第A0016号
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A15.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開(3)からの続きです。
A19.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開(5)へ続く。
令和5年度版
*対策・準備を優先させる【ゴミ屋敷】、人間への偏見が悪化する『屑バブル』。【12月3日・日】
{実存主義や構造主義やポスト構造主義で生じる}付加価値(積み上げ)に惑(マド)わされないで
{実存主義からおざなりにされ始め、ポスト構造主義においてなおざりにされてしまった}
本質
(誰もが{特定されない}人間である:個別勝手な土台を持つ:起こってしまう{人間に責任の無い}事態に対処する{対策・準備を更新させる}パラレル対応)
を重要だとして集めた【ゴミ屋敷】と、
【パラダイム論】が{前後が反転した時間認識が前進する時間認識になって}修正されるまで
{反面教師が意識されず、対策の優先が出来なくて、人間(人間としての本質:無力で、責任など負わされても困る、対策・準備の更新を優先すべき存在)への{厄災の原因が{特定の}人(『日本人』や『AくんやBさんやCちゃん』)にあるとする}偏見(責任追及の用意:生贄の選定)が悪化し、魔女狩り(犯人捜し:反省転嫁)が行われるばかりで}
暴(アバ)かれない『閉塞バブル(特定の土台の上でだけ物事が積み上げられる)』や『スリ変えバブル(作用が下向きにだけ作用して{凄惨な人類史に於ける}反面教師が{疑問に思う事もなく}理想として肯定される)』などの『屑バブル』とが、
似て非なるモノであると理解されるのに1000年で済んだのは{10000年かけても無理であったかもしれないので}幸運であった。
*『閉塞バブル』と『スリ変えバブル』。【12月1日・金】
前後が反転した時間認識の『特定の土台の上に物事が積み上がる世界観』で起こる
「可笑しな状況や事態にしながら『お金のつぎ込み』や『科学の積み上げ』が続けられる」
という『閉塞バブル』が、
パラダイム形成の根幹となり、
作用が下向きにしか作用しない『歯車のシステム』で起こる
「反面教師としての提示がされる度に理想の事として認知される:「実存主義(人である前に日本人である)~構造主義(日本人である前にアメリカ育ちである)~ポスト構造主義(アメリカ育ちである前にAくんであったりBさんであったりCちゃんであったりする)と至る」というようにゴリ押し人生哲学(・・・主義)が変遷する」
という『スリ変えバブル』が、
パラダイムシフトの下地となっていると考えられて、
パラダイムに繋がられて(枠組という枷で縛られて)いる事により凄惨な人類史が繰り返されているのだと(人の世の営みの構造を)暴(アバ)いているのが【パラダイム論】であるという理解の修正に{運が良くて}1000年で至れたので、
{1000年かかっても無理だったかもしれないが}凄惨な人類史の繰り返しから脱却できたのです。
*≪裸の王様≫たちに色々な服を着てもらいたい(隠された手品の種と闇魔法)。【8月21日・月】
基本部分
{圧迫反省転嫁をされて頑張り過ぎた事による人間関係や仕事に於ける嫌悪感を、気を逸らす事によって消し去ろうとして、色々と作った}危機論や陰謀論に{マジで}怯えてしまいながら、{結局は}嫌悪感が拭い去れていないという≪裸の王様≫になってしまっている大多数の人々に、多くの者たちの自由を脅かすという事(悪魔の囁きのよるもの)で{危機論や陰謀論に対処しようとして}手を出せないでいた{パラレル対応の:色々な予備軍や持ち駒となる}個別の勝手(≪裸≫になって手放して来ていた色々な服)を{様々な方面で}もっとしてもらいたい(着てもらいたい)のです。
『パラダイム論』の《みんなが同じ事をするのが正しい》や《パラダイムのシフトチェンジが理想の進歩》が{危機論や陰謀論に対処しうるモノだとして}素晴らしく見える(錯覚してしまう)のは「人間や進歩が{何処までも・何時までも}パラダイムに繋がられている」という手品の種が隠されているからである。
それでも人間とは、人間関係や仕事に於ける嫌悪感を消し去る事が出来ない(だから、イジメやハラスメントは激化し、諍いや戦争は増える)のです。
しかし、闇魔法(後進していた時間認識が前進する:作用が下向きに作用(自由(歯車のフリー)によるもの)していたモノが上向きに作用(闇賄賂(賄賂的割り込み投資:投資的割り込み支援)で既得権益に割り込む)する)を使うのであれば、自分で自分に投資・支援をし、既得権益から自分を切り離して、嫌な人間関係や仕事を切り捨てる(人の石垣から抜け出し、社員や請負業務はせずに委託業務だけをして、お金は投資や支援に使う)事が出来すのです。
*≪裸の王様≫たちに色々な服を着てもらいたい(知識認定と反省転嫁)。【8月10日・木】
この人の世の営みはとってもオカシイ。
なのに、何故か、誰もそれに気が付かないかのようにしていて、様々な不条理や理不尽が罷(マカ)り通ってしまっているのである。
反省転嫁(『菜根譚』から導き出した「聖人君子が陥る独善」や「小心者が道理を振りかざす偽善」の造語)が知識認定に於ける評価選別基準になっていて、反省転嫁がし易い考え方ほど高尚な考え方として{聖人君子から}評価され、後世に残すベキものとして{小心者から}選別されて来たからだと思われる。
時間認識が後進なのは、前進する未来が不特定過ぎて、反省転嫁に向かなかったからであろう。
作用が下向きの『歯車のシステム』が人間社会に採用され、『自由(歯車のフリー)』が人間らしさに採択されたのは、作用が上向きの『アリの巣のシステムでの闇賄賂(予備軍や持ち駒への投資)』や『個別な勝手でのパラレル対応(進行する多重世界への対処)』が特定困難なモノで、反省転嫁に向かなかったからであろう。
反省転嫁が知識認定の必須条件になっていて、反省転嫁が近代文明の在り様を決定してしまったと言える。
反省転嫁のし易かった「後進する時間認識」や「作用が下向きの歯車のシステム」が{近代文明の}文化に於ける基本認識に選択されて、「特定の土台の上で物事が積み上がる」が人間社会の枠組(閉塞さ)を構成していて、「自由(歯車のフリー)は勝手とは違う」が人間らしさの象徴(「歯車のシステムの障害になるモノには容赦しない」という自制心を働かせる)とされていても、誰も不思議に思ったり、異を唱えたりしないのである。
理想食は反省転嫁をする事なので、理想食のレパートリー(「美味しくないピーマン食」や「納豆嫌悪になる納豆食」など)はどんどん増加するのだが、勝手食(「よく火を通すピーマン食」や「勝手(自分の好みや都合を優先させる)な納豆食」など)を言っても「我儘の好き嫌い」だと一蹴される。
動物愛護法は反省転嫁をする事なので、飼い猫や飼い犬を保護する為のレパートリー(保護下にない野良猫や野良犬の排除)はどんどん増加するのだが、野良猫や野良犬の個人での保護(迷いや野良への餌ヤリや、再飼育)を言っても「違法な犯罪行為」だと一蹴される。
パラダイム論は反省転嫁をする事なので、『科学の普遍性』や『パラダイムに於ける共通認識の重要性』などの特定の共有を大事にする話しのレパートリー(組体操やマスゲームのような状況の話し)はどんどん増加するのだが、『パラレル対応の科学』や『個別のパラダイム』の大切さの話しをしても「ナンセンス」だと一蹴される。
自由(歯車のフリー)は反省転嫁をする事なので、『自由は勝手とは違う』や『自由で拘りが無くて上手に立ち回れるのが達人』などの自由が大事だとする格言のレパートリー(機械やAIが得意としていて人間が不得意としている土台の形成)はどんどん増加するのだが、『自由(歯車のフリー)に縛られた人間の{機械やAIに対して人間が不利な}問題』や『特定の課題を{機械やAIのように}上手にこなす事からの人間の{作用が上向きの『アリの巣のシステムでの闇賄賂』や『個別な勝手でのパラレル対応』の為の}解放』を言っても「身勝手な怠惰」だと一蹴される。
配分経済(お金を下向きに流す)は反省転嫁をする事なので、・・・お金が配分されて行く経済活動の為のレパートリー(『お金の正しい使い方』や『賄賂はダメ』など)はどんどん増加するのだが、『通貨とは違うお金の作り方・使い方』や『お金を上向きに流す賄賂のすすめ』の大切さの話しをしても「悪徳」だと一蹴される。
様々な反省転嫁が行き交(カ)う人の世の営み(知識の洪水(レパートリーの増加)に流されて{誰もが嫌悪して}不毛になった{人間が得意としていない}土台の上で人々(一般庶民)が悪戦苦闘している)に於いて、≪裸の王様≫にならざるを得ないでいた{多くの一般庶民である}≪裸の王様≫たちに、
{知識の範疇(レパートリーの増加)から出られない機械やAIには出来ない身勝手で、各個バラバラに、{上向きに作用させる闇賄賂(頭を飛び越した作用の働きかけ)を確保し、{下向きの作用に影響されないで}予備軍や持ち駒を多様化させ続ける}パラレル対応の}
色々な服を着てもらいたいのである。
*共生するコミュニティを盛り立てる。【5月14日・日】
宗教や科学や経済に於いてどんなに良いとされる事が言われていても、神へ奉納される自制(理性:ケダモノ以下な事をしでかす)や自由(歯車のフリー:邪魔モノの交換・廃棄で持続する)による{前後が反転した時間認識に基づいた閉塞世界観での}閉塞の先延ばし(神の御加護の獲得を狙った一元化のお披露目)であり、「三段論法の家畜」や「手垢塗れの中のペット」にとっての{危うい}自由と幸せであり、既得権益が持続するお金の遣り取りの{ヒエラルキーに相対しているとしての}正当化であるのだと考えてしまいますし、
{それでは}人の世の営みの{持続に苦労する、砂上の楼閣としての}崩壊を帳消しにする(止められる)理由にはならず、戦争や虐殺やテロが無くならないのだと考えてしまいますし、
{さらには}ノーベル財団のノーベル賞での画策が巧妙であり、誰も可笑しいとは言えない権威によるものであるものだから、様々な分野で進歩や発展が滞っていながら放置されているのだと考えてしまいまして、
{そういった}他者を否定する考え方ががぶつかり合う{アリの巣のシステムとは言い難い}現状でありますが、
{しかし}1000年後には、パラダイム論での進行派と後退派と個別パラダイム派の個々が個別に{反省転嫁に走らずに}能力を発揮し、{和解や両立を目指さず}助け合いながら{一本化や一元化をしないで}棲み分けして、共生するコミュニティを{大全体の構成員として}盛り立てている事でしょう。
*ノーベル賞の軌跡を追って行った先に在る世界。【3月21日・火】
理想の進歩として{スリ替えられて}一般的には言われているが、
本当は閉塞が繰り返されている科学の問題点(後進する時間認識である特定の土台の上での物事の積み上げが閉塞しているのと同じ)を指摘したモノだった、
『科学革命の構造:パラダイム論』や、
研究のお手本として{スリ替えられて}一般的には言われているが、
本当は{絶滅の危機を何度も乗り越えて来た}生態系による人間(周囲を含めて)の除外(例を用いて説明した、自然からの{作用の働き(お金の流れ)が末端へと向かい、指示命令系統に沿って{経済活動が}広がって行く歯車システムの}人の営みへの攻撃)を指摘したモノだった、
『攻撃 悪の自然誌』などが、
ノーベル賞の{人が追える}軌跡であり。
{軍隊型の}歯車のシステムの形で科学技術や経済活動が{一般的には}理解
(宇宙戦艦ヤマトに於いて宇宙人から波動エンジンが手に入った事で波動エネルギーが地球人に使えている:プロジェクトが動き出すと発注がされ受注がされて経済活動が生じる)
されているが、
本当は{提案型の}アリの巣のシステムの形での科学技術や経済活動の理解
(みんな(多種多様な末端)の{様々な}提案の組み合わせの{多様性(多種多様な待機組)が更新する(様々に組み合わさる)大全体での}適時対応での科学技術の進歩で、{後進する時間認識で閉塞していた}物事が{前進する時間認識になって}進行する:みんな(多種多様な末端)からの{様々な}提案のようなお金の流れの{待機組の出資が様々な形をなす}経済活動(パラレルな構造)で、{指示命令系統に沿って発注が広がり末端が受注して硬直していた}プロジェクトが{様々な可能性を取り戻して}進行する)
をしていたというのが{ノーベル賞でスリ替えられた}ノーベル賞の受賞者たちの真実でありまして。
そんなノーベル賞の軌跡を追って行って、
{ノーベル賞の受賞者たちの真実の}その先へと進めれば、
そこに{ノーベル財団が築こうとした}魔法世界(歯車のシステム)とパラレルの{末端から作用が働く}闇魔法世界(アリの巣のシステム)が在るハズなのです。
令和4年度版
*近代文明(知性的人間の驕り高ぶり)の墓穴が周知される。【12月2日・金】
近代文明(知性的人間の驕り高ぶり)の墓穴である『前後が反転した時間認識:みんなが特定の土台の上に乗っていて、物事が積み上がる』や『自制心(理性)によって行えるようになるケダモノ以下な事』や『自由は勝手とは違う:歯車システムな社会での歯車な人間の自由(フリー):アリ(大全体:自然)から離反(実験室化・水槽化・パラダイムの形成)する一元化(非自然)の浸食』が{呪縛の魔法として}周知される闇魔法世界であるが、
その訪れは1000年先になるだろう・・・。
*非自然な状況での異常性の告発の隠蔽が暴露がされる。【12月2日・金】
『攻撃 悪の自然誌』での《実験室》や《水槽》は、
『科学革命の構造』での《パラダイム》と同種のモノで、
みんな(動植物や環境)が一律共通に同じ境遇(非自然な状況)の中に置かれた時の異常性を告発していて。
それをノーベル財団によるノーベル賞が歪めて{隠蔽(インペイ)して}しまって来た事(魔法が掛けられた事)が世界中で暴露されて、
闇魔法世界が始まるのですが。
それは1000年先の話しである・・・。
*重大(利得大:危険性大)な事が目の前にある時には。【12月2日・金】
目の前にある事が重大(利得大:危険性大)であればあるほど、
「それとは違う予備軍」や「拘(カカワ)っていない持ち駒」をどれだけ沢山{多種多様に}確保するかが{大全体として}大切でありまして。
『利得の確保』や『危険性の回避』などで{一律共通の命題だとして}どれほど急き立てられても(派閥への勧誘を受けても)、
{決して}安易に煽動に乗ってはなりません(看板娘としって『グレタ・トゥーンベリ』を担ぎ上げている{尻に火が付いていると言って冷静さを失わせて賛同を募っているような}派閥に{ノーベル財団がノーベル賞で人々を惑わしている魔法(人々を惑わす閉塞した{みんなが特定の土台の上に乗っていて、物事が積み上がっている}世界観:「みんなでパラダイムを形成し、パラダイム変換(シフトチェンジ)はみんなでしなくてはならなくて、その繰り返しこそが最高の進歩である」と言うパラダイムの呪縛)と同種の魔法を掛けられて}スリ寄るような事は{諍いの片棒を担ぐ羽目に必ず陥るので}決してしない)が。
{しかし}そんな{【ダメで良い、KY(空気を読まない)で良い、ブレても良い】などの闇呪文を唱(トナ)える{闇処世術の使える:増えるのに1000年間はかかる}人々による}闇魔法世界(前進する時間認識)が実現するのは、
まだ1000年先になってしまうでしょう・・・。
*『攻撃 悪の自然誌』の真価。【9月10日・土】
「自然界(人類を含む)に於いては、{特定の土台の上という全体に於いて}自然ではない{正しさが求められる、間違いを正そうとする}状況下(実験状況)にあると、不自然な面(攻撃的な排他性:交換・廃棄:正しさの一律な追求:試行錯誤と消去法)が{修正をしているかのように}形成されて{続いて}しまう(悪循環(悪の自然誌)が起こる:人類史に於いて{繁栄を何度しようとも、{パラダイムがパラダイム変換(シフトチェンジ)を起こすように}破綻が必ず起こって}破綻が繰り返されて来た)訳ですが、これは{大全体での}自然な{実験状況(パラダイム:前後が反転した時間認識に基づいた{一律で、閉塞した}世界観)から解放される}状態(正しさ(一律さ:パラダイム)が放棄された状況:{更新する無限に多様な}大全体を構成する予備軍の充実)にならなければ修正されない」
