だちが「いいね」とつけていた投稿に「無認可保育園と子ども食堂を運営し、認可小規模保育園の設立をめざす」というのがあり、その代表者として紹介されていたのがUさんだった。姓は変わっていたが、名前と顔写真を見たとき、「教え子のYさんではないか」という思いが芽生えた。そこで、その子ども食堂に顔を出しているという知人に確認してもらい、Uさんが教え子Yさんであったことがわかった。

 で、先日その知人といっしょにその子ども食堂を訪れ32年ぶりの再会となった次第である。写真だけでも中学生時代の面影はあったが、会ってみると、素敵な笑顔は当時そのままであり、その日の夕食メニューであるハヤシライスとじゃがいもサラダを食べながら彼女の話を聴かせてもらった。

 我々が話している部屋にときおり顔を出す子どもたちに声をかけ、いろいろな事を伝えに来るスタッフと受け答えをしながら、彼女は2時間にわたって「子ども食堂」の日常や「認可小規模保育園設立」にかける思いを熱く語ってくれた。なかでも、ぼくの心に響いたのは、その設立に向けたとりくみを支援する人々の中に、もちろんぼくもよく覚えている中学当時“やんちゃ”やった人がいるということだった。

 そんな話を聴きながら、ぼくは、彼女を担任していたときのある出来事を思い出していた。

 ときは1983年。日本全国の中学校が「荒れ」ていた時代。ぼくの勤めていた中学校も御多分にもれず「大荒れ」だった。で、その年の4月、我々教師集団は、生徒や保護者・地域に「『あれ』に立ち向かう」ことを宣言した。ぼくがUさんを担任したのは、そんな時代であったのである。

 あるとき、ぼくが自分のクラスで授業をしていると、廊下を一人の“やんちゃ”な男の子が通った。「エスケープしたのでは?」と思ったぼくは、授業を中断し、生徒たちに「しばらく待っているように」指示して、彼を追いかけた。今や彼とどんなやりとりをしたかは覚えてないが、彼を教室に戻し、自分の教室に戻ったのだった。

 教室の戻ってみると、なんと生徒たちが自主的な話し合いをしていたのである。ちょうど議長役の学級代表の生徒が「先生だけに任せておかないで、自分たちが何かしないといけないのでは」と話している最中だった。このときのぼくの「我が意を得たり」感は34年たった今も忘れていない。

 こんな生徒たちであったからこそ、当時の“やんちゃ”な子らとUさんたちとのつながりは今日まで続いてきたわけで、当時「『非行』はしんどいことに負けた姿」「立ち直りを支えられるクラス・学年になろう」とよびかけたことが間違いでなかったと再確認できたUさんの話だった。

 帰ってから、その再会を投稿したFBにUさんが「先生の教えを守って、ぶつかりながらもまっすぐ歩いていきます」とコメントしているのをみて、当時30代、「『荒れ』から逃げない」ことをモットーに走り回っていたぼくは、生徒たちにも同じことを求めていたんだなぁと苦笑いしてしまった。

 時代は下がって2000年代初頭、教師として晩年のぼくのモットーは「がんばらないけどあきらめない」だった。生徒たちにも頑張りすぎないように話していたし、それで救われたという手紙をくれた生徒もいた。時代は明らかに不透明で不安定な方向に向かっているからでもある。

 今、出会い直せたUさんにぼくはどんな言葉をかけるべきか。「がんばり過ぎに気をつけながら、あきらめずにゆっくりと進んででいってほしい」。これからもなにかしらの関わりができたらいいと思っているUさんの「生き方」である。

 


多くの中学生が欠席した大阪府チャレンジテスト

2017年01月19日 | 日記

 過日行われた大阪府の「チャレンジテスト」に生徒の多くが欠席した中学校があることがマスコミで報じられた。

 で、読売テレビの夕方の番組である“ten”でもこの問題を取り上げていたが、MCである局アナやほとんどのコメンテーターが、ある中学校で生徒からの「内申に影響があるのか」という質問に、教師が「ある」と答えたことを取り上げて、教師を批判し、「テストとは自分の苦手なとろを明らかにするものだから、教師は『内申に影響する』などどいわず、生徒に受けるように励ますものだ」という趣旨の発言をしていた。

 そもそも大阪府がチャレンジテストなるものを実施したのはなぜか。

 文科省が実施する全国学力調査は、本来の主旨を外れて各都道府県が全国で何位であるかということばかりが注目されている。常に「低位」にある大阪だが、教育委員会が全国平均より低い学校の校長を集めて叱咤激励してみたが、大きな変化はおきなかった。で、業を煮やした委員会が考えたのがチャレンジテストだったのである。さらには、そのチャレンジテスト対策に独自のテストを実施する市町村まで現れた。学校で生徒たちは、定期テスト以外に市町村ー府ー国といった数多くのテストを受けなくてはならず、疲れ切っているというのが実態なのである。

 確かに、テストには「自分が分からないところを明らかにする」という面があることは否定しない。が、大阪府のチャレンジテストは、そのような「きれいごと」でおこなわれているのではないのだ。府のHPにも掲載されているが、府がチャレンジテスト実施の意義として掲げていることのなかに、「調査結果を活用し、大阪府公立高等学校入学者選抜における評定の公平性の担保に資する資料を作成し、市町村教育委員会及び学校へ提供する」ということがある。ありていに言えば、各学校で定期テストを基に作成された絶対評価である内申点がチャレンジテストの結果と合致しているかを点検するとしているのである。こうなれば、範囲の定めれた定期テストの点数より、範囲のないチャレンジテストの点数が低い生徒の内申点は下がらざるをえない。教師が生徒の質問に答えて「内申に影響する」といったことは間違いではないのである。また、こうしたことを踏まえて、進学塾の中には「内申点を下げない」ために、「チャレンジテスト受けない」ことを生徒に勧めているところもあるといういう。

 全国学力調査やチャレンジテストめぐって大阪の学校現場はかように疲弊しているのだ。

 マスコミがチャレンジテストの欠席者の問題を取り上げるのなら、その背景にあるこうしたさまざまな問題まで掘り下げるべきではなかったのか。「テストとは~」という表層のきれいごとや、ましてやお決まりの教師批判ですます"ten"に、単に政治問題だけでなく、あらゆる分野における今日のマスコミの劣化を見る気がしたのは決してぼくひとりではないだろう。