Salsa する?

Salsaの力を信じてます。
ココロの核にしみ込んで、カラダの芯が躍動します。

心に口紅を‼️ 闘魂のサムライジャパン&トラビスジャパン 全世界配信「JUST DANCE」

2023-03-24 19:48:05 | gumrie


💛希望をくれたWBC💛

WBCが終わってしまった。

最初は、なんとなくサムライジャパンは強いんじゃないか。。
だって、
世界の大谷やダルビッシュ、佐々木朗希、村上サマいるし、、
そんな程度で観始めたWBC。

それが蓋を開けたら、
日本中の老若男女の心の奥に眠っていた希望を、激しく揺さぶった。
観る側は、優勝出来たらイイナぁ〜だった筈が、
勝ち進むにつれ、TVの前で両手を組み、
普段したこともない祈りの姿勢に。

あり得ないほど、強烈な熱いモノに絡め取られていた。
三年間日本を覆っていた、
ため息と不安と諦めを吹っ飛ばすほどの威力で。

そこには、
コロナ禍で、もぎ取られた自由、
やっと終息の方向が見えそうな令和5年。
怒涛の値上げラッシュに
年金も削られ
政治は黒い煙幕の中。。

希望とか、
未来への期待など持てるはずがない。

光のない現実は、
私達に、しっかり負の心を根付かせていた。。
だが、
サムライジャパンは、全員の長年の夢<WBC優勝>を成し得た。。
それも
マンガみたいなドラマの結末は、奇跡という不思議なモノを味方にした。

僅か一か月という短期間に繋いだ信頼、、?
そこには、
相性とかを超えたファミリー的な結束感があった。

偉大なあんちゃん(兄)たちと憧れ慕う弟たち、
それに、しっかり見守ってくれる父ちゃんたち。
選び抜かれた選手たちが、こんな感じになっていた。

こんなチームは、今までなかった。
十分な実力だけでは乗り切れない壁を、ファミリー結束で取った勝利だと思う。
感動という空々しい言葉がキライだったのに、全身で感動した自分がいた。

それは、、
とっても大事なことを、サムライジャパンの中に見たからだった。

そして、もう一つの奇跡を書きたい。
去年の7月、
観た瞬間、ザワザワさせられた日本のボーイズグループがいた。
それが、崖っぷちに立っていたトラビスジャパンだった。


💚世界へ飛べ! トラビスジャパン💚

あの有名な「アメリカンズ・ゴット・タレント」
イギリス版のゴット・タレントでは、
あのスーザン・ボイルを見出したので有名な番組。
ゆりやんレトリバァは、
アメリカンズ・ゴット・タレントでゆりやんワールドを披露、
観客には大ウケするも、審査員の判定は不合格となった。

あの舞台に、日本のボーイズグループが出てきた。

衣装を見た瞬間に、「エっ⁉ジャニーズの子たち・・・」
そう、彼らは<トラビスジャパン>という聞いたこともないグループ。
名物審査員のサイモンが、ゆっくりと英語で質問。
グループ内の年長者<川島如恵留>が答えた。

サイモン
「夢は何?」

川島
『世界一のスターになること
 そのために すべて投げ出してきた
 キャリアも住まいも

 ここだけが唯一夢を実現できるAGT』

彼らのダンスが始まると、観衆から大きな歓声が上がり、サイモンにも笑顔が。

三つのYESが出され、準決勝へ進むことに。
そして、
準決勝では、出だしから直ぐ、不安定な音程に一つの✕が、、
敗者となった時点で、彼らの夢は途絶えた。
それでもトラビスジャパンは、最高の笑顔で歌い踊り切った。

観た後に、どうなるんだろう、、この子たち・・・
超一流のBTSのように一分の隙も無いのとは、対極にあるけど、
金平糖のように歪なのに、カラフルな空気があり、惜しい。。
心が騒めいて、そして徐々に忘れていった。