というのが『攻撃 悪の自然誌』の主旨であり、
「ノーベル賞(魔法)の呪縛(正しさの一律な追求:実験状況の人類史)から人々を解放させる事が出来る」
というのが『攻撃 悪の自然誌』の真価である。
*『パラダイム論』の真価。【9月10日・土】
「数多(アマタ)の繁栄と虐殺が繰り返されて来た人類史の残滓(ザンシ)である『ヒンズー教・仏教・道教やアブラハムの宗教』や『史記・三国志や儒教・論語』や『エジプトの神話やギリシャ・ローマ神話』や『ソクラテスやプラトンやアリストテレスや、デカルトやカントやヘーゲルの哲学思想』や『キルケゴールやニーチェや、マルクスやレーニンや、トーマス・クーンやコンラート・ローレンツの哲学理念』を{漫然と}革新性の土台として{堀を掘り、塀を築くように}学んでも、{結局は、パラダイム変換(シフトチェンジ)を繰り返すだけの}正しさの追求(前後が反転した時間認識に基づいた世界観での一律な試行錯誤や消去法)を踏襲する{土台の上に物事が安定して積み上がる為の・歯車システムの作用が減衰せずに伝わる為の}間違い探し(交換・廃棄)のスパイラルにしか至れず、その実践からは{その場しのぎの繰り返しであるパラダイム変換(シフトチェンジ)を招く}破綻しか{現代に於いても繁栄と虐殺が繰り返されているように}生み出されない」
というのが『パラダイム論』の主旨であり、
「ノーベル賞(魔法)の呪縛(一律な世界観での正しさの形成)から人々を目覚めさせる事が出来る」
というのが『パラダイム論』の真価である。
*「良くならない事が各個に行われる」という物事の本質。【9月4日・日】
『正しくあれば上手くいく:土台の上に積み上がる』を前提とする試行錯誤(パラダイム変換(シフトチェンジ)の繰り返し)や、
『正しくなければ破綻する:歯車の作用が伝わらない』を前提とする消去法(交換・廃棄の断行)が、
魔法(『前後が反転した時間認識』や『自由は勝手と違う』に基づいた世界観:{更新する無限に多様な}大全体を構成する予備軍を消失させる)による{魔法世界を形成する}ものだと言われてから、
1000年間も行われて{闇処世術(魔法世界を{正そうとすれば魔法と同じになるので}傍観しながらの闇呪文
(ダメで良い、ダメと言われて良い、誰が(みんなが)ダメでも良い。ダメな老後で良い、ダメな死に様で良い、ダメな死後評価で良い。過去の努力をダメにして良い、今のチャンスをダメにして良い、未来の可能性をダメにして良い。不快に思っても{腹を立てても}良い、無駄をしても{損をしても}良い、卑{ら}しくて{も}良い。勝手で良い、快楽で良い、幸せで良い)
の普及)が続けられて}来ていたが、
{1000年先の}今では社会や経済よりも人(各個:勝手:予備軍)の方が大切(大全体の概念:闇魔法世界)にされていて、
ゲームなどに於いて良くならない{正しくない}事が{各個が個人の好みや都合を優先させて}行われ(それが本来のゲーム:物事の本質)、
社会活動や経済活動に於いて{正しくない}事が{各個が{会社が設備投資や事業拡大などよりも人件費を充実させる事によって:国家や宗教なども同じである事によって}予備軍となるように}行われ(それが本来の人の営み)、
災害など(大地震や戦争での被災)に於いて(その対策内容として)人命救助の為に社会や経済が大量消費(非効率的に非有用に行う)される
(それまでの積み上げを削り、未来の可能性を消耗させる{正しくない}事(土台の上に積み上げられなくなる事、歯車の作用が伝わらなくなる事)が迅速に大規模に行われる:災害時に消耗されるだけの備品(予備軍)を{迅速に使えるようにして}大量に{それまでの積み上げを削り、未来の可能性を消耗させて}用意(正しくない事を:積み上げの邪魔になる事を:作用伝達の邪魔になる事を)しておく)
のである。
*ジプシーたちの一人々々の存在。【4月27日・水】
1000年先に於いて、
画一的になってしまっていた人類を、
その多様性によって大全体の可能性(パラダイムを個別化)をより豊かなものにしてくれたのが、
【ジプシー】や【アメリカインディアン】や【アボリジニ】たちの一人々々である。
歯車システムに於ける異物(車止メである勝手な存在)であり、
土台の上への物事の積み上げに於いて{勝手をして}閉塞を加速させる存在であったが、
闇呪文(ズルで良い、ズルと言われて良い、誰もがズルで良い、晩年がダメで良い、死に方がダメで良い、死んでからの評価がダメで良い)の一般化によって、
状況が一変したのである。
*誰もが掛け替えのない存在。【4月27日・水】
1000年先では、
人々が闇呪文(ズルで良い、ズルと言われて良い、誰もがズルで良い、晩年がダメで良い、死に方がダメで良い、死んでからの評価がダメで良い)を唱え、
前後を修正した時間認識で普通に{歯車システムに於ける歯車であれば必然的に交換・廃棄の対象になる}車止めとして独自に更新し、
大全体を構成する予備軍を担い、
誰もが人の世での掛け替えのない存在となっている。
令和1年度版
*文明社会の先の暗黒時代のその1000年“前(先)”で待つもの。【10月30日・水】修正あり
1000年“後ろ”の時代までは。
現場の沢山の人間が取り組み、長い年月を掛けて築き上げてきた、より沢山の事を、
{根幹土台(自然を下層とする積み上げ)が無い{『神』から}教えられたとされる{宇宙戦艦ヤマトの『波動エンジン』と同様の認識の}物事である為に、{張り出し土台の上への積み上げは出来ても}張り出し土台の直接的な拡張は出来ないのですが}
下層へとどんどん崩(クズ)していく事(張り出し土台の掘り下げ)により、{時間認識に於ける前後が反転してしまっているが故に}物事の可能性の{見かけ上は時間が前へと遡(サカノボ)れて:人間の時間認識が騙(ダマ)されて}より大きな確保
(パラダイム変換:張り出し土台の掘り下げを枠組の取り換えと呼び、それを進歩の理想形として{ノーベル賞の価値を絶対視する事によってスリ込まれて}認識する現象:個々の積み上げ(世界更新の可能性)を{みんなの事を最優先させた結果だとして}均(ナラ)してしまい、張り出し土台の掘り下げ(世界更新の切り捨て)が最重要とされて来た事{リセットを必要絶対としての篩(フル)い行為}を正当化する方便(ホウベン))
が目指され(腐敗・腐食が避けられず、風化が必然として付きまとう科学文明)。
自由に放置されていて、頑張って成果を上げて来た、より沢山の人間(『神』の不良コピー)を、
{競争の原理に於ける、淘汰される大多数の者としての、その価値(淘汰される事により、より良いものが生み出される)が活かされて}
どんどん淘汰していく事により、良い人間によるより良い人間社会の構築(市場原理と同じ作用が働いた結果のもの:『神』の導きの先にあるもの)が目指されていて(合理化に人が使われ、合理化によって人が排除される人間社会)。
そしてさらには、それらへの
{魔女裁判によって火あぶりで処刑された魔女が{教典にない}薬草の事を勉強して{本来なら見捨てられていた}病人という{悪しき}存在に提供して助けていたように、私的な頑張りをしていて合理的でなく強制排除の対象になっているような{ハタ迷惑な存在で価値が無いとされている}人を手助けする様な、【生きた水】の勧めや、【幸せな想い】の勧めや、【KY:空気読まない】の勧めなどの}
反抗に対しての{極端で大袈裟な}見せしめが凶行(世界更新の可能性に対して不安や恐怖を感じ、自分が信じるモノの原理原則を絶対正義として{固執(コシツ)し}ゴリ押しする様な、虐殺やテロなど)されていたのです(理不尽であり残忍(ザンニン)である、破壊と殺戮(サツリク)の人類史)。
そして1000年“後ろ”の時代からは。
崩されたモノや淘汰された者たちが、集められ集まっていて、その個々がそれぞれに{衝突を避けて}主張を控えていたが、{表面上のまとまりだけが形成されて}何の成果も上げられず、{誰もがストレスを溜め込んで}時間ばかりが過ぎて行ったのです(暗黒時代)。
そしてその1000年“前(先)”の今では。
{人為的な物事と}誰もが【KY:空気読まない】である事により{自然の物事と等しく}ストレスを溜め込まずにいて、その個々の全ての主張が自然世界の理(コトワリ)に{強いチームに欠かせない豊富な予備軍(無限の多様性を形成し、適切な更新に至れるもの)として}受け入れられているのです。
しかし、そんな今であっても。
{人為的な物事と}誰もが{計画的な予備軍である}スーパーサブ(想定される危機に備えるモノ)など、{特にみんなでは}目指してはならないのです。
*次のお知らせ。【10月13日・日】
これからは、当ブログ第A0012号の【『ちび猫のつぶやき』の(営業)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。
≪補足23≫【8月10日・土】
特定の『連なり』に連なった{国家や民族や宗教や会社などの}中で、共通の『連なり』を持って{みんなで同じ自己陶酔をしてしまって}いるから、人間の“利己(憂さ晴らし:『連なり』に連なった事に対しての見返りの{必然的}要求)”が{同じまま}ドンドン増大してしまうのであり。
違う『連なり』の{単なる『お一人様』な}人たちがどんなに集まっても、“利己”が{それが人間の必然の様に}ぶつかり合うばかりで、{【アリ的お一人様】なモノたちの多様性(アリ的集合)によって形成される【大全体】の様には}決してまとまらないものなのですが。
『連なり』を持たなければ(【KY:空気を読まない:営業スマイル】であれば)、様々な人たちが{【KY】に}集まっても、“利己”のぶつかり合いには至らず、{違う意見を持った{【KY】な}人たちの集まりとして、みんながちょっとずつ努力し合う、【大更新】も担える}一つの集まり(アリ的集合)になれるのです。
≪補足22≫【8月3日・土】
他者(ホカ)からの「他者を連ならせていって、大きな『連なり』にしていき、大きな事を成す」という『働き掛け』に対して【営業スマイル(KY:空気読まない)】で払いのけ、自分が『働き掛け』をする事を求められても「自分の【働き】が『連なり』を形成しなくても、自分は正しいので、気にしない」という【営業スマイル(KY:空気読まない)】で払いのけるというのが、【アリ的お一人様(大全体の構成員)】による【アリ的集団形成(大全体の形成)】に於いて不可欠な【アリ的要素(神秘主義)】の{人間世界の事を用いての}具体例の一つである。
世界は【大更新(更新する多様性)】を構成していて、一つ一つには【アリ的要素(神秘主義)】が欠かせず、人間による「作為的な『働き掛け』による『連なり』で{世界を構成する多様性の}一つ一つを縛ってしまい、その{多様性が更新する事による}【無限】の可能性を削ぎ落す事」からは{人間の}一人一人が【営業スマイル(KY)】を駆使して逃れるしかなく、名案とばかりに『連なり』を{物事の理として}持ち出してきて『働き掛け』をしてもその効果は{『パラダイム変換』が必要になる破綻に至るだけで}長続きしないのです。
【更新する無限に多様な大全体】の世界というのは、人間的には{一つ一つが【KY】な}意味のないバラバラなものなのですが、{『悪の自然誌(攻撃)』の中の実験室での}【部分解禁(一つ一つの更新の過度な利用)】に依存していないので、その{時間に於ける前後認識の反転を修正しての、一人一人の個々による世界観の{KYな}形成による}概念からの各個に個別な自由の{KYな}成立は、人間の未来に欠かせないのです。
≪補足21≫【7月31日・水】
【営業スマイル(KY:空気読まない)】が出来るのが、【アリ的お一人様】であり。単に『非連なり』なだけなのは、単なる『お一人様』なだけであるので、そんな『お一人様』が幾ら集まっても、【大全体】の形成には至れない。
特定の『連なり』を共通して持つモノ(人や物事)が集まっても、『小全体』の形成に至るだけであり。『連なり』を求めているだけの様々なモノ(人や物事)が、単なる『お一人様』として幾ら集められても、【大全体】の形成には至れない。
【営業スマイル(KY)】が出来る【アリ的お一人様】の代表格が、{1000年後ろの時代の}日本人(日本民族・日本国)であり。単なる『お一人様』(その集団)というのは、日本人(日本民族・日本国)を「哲学が無い」とか「無宗教である」とか言っていた{1000年後ろの時代の}他の民族や国家や宗教の信者たち(世界中の大多数の人間たち)であり。日本人(日本民族・日本国)を「平和ボケ」と言って自虐し、世界と対等に渡り合える日本人(日本民族・日本国)であろうとしてしまう、{日本国内の}日本人(日本民族・日本国)の一部(知識人たち)も、単なる『お一人様』でしかない。
≪補足20≫【7月27日・土】
1000年後ろの時代までは。砂漠(世界:地球上)に於いて、『本オアシス(小全体)』だけが、{みんなの努力が集まって}特定の『連なり』のルート上に{人々がひしめき合いながらも}集中して作られていて。
人々は、その利用方法を{暗黙の裡(ウチ)に}ルール化してしまい、{無自覚なまま}『倫理・道徳』や『常識・正論』を普遍的なものだと{自分に試練を課すべく、誰もが我慢するべく、みんなで協力するべく、対立(争い)も辞さないで}信じてしまっていたので。
【ジプシー(空気を読まないKY)】などは、『本オアシス(小全体)』の周辺に{たとえ一時利用であったとしても}居ながら、
{ルートから外れた僻地(多様な大世界)での【別オアシス(生きた水など)】の{趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”を行っていて、『本オアシス(小全体)』への依存度が低く}
『倫理・道徳』や『常識・正論』を躊躇(チュウチョ)なく無視(KY)してしまえる{【営業スマイル(空気を読まないKY行為)】をする}存在であった為、
{《ルールを守る人》を食い物にし、人々のルール意識(モラル)を低下させてしまい、{『憂さ晴らし』の}争いを始めるハードルを下げてしまって、{各種ハラスメントや無差別テロなどによる}社会不安を招く}
排除すべき異物とされていたのです。
1000年後ろの時代から。【更新する無限に多様な大全体】の概念の成立とともに、【ジプシー(空気を読まないKY)】のような存在の、受け入れ対応(KYの意義の周知)が始まり。
ルートから外れた僻地(多様な大世界)での、【別オアシス(生きた水など)】の{趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”が、ようやく{一般の人々にも}解禁されたのです。
しかし、{そんな事のあった}1000年先の今でも。
「【ジプシー(空気を読まないKY)】たちが、排除すべき異物とされたのは、【別オアシス(生きた水など)】の {趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”を独占したい【ジプシー(空気を読まないKY)】たちの、{《ルールを守る人》を食い物にし、人々のルール意識(モラル)を低下させてしまい、{『憂さ晴らし』の}争いを始めるハードルを下げてしまって、{各種ハラスメントや無差別テロなどによる}社会不安を招く}巧妙な画策による、{【ジプシー(空気を読まないKY)】たちがズルを発揮しての}意図された{自作自演の}結果であったのだ」
という{『憂さ晴らし』を肯定する、言い訳の}考え方が{善良な人間の真っ当な認識として}拡散されると、【別オアシス(生きた水など)】の {趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”が簡単に否定(嫌悪・拒絶・敵視)されてしまい、{ストレスの溜まる}『本オアシス(小全体)』に{自己保全の為に、命を切り売りして}集まって、{【大更新】による千載一遇のチャンスであった【STAP細胞】の現象を、{命を切り売りする}ヒステリーで『リセット』してしまったような}『憂さ晴らし』の争い(生贄への、命を切り売りする攻撃)を始めてしまうのです。
