毎年この時期になると、ワタシの本読みは拍車がかかる。
それは
元旦に決めた<作家60人読む>を、達成するための足掻きでもある。
で、
大晦日に読書記録を開くと、
ずらーーーと書いた著者とタイトルに
『あれ この話なんだったかなぁーーー」と首をひねる。
切り取られた日常の物語りの中のカケラすら、
小さな脳みその襞に残っていない。
チョットした時間を見つけては読んだ、あの時間は浪費か、、と驚き、
少なからずショックでもあった。
面白く読んだはずが、時間の経過と共に記憶から遠ざかり、
書き手が綴る言葉の脆さと筆力の違いに戸惑った。
なにが違うのやろか。。。。。
その時、
二年ほど封印していた作家の本を無性に読みたくなった。
そのお方は・・・一度しっかりキライになった、、林真理子さんだった。
どうやら
<別れても好きな人>的なモノが、ずーーーとあったらしい。
それは、林真理子という作家の筆力に抗えない魅力があったからだ。
良し!林真理子の本を!!と勇んで
図書館の棚を覗きに行くと、ほとんどの本は貸し出し中。
ちんまりと七冊だけが、
「わてら、人気ないんどすぅ~」と云わんばかりに並んでいた。
その中に、なぜか二冊上下巻も揃い、お茶っぴきと思しき本が・・・
『正妻 慶喜と美賀子』は、しっかりとした厚みのある本だった。
家政婦は見た的な物語りは、
覗き見するような、俗まみれのワクワクがある。
一方で実在した人物の物語となると、
時代考証でしっかり肉付けされた文章は、読む努力が要る。
分厚いし、二冊となれば尚更だ。
が、
大好きな江戸時代、
しかも徳川家のドロドロの沼の譚とくれば逃すはずもない。
そして、
読み進めて直ぐ、林真理子の超人ハルクの筆力の凄さで、
あっという間にドロドロ沼に飲まれた。
◇江戸好きの ひとり言。。◇
なぜ、ワタシが江戸時代が好きになったかという理由が二つある。
江戸時代を語ると止まらない、故杉浦日向子さん。
杉浦さんは、まるで見てきたかのように熱く、楽し気に、
江戸の庶民の生活や恋愛事情・美しく粋な風情を語った。
その視点は、
ワタシの好奇心を膨らませ、
ますます江戸が好きになったのは言うまでもない。
二つ目は、ワタシの小学5年の話。
隣の学区の小学校に転校生が入って来た。
その転校生の名前は、瞬く間にワタシの通う小学校にまで轟いた。
名前は<徳川>さん。
父上の転勤でやって来た転校生は、徳川家の末裔だという。
当時の小学生たちは、やんごとなき血筋に、
強烈な好奇心と憧憬で、『やっぱり全然違う。。」と噂が飛び交った。
あと一年半待てば、徳川さんと中学で合流し、
この目でシカと見れるはずだった。
中学入学を目前に、徳川さんちは、また転勤となった。
昭和のイケイケゴーゴーの時代になっても、
徳川家の威光は燦然と放っていた。
小学生たちの目は徳川さんの一挙手一投足まで捉え、大スター並み。
やんごとなき血筋。。
この時から<徳川幕府>に、
とぐろを巻いたような好奇心が芽生えた。
◇超人ハルク 林真理子の物語の沼に充たされる。。◇
「正妻 慶喜と美賀子」は、
若くシュッとした徳川慶喜と
京の貴族の娘美賀子が江戸に輿入れする経緯から始まる。
夫となる慶喜は、
超美形、冷静沈着で頭脳明晰、しかもモテる。
妻の美賀子は、
はんなりとした美しさで、慶喜はとても気に入っていた。
慶喜の言い放った女好き宣言に不安を覚えながらも、
夫婦として愛情が深くなる。
が
慶喜の掴みどころのない性格と愛情に、猜疑心と嫉妬に苦しみ、
美賀子は妻でありながら、慶喜と完全に距離を置く生活になる。
この後の
水戸と紀州の将軍継嗣のすったもんだの大競り合いにも、
我関せずの慶喜だったが、
