むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

13、浮橋 ①

2024年08月15日 08時13分46秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・薫は叡山に着き、
いつものように経典や仏像の供養をした

その翌日、
横川(よかわ)へ僧都を訪れた

僧都は思いがけぬことと、
恐縮している

薫は僧都と格別親しい仲では、
なかった

それがこのほど、
一品の宮(明石中宮の女一の宮)の、
ご病気を僧都が奉仕して、
お癒ししたので、
薫も僧都を尊崇する心が、
ひとしお篤くなり、
僧都を頼ろうと契りを深めた

顕官である薫が、
わざわざ訪ねてきたので、
僧都は心をこめて接待した

供の者たちが休息に散って、
あたりが静かになったころ、
薫は僧都に聞く

「小野のあたりに、
お家をお持ちでしょうか」

「ございます
まことに粗末な住居ですが、
手前の母の老尼を、
住まわせております
小野でございますと、
手前が山籠りしております間は、
夜中でも見舞ってやれます」

「あの辺りは、
人家が多かったのですが、
今はさびれているようですが」

薫は声を低める

「こんなことをお尋ねしては、
不審にお思いに違いありませんので、
申し上げにくいのですが・・・
かの山里に、
私が世話している者が、
身を隠していると耳にしました
それが確実なら、
事情もお話ししようと、
思っていたのですが、
その者はあなたの仏弟子となって、
戒を授けられたと聞きました
それは本当でしょうか
まだ年も若く、
親も生きておりまして、
私が死なせたように、
いわれたりしているのです」

僧都は意外な展開に呆然とする

(やはり想像したとおりだった
普通の身分と思えない人に見えたが、
なみなみならず愛していた女性に、
違いない・・・)

と思い、
浮舟を尼にしてしまったことが、
不安になって返事に思案した

(少し、早まったか)

という悔いも浮かぶ

しかし薫の様子は、
確かなことを知っているらしく、
なまじ隠さぬほうがよい、
無理に隠し立てすれば、
具合の悪いことになろうと、
僧都は思い、

「もしやそのかたは、
私も不審に思っておりました、
お人のことでございましょうか
小野におります尼たちが、
初瀬に詣でて帰る途中、
宇治院にとどまりましたところ、
母尼が発病しまして、
私を呼びに参りましたので、
出向きますとそこで、
奇怪なことがございまして」

と浮舟発見のいきさつを語り、

「親も危ないと申しますのに、
私の妹尼はこの救った女性を、
必死に看病いたしました
このひとも死人同様ながら、
わずかに息は通うておられ、
弟子などを呼び加持をいたしました
手前は母尼の病を助け、
念仏しておりましたので、
そのひとのありさまは、
くわしく見ませなんだが、
事情を考えますれば、
魔物がたぶらかしてお連れした、
と推察されたのでございます
介抱して京へお連れしてのちも、
三月ばかりは、
死人同様でいられました
手前の妹の尼になっております、
これが一人娘を亡くして、
悲しみにくれておりましたところ、
同じような年ごろの美しいひとを、
見つけて観音さまのお授けと、
喜びまして、一心に看病したので、
ございます
手前も山を下りて、
修法してさしあげたところ、
意識を取り戻されたのでございました
しかし本人はまだ魔物が、
身から離れぬ気がする、
とりつく物の怪からのがれて、
極楽浄土を願いたい、
といろいろお願いなさいましたので、
手前が出家をおさせ申したので、
ございます
右大将どのとかかわりのあるお方とは、
夢にも思わぬことで、
ございました
尼どもが世間に知れて、
面倒なもめ事に巻き込まれても困るから、
黙っておりましたのですが」

薫は夢心地である

涙があふれてくる

死んだと思った浮舟は、
生きていた

僧都は薫の思い入れ深いさまを見て、

(ここまで思いつめているひとを、
出家させてしまった・・・
この世での僧尼は朽木が死者も同然
この方の悲しまれるのも、
無理はない
罪深いことをしてしまった)

と思うが

「魔物にとりつかれなさったのも、
そうなるべき前世の因縁
さだめしご身分高いお生まれの、
かたでしょうな
それがどういう手違いで、
あんな身の上におなりに、
なったのでしょう」

いまは素直に答える薫であった

「一応は皇族の血筋の人なのです
ふとしたことから、
かかわりを持ったのですが、
これほど落ちぶれてよい人ではなく、
しかるべく遇するつもりでいました
それがある日、
ふっと姿を消してしまったのです
確かなことはさっぱり、
聞き出せませんでした
いま、お話を伺って、
尼になったのもよいことではないか、
心の平安を得られたのは、
そのひとにとってよかったのでは、
と思えるようになりました」

薫は続けて、

「こういうお頼みは、
ご出家の方にはまことに、
不都合にお思いかもしれませんが、
小野のお宅へご案内頂くわけには、
参りますまいか
尼すがたになった今でも、
語りあいたいと思うのです」

僧都は躊躇する

かしらを下ろし、
世に背いて出家したといっても、
法師でさえ愛欲の心失せぬ者も多い

まして迷い多く、
情にほだされやすい女の身としては、
どうであろうか

せっかく尼となったあのひとを、
またも煩悩に迷わせることになったら、
それこそ罪作りであろう






          


(次回へ)

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