その為、1000年先の今であっても。
「【別オアシス(生きた水など)】の {趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”が活かされ、『倫理・道徳』や『常識・正論』を躊躇(チュウチョ)なく無視(KY)してしまえれば、『本オアシス(小全体)』をめぐっての{『憂さ晴らし』を人間の必然とさせてしまう、『試練』や『我慢』や『協力』や『対立』の}『頑張り(自己保全の為に命を切り売りする)』に至らないで済む」
という、【営業スマイル(空気を読まないKY行為)】の本質を{『憂さ晴らし』の言い訳に逃げずに}理解し、{『頑張り(自己保全の為に命を切り売りする)』に陥らない為にも}頑張って{KYを}貫くコトが、大切にされているのです。
≪補足19≫【7月21日・日】
各個に個別な人間による個々の【趣向の発揮】というのは、
人々が連なるコトによって形成されるルート上にだけ{利用価値の高いものや、売りつける為のものや、騙(ダマ)して引き込む為のものなどの}オアシスが作られている砂漠に於いての
「人々の『連なり』によって形成されるルートから外れた{自分以外には誰も使う予定など無い、忌まわしい、僻地のような}所でのオアシス作り」
{の様なモノ}であり。
各個に個別な個人にとっての摩擦の少ない『連なり』との接触方法である【営業スマイル】というのは、
人々が連なるルート上に形成されるオアシスだけが{独占したり、奪い合ったり、騙したりしながら}利用されている砂漠に於いての
「人々の『連なり』のルート上に形成されるオアシスとは違う{誰もが忌み嫌い、避けている}オアシスを利用する者ならではの、{『連なり』のルートから解放された、取り合うモノを持たない立場での、利己的とは対極の}余計な心配や気遣いで{憂さ晴らしが必要になるほどに}疲弊してしまう事など無い、{自分だけ涼しい}苦労の無い行為」
{の様なモノ}であります。
≪補足18≫【7月17日・水】
『リセット』や『連なり』を繰り返しての{《前後が逆転した時間認識》に基づく『ブロック積の世界観』での}進行では到底たどり着けない所ばかりな世界を“前”に見据えて、1000年“後ろ”までの時代までの『閉塞感』や『悲観論』に対処したのが、1000年“後ろ”からの時代での
{物事の各個の個別さが、個々の趣向が活かされる【アリ的お一人様】な人世界で、ランダムに広げられていって、
{『全体』ではなく【個々】の為に{一度は「神は死んだ」と言われながらも}生きてくれていた≪神さま≫による}
世界に於ける【別世界】の予想を広げていく}
想像の{多重で点在する}飛躍であるのですが。
しかし、それでも{【更新する無限に多様な大全体】の概念の『一律な共有』を目指してしまい、『一様なゴリ押し』をしてしまう}人間による{個を失った絶望による}自殺や{独善的に個を奪おうとする}各種ハラスメント(イジメやテロや虐殺など)が無くならない為に、{1000年“前”の時代にあたる}今でも見習うべきなのが、【ジプシー】がする《社会福祉の食い潰し》という{代表的な}営業スマイル(多重で点在する【別世界】との、【個々】を否定しない関わり方)であります。
それは、単に『個々』が多重に点在して存在するだけで、【個々】の意義が見失われ、勢力拡大が『ゴリ押し』されて、絶望や独善が氾濫してしまっている人世界であっては、【個々】の為に生きてくれていた≪神さま≫に対して、あまりにも失礼であるからです。
≪補足17≫【7月14日・日】
【ジプシー】による《社会福祉の食い潰し》というのは、【ジプシー】にとっての営業スマイル(外部の一般世界との関わり方)による結果であって、{神秘主義に基づいた}【アリ的お一人様】な行為(その押し付け)などではなく。
《科学技術の進歩》が労働者を排除してしまうというのは、【アリ的お一人様】を強行(押し付け)してしまう{各種ハラスメントや無差別テロなどの}暴走行為(ゴリ押し)と同じなので。
{人々の}一人一人による《社会福祉の食い潰し》の実践(営業スマイル)によって、人々が{各種ハラスメントや無差別テロなどの}暴走行為(ゴリ押し)に至らないようになれれば、その結果、{そんな人々が担う}《科学技術の進歩》によって労働者が排除されてしまうというような{ゴリ押しの}事態も、
{ハラスメントでしかないような《前後が逆転した時間認識》のゴリ押し(ハラスメントが連なり続ける悪夢)による先細り(『パラダイム論』による{交換の必要に迫られる土台のような}枠組のスリ込み)から『近代科学』が解放されて}
回避されるのです。
≪補足16≫【7月14日・日】
百人百様の【お金】や、百人百様の【大更新科学】や、百人百様の【幸せな想い】とは、神様との関わりを{唯一神教では禁じられている神秘主義の}一対一で直接的に持つ【アリ的お一人様】によるものであり、それによって【大更新】を起こすものでありまして。
その{一人一人による}個々というのは、【大全体】の構成員として{各個に個別であり、色々な組み合わさりをしながら}多様に【小更新】を担うものでありますが。
そんな{本来は多様であるハズの}【小更新】を、{前後が反転した時間認識の上での『ブロック積の世界観』に基づいていて、{先細りして行って}破綻へと連なる}一律な『連なり』に囚われての一様な『小更新』に{誰もが安易に}制限して、{みんなが疑わずに}利用してしまった結果が、『お金』の上にだけ成り立った《社会経済の発展》であり、『近代科学』の制約を受けた《科学技術の進歩》であり、『試練の思い』に依存した《倫理道徳の浸透》であり。
{【小更新】が『小更新』となりながらも頑張って}それなりに有効性ではあるのだが、{【小更新】が『小更新』として限界を越えて酷使される為に}必然の様に破綻へと至るものなので。
1000年後ろまでの時代の{繁栄を極めながらの}閉塞感や悲観論(経済格差は広がり続け、科学技術に労働者が排除されて、人間が苦しみ藻掻(モガ)いた挙句(アゲク)に存在が否定される未来像しか抱けない)は、それら(《社会経済の発展》を成立させた『お金』や、《科学技術の進歩》を支えた『近代科学』や、《倫理道徳の浸透》に欠かせなかった『試練の思い』)によって惹き起こされていたのです。
≪補足15≫【7月13日・土】
1000年先の今の経済世界に於いて、{『連なり』に囚われて使わされる}共通の価値基準をベースとする『お金』よりも、{自分の為に作って使う}百人百様の【お金】の存在がどれほど重要であるとしても、営業スマイルぐらいの{『お金』を得る}仕事や{『お金』を使う}消費が大切で、{【お金】は【お金】、『お金』は『お金』で使い分けて、【お金】を作って使う恩恵を{自由に、安定して}享受するのに}欠かせないですし。
1000年先の今の科学世界に於いても、『リセット』からの再構築を大原則とする{誰もが一律に提供されて、みんなが一様に用いる}『近代科学』よりも、{【大全体】での}百人百様の【大更新科学】の方(【生きた水】の“水作り”など)がどれほど有用であろうとも、営業スマイルぐらいの{近代社会を支える}『近代科学』の基礎知識が大切で、{【大更新科学】からの恩恵を{ハイクオリティで、安全に}獲得する為にも}欠かせないのですが。
1000年先の今の想いの世界に於いても、『倫理道徳』に縛られて『憂さ晴らし』が必然となってしまうような『試練の思い』よりも、{【大全体】での}百人百様の【幸せな想い】の方がどれほど有効であろうとも、営業スマイルぐらいの一般常識が必要で、{【幸せな想い】を{暴走させず、安心して}想う為にも}欠かせないのです。
≪補足14≫【7月13日・土】
1000年後ろの時代までは、誰もが{受けた『お金』を送らされる}『連なり』の中に囚われ、みんなが{無自覚なまま、『お金』を受け取るのに命を切り売りしていながら}『お金』を{自分の趣向の発揮など出来ずに、みんなとの『連なり』の形成の為に}使わされ過ぎている為に、憂さ晴らしが人間の必然となり、{もう『お金』を使わされたくないとか、まだ『お金』が足りていないとかいって}自殺やハラスメント(イジメやテロ)などに多くの人間が駆り立てられていて。
1000年先の今では、{自分で{労働をした分などを}発行して手にする【お金】を、自分の趣向の発揮に使って}『お金』を使わされない事(その為の『お金』を受け取らない事、『お金』の流通が抑制されている事)の重要性が周知されているのですが。
しかしだからといって、{『お金』に依存した自分や社会を{否定してしまって}嫌い、周囲を{当然の事のように}巻き込んで}自殺やハラスメント(イジメやテロ)などを{1000年後ろの時代までと同じ様に}していい訳ではないので。
1000年先の今でも、《営業スマイルぐらいの仕事で『お金』を受け取って、営業スマイルぐらいの生活の為に『お金』を使う》というコト(営業スマイル)はとても大切で、どうしても欠かせない事となっているのです。
≪補足13≫【7月6日・土】
【別の多重世界】を切り開くというと、{何か}大変そうに感じてしまうのですが。{意外と簡単なのですが}本当は、『みんなの目』や『常識』や『嫌悪感』などに惑わされて{必要なものまで削ぎ落して、何時もアタフタとしてしまうような}『清潔感』を暴走させた「汚れや腐食を排除された日用品」に『生きた水』を吹き掛けたり、『倫理道徳』や《不安感や危機感や焦燥感》などにせっつかれて{『命の切り売り』をして、『憂さ晴らし』が必然となってしまうような}『試練の思い』に狂奔する「乱れや腐敗を禁じられた日常生活の場」に於いて【幸せな想い】を自由に想うコトをしたりするだけでいいのです。
それは、【お金】を作って、使うのも同じでありまして。{みんなに『自分を合わせ』るのではなく、【自分にあわせ】て物事に取り組む為の}【お金】を自分銀行に用意し、頑張ったら【お金】を受け取り、その【お金】を使って{疲れないように}自分の自由に{マイペースで}休みを取って、{『みんなの目』や『倫理道徳』など無視して}贅沢な時間の使い方をするだけでいいのであります。
≪補足12≫【7月6日・土】
{対価として『お金』を受け取れる支給と、対価として『お金』を送る支払いとの}『連なり』の中でしか使う事が出来ない『お金』とは違って、{自分が切り開いた【別の多重世界】で“作り”、“使う”だけの}【お金】というのは、
{水道水やPSBやEM菌とは違う【生きた水】の“水作り”や、『倫理道徳』の中で『過去の努力』や『未来の可能性』や『今の運(境遇)の維持』に縛られた『試練の思い』とは違って自由に“想う”コトの出来る【幸せな想い】と同じで}
その“発行”も“使用”も{100%個々の}自由なのです。
≪補足11≫【7月5日・金】
対価の『受け』として『お金』を受け取って、対価の『送り』として『お金』を使うという『連なり』の中に居て
(指示命令系統の『連なり』の中に居る為に、「避けて譲って、横切って行ってしまう」という【アリ的お一人様】での各個に個別な趣向の発揮がされなくなっている)、
どの『お金』でも同じように{『受け』として}受け取るコトしかしないで、どの『お金』でも同じように{『送り』として}特定のモノしか買わなくて、各個に個別な趣向の発揮を{無自覚に}停止させてしまっていて
(本来の【お金】が持っているハズの、個々の趣向の無限の可能性が使われなくなっている)、
国家や企業などの組織の運営の為の『連なり』の中で『お金』が使われ、その『連なり』の過程で{大金として}貯め込まれているので
(個人が自由に『お金』を手に入れられず、『お金』を個々に自由に使う機会が無いように、{そんな『連なり』の世界の維持(運営)である}『リセット』が{断続的に}行われて、『お金』が集められ、貯められ、大金化されている)、
【お金】に{個人的な肩たたき券(物々交換のようなものであり、{対価として使われるような}既存の『お金』での価値は無く、金券偽造や証券詐欺とは違う)のように}記名(『お金』の価値を個人が裏支えするコト)がされる事が{【お金】を『連なり』から解放して、人の手に取り戻す為に}大切となるのです
(【お金】に固有性を認めて、既存の『お金』の『連なり』を分断し、【お金】を人のモノとして、個々の趣向の可能性を無限に持った{発行の自由により使用も自由になった}本来の【お金】とする)。
≪補足10≫【7月3日・水】
多重世界な【大全体】と、人世界の『小全体』の事を簡単に言うと。
「保護するという名目で『ペット』や『老人』を隔離するのが当たり前の、“都市生活”での『ペットの世話』や『老人看護』などに於いて、{『PSB』や『EM菌』などとは似て非なる}【生きた水】の“水作り”をベースにして作る{多重世界の“垣根”を取り除く}掃除洗濯用の『消臭除菌スプレー』や『免菌脱臭溶液』が無くては、膨大な『苦労』と『お金』が必要となってしまう」
だろうし、
「各個に個別な人の個性を無視した『宗教の教義』や『倫理道徳』や『公共のマナー』や『安全衛生』や『男女平等』などを{常識として}追求するコトが“一律”に要求され、{“命を切り売り”するような}『試練の思い』に{無自覚なまま}自己陶酔して『憂さ晴らし』が“必然”となってしまっていて、誰もが{程度の差こそあれ}『鬱』や『被害妄想』や『テロリズム』に陥ってしまう人社会に於いて、自分のモノである【想い】を個々に
{単なる自由とか安易な自分本位とかではなく、『罪悪感』や『嫌悪感』や『絶望感』だけでなく『正義感』や『使命感』とも葛藤し、{これまでの努力を無にしない為に、これからの未来の成功の為に、『神様』や『運』から見放されない為に}拒絶して来た“幸福感”を{清浄であった精神世界を穢(ケガ)すように}掘り起こして}
実践する【幸せな想い】が実施されていなくては、
{みんな(集団:小全体)によって行われる{『パラダイム論』の『枠組』や『悪の自然誌』の『実験装置』である}組体操の良し悪しに執着して、『個人の否定』を正当化する}
『イジメ』や『各種ハラスメント』や、
{型にはまった自由や、集団の守護者としての自分本位での暴走が自制できずに、攻撃衝動を『八つ当たり』の形で発散する}
『体制批判』や『無差別テロ』などによる人間そのものの浪費が止まらない」
だろう、
という事である。
≪補足9≫【7月2日・火】(修正あり)
事に対して{個々の様々な【小更新】が組み合わさる}多様性によって対処が行われる【大全体】というのは、{【小更新】を起こす個々の種類が少し増えただけでも}その多様性を様々に組み替える【大更新】を行うコトが出来て、{一時的に、【大全体】が崩壊して、機能不全に陥ってしまった多種多様な個々が、おかしな大義による粛清をまぬがれれば}その対処能力を無限に{多重に分岐させて}高めて行けるものなので、【更新する無限に多様な大全体】という表現になるのです。
【大更新】が{百人百様の科学者によって}分岐されて行く事によって、多重世界な【大全体】となるのですが、その為には、『リセット』をしないという事が、大切になるのです。
『お金』の使われ方を{個々に趣向を発揮するコトによって}分岐させるというのは、『お金』に{株券や手形や小切手などのように}記名をするという事であり、その為には、『お金』もリセット(集めて、貯めて、大金化してしまい、『お金』を、対価として受け取り、対価として送る『連なり』の中に閉じ込めてしまう)をしないという事が、重要になるのです。
≪補足8≫【6月29日・土】
時間認識の前後反転というのは、特定の人世界(小全体の集団)を島のように認識するコト
(「植物の種を持ち込めば、それ“以前”には見られなかったその植物を、それ“以後”からその島で見る事が出来るのですが。その植物を根絶やしにしてしまえば、それ“以前”に見る事の出来ていたその植物は、それ“以後”からその島で見る事はもう出来ないのです。」という時間に於ける{反転している事に誰も気付かないまま形成されてしまった}前後認識(“前”を『受け』て“後”へ『送る』という『連なり』)を世界の理とする世界観)