💗七転び八起 ダンス小僧たちの反撃💗

AGTの敗退の後、彼らの努力は続いた。
午前中は語学学校、午後はダンスとボイストレーニング。
夜は、名だたるダンス大会出場のため、自分たちで振り付けを考える。

確実に実績を残さなければ、日本へ帰ることができない無期限修行。

彼らは日本にいた時とは、違う次元に入り始めた。
個々の個性を尊重するアメリカは、
彼らを型にはまったジャニーズJrから、歪さを磨いて創り上げていく。
もはや、
躾けられた角兵衛獅子のようなアイドルグループではない。

ビジネスパートナーのはずが、お互いのない部分を補うファミリーに。
アイドルグループによくある無関心関係ではなく、お互いに関心アリという、
崖っぷちに強いグループになったのだと思う。

七転び八起を全員で経て、
独創的で切れ味抜群のダンスパフォーマンスを創り上げ、
「World of Championship」でアメリカ予選4位・世界9位に入賞。
彼らの夢だったデビューが、アメリカで世界配信という形で叶った。

そして、
私は、 見事にトラビスジャパンの推しになった。
配信されるYouTubeに馬鹿笑いしながらも、
金平糖のような彼らを、心から<世界に飛べ💗>と応援している。 
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下り坂のララバイ🎶 綾小路きみまろの万華鏡💜

2022-10-09 17:50:37 | gumrie


令和4年も、もう10月。
元気ですかーーーーー!!!

私はただ今、
人生のまさか、、を更新中。
生きてれば、ある程度決まった順番がやってくる訳で、、
今まで色んなものを背負ってた上り坂から、
色んなものを下ろしながら行く下り坂の途中らしい。

そう・・来たのよワタシにも「まさか?!」が。
うすうす来るな、、とボンヤリ思っていたが、
ある日突然白目の外側からやって来やがったのよ。

◇下り坂のララバイ🎶◇

コロナ渦の二年半、左大臣の歯に悩まされた。
福沢諭吉の総動員で作られた歯たちは、
数カ月であっけなくドミノ倒しのように壊れ、
動物としての生命力の劣えを、むちゃくちゃ痛感。

今年はこれで終わりにして欲しい!!と思った矢先、
突然のまさか…に。。
左大臣の楽しい夏休みは、人生初のICUに緊急入院で始まった。

今年に入り、
左大臣の度々の
『コロナに感染したかも!?』に、検査を受けるも、陰性・・・。
なのに、
症状はコロナと云われる症状に、酷似。
配偶者のワタシは、なんか、ヘン  と疑念に駆られていた。

ある朝、歩くのも苦しいとノタマウ左大臣。
自宅で酸素飽和濃度を測ると、
87%という生命存続ギリギリの数字を叩き出した。

会社に行くと言いはる左大臣を、
有無も言わさず無理やり車に押し込み病院へ。

なぜか英語のショートストーリーの本を鞄に押し込んでいた。
様々な検査は、長ーーーい待ち時間となり、
ショートストーリーの世界に没頭していたワタシ。
突然名前を呼ばれ、
ワタシの隣には不思議そうな顔をした主治医が立っていた。
集中するあまり、いつもの癖でワタシは音読をしていた。