とうとう逃れられず15代将軍となる。
慶喜が15代将軍に就くことは、
大奥の意向とは真逆だったため、めちゃくちゃ嫌われた。
将軍なのに子孫繁栄の大奥には上がらなかった。。
その時、運悪く慶喜最愛の側室が病死したため、
懇意にする大工の棟梁の娘を見初め、即行<愛人>に。。
京の帝との交渉や倒幕派との戦いにも、愛人を同行している。
で
慶喜の常人ではない利己的で冷静沈着な気質は、
これまた、とんでもない所に出てくる。
討幕派と戦う大阪城に籠る幕府軍。
なんと慶喜は、大阪城を抜け出し、
愛人と数人の家臣を引き連れ、船で江戸に逃げたのだった。
それを知った大奥の女たち、、連れていた愛人にも非難され、
慶喜は四面楚歌。
が
慶喜は常識はずれな行動に出る。
大奥に寝やを共にする、おなごを所望。
これに大奥は、断固拒否という物凄い展開。
ここまで来ると、ただの女好きか、、
それは、否である。
幕府は風前の灯火と考える慶喜は、
徳川の血脈をなるべく多く遺すためだったと思われる。
その事が良く分かるのは、
徳川幕府がなくなり、
家臣そして美賀子と共に静岡で暮らすことになり、
その時も、
選りすぐりの二人側室も同じ屋敷に住むのだが、
死産も含め、二十四人の子供をつくった。
武士たるものこうあるべき!!という概念はなく、
常に先を見通し続けた。
これが、今も徳川家の末裔が残れた由縁ではないかと思う。
正室の美賀子は60歳で亡くなるが、
慶喜は最後まで手を尽くしたと云われている。
小学5年の時から、
とぐろを巻き続けたワタシの好奇心は、深い深く満たされた。
中学の教科書のさらりと書かれた数行には、
こんなにも面白くドロドロの沼があった。
実は、この本を読んだのは二年前。
全然忘れないし、しっかりと脳みその襞に残っている。
しっかりキライと言っておきながら、
この本で超人ハルク林真理子になった。
そして、もう一つ。
林真理子さんを超人ハルクの世界観と、言いたいことがある。
3・11東日本大震災で親を亡くした子供たちを、援助する会が発足。
日本の有名人・医師・弁護士・作家などの中に、
林真理子さんもいた。
年一回?行われるチャリティーコンサートは、
有名人の出演が目白押し。
派手な宣伝とパフォーマンスで、
なんとなくニュースで見たりしていた。
その時のワタシは、、
なんか 自分に酔ってるんじゃないの 嘘くさい
などと、サイテーなことを思っていた。
そのチャリティーについて、林さんの夫が
『なんか 派手すぎない?好きじゃないなぁ』みたいなことノタマッタ。
林さんは
派手に打ち上げれば 沢山の人がチャリティーに来てくれる
それは 沢山の支援に繋がる
みたいな意味の言葉を返した。
その支援の会で、
支援を受ける子供たちは、社会人になるまで受けられる。
高額費用の掛かる歯の矯正が必要な子がいたら、矯正をさせる。
会の中でも、かなりの論議になったが、
林さんの
もし自分が親ならば、社会に出る前に受けさせる。
そういう支えをしなければ、意味がない。
この一言で
会の歯科医たちが、安く矯正を出来るよう協力をしてくれた。
そして多くの子供が、社会人として巣立って行った。
政治が出来ない事を、私人がやっていたことに、頭が下がった。
辛辣だし、エッ!?と思う言葉もあるが、
本質を外さない林真理子の心の太さは、
やっぱり超人な女だし、凄い物書きだと思う。
そして
本質を外さない言葉は、読み手の奥深くにあり、
長い時間発酵しながら、ちゃんとした答えになってゆく。
自分の正義感と見通す力の薄さを、甚く思い知らされるのだった。
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