により形成された(スリ込まれた)モノであり。
その{精神的}縛りによって、人間は『指示命令系統』に従う{【アリ的お一人様】になれなくなってしまい、{個々の趣向(その可能性や発揮)をエラーの様に認識して}みんな(小全体の集団:特定の人世界)でしている事(組体操やマスゲームのようなコト)を意図して目指している、機器の部品の様に均一化された}生き物になり、『お金』を{集めて、貯めて}使った経済を発展させ、『リセット』からの再現を根幹とする科学の進歩を成し遂げて来たのですが。
時間認識の前後反転を{個々から始める事を重要とし、みんなが出来るのは1000年先でもいいと割り切って}修正し始めれば、ノーベル財団の{人間を、『神』の{罪を被ってもらった}子として、「個人としては免責される」という均一な存在としてしまう}思惑から解放され、『パラダイム変換』を{集団に於ける『神の見えざる手』に責任を押し付けた事を自己反省し、個々がその趣向の可能性を掘り起こし、趣向の発揮を各個が個別に追求して行く為の}反面教師にするコトが出来て。
『お金』は、「個人がその趣向を発揮させる上での無限の可能性を持ったモノ」とし使われるコトが大事にされるようになり。
科学(自然世界)に於いては、「百人百様の科学(各個に個別な自然世界)が、個々の科学者によって探究されて、長年のその集計として{現時点での}科学(自然世界:更新する無限に多様な大全体)が在る」という科学観が大切にされるようになるのです。
しかし、どんな事でも、「道路の真ん中を、これが『理に適った行為』だとしてゆっくり走れば、単なる渋滞のモトになるだけ」となってしまうものですから、{真ん中など走らず}避けて譲り、{道さえも走らず}横切って行ってしまい、{自分の行き先を他の道や車に遮(サエギ)られる『時』があっても、それを『受け』て『送り』をする『連なり』での“後”への進行(対策)はせずに、“前”を意識してその影響を受けない{趣向の可能性を活かし、趣向の発揮の妨げにしない}為にも}営業スマイルを欠かしてはならないのです。
≪補足7≫
営業スマイルというのは。『神の見えざる手』に{『神』と受動的に繋がっていて}導かれる{自由で在るコトが「個人としては免責される」事による}一様な構成員で構成される『小全体』で、みんなを統率する立場のリーダーの強制的な指示命令を戒める為のものではないが、リーダーの指示命令に{《自分が合わせ》て}従う立場の一般構成員の無分別な反抗を戒める為のものでもなくて。みんなが『アリ的お一人様』であり、{【自分に合わせ】て}個々に行動する者ばかりでありながら、誰にも{【大更新】の構成員として調和を構築する者として}協調性を失わない為の{『神』と能動的に繋がる、御呪(オマジナ)いや護符のような}ものであります。
≪補足6≫
『お金』が集まったり貯まったりした事に{命を削って土台形成した土台の上なのだから、そこは何をしても{邪魔などされない}安心できるトコロなのだとして}価値を感じられてしまい、『お金』で得をしている事にも{先細りするブロック積みの世界観の土台の上から逃げないで頑張っているコトへの、{文句など言われない}適正な報酬だとして、不安を払拭して}価値を感じられてしまうが故に。
『お金』を{各個が個別に趣向を発揮させられる可能性を無限に持ったモノとして}使って{道路をゆっくり走るのに、避けて、譲って、横切って行ってしまうというように}自由を発揮させるコトを{道路をゆっくり走るのだと、真ん中を譲らず、渋滞が随所で慢性的に起こっていて}誰も彼もが忘れていて、{循環する連なったモノとして}『お金』に{『パラダイム』を形成する枠組のように}みんなを巻き込んだ制限(集金して配分する{株式などの各種金融市場での}組織的投機行為や、人を雇っての{起業の為に会社設立された企業での}会社の運営など)が掛かってしまうという問題が生じてしまうのです。
≪補足5≫
死ぬような思いで{組体操時に勉強や仕事や安全衛生に取り組む事による『自分を合わせ』るコトで命を削って}頑張るコトによる、{ブロック積みの世界観の、破綻へと連なる『連なり』に、逃げずに立ち向かって}土台の上にちゃんと立っているという{誰にも文句など言わせないという、自己陶酔の}安心感によって、人は{下心を実践させていても}得をしたのだという事に{身勝手ながらも、その不安を押し殺して}安心して浸れて、{それが投機によるものであったとしても}『お金』を集めて貯めるコトが{仮初めの安心によるものではありながらも、ようやく}出来るようになれるのですが。そういった『お金』の安心というのは、『お金』の価値の安定(国家が行う物価操作によるもの)の為の前提条件となるものであり、{火事が多かった為に宵越しの銭を持たなかった江戸っ子とは違って}『お金』を集めて貯めるコトが{不安なく}出来る安心の事でありまして、それが{『連なり』という人為的なモノ(『パラダイム論』の枠組)に縛られた人世界の}人が{『アリ的お一人様』で在る}獣と決定的に{何かを忘れて来ている事によるものであり、問題が在るという意味で}違う事の最たるものなのです。
≪補足4≫
『悪の自然誌』は、『神の見えざる手』への問題提起(集団に於ける『神の見えざる手』の在り様を分析し、「個人としては免責される」とされる研究・発見を断行して、枠組に囲われた『パラダイム』の{必ず破綻に至る}不自然さを暴いた)をしていたハズなのですが、{宗教的意図を持った}『ノーベル財団』からの『ノーベル賞』の受賞により、『パラダイム』が{破綻が必然である事により}変換を必要としている事(今の組体操の効果が薄まった時に、新しい組体操を{みんなで}始めれば、{『パラダイム変換』となり}大きな効果が期待できるが。効果の薄まった組体操を止めて、{一人で}何かを始めても、{『パラダイム』で起こっている破綻からは逃れられず}何の効果も得られない)を証明するモノとされてしまったのです。
≪補足3≫
『悪の自然誌』では、その{人為的な}実験装置で特定の『パラダイム』を形成させていて、それを{人の集団行為は『神の見えざる手』による自然なモノであるからとして}自然な現象と言っている。とされている。
≪補足2≫
『ノーベル賞』は、『枠組』が古くて閉塞していた事(集団の窮状)を打開するに至る個人の『研究・発見』を、拾い上げて表彰して、『パラダイム変換』へと至らせている訳であり。どんなに凄い『研究・発見』であっても、『枠組』が古くて閉塞していた事(集団の窮状)を打開する為のモノでなければ、『ノーベル賞』は受賞できない訳であるが。これは、個人にとっては、個々が自由に『研究・発見』をする行為が「個人としては免責される」というモノ(人の罪を背負った『神』が作り出した世界)となってしまう訳でして。これにより、{『枠組』ありきのスリ込みがノーベル財団の意図によって生じて}人々は特定の指示命令系統(新しい『枠組』の成熟・古くなった『枠組』の変換)に従事していればよくなって、誰もが個々の自由な『研究・発見』を自己規制(『枠組』の成熟への従事をしたり、『枠組』の変換への従事をしたりするだけで、各個による個別な自由の発揮などはまったく無いのだが、人にとってはとても楽で、それは中毒症状と言えるモノ)するにいたった訳なのです。
≪補足1≫
『パラダイム』とは「集団に形成された枠組み」でありますから、『パラダイム』を変換させるに至る決定的な『研究・発見』をしたのがたとえ個人であったとしても、特定の『パラダイム』を越える『研究・発見』を個人がした事は『パラダイム変換』ではなくて。個人によるその『パラダイム』を越える『研究・発見』が{『枠組』が古くて閉塞していた事によって}その集団に受け入れられて、その集団に於いて『パラダイム』が変換されるに至った事が、『パラダイム変換』と言える事(状況)なのです。と定義されている。
*何をするにも、営業スマイルが大切となるのです。【6月16日・日】
1000年“後ろ”の時代までは。
差別されているハズの側が{実際によく観て、客観的に考えるほど}恵まれていて、差別しているハズの側(自分・自分たち)が
{『連なり』という{最善最良である事に無理をしてでも{みんなして}《自分を合わせ》るコトを{この世界の理(コトワリ)に則した事だからとして}理想とする}過酷な中での{自己スーパーマン的組体操思考(前後が反転した時間認識(先細りしていく未来)による、ブロック積みの世界観(破綻へと至る世界)での、自分を削る{無自覚に人世界を“消耗”させてしまう}処世術)に追われる}反動による}
不満
(道徳本や思想書などだけではなく、大衆情報誌(週刊誌など)やテレビ番組(ワイドショーなど)や、男性誌(エロ本など)や女性誌(少女漫画など)までもが教則本となってスリ込まれた差別意識による、優越感など無い{羨望と憎悪が入り混じった}嫉妬)
をつのらせてしまっている為に、
{ユダヤ人差別やイスラム教差別や、難民キャンプ非難や移民非難や、男性によるセクハラや女性による痴漢捏造(ネツゾウ)などの}
『憂さ晴らし』が人間の必然であるかのようになってしまっていて。
人世界に於いては、
「自分の趣向や能力やその可能性(修正された時間認識による、開かれた未来観で、みんなが進む道を横切って行ってしまえるコト)を{各個が個別に趣向や能力を発揮させられるように}踏まえ、そんな【自分に合わせ】て{自分が進みたい道を自分のペースでゆっくり走るように}ゆるく取り組む事が行われ、そして{ゆっくり走るのに、{歯車世界で『受け』に甘んじてしまわずに}真ん中を避けて、{歯車世界での『送り』が出来ても笑いとばして}先を譲るように}ゆるく休む事の大切さを、何時も「忘れていないか」と“自問”するコト」
の大切さが、{人世界を無自覚なまま縮小させ、無為に“消耗”させてしまいながら}隠蔽されていて。
《小更新》が{自然世界の部分で}循環を担うような{人による《小全体》での}場合の、その{人為的な『連なり』が形成されている}環境に於ける《小更新》の種類の{必要となる}数が、{【大全体】で【多様性】を形成している、【大更新】の【構成員】である場合の}【小更新】の種類に比べて{乱立しているだけで}ただ多いだけだというのに、
【更新する無限に多様な大全体】のシンプルな構造を{【大更新】に於ける【多様性】の多重構成(【大全体】の本質)を理解せずに}ただ見習い、
{前後が反転した時間認識(先細りしていく未来)の、ブロック積みの世界観(破綻へと至る世界)による、悲観的な危機感ばかりをつのらせて}
『連なり』の回復を大義名分にしての、{人の側からの偏見でしかない}腐食や腐敗の{その物の}排除・{その事の}除去(『悪の自然誌』に於いて人為的でありながら自然とされていた切り崩(クズ)しや、その末の{縛りの交換を繰り返す}『パラダイム変換』)を{自然の理(コトワリ)に則しているとし、進歩の理想形として}断行する(暴走させる)ものだから、
自然世界の破綻が{切り崩しをしては、『パラダイム変換』に至る、そんな{コトの}繰り返しの人世界の暴走に、自然世界がかき回され、《部分化》されてしまって、その歪みが修正されないまま}進んで、自然世界が{人の手によりながら、それが{『神の見えざる手』による}この世界の必然であるかのように言われて}消耗してしまっていて。
自然世界に於いては
「自然に対して{【大全体】の概念(『連なり』に捉われず、【大更新】に於ける【多様性】の多重構成)を根幹にして、各個に於いて個別でゆるく}個々に科学を{《自分に合わさせ》させずに、【自分にあわせ】て}するコト
(集団での方向性が重視(『パラダイム論』にノーベル賞を受賞させた、ノーベル財団の{唯一神教である『キリスト教』の世界観に基づいた}巧妙な{『縛りの交換』を理想の進歩としてしまうような、反面教師の面を削ぎ落す}真意)
された『神の見えざる手』とは似て非なる、{『神』の実在に基づいた超神秘主義の}個人主義である『アリ的お一人様』)
の重要性を「見落としていないか」と“自問”するコト」
の重要性が、
{ノーベル賞により{科学者が個々に展開できるハズの}科学の可能性が先細りし、{自然世界での【大更新】に於ける【多様性】の多重構成が、{『神の見えざる手』を御旗にしての}人為的な《部分解禁》の中で{手当たり次第に}切り崩され、自然世界が《部分化》されて、ドンドン追い詰められてしまって}自然世界の未来が“消耗”されてしまいながら、その{反面教師の面が削ぎ落される}受賞に称賛が集まって}
否定されていたのです。
そして1000年“後ろ”の時代からは。
自然世界での、【更新する無限に多様な大全体】のシンプルな構造の、【大更新】に於ける【多様性】の多重構成(【大全体】の本質)を理解しての、【大更新】の【構成員】としての【小更新】の{自然世界から《小更新》を切り崩していた《部分解禁》とは違う}多様化が、自然世界で{科学として}目指され。
それに伴って、人世界でも、宗教や思想や勢力の乱立を危機と認識しての、{秩序回復や理想の実現を大義名分にした}その{人間そのものを対象にした}排除(『テロ』や『虐殺』などの{広域に於いて『脅迫』となる}武力行使)や{思考を対象にした}除去(『スリ込み』や『誘惑』やなどの{宗教が人類を野性生活(アリ的お一人様)から檻生活(枠組(ワクグミ)に縛られた『パラダイム変換』・人為的な実験装置内を自然としてしまった『悪の自然誌』)に無自覚に移行させてしまった事(ノーベル賞の真の意図)による}精神操作)が、{人世界の多様性を{無為に}減少させて、人間の可能性を{無駄に}閉ざし、{結論として}人の未来を“消耗”させるだけなので}問題であると認知され始めたのです。
そしてその1000年“前(先)”の今では。
『時間認識に於ける前後の反転』が修正され、『ノーベル賞の反面教師としての意義』が評価されて、『エロ本』や『少女漫画』までも{自己スーパーマン的組体操思考に陥(オチイ)り、過酷な試練を自分に課す}教則本としてしまう『スリ込み』が{重大問題として}検証されていて。
それに伴い、{人世界を“消耗”させて来た}『社会経済の発展』や{自然世界を“消耗”させて来た}『科学技術の進歩』の、個々による{『パラダイム』が全体論である事を不思議に思い、『連なり』を世界の理としてしまっている事に疑問を持って、『受け』に甘んじず、『送り』に拘(コダワ)らず、集団としての問題だと{「個人としては免責される」という唯一神教の宗教的な誘惑(無自覚な責任転嫁)にマインドコントロールされて}してしまわずに、“自問”する}自己反省が行われているのです。
しかしそんな今であっても。
1000年“後ろ”の時代と同じで。
趣向の可能性が無限であるハズの『お金』を、経済活動の名の下に一律に使用してしまえば、人の未来を{誰も気付かぬまま}“消耗”させてしまい。
代表的な経済活動とされていた株式市場が再現されれば、{胴元に{高い手数料として}テラセンが集まり、誰かが得をした分だけ別の誰かが損を負う、投機である為に}個々の人間による趣向の発揮の為として使われるハズの『お金』を、無駄に“消耗”させてしまって。
経済効果と称される金額で試算される経済活動が再開されれば、個々の人間の趣向の可能性(人の未来)を、経済効果と称される金額の分だけ、無為に“消耗”させてしまうのですが。
{「個人としては免責される」という{唯一神教の}誘惑に唆(ソソノカ)されて{問題を前にして“自問”をする}自己責任を放棄してしまい、各個に個別な{趣向の可能性を持った}人間である事(趣向の発揮)までも放棄してしまうコトが、無自覚で行われてしまっていると、問題視し}
大切な『お金』を経済活動によって一律に“消耗”させてしまっている事が{人の未来(人類の可能性)を“消耗”させてしまう、最優先されるべき}重大な問題なのだと言って、責任がある『宗教』や責任を負わない『他者』を非難し、{自分の方こそ}自己反省も無く攻撃をしてしまうのでは、{それこそが“消耗”であり}その方が問題でありますから。
とりあえずは、{道路をゆっくり走るのに、避けて、譲って、横切って行ってしまう・・・等々}何をするにも、{“自問”をする為の}営業スマイルが{色々な意味での緩衝行為や時間稼ぎともなって}大切となるのです。