病状説明があり、
『今夜はICUにいてもらいます
ナニカ
キュウヘン ガ アレバ 夜中でも ご自宅に電話します』


淡々と続く言葉に、淡々と頷き確認作業をするワタシ。
ドクターは、今度は奇妙な動物を見るような表情に。

なぜか
心の中は
「あ、、間に合った!!」と、

左大臣に出会い
  あれから  40年

    医学的見地とは別のモノサシを持っているんだよ ツマハ・・・と

主治医の説明の最中も、
なぜか 
助かる。。。。。と、心の中に強い確信の波が押し寄せていた。

🔷あれから 40年 きみまろの万華鏡💜🔹

きみまろ氏52歳でブレイクしてから、20年。
夫婦漫談を語らせたら、ぶっちぎりの面白さがある。

40年経ち、
酸いも甘いも嚙み分けた夫婦の日常を切り取り、
当人たちの目の前で、漫談にしちゃうんだから、もう共感の嵐。

20年前
きみまろ氏の漫談を聞いた時、毒蝮三太夫の二番煎じかと思いきや、
毒舌でもなく、揶揄してるわけでもない。
リアルな夫婦の可笑しさを売りに、話術と間合いの巧さが、ウケてる。
と思ってた。


あれから20年。
ワタシは、裏で密かに強くなり、左大臣は、見事なこども返り。
きみまろ漫談の夫婦とは違うベクトルの夫婦になった。

久々にYouTubeで観て、びっくらこいた。
きみまろ夫婦漫談は、
可笑しみも、疼きも、、
彼独自の目線で、
ぜーーーんぶ絆という あったかいエールを送っていた。

一見冷めてるような妻の言葉の裏側に潜んでいる情愛と
蔑ろにされてるように見える夫の優しさの欠片が、
あれから40年組には、堪らなく懐かしいし、ホロッとさせられる。

そして、
今だから分かるのは、
現実の夫婦の世界は、見えない部分が大半だということ。

弱い部分を隠し、生活を回す。

何食わぬ顔で、相方を心配し悟られぬようフォローする。

文句は言っても、絶対的な絆を確信している。

身体の異変も健やかさ度も、見えない部分だけど、
不思議と崖っぷちか、否かを
あれから40年の本能は、嗅ぎ分ける事が出来るのよ。

熱い想いも、胸の高鳴りも、ジェラシーもナイケド、
あれから  40年の厚みは無敵の本能に化けた。
今しばらくは、
何食わぬ顔で、夫婦の万華鏡を回していたいと思う今日この頃なの。



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ダディダディドゥ🎵足し算の世界へ Life changing~ 枯れた声帯と薬師丸ひろ子

2020-07-02 13:10:50 | gumrie


ヘドロで畝っていた茶色のガンジス川が、ヤマメも住めるほど透明な清流になり。
宇宙衛星から撮られた中国の上空には、PM2.5の片鱗もない。
雄大な山河と万里の長城が驚くほどクッキリ見え、
おお~~中国四千年の景色は美しい・・・なんて思わず言ってしまう。
世界は経済活動の代わりに、自然は美しさを取り戻し、
その見事な逞しさに、世界中の人々がビックらこいた。

その一方で、
私達は
「罪深いことをしていたのね、、」とチョッピリ反省はするものの、
今までの生活を取り戻すために、それはソレ!これはコレ🎵という欲望に傾く。
なぜなら
今更どう転んでも、
<始め人間ギャートルズ>のような原始の生活に戻れっこないから、、

世界中がステイホームになり、友人や親にも会えない生活が続く中、
ワタシのような浮き草のような主婦は、孤立する羽目に、、

寂しいというのではなく、なんだか妙に静かなポッツンの中で息をしている・・・
パートで働く会社でも、先輩からは「目立つと駄目よ!ココは」と云われ、
今までの自分の世界はコロナと共に、引き算の世界へ突入していた。
身体の不調に始まり、親の事、自分たちの生活、
考えると
なんだかなぁ、、と、

そんな時、なかなか会うことも叶わない友人とのLINE呑み会が。
そこで、
友人は毎朝生徒さんたちとLINEで発声練習をやっているとノタマッタ。
ワタシは、
間髪入れずに、お仲間に入れて!と。

友人は快く受け入れてくれ、めでたし🎵めでたし🎵となるはずが、
参加した初日に、おのれの老化を思い知ることになろうとは、、
そして、
これがLife changingのスタートの一歩だとは、全く予想すらしなかった。

