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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

8、宿木 ⑤

2024年06月01日 07時28分20秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・薫は中の君が、
かわいそうではあるものの、
年来つのる胸の思いを、
打ちあけないではいられない。

「昔のことを思い出して下さい。
亡き大君はあなたと私を、
結婚させようとしていられた。
切っても切れない二人の縁を、
大切に思いたいのです」

中の君は、

「やっぱりだわ・・・」

と思いつつ、
奥へ入ろうとする。

薫は物慣れた風に、
半身を簾の内へ入れ、
中の君に寄り添う。

中の君は、
袖をとらえて放さない薫から、
身を退けようとして泣いていた。

薫は中の君の体を腕に捉え、
ささやく。

「お泣きになるなんて、
大人げないではありませんか」

中の君は薫に抗って、
消え入るばかり恥ずかしかった。

薫の手は中の君の、
ふくらかな衣装の下のふくらみ、
懐妊のしるしの腹帯にふれた。

(あのひとが加減が悪い、
というのは身ごもっていたのか。
恥ずかし気にしていたのは、
そのせいだったのか)

薫は帰ってから物思いにふけった。

(宇治にぜひ行きたい、
といっていたが、
望み通りにしてあげようか。
だが、宮はお許しになるまい。
といって宮に内緒で、
事を運ぶのも不都合だろう。
どうしたら世間体も見苦しくなく、
実行できるだろう)

薫はそれからそれへと考える。

中の君は、
宮との結婚によって、
男女の機微にも通じた。

田舎育ちの姫君であった、
中の君は今や、
洗練された貴婦人に成長した。

薫はそれを思うにつけても、
彼女を失ったのが悔しいが、

(いや、待てよ。
もしも、
あの移り気な宮のご気性から、
見捨てておしまいになったら、
あのひとも自分を頼るだろう)

などと思うのは、
中の君のことばかりだった。

薫は道ならぬ恋に悶えていた。

大君を失った悲しみは、
死で隔てられたのであるから、
まだあきらめもつく。

中の君は人妻なのだ。

中の君の後見人という、
立場さえ忘れ宮に対する、
嫉妬で胸を焦がすのであった

「長く来られなくて、
すまなかった。
許しておくれ」

匂宮は二條院に、
しばらくご無沙汰であったが、
我ながら怨めしく思われ、
にわかに来られた。

中の君は宮をわだかまりなく迎え、
微笑む。

彼女は久しぶりの宮のご帰邸に、
皮肉をいったりすねたりせず、
気持ちよくお迎えしようと、
心に決めていた。

宇治に帰って隠れ住みたい、
という決心も、
頼りにする薫があのように、
怪しからぬ心でいるのでは、
あてに出来ない。

(やっぱりわたくしは、
この世に身のおきどころがないのだ)

と思うと悲しかったが、
それでも死なないで、
この世にいるかぎり、
運命に従って夫となった人に。
すがるほかない。

宮をお怨みせず、
素直に振る舞おうと思う。

そう決めた中の君にとって、
久しぶりの宮がなつかしく、
慕わしく、
おのずと無心の笑顔になる。

宮はいよいよ中の君が、
いとしく可憐に思われて、
中の君は宮に引き寄せられて、
宮の胸に崩れる。

宮は、
ややふくらかになった、
中の君のお腹のあたり、
腹帯の結ばれているさまも、
ひとしおいとしく思われ、
身ごもったひとを、
近くでご藍になったことは、
今までなかったので、
新鮮な感動を覚えられる。






          


(次回へ)

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