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A15.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開(3)からの続きです。
A19.ちび猫の目指す『知識世界のお話』の公開(5)へ続く。
令和5年度版
*対策・準備を優先させる【ゴミ屋敷】、人間への偏見が悪化する『屑バブル』。【12月3日・日】
{実存主義や構造主義やポスト構造主義で生じる}付加価値(積み上げ)に惑(マド)わされないで
{実存主義からおざなりにされ始め、ポスト構造主義においてなおざりにされてしまった}
本質
(誰もが{特定されない}人間である:個別勝手な土台を持つ:起こってしまう{人間に責任の無い}事態に対処する{対策・準備を更新させる}パラレル対応)
を重要だとして集めた【ゴミ屋敷】と、
【パラダイム論】が{前後が反転した時間認識が前進する時間認識になって}修正されるまで
{反面教師が意識されず、対策の優先が出来なくて、人間(人間としての本質:無力で、責任など負わされても困る、対策・準備の更新を優先すべき存在)への{厄災の原因が{特定の}人(『日本人』や『AくんやBさんやCちゃん』)にあるとする}偏見(責任追及の用意:生贄の選定)が悪化し、魔女狩り(犯人捜し:反省転嫁)が行われるばかりで}
暴(アバ)かれない『閉塞バブル(特定の土台の上でだけ物事が積み上げられる)』や『スリ変えバブル(作用が下向きにだけ作用して{凄惨な人類史に於ける}反面教師が{疑問に思う事もなく}理想として肯定される)』などの『屑バブル』とが、
似て非なるモノであると理解されるのに1000年で済んだのは{10000年かけても無理であったかもしれないので}幸運であった。
*『閉塞バブル』と『スリ変えバブル』。【12月1日・金】
前後が反転した時間認識の『特定の土台の上に物事が積み上がる世界観』で起こる
「可笑しな状況や事態にしながら『お金のつぎ込み』や『科学の積み上げ』が続けられる」
という『閉塞バブル』が、
パラダイム形成の根幹となり、
作用が下向きにしか作用しない『歯車のシステム』で起こる
「反面教師としての提示がされる度に理想の事として認知される:「実存主義(人である前に日本人である)~構造主義(日本人である前にアメリカ育ちである)~ポスト構造主義(アメリカ育ちである前にAくんであったりBさんであったりCちゃんであったりする)と至る」というようにゴリ押し人生哲学(・・・主義)が変遷する」
という『スリ変えバブル』が、
パラダイムシフトの下地となっていると考えられて、
パラダイムに繋がられて(枠組という枷で縛られて)いる事により凄惨な人類史が繰り返されているのだと(人の世の営みの構造を)暴(アバ)いているのが【パラダイム論】であるという理解の修正に{運が良くて}1000年で至れたので、
{1000年かかっても無理だったかもしれないが}凄惨な人類史の繰り返しから脱却できたのです。
*≪裸の王様≫たちに色々な服を着てもらいたい(隠された手品の種と闇魔法)。【8月21日・月】
基本部分
{圧迫反省転嫁をされて頑張り過ぎた事による人間関係や仕事に於ける嫌悪感を、気を逸らす事によって消し去ろうとして、色々と作った}危機論や陰謀論に{マジで}怯えてしまいながら、{結局は}嫌悪感が拭い去れていないという≪裸の王様≫になってしまっている大多数の人々に、多くの者たちの自由を脅かすという事(悪魔の囁きのよるもの)で{危機論や陰謀論に対処しようとして}手を出せないでいた{パラレル対応の:色々な予備軍や持ち駒となる}個別の勝手(≪裸≫になって手放して来ていた色々な服)を{様々な方面で}もっとしてもらいたい(着てもらいたい)のです。
『パラダイム論』の《みんなが同じ事をするのが正しい》や《パラダイムのシフトチェンジが理想の進歩》が{危機論や陰謀論に対処しうるモノだとして}素晴らしく見える(錯覚してしまう)のは「人間や進歩が{何処までも・何時までも}パラダイムに繋がられている」という手品の種が隠されているからである。
それでも人間とは、人間関係や仕事に於ける嫌悪感を消し去る事が出来ない(だから、イジメやハラスメントは激化し、諍いや戦争は増える)のです。
しかし、闇魔法(後進していた時間認識が前進する:作用が下向きに作用(自由(歯車のフリー)によるもの)していたモノが上向きに作用(闇賄賂(賄賂的割り込み投資:投資的割り込み支援)で既得権益に割り込む)する)を使うのであれば、自分で自分に投資・支援をし、既得権益から自分を切り離して、嫌な人間関係や仕事を切り捨てる(人の石垣から抜け出し、社員や請負業務はせずに委託業務だけをして、お金は投資や支援に使う)事が出来すのです。
*≪裸の王様≫たちに色々な服を着てもらいたい(知識認定と反省転嫁)。【8月10日・木】
この人の世の営みはとってもオカシイ。
なのに、何故か、誰もそれに気が付かないかのようにしていて、様々な不条理や理不尽が罷(マカ)り通ってしまっているのである。
反省転嫁(『菜根譚』から導き出した「聖人君子が陥る独善」や「小心者が道理を振りかざす偽善」の造語)が知識認定に於ける評価選別基準になっていて、反省転嫁がし易い考え方ほど高尚な考え方として{聖人君子から}評価され、後世に残すベキものとして{小心者から}選別されて来たからだと思われる。
時間認識が後進なのは、前進する未来が不特定過ぎて、反省転嫁に向かなかったからであろう。
作用が下向きの『歯車のシステム』が人間社会に採用され、『自由(歯車のフリー)』が人間らしさに採択されたのは、作用が上向きの『アリの巣のシステムでの闇賄賂(予備軍や持ち駒への投資)』や『個別な勝手でのパラレル対応(進行する多重世界への対処)』が特定困難なモノで、反省転嫁に向かなかったからであろう。
反省転嫁が知識認定の必須条件になっていて、反省転嫁が近代文明の在り様を決定してしまったと言える。
反省転嫁のし易かった「後進する時間認識」や「作用が下向きの歯車のシステム」が{近代文明の}文化に於ける基本認識に選択されて、「特定の土台の上で物事が積み上がる」が人間社会の枠組(閉塞さ)を構成していて、「自由(歯車のフリー)は勝手とは違う」が人間らしさの象徴(「歯車のシステムの障害になるモノには容赦しない」という自制心を働かせる)とされていても、誰も不思議に思ったり、異を唱えたりしないのである。
理想食は反省転嫁をする事なので、理想食のレパートリー(「美味しくないピーマン食」や「納豆嫌悪になる納豆食」など)はどんどん増加するのだが、勝手食(「よく火を通すピーマン食」や「勝手(自分の好みや都合を優先させる)な納豆食」など)を言っても「我儘の好き嫌い」だと一蹴される。
動物愛護法は反省転嫁をする事なので、飼い猫や飼い犬を保護する為のレパートリー(保護下にない野良猫や野良犬の排除)はどんどん増加するのだが、野良猫や野良犬の個人での保護(迷いや野良への餌ヤリや、再飼育)を言っても「違法な犯罪行為」だと一蹴される。
パラダイム論は反省転嫁をする事なので、『科学の普遍性』や『パラダイムに於ける共通認識の重要性』などの特定の共有を大事にする話しのレパートリー(組体操やマスゲームのような状況の話し)はどんどん増加するのだが、『パラレル対応の科学』や『個別のパラダイム』の大切さの話しをしても「ナンセンス」だと一蹴される。
自由(歯車のフリー)は反省転嫁をする事なので、『自由は勝手とは違う』や『自由で拘りが無くて上手に立ち回れるのが達人』などの自由が大事だとする格言のレパートリー(機械やAIが得意としていて人間が不得意としている土台の形成)はどんどん増加するのだが、『自由(歯車のフリー)に縛られた人間の{機械やAIに対して人間が不利な}問題』や『特定の課題を{機械やAIのように}上手にこなす事からの人間の{作用が上向きの『アリの巣のシステムでの闇賄賂』や『個別な勝手でのパラレル対応』の為の}解放』を言っても「身勝手な怠惰」だと一蹴される。
配分経済(お金を下向きに流す)は反省転嫁をする事なので、・・・お金が配分されて行く経済活動の為のレパートリー(『お金の正しい使い方』や『賄賂はダメ』など)はどんどん増加するのだが、『通貨とは違うお金の作り方・使い方』や『お金を上向きに流す賄賂のすすめ』の大切さの話しをしても「悪徳」だと一蹴される。
様々な反省転嫁が行き交(カ)う人の世の営み(知識の洪水(レパートリーの増加)に流されて{誰もが嫌悪して}不毛になった{人間が得意としていない}土台の上で人々(一般庶民)が悪戦苦闘している)に於いて、≪裸の王様≫にならざるを得ないでいた{多くの一般庶民である}≪裸の王様≫たちに、
{知識の範疇(レパートリーの増加)から出られない機械やAIには出来ない身勝手で、各個バラバラに、{上向きに作用させる闇賄賂(頭を飛び越した作用の働きかけ)を確保し、{下向きの作用に影響されないで}予備軍や持ち駒を多様化させ続ける}パラレル対応の}
色々な服を着てもらいたいのである。
*共生するコミュニティを盛り立てる。【5月14日・日】
宗教や科学や経済に於いてどんなに良いとされる事が言われていても、神へ奉納される自制(理性:ケダモノ以下な事をしでかす)や自由(歯車のフリー:邪魔モノの交換・廃棄で持続する)による{前後が反転した時間認識に基づいた閉塞世界観での}閉塞の先延ばし(神の御加護の獲得を狙った一元化のお披露目)であり、「三段論法の家畜」や「手垢塗れの中のペット」にとっての{危うい}自由と幸せであり、既得権益が持続するお金の遣り取りの{ヒエラルキーに相対しているとしての}正当化であるのだと考えてしまいますし、
{それでは}人の世の営みの{持続に苦労する、砂上の楼閣としての}崩壊を帳消しにする(止められる)理由にはならず、戦争や虐殺やテロが無くならないのだと考えてしまいますし、
{さらには}ノーベル財団のノーベル賞での画策が巧妙であり、誰も可笑しいとは言えない権威によるものであるものだから、様々な分野で進歩や発展が滞っていながら放置されているのだと考えてしまいまして、
{そういった}他者を否定する考え方ががぶつかり合う{アリの巣のシステムとは言い難い}現状でありますが、
{しかし}1000年後には、パラダイム論での進行派と後退派と個別パラダイム派の個々が個別に{反省転嫁に走らずに}能力を発揮し、{和解や両立を目指さず}助け合いながら{一本化や一元化をしないで}棲み分けして、共生するコミュニティを{大全体の構成員として}盛り立てている事でしょう。
*ノーベル賞の軌跡を追って行った先に在る世界。【3月21日・火】
理想の進歩として{スリ替えられて}一般的には言われているが、
本当は閉塞が繰り返されている科学の問題点(後進する時間認識である特定の土台の上での物事の積み上げが閉塞しているのと同じ)を指摘したモノだった、
『科学革命の構造:パラダイム論』や、
研究のお手本として{スリ替えられて}一般的には言われているが、
本当は{絶滅の危機を何度も乗り越えて来た}生態系による人間(周囲を含めて)の除外(例を用いて説明した、自然からの{作用の働き(お金の流れ)が末端へと向かい、指示命令系統に沿って{経済活動が}広がって行く歯車システムの}人の営みへの攻撃)を指摘したモノだった、
『攻撃 悪の自然誌』などが、
ノーベル賞の{人が追える}軌跡であり。
{軍隊型の}歯車のシステムの形で科学技術や経済活動が{一般的には}理解
(宇宙戦艦ヤマトに於いて宇宙人から波動エンジンが手に入った事で波動エネルギーが地球人に使えている:プロジェクトが動き出すと発注がされ受注がされて経済活動が生じる)
されているが、
本当は{提案型の}アリの巣のシステムの形での科学技術や経済活動の理解
(みんな(多種多様な末端)の{様々な}提案の組み合わせの{多様性(多種多様な待機組)が更新する(様々に組み合わさる)大全体での}適時対応での科学技術の進歩で、{後進する時間認識で閉塞していた}物事が{前進する時間認識になって}進行する:みんな(多種多様な末端)からの{様々な}提案のようなお金の流れの{待機組の出資が様々な形をなす}経済活動(パラレルな構造)で、{指示命令系統に沿って発注が広がり末端が受注して硬直していた}プロジェクトが{様々な可能性を取り戻して}進行する)
をしていたというのが{ノーベル賞でスリ替えられた}ノーベル賞の受賞者たちの真実でありまして。
そんなノーベル賞の軌跡を追って行って、
{ノーベル賞の受賞者たちの真実の}その先へと進めれば、
そこに{ノーベル財団が築こうとした}魔法世界(歯車のシステム)とパラレルの{末端から作用が働く}闇魔法世界(アリの巣のシステム)が在るハズなのです。
令和4年度版
*近代文明(知性的人間の驕り高ぶり)の墓穴が周知される。【12月2日・金】
近代文明(知性的人間の驕り高ぶり)の墓穴である『前後が反転した時間認識:みんなが特定の土台の上に乗っていて、物事が積み上がる』や『自制心(理性)によって行えるようになるケダモノ以下な事』や『自由は勝手とは違う:歯車システムな社会での歯車な人間の自由(フリー):アリ(大全体:自然)から離反(実験室化・水槽化・パラダイムの形成)する一元化(非自然)の浸食』が{呪縛の魔法として}周知される闇魔法世界であるが、
その訪れは1000年先になるだろう・・・。
*非自然な状況での異常性の告発の隠蔽が暴露がされる。【12月2日・金】
『攻撃 悪の自然誌』での《実験室》や《水槽》は、
『科学革命の構造』での《パラダイム》と同種のモノで、
みんな(動植物や環境)が一律共通に同じ境遇(非自然な状況)の中に置かれた時の異常性を告発していて。
それをノーベル財団によるノーベル賞が歪めて{隠蔽(インペイ)して}しまって来た事(魔法が掛けられた事)が世界中で暴露されて、
闇魔法世界が始まるのですが。
それは1000年先の話しである・・・。
*重大(利得大:危険性大)な事が目の前にある時には。【12月2日・金】
目の前にある事が重大(利得大:危険性大)であればあるほど、
「それとは違う予備軍」や「拘(カカワ)っていない持ち駒」をどれだけ沢山{多種多様に}確保するかが{大全体として}大切でありまして。
『利得の確保』や『危険性の回避』などで{一律共通の命題だとして}どれほど急き立てられても(派閥への勧誘を受けても)、
{決して}安易に煽動に乗ってはなりません(看板娘としって『グレタ・トゥーンベリ』を担ぎ上げている{尻に火が付いていると言って冷静さを失わせて賛同を募っているような}派閥に{ノーベル財団がノーベル賞で人々を惑わしている魔法(人々を惑わす閉塞した{みんなが特定の土台の上に乗っていて、物事が積み上がっている}世界観:「みんなでパラダイムを形成し、パラダイム変換(シフトチェンジ)はみんなでしなくてはならなくて、その繰り返しこそが最高の進歩である」と言うパラダイムの呪縛)と同種の魔法を掛けられて}スリ寄るような事は{諍いの片棒を担ぐ羽目に必ず陥るので}決してしない)が。
{しかし}そんな{【ダメで良い、KY(空気を読まない)で良い、ブレても良い】などの闇呪文を唱(トナ)える{闇処世術の使える:増えるのに1000年間はかかる}人々による}闇魔法世界(前進する時間認識)が実現するのは、
まだ1000年先になってしまうでしょう・・・。
*『攻撃 悪の自然誌』の真価。【9月10日・土】
「自然界(人類を含む)に於いては、{特定の土台の上という全体に於いて}自然ではない{正しさが求められる、間違いを正そうとする}状況下(実験状況)にあると、不自然な面(攻撃的な排他性:交換・廃棄:正しさの一律な追求:試行錯誤と消去法)が{修正をしているかのように}形成されて{続いて}しまう(悪循環(悪の自然誌)が起こる:人類史に於いて{繁栄を何度しようとも、{パラダイムがパラダイム変換(シフトチェンジ)を起こすように}破綻が必ず起こって}破綻が繰り返されて来た)訳ですが、これは{大全体での}自然な{実験状況(パラダイム:前後が反転した時間認識に基づいた{一律で、閉塞した}世界観)から解放される}状態(正しさ(一律さ:パラダイム)が放棄された状況:{更新する無限に多様な}大全体を構成する予備軍の充実)にならなければ修正されない」