◇Life changing~ ◇

人前で声を出すのは、二十数年ぶり?!
息が続かない、声が出ない、音がフラフラと定まらない。
頭では理解してるのに、
おのれの声帯が震わせる音は、蚊の鳴くようなウィスパーボイス・・・

加齢という自然の流れは、気力だけではなく、声帯をも<老い>に向かわせていた。

だが、それはワタシだけ。
一緒に発声をしてるメンバーの淑女たちは、
潤った声が伸びやかに出ているではないか、、
そう、
ワタシの声帯が枯渇していたという現実は、
引き算の世界にいるワタシには、有効なボディーブローだった。

『アタシの声は、、このまま朽ち果てていくの⁈』・・・と。

◇引き算の世界から足し算の世界へ~◇

大学生の頃、アパートで毎日歌を歌い、自由自在に声が出ていた。
思う通りに歌えることは、とても楽しく、
恋人のいない女の子の虚しい時間を充分に埋めてくれた。
寂しさを紛らわすことよりも、
歌を楽しく歌うことは、なぜか楽観的な気持ちにしてくれた。

カツカツの生活や、
才能のあるか、ないか・・・
いつか、日商岩井の高級マンションに住めるような日が来るのか、など
これらの悶々さを薄めて、
『なんとかなるさぁ~』が、自分を助けてくれていた。
あの頃、
とても<あっけらかんとした足し算の世界>にいたことを思い出した。

そして年月が経ち、気が付けば、引き算の世界の真っただ中。。
なのに
発声練習の淑女たちの言葉や実行力は、足し算の世界の住人で、、
諦めず、臆せず、やりたい事はやり、行きたいところへは行く。

この差は何なんだ⁈
このままの引き算の世界では、ハッピーになれない。
もう一度、
足し算の世界の住人になろう!と、決めた。

◇枯れた声帯と薬師丸ひろ子◇

毎日のレッスンの〆は、生徒が一人で、しかもアカペラで自分の好きな歌を歌う。
つっかえようが、音が外れようが、最後まで歌い切る。

コレを知った時、正直恐れおののいた・・・
ワタシの声帯が出す全ての音は、蚊の鳴くようなウイスパーボイス。
その日から、
キッチンで、トイレで、ベランダで、スーパーレジ待ちで、歩いてても声を出し続けた。
毎日毎日出し続けると、声帯が高音を出せるようになり、
一人アカペラの日まで、暇さえあれば練習。

驚くことに、
淑女たちのアカペラの曲目は、オペラや童謡・ハワイアンに、ラテン音楽と言語も様々。
今まで聴いたこともない歌に、ワタシの中の<やる気スイッチ>が、ONに。
歌うなら、
ハードルが高くても挑戦したい。。
カッコ悪くても歌い切ろう!と決めた。

一巡目「Fly me to the moon」は、力なく震える高音の英語で。
二巡目「シェルブールの雨傘」は、フランス語は断念、日本語だと号泣するので英語で。
三巡目は、神がかりな美しい歌「Wの悲劇」を、、無謀なチャレンジをすることに。

映画「Wの悲劇」は、主演と主題歌は20代の薬師丸ひろ子。
彼女の声の美しさは、可憐そのもの。
だが、年月を経て彼女の声は、どんどん美しく洗練されていった。
それは土曜の朝「食彩の王国」のナレーションでも、
映像を際立たせる彼女の声音は超一流。

加齢に反比例する淑女たちと同じ、足し算の世界に居続けることを魅せてくれていた。

そして、ワタシの無謀なチャレンジは、おのれに喝を入れる<Life changing>だった。

こんなチャンスに出会えて、ツイている。
うれしい!
たのしい🎵
感謝なり
しあわせな気分にしてくれて
ありがとう~
二カ月で、こんな気持ちになれたことが不思議だった。

