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gunung-sepeda

今日も踏んでます

空気がなくなる日

2009-02-06 21:10:32 | おもうこと
そんなタイトルの絵本を子供の頃に読んだ記憶がある。
たしか小学校の課題図書になってたんじゃないかな?


あと数日後に彗星が地球に接近して
その間空気が無くなってしまうらしいぞ
っていう噂が村に流れる。

村人は洗面器に顔を漬けて、少しでも長く息を止める訓練をするんだけど
長い時間耐えられるわけも無く、結局は死を覚悟してその日を迎える。

金持ちは空気を蓄える為に自転車のチューブを買い占めて悪足掻きをする。
たしか自転車屋が法外な値段で売りつけたんだったっけ?

結局空気が無くなるなんて奇天烈な現象は起こらなかったけど
村人には金持ちに対する遺恨みたいなのが残って…

うろ覚えだけど、大体そんな内容だったと思う。

結末はどうだったのか忘れてしまったけど
子供ながらに、金にものを言わせて自分だけ助かろうとした金持ちが酷く醜くて滑稽で
成す術の無い民衆の無力さが切なくて
理不尽な貧富の差を海外ドラマの「ルーツ」を観るよりリアルに感じて
読後感はなんかざらっとした変な感じだった記憶がある。

一見コミカルな設定のなかに、シニックに織り込まれた深刻な問題提議が
まだ世の中の仕組みを理解出来ていない、幼い心を混乱させたんだと思う。





空気が無くなっても、これだけあれば結構な時間はいけそうだけどねー
あ、全部パンクしてんだった。

ってそんな事じゃなくて


現代の先進国では当たり前のインフラが、当たり前に機能しなくなる日が近づいている現実に、いま何をすればいいのか?

空気や水と同様に、現代社会に不可欠な(になってしまった)エネルギー

そう遠くない将来、それは多分まだ自分が生きてる内に
化石エネルギーは枯渇するだろうし、そうじゃなくても庶民の手に入るものではなくなるだろう。

今は経済不況で原油価格が下がってて、半年前の高騰で右往左往していた事を忘れちゃったり、思い出さないようにしたりしてるけど
いずれそれ以上の値段になるのは誰にでも想像出来ること。
最後はチューブを持ってる自転車屋の言いなりの値段になる。



もしかしたら革新的な新技術が開発されて、代替エネルギーが急速に実用化するかもしれないけれど、ヒーローアニメよろしくピンチに必ず救世主が現れてくれる確証はなく、当てにするわけにもいかない。


今自分に出来る事は、エネルギーに依存した生活から少しでも脱却する事を心がけて生活するしかない。




電気やガソリンが無くなった生活を想像して、対処方法を具体的に考えてみる事も必要だと思う。
きっと自転車に乗って移動して、畑を耕して糧を得る生活が浮かんでくると思う。


あまり突き詰めると、物を生産して販売する行為、今の自分の生業を否定しちゃうんだけど…



うちには足踏みミシンがあって、これはいずれ必要になると思って買ったんだけど引っ越してからはまだ使っていなくて、今はパソコンデスクに成り下がっているんだけど
今年はこいつらを使って非電力生産のアイテムをラインナップしようと思ってます。

そういえばはらぺこバッグも足踏みミシンで作ったんだよな。


それで何が変わるのか?
大勢に何の影響も及ぼさないだろうけど
来るべき時代に向けて自分の意識を変えるだけでも大きな進歩になるはず。

無駄な物は作らない。
無駄な作り方はしない。
リサイクルの素材を使う。
いまあるもの、身近なものを上手く利用する。
壊れたら直して使う。

生産にも流通にも環境負荷をかけない方法を考えていけば
自ずとエネルギー依存の少ないやり方になっていく。


チューブを買い占めた村の金持ちは、世界の国で言えば一部の富める先進国みたい。

村人からお年貢米を取り立てて、自分で開いた賭場に突っ込んで、結局大損して更に村人を困らせてるお馬鹿な庄屋さんがいるよね。

でもアメリカに追従して、従属してきた日本はもっとだらしないかもな…

何言いたいのかわかんなくなってきたけど、
自分の物は自分で作らなきゃならなくなるから、準備しときましょ!

って事です。





椅子

2008-12-10 00:27:53 | おもうこと
アトリエ(と呼んでる作業場)を移転して早四ヶ月。
普通ならば、すべて整った、清々と作業が出来る空間に仕立て上げるには充分な時間だろう。
なのに現状はなぜか引っ越し段ボール開梱率50%程度という体たらくな状況なのです。

しかしながらそこはO型夫婦、そんな状況にも持ち前の寛容さを発揮して、雑然の中にも己の勝手な解釈で整然を見出し、歩行を阻む荷物の山さえも当然と受け入れてしまいつつある。


とにかくこのままではまずいので、年末を目標に快適作業空間化に着手しようじゃないかと相成った。


先週末は応接室(と呼んでる茶の間)に椅子を買ってみた。

そこは四畳半の和室。
ちゃぶ台に座布団という和み空間で、おやつ休憩の後はついつい横になってしまったりするんだけど、一応仕事場なんだから極力地べたに座り込まないようにしようって方向性で。

でも四畳半にでかいソファーなんて邪魔なだけ。
狭い日本家屋にも合う椅子といったらやはりこれですかね。





一時期の変な流行りは落ち着いた感もあるkチェア

運良く60レーベルになる前のローマ字ラベルの新品を手に入れることが出来た。

一脚現行のが混じってるけど、並べてもまったく判らないところはさすがロングライフデザイン。(中身は違う気もするけど…)

いつでも同じものが買い足せる安心感は嬉しい。

「同じもので揃えたいから古いの捨てて全部買い替えちゃえ」なんて無駄も無くなるね。



おまけでサイドテーブル(これも新品同様)も付いてきた。

これでやっと茶の間から応接室…否、田舎の不動産屋っぽく成った感じ。



特別な個性もないけど、誰に嫌われることもない。
時代も空間も問わずに使われ続けるプロダクトって、やはりその存在には意義があると思う。





「これが良い」ではなく「これで良い」 って、良品計画のコピーだったかな?

なんだか間に合わせ的で消極的な選択を連想してしまってすごく嫌いなんだけど、ほんとの意味はそうじゃないんだろうな、きっと。




自転車だってそう。
走行性能を追及してなのか、新しい規格が湧いて出てくるけど、それが多くのユーザーにとって有難いことなのかは疑問。
良いものは残って、やがて定番化していくんだろうけどね。

リペアーパーツをちゃんとフォローしてくれて、永く使えるっていうのも性能の一つなんだよな。




明日はbike to work day

夜はw-beseの四周年パーティー


始発→終電のハードな一日になりそうです。 
電車じゃ帰れないか…

てか、もう今日だ。早く寝なきゃ。