というのが『攻撃 悪の自然誌』の主旨であり、
「ノーベル賞(魔法)の呪縛(正しさの一律な追求:実験状況の人類史)から人々を解放させる事が出来る」
というのが『攻撃 悪の自然誌』の真価である。
*『パラダイム論』の真価。【9月10日・土】
「数多(アマタ)の繁栄と虐殺が繰り返されて来た人類史の残滓(ザンシ)である『ヒンズー教・仏教・道教やアブラハムの宗教』や『史記・三国志や儒教・論語』や『エジプトの神話やギリシャ・ローマ神話』や『ソクラテスやプラトンやアリストテレスや、デカルトやカントやヘーゲルの哲学思想』や『キルケゴールやニーチェや、マルクスやレーニンや、トーマス・クーンやコンラート・ローレンツの哲学理念』を{漫然と}革新性の土台として{堀を掘り、塀を築くように}学んでも、{結局は、パラダイム変換(シフトチェンジ)を繰り返すだけの}正しさの追求(前後が反転した時間認識に基づいた世界観での一律な試行錯誤や消去法)を踏襲する{土台の上に物事が安定して積み上がる為の・歯車システムの作用が減衰せずに伝わる為の}間違い探し(交換・廃棄)のスパイラルにしか至れず、その実践からは{その場しのぎの繰り返しであるパラダイム変換(シフトチェンジ)を招く}破綻しか{現代に於いても繁栄と虐殺が繰り返されているように}生み出されない」
というのが『パラダイム論』の主旨であり、
「ノーベル賞(魔法)の呪縛(一律な世界観での正しさの形成)から人々を目覚めさせる事が出来る」
というのが『パラダイム論』の真価である。
*「良くならない事が各個に行われる」という物事の本質。【9月4日・日】
『正しくあれば上手くいく:土台の上に積み上がる』を前提とする試行錯誤(パラダイム変換(シフトチェンジ)の繰り返し)や、
『正しくなければ破綻する:歯車の作用が伝わらない』を前提とする消去法(交換・廃棄の断行)が、
魔法(『前後が反転した時間認識』や『自由は勝手と違う』に基づいた世界観:{更新する無限に多様な}大全体を構成する予備軍を消失させる)による{魔法世界を形成する}ものだと言われてから、
1000年間も行われて{闇処世術(魔法世界を{正そうとすれば魔法と同じになるので}傍観しながらの闇呪文
(ダメで良い、ダメと言われて良い、誰が(みんなが)ダメでも良い。ダメな老後で良い、ダメな死に様で良い、ダメな死後評価で良い。過去の努力をダメにして良い、今のチャンスをダメにして良い、未来の可能性をダメにして良い。不快に思っても{腹を立てても}良い、無駄をしても{損をしても}良い、卑{ら}しくて{も}良い。勝手で良い、快楽で良い、幸せで良い)
の普及)が続けられて}来ていたが、
{1000年先の}今では社会や経済よりも人(各個:勝手:予備軍)の方が大切(大全体の概念:闇魔法世界)にされていて、
ゲームなどに於いて良くならない{正しくない}事が{各個が個人の好みや都合を優先させて}行われ(それが本来のゲーム:物事の本質)、
社会活動や経済活動に於いて{正しくない}事が{各個が{会社が設備投資や事業拡大などよりも人件費を充実させる事によって:国家や宗教なども同じである事によって}予備軍となるように}行われ(それが本来の人の営み)、
災害など(大地震や戦争での被災)に於いて(その対策内容として)人命救助の為に社会や経済が大量消費(非効率的に非有用に行う)される
(それまでの積み上げを削り、未来の可能性を消耗させる{正しくない}事(土台の上に積み上げられなくなる事、歯車の作用が伝わらなくなる事)が迅速に大規模に行われる:災害時に消耗されるだけの備品(予備軍)を{迅速に使えるようにして}大量に{それまでの積み上げを削り、未来の可能性を消耗させて}用意(正しくない事を:積み上げの邪魔になる事を:作用伝達の邪魔になる事を)しておく)
のである。
*ジプシーたちの一人々々の存在。【4月27日・水】
1000年先に於いて、
画一的になってしまっていた人類を、
その多様性によって大全体の可能性(パラダイムを個別化)をより豊かなものにしてくれたのが、
【ジプシー】や【アメリカインディアン】や【アボリジニ】たちの一人々々である。
歯車システムに於ける異物(車止メである勝手な存在)であり、
土台の上への物事の積み上げに於いて{勝手をして}閉塞を加速させる存在であったが、
闇呪文(ズルで良い、ズルと言われて良い、誰もがズルで良い、晩年がダメで良い、死に方がダメで良い、死んでからの評価がダメで良い)の一般化によって、
状況が一変したのである。
*誰もが掛け替えのない存在。【4月27日・水】
1000年先では、
人々が闇呪文(ズルで良い、ズルと言われて良い、誰もがズルで良い、晩年がダメで良い、死に方がダメで良い、死んでからの評価がダメで良い)を唱え、
前後を修正した時間認識で普通に{歯車システムに於ける歯車であれば必然的に交換・廃棄の対象になる}車止めとして独自に更新し、
大全体を構成する予備軍を担い、
誰もが人の世での掛け替えのない存在となっている。
令和1年度版
*文明社会の先の暗黒時代のその1000年“前(先)”で待つもの。【10月30日・水】修正あり
1000年“後ろ”の時代までは。
現場の沢山の人間が取り組み、長い年月を掛けて築き上げてきた、より沢山の事を、
{根幹土台(自然を下層とする積み上げ)が無い{『神』から}教えられたとされる{宇宙戦艦ヤマトの『波動エンジン』と同様の認識の}物事である為に、{張り出し土台の上への積み上げは出来ても}張り出し土台の直接的な拡張は出来ないのですが}
下層へとどんどん崩(クズ)していく事(張り出し土台の掘り下げ)により、{時間認識に於ける前後が反転してしまっているが故に}物事の可能性の{見かけ上は時間が前へと遡(サカノボ)れて:人間の時間認識が騙(ダマ)されて}より大きな確保
(パラダイム変換:張り出し土台の掘り下げを枠組の取り換えと呼び、それを進歩の理想形として{ノーベル賞の価値を絶対視する事によってスリ込まれて}認識する現象:個々の積み上げ(世界更新の可能性)を{みんなの事を最優先させた結果だとして}均(ナラ)してしまい、張り出し土台の掘り下げ(世界更新の切り捨て)が最重要とされて来た事{リセットを必要絶対としての篩(フル)い行為}を正当化する方便(ホウベン))
が目指され(腐敗・腐食が避けられず、風化が必然として付きまとう科学文明)。
自由に放置されていて、頑張って成果を上げて来た、より沢山の人間(『神』の不良コピー)を、
{競争の原理に於ける、淘汰される大多数の者としての、その価値(淘汰される事により、より良いものが生み出される)が活かされて}
どんどん淘汰していく事により、良い人間によるより良い人間社会の構築(市場原理と同じ作用が働いた結果のもの:『神』の導きの先にあるもの)が目指されていて(合理化に人が使われ、合理化によって人が排除される人間社会)。
そしてさらには、それらへの
{魔女裁判によって火あぶりで処刑された魔女が{教典にない}薬草の事を勉強して{本来なら見捨てられていた}病人という{悪しき}存在に提供して助けていたように、私的な頑張りをしていて合理的でなく強制排除の対象になっているような{ハタ迷惑な存在で価値が無いとされている}人を手助けする様な、【生きた水】の勧めや、【幸せな想い】の勧めや、【KY:空気読まない】の勧めなどの}
反抗に対しての{極端で大袈裟な}見せしめが凶行(世界更新の可能性に対して不安や恐怖を感じ、自分が信じるモノの原理原則を絶対正義として{固執(コシツ)し}ゴリ押しする様な、虐殺やテロなど)されていたのです(理不尽であり残忍(ザンニン)である、破壊と殺戮(サツリク)の人類史)。
そして1000年“後ろ”の時代からは。
崩されたモノや淘汰された者たちが、集められ集まっていて、その個々がそれぞれに{衝突を避けて}主張を控えていたが、{表面上のまとまりだけが形成されて}何の成果も上げられず、{誰もがストレスを溜め込んで}時間ばかりが過ぎて行ったのです(暗黒時代)。
そしてその1000年“前(先)”の今では。
{人為的な物事と}誰もが【KY:空気読まない】である事により{自然の物事と等しく}ストレスを溜め込まずにいて、その個々の全ての主張が自然世界の理(コトワリ)に{強いチームに欠かせない豊富な予備軍(無限の多様性を形成し、適切な更新に至れるもの)として}受け入れられているのです。
しかし、そんな今であっても。
{人為的な物事と}誰もが{計画的な予備軍である}スーパーサブ(想定される危機に備えるモノ)など、{特にみんなでは}目指してはならないのです。
*次のお知らせ。【10月13日・日】
これからは、当ブログ第A0012号の【『ちび猫のつぶやき』の(営業)のこれから先の概要】をメイン用例とさせてもらいます。
≪補足23≫【8月10日・土】
特定の『連なり』に連なった{国家や民族や宗教や会社などの}中で、共通の『連なり』を持って{みんなで同じ自己陶酔をしてしまって}いるから、人間の“利己(憂さ晴らし:『連なり』に連なった事に対しての見返りの{必然的}要求)”が{同じまま}ドンドン増大してしまうのであり。
違う『連なり』の{単なる『お一人様』な}人たちがどんなに集まっても、“利己”が{それが人間の必然の様に}ぶつかり合うばかりで、{【アリ的お一人様】なモノたちの多様性(アリ的集合)によって形成される【大全体】の様には}決してまとまらないものなのですが。
『連なり』を持たなければ(【KY:空気を読まない:営業スマイル】であれば)、様々な人たちが{【KY】に}集まっても、“利己”のぶつかり合いには至らず、{違う意見を持った{【KY】な}人たちの集まりとして、みんながちょっとずつ努力し合う、【大更新】も担える}一つの集まり(アリ的集合)になれるのです。
≪補足22≫【8月3日・土】
他者(ホカ)からの「他者を連ならせていって、大きな『連なり』にしていき、大きな事を成す」という『働き掛け』に対して【営業スマイル(KY:空気読まない)】で払いのけ、自分が『働き掛け』をする事を求められても「自分の【働き】が『連なり』を形成しなくても、自分は正しいので、気にしない」という【営業スマイル(KY:空気読まない)】で払いのけるというのが、【アリ的お一人様(大全体の構成員)】による【アリ的集団形成(大全体の形成)】に於いて不可欠な【アリ的要素(神秘主義)】の{人間世界の事を用いての}具体例の一つである。
世界は【大更新(更新する多様性)】を構成していて、一つ一つには【アリ的要素(神秘主義)】が欠かせず、人間による「作為的な『働き掛け』による『連なり』で{世界を構成する多様性の}一つ一つを縛ってしまい、その{多様性が更新する事による}【無限】の可能性を削ぎ落す事」からは{人間の}一人一人が【営業スマイル(KY)】を駆使して逃れるしかなく、名案とばかりに『連なり』を{物事の理として}持ち出してきて『働き掛け』をしてもその効果は{『パラダイム変換』が必要になる破綻に至るだけで}長続きしないのです。
【更新する無限に多様な大全体】の世界というのは、人間的には{一つ一つが【KY】な}意味のないバラバラなものなのですが、{『悪の自然誌(攻撃)』の中の実験室での}【部分解禁(一つ一つの更新の過度な利用)】に依存していないので、その{時間に於ける前後認識の反転を修正しての、一人一人の個々による世界観の{KYな}形成による}概念からの各個に個別な自由の{KYな}成立は、人間の未来に欠かせないのです。
≪補足21≫【7月31日・水】
【営業スマイル(KY:空気読まない)】が出来るのが、【アリ的お一人様】であり。単に『非連なり』なだけなのは、単なる『お一人様』なだけであるので、そんな『お一人様』が幾ら集まっても、【大全体】の形成には至れない。
特定の『連なり』を共通して持つモノ(人や物事)が集まっても、『小全体』の形成に至るだけであり。『連なり』を求めているだけの様々なモノ(人や物事)が、単なる『お一人様』として幾ら集められても、【大全体】の形成には至れない。
【営業スマイル(KY)】が出来る【アリ的お一人様】の代表格が、{1000年後ろの時代の}日本人(日本民族・日本国)であり。単なる『お一人様』(その集団)というのは、日本人(日本民族・日本国)を「哲学が無い」とか「無宗教である」とか言っていた{1000年後ろの時代の}他の民族や国家や宗教の信者たち(世界中の大多数の人間たち)であり。日本人(日本民族・日本国)を「平和ボケ」と言って自虐し、世界と対等に渡り合える日本人(日本民族・日本国)であろうとしてしまう、{日本国内の}日本人(日本民族・日本国)の一部(知識人たち)も、単なる『お一人様』でしかない。
≪補足20≫【7月27日・土】
1000年後ろの時代までは。砂漠(世界:地球上)に於いて、『本オアシス(小全体)』だけが、{みんなの努力が集まって}特定の『連なり』のルート上に{人々がひしめき合いながらも}集中して作られていて。
人々は、その利用方法を{暗黙の裡(ウチ)に}ルール化してしまい、{無自覚なまま}『倫理・道徳』や『常識・正論』を普遍的なものだと{自分に試練を課すべく、誰もが我慢するべく、みんなで協力するべく、対立(争い)も辞さないで}信じてしまっていたので。
【ジプシー(空気を読まないKY)】などは、『本オアシス(小全体)』の周辺に{たとえ一時利用であったとしても}居ながら、
{ルートから外れた僻地(多様な大世界)での【別オアシス(生きた水など)】の{趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”を行っていて、『本オアシス(小全体)』への依存度が低く}
『倫理・道徳』や『常識・正論』を躊躇(チュウチョ)なく無視(KY)してしまえる{【営業スマイル(空気を読まないKY行為)】をする}存在であった為、
{《ルールを守る人》を食い物にし、人々のルール意識(モラル)を低下させてしまい、{『憂さ晴らし』の}争いを始めるハードルを下げてしまって、{各種ハラスメントや無差別テロなどによる}社会不安を招く}
排除すべき異物とされていたのです。
1000年後ろの時代から。【更新する無限に多様な大全体】の概念の成立とともに、【ジプシー(空気を読まないKY)】のような存在の、受け入れ対応(KYの意義の周知)が始まり。
ルートから外れた僻地(多様な大世界)での、【別オアシス(生きた水など)】の{趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”が、ようやく{一般の人々にも}解禁されたのです。
しかし、{そんな事のあった}1000年先の今でも。
「【ジプシー(空気を読まないKY)】たちが、排除すべき異物とされたのは、【別オアシス(生きた水など)】の {趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”を独占したい【ジプシー(空気を読まないKY)】たちの、{《ルールを守る人》を食い物にし、人々のルール意識(モラル)を低下させてしまい、{『憂さ晴らし』の}争いを始めるハードルを下げてしまって、{各種ハラスメントや無差別テロなどによる}社会不安を招く}巧妙な画策による、{【ジプシー(空気を読まないKY)】たちがズルを発揮しての}意図された{自作自演の}結果であったのだ」
という{『憂さ晴らし』を肯定する、言い訳の}考え方が{善良な人間の真っ当な認識として}拡散されると、【別オアシス(生きた水など)】の {趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”が簡単に否定(嫌悪・拒絶・敵視)されてしまい、{ストレスの溜まる}『本オアシス(小全体)』に{自己保全の為に、命を切り売りして}集まって、{【大更新】による千載一遇のチャンスであった【STAP細胞】の現象を、{命を切り売りする}ヒステリーで『リセット』してしまったような}『憂さ晴らし』の争い(生贄への、命を切り売りする攻撃)を始めてしまうのです。