で、、
三巡目の結果は、普段より思い切り歌い切った。
そして
四巡目もなぜか「Wの悲劇」を歌うことに、
リモートワークだった左大臣は、妻の歌をしっかり盗み聴きしていた。
『蚊の鳴くようなウィスパーボイスだったね~笑っちゃったよ』

声帯は、まだ復活してないらしい。。が
足し算の世界に立っているのは、確かだった。
淑女たちに感謝。

そして
ありがとう!!!先生♡


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煙草の小話/ 花魁の煙管とのび太先生

2018-07-27 17:54:12 | gumrie



◇煙草がカッコ良かった時代に。。◇

前回のブログで書いた伊坂幸太郎の「砂漠」。
読み進めると、
青く若い19歳から、大人へ脱皮する22歳の大人びた匂いを思い出した。

それは煙草と麻雀いう、、懐かしい匂い。。

特に煙草はワタシに妙な劣等感を芽生えさせた。
浪人生という、大学生になりそこなった不安定な立場は心細いうえに、
予備校の外で、
同年代の男子たちとタンクトップを着た才媛の女子がくゆらせる白く細い煙は、
なぜか彼らに近寄り難く、まぶしかった。
そこだけが大人の領域で、彼らはすでにオスとメスのポジションを醸し出していたからだ。
彼らとアンニュイな雰囲気で話すことはなく、
永遠に交わることのない、段違い平行棒のような自分に戸惑っていた。

大学に行けば、男子も女子も愛煙家というより、
なんとなく吸っていることがカッコいい。。
若い姉ちゃんの女優も退廃的に煙草を吸い、煙草がアクセサリーのようだった。

社会人になっても、今ほど禁煙は徹底してなかったし、
煙草はくたびれた大人が一息入れる逃げ場になっていた。
それは今とは真逆で、煙草が愛されてた時代だった。

そして今、絶滅危惧種になりかけている気の毒な愛煙家たち。。
が、ある日、
長ーーーい年月を経て、とても惹かれる小話に出会った。

それは去年の秋、治っていたはずの腰痛がぶり返したことが始りだった。
ネットで探した整骨院で担当になったのは、<のび太先生>。
なぜかのび太先生とは、妙にウマが合った。
ワタシが秘密にしてた面白い体験や
他人から見ればどうでもいいような知識を同時に共有していた、、
ヘンな視点と興味が同じ、、という凄い確変が起きた。

のび太先生は変人ではないが、こだわりキャラ。。
整体やお灸をしながら、共通のヘンテコ話が途切れることはなかった。
が、
彼は、想定外の話をし出した。


◇またもや江戸時代へ~ 花魁の煙管とのび太先生◇

彼は喫煙者で、しかも煙管(キセル)で吸っていた。
その煙管は龍の彫り物が施された美しい物で、
江戸時代の花魁が使っていた豪奢な上物。。とノタマッタ。

だが、
その花魁のキセルは短かめ。。
通常、花魁が持つ煙管は非常に長くて細い、、と決まっている。

なぜなら
花魁は吉原遊郭の何千人の遊女たちのトップスターだが、
煙管が長ければ長いほど、お金も格式も高いぞ!!という目印でもあった。

江戸の吉原で伝説の花魁「花扇」の浮世絵


のび太先生は友人から花魁の煙管を譲り受けたのを機に、
<刻み煙草>を使うことになった。

のび太先生は意外な事を言い出した。

 喫煙回数が激減する

 紙煙草の時より、お金がかからなくなった。

 深く肺に吸い込まない口内喫煙なので、健康被害は少ない。

 何よりも合成の不純物がないため、煙草の味が格別に美味い!!!