その為、1000年先の今であっても。
「【別オアシス(生きた水など)】の {趣向の発揮である}“オアシス作り(大全体の形成)”が活かされ、『倫理・道徳』や『常識・正論』を躊躇(チュウチョ)なく無視(KY)してしまえれば、『本オアシス(小全体)』をめぐっての{『憂さ晴らし』を人間の必然とさせてしまう、『試練』や『我慢』や『協力』や『対立』の}『頑張り(自己保全の為に命を切り売りする)』に至らないで済む」
という、【営業スマイル(空気を読まないKY行為)】の本質を{『憂さ晴らし』の言い訳に逃げずに}理解し、{『頑張り(自己保全の為に命を切り売りする)』に陥らない為にも}頑張って{KYを}貫くコトが、大切にされているのです。
≪補足19≫【7月21日・日】
各個に個別な人間による個々の【趣向の発揮】というのは、
人々が連なるコトによって形成されるルート上にだけ{利用価値の高いものや、売りつける為のものや、騙(ダマ)して引き込む為のものなどの}オアシスが作られている砂漠に於いての
「人々の『連なり』によって形成されるルートから外れた{自分以外には誰も使う予定など無い、忌まわしい、僻地のような}所でのオアシス作り」
{の様なモノ}であり。
各個に個別な個人にとっての摩擦の少ない『連なり』との接触方法である【営業スマイル】というのは、
人々が連なるルート上に形成されるオアシスだけが{独占したり、奪い合ったり、騙したりしながら}利用されている砂漠に於いての
「人々の『連なり』のルート上に形成されるオアシスとは違う{誰もが忌み嫌い、避けている}オアシスを利用する者ならではの、{『連なり』のルートから解放された、取り合うモノを持たない立場での、利己的とは対極の}余計な心配や気遣いで{憂さ晴らしが必要になるほどに}疲弊してしまう事など無い、{自分だけ涼しい}苦労の無い行為」
{の様なモノ}であります。
≪補足18≫【7月17日・水】
『リセット』や『連なり』を繰り返しての{《前後が逆転した時間認識》に基づく『ブロック積の世界観』での}進行では到底たどり着けない所ばかりな世界を“前”に見据えて、1000年“後ろ”までの時代までの『閉塞感』や『悲観論』に対処したのが、1000年“後ろ”からの時代での
{物事の各個の個別さが、個々の趣向が活かされる【アリ的お一人様】な人世界で、ランダムに広げられていって、
{『全体』ではなく【個々】の為に{一度は「神は死んだ」と言われながらも}生きてくれていた≪神さま≫による}
世界に於ける【別世界】の予想を広げていく}
想像の{多重で点在する}飛躍であるのですが。
しかし、それでも{【更新する無限に多様な大全体】の概念の『一律な共有』を目指してしまい、『一様なゴリ押し』をしてしまう}人間による{個を失った絶望による}自殺や{独善的に個を奪おうとする}各種ハラスメント(イジメやテロや虐殺など)が無くならない為に、{1000年“前”の時代にあたる}今でも見習うべきなのが、【ジプシー】がする《社会福祉の食い潰し》という{代表的な}営業スマイル(多重で点在する【別世界】との、【個々】を否定しない関わり方)であります。
それは、単に『個々』が多重に点在して存在するだけで、【個々】の意義が見失われ、勢力拡大が『ゴリ押し』されて、絶望や独善が氾濫してしまっている人世界であっては、【個々】の為に生きてくれていた≪神さま≫に対して、あまりにも失礼であるからです。
≪補足17≫【7月14日・日】
【ジプシー】による《社会福祉の食い潰し》というのは、【ジプシー】にとっての営業スマイル(外部の一般世界との関わり方)による結果であって、{神秘主義に基づいた}【アリ的お一人様】な行為(その押し付け)などではなく。
《科学技術の進歩》が労働者を排除してしまうというのは、【アリ的お一人様】を強行(押し付け)してしまう{各種ハラスメントや無差別テロなどの}暴走行為(ゴリ押し)と同じなので。
{人々の}一人一人による《社会福祉の食い潰し》の実践(営業スマイル)によって、人々が{各種ハラスメントや無差別テロなどの}暴走行為(ゴリ押し)に至らないようになれれば、その結果、{そんな人々が担う}《科学技術の進歩》によって労働者が排除されてしまうというような{ゴリ押しの}事態も、
{ハラスメントでしかないような《前後が逆転した時間認識》のゴリ押し(ハラスメントが連なり続ける悪夢)による先細り(『パラダイム論』による{交換の必要に迫られる土台のような}枠組のスリ込み)から『近代科学』が解放されて}
回避されるのです。
≪補足16≫【7月14日・日】
百人百様の【お金】や、百人百様の【大更新科学】や、百人百様の【幸せな想い】とは、神様との関わりを{唯一神教では禁じられている神秘主義の}一対一で直接的に持つ【アリ的お一人様】によるものであり、それによって【大更新】を起こすものでありまして。
その{一人一人による}個々というのは、【大全体】の構成員として{各個に個別であり、色々な組み合わさりをしながら}多様に【小更新】を担うものでありますが。
そんな{本来は多様であるハズの}【小更新】を、{前後が反転した時間認識の上での『ブロック積の世界観』に基づいていて、{先細りして行って}破綻へと連なる}一律な『連なり』に囚われての一様な『小更新』に{誰もが安易に}制限して、{みんなが疑わずに}利用してしまった結果が、『お金』の上にだけ成り立った《社会経済の発展》であり、『近代科学』の制約を受けた《科学技術の進歩》であり、『試練の思い』に依存した《倫理道徳の浸透》であり。
{【小更新】が『小更新』となりながらも頑張って}それなりに有効性ではあるのだが、{【小更新】が『小更新』として限界を越えて酷使される為に}必然の様に破綻へと至るものなので。
1000年後ろまでの時代の{繁栄を極めながらの}閉塞感や悲観論(経済格差は広がり続け、科学技術に労働者が排除されて、人間が苦しみ藻掻(モガ)いた挙句(アゲク)に存在が否定される未来像しか抱けない)は、それら(《社会経済の発展》を成立させた『お金』や、《科学技術の進歩》を支えた『近代科学』や、《倫理道徳の浸透》に欠かせなかった『試練の思い』)によって惹き起こされていたのです。
≪補足15≫【7月13日・土】
1000年先の今の経済世界に於いて、{『連なり』に囚われて使わされる}共通の価値基準をベースとする『お金』よりも、{自分の為に作って使う}百人百様の【お金】の存在がどれほど重要であるとしても、営業スマイルぐらいの{『お金』を得る}仕事や{『お金』を使う}消費が大切で、{【お金】は【お金】、『お金』は『お金』で使い分けて、【お金】を作って使う恩恵を{自由に、安定して}享受するのに}欠かせないですし。
1000年先の今の科学世界に於いても、『リセット』からの再構築を大原則とする{誰もが一律に提供されて、みんなが一様に用いる}『近代科学』よりも、{【大全体】での}百人百様の【大更新科学】の方(【生きた水】の“水作り”など)がどれほど有用であろうとも、営業スマイルぐらいの{近代社会を支える}『近代科学』の基礎知識が大切で、{【大更新科学】からの恩恵を{ハイクオリティで、安全に}獲得する為にも}欠かせないのですが。
1000年先の今の想いの世界に於いても、『倫理道徳』に縛られて『憂さ晴らし』が必然となってしまうような『試練の思い』よりも、{【大全体】での}百人百様の【幸せな想い】の方がどれほど有効であろうとも、営業スマイルぐらいの一般常識が必要で、{【幸せな想い】を{暴走させず、安心して}想う為にも}欠かせないのです。
≪補足14≫【7月13日・土】
1000年後ろの時代までは、誰もが{受けた『お金』を送らされる}『連なり』の中に囚われ、みんなが{無自覚なまま、『お金』を受け取るのに命を切り売りしていながら}『お金』を{自分の趣向の発揮など出来ずに、みんなとの『連なり』の形成の為に}使わされ過ぎている為に、憂さ晴らしが人間の必然となり、{もう『お金』を使わされたくないとか、まだ『お金』が足りていないとかいって}自殺やハラスメント(イジメやテロ)などに多くの人間が駆り立てられていて。
1000年先の今では、{自分で{労働をした分などを}発行して手にする【お金】を、自分の趣向の発揮に使って}『お金』を使わされない事(その為の『お金』を受け取らない事、『お金』の流通が抑制されている事)の重要性が周知されているのですが。
しかしだからといって、{『お金』に依存した自分や社会を{否定してしまって}嫌い、周囲を{当然の事のように}巻き込んで}自殺やハラスメント(イジメやテロ)などを{1000年後ろの時代までと同じ様に}していい訳ではないので。
1000年先の今でも、《営業スマイルぐらいの仕事で『お金』を受け取って、営業スマイルぐらいの生活の為に『お金』を使う》というコト(営業スマイル)はとても大切で、どうしても欠かせない事となっているのです。
≪補足13≫【7月6日・土】
【別の多重世界】を切り開くというと、{何か}大変そうに感じてしまうのですが。{意外と簡単なのですが}本当は、『みんなの目』や『常識』や『嫌悪感』などに惑わされて{必要なものまで削ぎ落して、何時もアタフタとしてしまうような}『清潔感』を暴走させた「汚れや腐食を排除された日用品」に『生きた水』を吹き掛けたり、『倫理道徳』や《不安感や危機感や焦燥感》などにせっつかれて{『命の切り売り』をして、『憂さ晴らし』が必然となってしまうような}『試練の思い』に狂奔する「乱れや腐敗を禁じられた日常生活の場」に於いて【幸せな想い】を自由に想うコトをしたりするだけでいいのです。
それは、【お金】を作って、使うのも同じでありまして。{みんなに『自分を合わせ』るのではなく、【自分にあわせ】て物事に取り組む為の}【お金】を自分銀行に用意し、頑張ったら【お金】を受け取り、その【お金】を使って{疲れないように}自分の自由に{マイペースで}休みを取って、{『みんなの目』や『倫理道徳』など無視して}贅沢な時間の使い方をするだけでいいのであります。
≪補足12≫【7月6日・土】
{対価として『お金』を受け取れる支給と、対価として『お金』を送る支払いとの}『連なり』の中でしか使う事が出来ない『お金』とは違って、{自分が切り開いた【別の多重世界】で“作り”、“使う”だけの}【お金】というのは、
{水道水やPSBやEM菌とは違う【生きた水】の“水作り”や、『倫理道徳』の中で『過去の努力』や『未来の可能性』や『今の運(境遇)の維持』に縛られた『試練の思い』とは違って自由に“想う”コトの出来る【幸せな想い】と同じで}
その“発行”も“使用”も{100%個々の}自由なのです。
≪補足11≫【7月5日・金】
対価の『受け』として『お金』を受け取って、対価の『送り』として『お金』を使うという『連なり』の中に居て
(指示命令系統の『連なり』の中に居る為に、「避けて譲って、横切って行ってしまう」という【アリ的お一人様】での各個に個別な趣向の発揮がされなくなっている)、
どの『お金』でも同じように{『受け』として}受け取るコトしかしないで、どの『お金』でも同じように{『送り』として}特定のモノしか買わなくて、各個に個別な趣向の発揮を{無自覚に}停止させてしまっていて
(本来の【お金】が持っているハズの、個々の趣向の無限の可能性が使われなくなっている)、
国家や企業などの組織の運営の為の『連なり』の中で『お金』が使われ、その『連なり』の過程で{大金として}貯め込まれているので
(個人が自由に『お金』を手に入れられず、『お金』を個々に自由に使う機会が無いように、{そんな『連なり』の世界の維持(運営)である}『リセット』が{断続的に}行われて、『お金』が集められ、貯められ、大金化されている)、
【お金】に{個人的な肩たたき券(物々交換のようなものであり、{対価として使われるような}既存の『お金』での価値は無く、金券偽造や証券詐欺とは違う)のように}記名(『お金』の価値を個人が裏支えするコト)がされる事が{【お金】を『連なり』から解放して、人の手に取り戻す為に}大切となるのです
(【お金】に固有性を認めて、既存の『お金』の『連なり』を分断し、【お金】を人のモノとして、個々の趣向の可能性を無限に持った{発行の自由により使用も自由になった}本来の【お金】とする)。
≪補足10≫【7月3日・水】
多重世界な【大全体】と、人世界の『小全体』の事を簡単に言うと。
「保護するという名目で『ペット』や『老人』を隔離するのが当たり前の、“都市生活”での『ペットの世話』や『老人看護』などに於いて、{『PSB』や『EM菌』などとは似て非なる}【生きた水】の“水作り”をベースにして作る{多重世界の“垣根”を取り除く}掃除洗濯用の『消臭除菌スプレー』や『免菌脱臭溶液』が無くては、膨大な『苦労』と『お金』が必要となってしまう」
だろうし、
「各個に個別な人の個性を無視した『宗教の教義』や『倫理道徳』や『公共のマナー』や『安全衛生』や『男女平等』などを{常識として}追求するコトが“一律”に要求され、{“命を切り売り”するような}『試練の思い』に{無自覚なまま}自己陶酔して『憂さ晴らし』が“必然”となってしまっていて、誰もが{程度の差こそあれ}『鬱』や『被害妄想』や『テロリズム』に陥ってしまう人社会に於いて、自分のモノである【想い】を個々に
{単なる自由とか安易な自分本位とかではなく、『罪悪感』や『嫌悪感』や『絶望感』だけでなく『正義感』や『使命感』とも葛藤し、{これまでの努力を無にしない為に、これからの未来の成功の為に、『神様』や『運』から見放されない為に}拒絶して来た“幸福感”を{清浄であった精神世界を穢(ケガ)すように}掘り起こして}
実践する【幸せな想い】が実施されていなくては、
{みんな(集団:小全体)によって行われる{『パラダイム論』の『枠組』や『悪の自然誌』の『実験装置』である}組体操の良し悪しに執着して、『個人の否定』を正当化する}
『イジメ』や『各種ハラスメント』や、
{型にはまった自由や、集団の守護者としての自分本位での暴走が自制できずに、攻撃衝動を『八つ当たり』の形で発散する}
『体制批判』や『無差別テロ』などによる人間そのものの浪費が止まらない」
だろう、
という事である。
≪補足9≫【7月2日・火】(修正あり)
事に対して{個々の様々な【小更新】が組み合わさる}多様性によって対処が行われる【大全体】というのは、{【小更新】を起こす個々の種類が少し増えただけでも}その多様性を様々に組み替える【大更新】を行うコトが出来て、{一時的に、【大全体】が崩壊して、機能不全に陥ってしまった多種多様な個々が、おかしな大義による粛清をまぬがれれば}その対処能力を無限に{多重に分岐させて}高めて行けるものなので、【更新する無限に多様な大全体】という表現になるのです。
【大更新】が{百人百様の科学者によって}分岐されて行く事によって、多重世界な【大全体】となるのですが、その為には、『リセット』をしないという事が、大切になるのです。
『お金』の使われ方を{個々に趣向を発揮するコトによって}分岐させるというのは、『お金』に{株券や手形や小切手などのように}記名をするという事であり、その為には、『お金』もリセット(集めて、貯めて、大金化してしまい、『お金』を、対価として受け取り、対価として送る『連なり』の中に閉じ込めてしまう)をしないという事が、重要になるのです。
≪補足8≫【6月29日・土】
時間認識の前後反転というのは、特定の人世界(小全体の集団)を島のように認識するコト
(「植物の種を持ち込めば、それ“以前”には見られなかったその植物を、それ“以後”からその島で見る事が出来るのですが。その植物を根絶やしにしてしまえば、それ“以前”に見る事の出来ていたその植物は、それ“以後”からその島で見る事はもう出来ないのです。」という時間に於ける{反転している事に誰も気付かないまま形成されてしまった}前後認識(“前”を『受け』て“後”へ『送る』という『連なり』)を世界の理とする世界観)
により形成された(スリ込まれた)モノであり。