喫煙と言っても、煙管は三服で終わり捨てる。
また刻み煙草を詰め直して燃やすため、喫煙回数は自ずと激減する。

刻み煙草も細かいものは、煙草本来の美味さを味わえるのため満足度が高い。


だが、のび太先生はお気に入りだった花魁の煙管をなくしてしまった。

分刻みの仕事の合間の一服には向かない煙管だが、
手間ひまかけれるなら、煙管の喫煙はなかなかの風情と味わいで良かった。。と云う。

世の中で分煙だの全面禁煙だの、嗜好品を倍の値段にするだの、、と蠢く中で、
一人悠然と煙管で煙草をふかすのび太先生を想像し、笑いが止まらなかった。

そして、
のび太先生話は、
今まで見た江戸時代のシーンや、読み漁った江戸本とピーーーンと一本に繋がっていった。


       凝りもせず、つづく

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不夜城の夢。。 ガッツだぜ!

2015-01-13 15:41:56 | gumrie



今年もポツポツと年賀状が届いた。
ここ二年、年賀状はなしにしてるが、、
心ある方達はご自分の近況を一筆書いてくれる。

元旦の朝、コンビニに年賀状を買いに行きコチラの近況を書いて送る。
戴いた年賀状から伺えるのは、
みんな一応元気で暮らしてるが、なにか行間に漂うものがある。
少し寂しいような諦めの感情が伝わってくる。

ワタシの返信の年賀には
「ワタシは今年も妄想爆進中です!」と書いて送る。
二年前の誕生日に決めた自分のベクトルに進んでることは間違いないからだ。
普通?なら、達観して諦める年代に入ってからの夢。
だからこそ、どんな形にせよ叶えたいと思っている。

今年に入ってから、ふと幼い頃から思春期に感じた記憶を思い出してしまう。
あの時の人たちは夢を叶えたのかな…

それはワタシの育った不夜城に住む人達のことだった。


◆不夜城の夢。。。。◆

一月は雪がこれでもか~と降る地方都市。
県名を言っても、場所が分らない人が多い所。
そんな地方の大歓楽街の裏手に取り残された住宅街に住んでいた。
夜は騒音と華やかなマイクの声と派手なネオン。

斜め向かいはこじんまりとした綺麗な日本建築の置き屋。
低い竹と苔生した玄関の奥には、若い芸子さんが寝起きしていた。

我が家の二件隣りは十代二十代の男の子や女の子が来るゴーゴークラブ。
裏口には、踊って身体の火照りをさますおねえさん達がいつもいて、
ゴーゴークラブの奥でもの凄い札束を数えるオーナー。

その先が魚屋さんと算盤塾の兼業。
歓楽街で唯一子供がどっさり来ていた不思議な魚屋。

道を隔てた所に立派な事務所があり、そこは○○組。
大学出の息子が跡目を継ぎ堅気の商売をしていた。
そのせいか周りの風評は「インテリやくざ」と痛烈だった。

八百屋さんも魚屋さんも餃子屋さんも世襲制で息子たちが継いだ。
揃いに揃ってみんな学業優秀で国立大学を卒業、、
ワタシは家業のお手伝いで、これらのお店にお使いに行かされる毎日。
幼かったワタシの目から見ても、彼らはみんなどこか鬱屈していた。。。
年を追うごとに、コンプレックスが翳りを落とし始めていた。

子供なのに周りは大人ばかり、夜は騒音とネオンが子守唄。
夢を持てないアンバランスな子供になっていた気がする。
進学と同時に東京での一人暮らしを始めてからは、
灯りとテレビを点けなければ寝れなかったほど不夜城は身に沁みついていた。

19歳で出てから戻らなかった場所をこうして思い出すのは、
自分がコンプレックスの塊りだった事を認めたからだろう。。
こんなに時間がかかったけどね。


◆ガッツだぜ!◆

マザーテレサの言葉で

『どんなところに置かれても、花を咲かせる心を持ち続けるよう』

境遇は選ぶことは出来ないが、生き方を選ぶことは出来る!


友人たちへの年賀状には妄想爆進中と書いたが、
ホントの意味はコレなんだ。

今、親の介護という時計の中に入って、
初めて夢や希望の意味を分った気がする。。

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