その{精神的}縛りによって、人間は『指示命令系統』に従う{【アリ的お一人様】になれなくなってしまい、{個々の趣向(その可能性や発揮)をエラーの様に認識して}みんな(小全体の集団:特定の人世界)でしている事(組体操やマスゲームのようなコト)を意図して目指している、機器の部品の様に均一化された}生き物になり、『お金』を{集めて、貯めて}使った経済を発展させ、『リセット』からの再現を根幹とする科学の進歩を成し遂げて来たのですが。
時間認識の前後反転を{個々から始める事を重要とし、みんなが出来るのは1000年先でもいいと割り切って}修正し始めれば、ノーベル財団の{人間を、『神』の{罪を被ってもらった}子として、「個人としては免責される」という均一な存在としてしまう}思惑から解放され、『パラダイム変換』を{集団に於ける『神の見えざる手』に責任を押し付けた事を自己反省し、個々がその趣向の可能性を掘り起こし、趣向の発揮を各個が個別に追求して行く為の}反面教師にするコトが出来て。
『お金』は、「個人がその趣向を発揮させる上での無限の可能性を持ったモノ」とし使われるコトが大事にされるようになり。
科学(自然世界)に於いては、「百人百様の科学(各個に個別な自然世界)が、個々の科学者によって探究されて、長年のその集計として{現時点での}科学(自然世界:更新する無限に多様な大全体)が在る」という科学観が大切にされるようになるのです。
しかし、どんな事でも、「道路の真ん中を、これが『理に適った行為』だとしてゆっくり走れば、単なる渋滞のモトになるだけ」となってしまうものですから、{真ん中など走らず}避けて譲り、{道さえも走らず}横切って行ってしまい、{自分の行き先を他の道や車に遮(サエギ)られる『時』があっても、それを『受け』て『送り』をする『連なり』での“後”への進行(対策)はせずに、“前”を意識してその影響を受けない{趣向の可能性を活かし、趣向の発揮の妨げにしない}為にも}営業スマイルを欠かしてはならないのです。
≪補足7≫
営業スマイルというのは。『神の見えざる手』に{『神』と受動的に繋がっていて}導かれる{自由で在るコトが「個人としては免責される」事による}一様な構成員で構成される『小全体』で、みんなを統率する立場のリーダーの強制的な指示命令を戒める為のものではないが、リーダーの指示命令に{《自分が合わせ》て}従う立場の一般構成員の無分別な反抗を戒める為のものでもなくて。みんなが『アリ的お一人様』であり、{【自分に合わせ】て}個々に行動する者ばかりでありながら、誰にも{【大更新】の構成員として調和を構築する者として}協調性を失わない為の{『神』と能動的に繋がる、御呪(オマジナ)いや護符のような}ものであります。
≪補足6≫
『お金』が集まったり貯まったりした事に{命を削って土台形成した土台の上なのだから、そこは何をしても{邪魔などされない}安心できるトコロなのだとして}価値を感じられてしまい、『お金』で得をしている事にも{先細りするブロック積みの世界観の土台の上から逃げないで頑張っているコトへの、{文句など言われない}適正な報酬だとして、不安を払拭して}価値を感じられてしまうが故に。
『お金』を{各個が個別に趣向を発揮させられる可能性を無限に持ったモノとして}使って{道路をゆっくり走るのに、避けて、譲って、横切って行ってしまうというように}自由を発揮させるコトを{道路をゆっくり走るのだと、真ん中を譲らず、渋滞が随所で慢性的に起こっていて}誰も彼もが忘れていて、{循環する連なったモノとして}『お金』に{『パラダイム』を形成する枠組のように}みんなを巻き込んだ制限(集金して配分する{株式などの各種金融市場での}組織的投機行為や、人を雇っての{起業の為に会社設立された企業での}会社の運営など)が掛かってしまうという問題が生じてしまうのです。
≪補足5≫
死ぬような思いで{組体操時に勉強や仕事や安全衛生に取り組む事による『自分を合わせ』るコトで命を削って}頑張るコトによる、{ブロック積みの世界観の、破綻へと連なる『連なり』に、逃げずに立ち向かって}土台の上にちゃんと立っているという{誰にも文句など言わせないという、自己陶酔の}安心感によって、人は{下心を実践させていても}得をしたのだという事に{身勝手ながらも、その不安を押し殺して}安心して浸れて、{それが投機によるものであったとしても}『お金』を集めて貯めるコトが{仮初めの安心によるものではありながらも、ようやく}出来るようになれるのですが。そういった『お金』の安心というのは、『お金』の価値の安定(国家が行う物価操作によるもの)の為の前提条件となるものであり、{火事が多かった為に宵越しの銭を持たなかった江戸っ子とは違って}『お金』を集めて貯めるコトが{不安なく}出来る安心の事でありまして、それが{『連なり』という人為的なモノ(『パラダイム論』の枠組)に縛られた人世界の}人が{『アリ的お一人様』で在る}獣と決定的に{何かを忘れて来ている事によるものであり、問題が在るという意味で}違う事の最たるものなのです。
≪補足4≫
『悪の自然誌』は、『神の見えざる手』への問題提起(集団に於ける『神の見えざる手』の在り様を分析し、「個人としては免責される」とされる研究・発見を断行して、枠組に囲われた『パラダイム』の{必ず破綻に至る}不自然さを暴いた)をしていたハズなのですが、{宗教的意図を持った}『ノーベル財団』からの『ノーベル賞』の受賞により、『パラダイム』が{破綻が必然である事により}変換を必要としている事(今の組体操の効果が薄まった時に、新しい組体操を{みんなで}始めれば、{『パラダイム変換』となり}大きな効果が期待できるが。効果の薄まった組体操を止めて、{一人で}何かを始めても、{『パラダイム』で起こっている破綻からは逃れられず}何の効果も得られない)を証明するモノとされてしまったのです。
≪補足3≫
『悪の自然誌』では、その{人為的な}実験装置で特定の『パラダイム』を形成させていて、それを{人の集団行為は『神の見えざる手』による自然なモノであるからとして}自然な現象と言っている。とされている。
≪補足2≫
『ノーベル賞』は、『枠組』が古くて閉塞していた事(集団の窮状)を打開するに至る個人の『研究・発見』を、拾い上げて表彰して、『パラダイム変換』へと至らせている訳であり。どんなに凄い『研究・発見』であっても、『枠組』が古くて閉塞していた事(集団の窮状)を打開する為のモノでなければ、『ノーベル賞』は受賞できない訳であるが。これは、個人にとっては、個々が自由に『研究・発見』をする行為が「個人としては免責される」というモノ(人の罪を背負った『神』が作り出した世界)となってしまう訳でして。これにより、{『枠組』ありきのスリ込みがノーベル財団の意図によって生じて}人々は特定の指示命令系統(新しい『枠組』の成熟・古くなった『枠組』の変換)に従事していればよくなって、誰もが個々の自由な『研究・発見』を自己規制(『枠組』の成熟への従事をしたり、『枠組』の変換への従事をしたりするだけで、各個による個別な自由の発揮などはまったく無いのだが、人にとってはとても楽で、それは中毒症状と言えるモノ)するにいたった訳なのです。
≪補足1≫
『パラダイム』とは「集団に形成された枠組み」でありますから、『パラダイム』を変換させるに至る決定的な『研究・発見』をしたのがたとえ個人であったとしても、特定の『パラダイム』を越える『研究・発見』を個人がした事は『パラダイム変換』ではなくて。個人によるその『パラダイム』を越える『研究・発見』が{『枠組』が古くて閉塞していた事によって}その集団に受け入れられて、その集団に於いて『パラダイム』が変換されるに至った事が、『パラダイム変換』と言える事(状況)なのです。と定義されている。
*何をするにも、営業スマイルが大切となるのです。【6月16日・日】
1000年“後ろ”の時代までは。
差別されているハズの側が{実際によく観て、客観的に考えるほど}恵まれていて、差別しているハズの側(自分・自分たち)が
{『連なり』という{最善最良である事に無理をしてでも{みんなして}《自分を合わせ》るコトを{この世界の理(コトワリ)に則した事だからとして}理想とする}過酷な中での{自己スーパーマン的組体操思考(前後が反転した時間認識(先細りしていく未来)による、ブロック積みの世界観(破綻へと至る世界)での、自分を削る{無自覚に人世界を“消耗”させてしまう}処世術)に追われる}反動による}
不満
(道徳本や思想書などだけではなく、大衆情報誌(週刊誌など)やテレビ番組(ワイドショーなど)や、男性誌(エロ本など)や女性誌(少女漫画など)までもが教則本となってスリ込まれた差別意識による、優越感など無い{羨望と憎悪が入り混じった}嫉妬)
をつのらせてしまっている為に、
{ユダヤ人差別やイスラム教差別や、難民キャンプ非難や移民非難や、男性によるセクハラや女性による痴漢捏造(ネツゾウ)などの}
『憂さ晴らし』が人間の必然であるかのようになってしまっていて。
人世界に於いては、
「自分の趣向や能力やその可能性(修正された時間認識による、開かれた未来観で、みんなが進む道を横切って行ってしまえるコト)を{各個が個別に趣向や能力を発揮させられるように}踏まえ、そんな【自分に合わせ】て{自分が進みたい道を自分のペースでゆっくり走るように}ゆるく取り組む事が行われ、そして{ゆっくり走るのに、{歯車世界で『受け』に甘んじてしまわずに}真ん中を避けて、{歯車世界での『送り』が出来ても笑いとばして}先を譲るように}ゆるく休む事の大切さを、何時も「忘れていないか」と“自問”するコト」
の大切さが、{人世界を無自覚なまま縮小させ、無為に“消耗”させてしまいながら}隠蔽されていて。
《小更新》が{自然世界の部分で}循環を担うような{人による《小全体》での}場合の、その{人為的な『連なり』が形成されている}環境に於ける《小更新》の種類の{必要となる}数が、{【大全体】で【多様性】を形成している、【大更新】の【構成員】である場合の}【小更新】の種類に比べて{乱立しているだけで}ただ多いだけだというのに、
【更新する無限に多様な大全体】のシンプルな構造を{【大更新】に於ける【多様性】の多重構成(【大全体】の本質)を理解せずに}ただ見習い、
{前後が反転した時間認識(先細りしていく未来)の、ブロック積みの世界観(破綻へと至る世界)による、悲観的な危機感ばかりをつのらせて}
『連なり』の回復を大義名分にしての、{人の側からの偏見でしかない}腐食や腐敗の{その物の}排除・{その事の}除去(『悪の自然誌』に於いて人為的でありながら自然とされていた切り崩(クズ)しや、その末の{縛りの交換を繰り返す}『パラダイム変換』)を{自然の理(コトワリ)に則しているとし、進歩の理想形として}断行する(暴走させる)ものだから、
自然世界の破綻が{切り崩しをしては、『パラダイム変換』に至る、そんな{コトの}繰り返しの人世界の暴走に、自然世界がかき回され、《部分化》されてしまって、その歪みが修正されないまま}進んで、自然世界が{人の手によりながら、それが{『神の見えざる手』による}この世界の必然であるかのように言われて}消耗してしまっていて。
自然世界に於いては
「自然に対して{【大全体】の概念(『連なり』に捉われず、【大更新】に於ける【多様性】の多重構成)を根幹にして、各個に於いて個別でゆるく}個々に科学を{《自分に合わさせ》させずに、【自分にあわせ】て}するコト
(集団での方向性が重視(『パラダイム論』にノーベル賞を受賞させた、ノーベル財団の{唯一神教である『キリスト教』の世界観に基づいた}巧妙な{『縛りの交換』を理想の進歩としてしまうような、反面教師の面を削ぎ落す}真意)
された『神の見えざる手』とは似て非なる、{『神』の実在に基づいた超神秘主義の}個人主義である『アリ的お一人様』)
の重要性を「見落としていないか」と“自問”するコト」
の重要性が、
{ノーベル賞により{科学者が個々に展開できるハズの}科学の可能性が先細りし、{自然世界での【大更新】に於ける【多様性】の多重構成が、{『神の見えざる手』を御旗にしての}人為的な《部分解禁》の中で{手当たり次第に}切り崩され、自然世界が《部分化》されて、ドンドン追い詰められてしまって}自然世界の未来が“消耗”されてしまいながら、その{反面教師の面が削ぎ落される}受賞に称賛が集まって}
否定されていたのです。
そして1000年“後ろ”の時代からは。
自然世界での、【更新する無限に多様な大全体】のシンプルな構造の、【大更新】に於ける【多様性】の多重構成(【大全体】の本質)を理解しての、【大更新】の【構成員】としての【小更新】の{自然世界から《小更新》を切り崩していた《部分解禁》とは違う}多様化が、自然世界で{科学として}目指され。
それに伴って、人世界でも、宗教や思想や勢力の乱立を危機と認識しての、{秩序回復や理想の実現を大義名分にした}その{人間そのものを対象にした}排除(『テロ』や『虐殺』などの{広域に於いて『脅迫』となる}武力行使)や{思考を対象にした}除去(『スリ込み』や『誘惑』やなどの{宗教が人類を野性生活(アリ的お一人様)から檻生活(枠組(ワクグミ)に縛られた『パラダイム変換』・人為的な実験装置内を自然としてしまった『悪の自然誌』)に無自覚に移行させてしまった事(ノーベル賞の真の意図)による}精神操作)が、{人世界の多様性を{無為に}減少させて、人間の可能性を{無駄に}閉ざし、{結論として}人の未来を“消耗”させるだけなので}問題であると認知され始めたのです。
そしてその1000年“前(先)”の今では。
『時間認識に於ける前後の反転』が修正され、『ノーベル賞の反面教師としての意義』が評価されて、『エロ本』や『少女漫画』までも{自己スーパーマン的組体操思考に陥(オチイ)り、過酷な試練を自分に課す}教則本としてしまう『スリ込み』が{重大問題として}検証されていて。
それに伴い、{人世界を“消耗”させて来た}『社会経済の発展』や{自然世界を“消耗”させて来た}『科学技術の進歩』の、個々による{『パラダイム』が全体論である事を不思議に思い、『連なり』を世界の理としてしまっている事に疑問を持って、『受け』に甘んじず、『送り』に拘(コダワ)らず、集団としての問題だと{「個人としては免責される」という唯一神教の宗教的な誘惑(無自覚な責任転嫁)にマインドコントロールされて}してしまわずに、“自問”する}自己反省が行われているのです。
しかしそんな今であっても。
1000年“後ろ”の時代と同じで。
趣向の可能性が無限であるハズの『お金』を、経済活動の名の下に一律に使用してしまえば、人の未来を{誰も気付かぬまま}“消耗”させてしまい。
代表的な経済活動とされていた株式市場が再現されれば、{胴元に{高い手数料として}テラセンが集まり、誰かが得をした分だけ別の誰かが損を負う、投機である為に}個々の人間による趣向の発揮の為として使われるハズの『お金』を、無駄に“消耗”させてしまって。
経済効果と称される金額で試算される経済活動が再開されれば、個々の人間の趣向の可能性(人の未来)を、経済効果と称される金額の分だけ、無為に“消耗”させてしまうのですが。
{「個人としては免責される」という{唯一神教の}誘惑に唆(ソソノカ)されて{問題を前にして“自問”をする}自己責任を放棄してしまい、各個に個別な{趣向の可能性を持った}人間である事(趣向の発揮)までも放棄してしまうコトが、無自覚で行われてしまっていると、問題視し}
大切な『お金』を経済活動によって一律に“消耗”させてしまっている事が{人の未来(人類の可能性)を“消耗”させてしまう、最優先されるべき}重大な問題なのだと言って、責任がある『宗教』や責任を負わない『他者』を非難し、{自分の方こそ}自己反省も無く攻撃をしてしまうのでは、{それこそが“消耗”であり}その方が問題でありますから。
とりあえずは、{道路をゆっくり走るのに、避けて、譲って、横切って行ってしまう・・・等々}何をするにも、{“自問”をする為の}営業スマイルが{色々な意味での緩衝行為や時間稼ぎともなって}大切となるのです。
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