・「治子さん、
あんた、株買う、いうて、
お父ちゃん知ってますのか」
このお父ちゃんは長男のことである
「内緒ですわよ、もちろん
実は、長年かけてきた生命保険が、
満期になって下りましたの、
それが阿呆らしいような、
わずかばかりのお金になってましてね
この際、思い切って、
へそくりと合わして株を買うてやろうと、
思ったんですけど、
何を買えばいいですか、
何か安い出物、ありません?」
株はバーゲンセールではないのだ
主婦はこれだから困ってしまう
安けりゃいい、と思っている
スーパーの買い物なら、
見比べて安いほうを買えばよいが、
株はそんな具合にいかない
私は絶句してしまう
「あたしの知ってる人、
三百万が一千万になったんですって
そんなに儲かるもんですか?
お姑さん」
嫁の声は羨望と期待に弾んでいる
「そら、場合によっては、ねえ・・・」
実は私も、
三、四年前、
さる電力会社と証券会社の株を、
一千万で買った
こんなブームになる前に売ったが、
きれいに三倍になった
しかしそれには相応の、
値働きの背景についての、
勉強を積んでいる
安い出物を買ったわけではないのだ
「あっ、それじゃ、
その株を教えて下さい、
三倍の株」
嫁は無邪気な声をたてる
「いえ、
二倍でもいいですわ
二倍の株を買って、
次にまた二倍の分を買えば、
トータル四倍に増えるわけですわねえ
お姑さん、それでいきますわ!」
それで、たって、
そう都合よく二倍になるかどうかは、
わからない
私はいう
「治子さん、
お金を動かすのは怖いこと、
あんたの性質ではちょっと無理や、
止めたらどないです
どのくらいのへそくりか知らんけど、
いっそ金のチェーンを買うとか、
ダイヤを買うとか・・・」
「だって、
人の儲けてるのを見てるだけでは、
シャクやありませんか」
無知なる箱入り主婦にも、
相応の欲心はあるとみえる
嫁は気ぜわしく、
「お姑さん、
株はどこに売ってますの?
デパートにあります?」
「株は証券会社に・・・」
「でもそこは危険なんでしょ、
客をだまくらかそうとして、
言葉たくみにもちかける、
とありました
こうみえて、
あたしだって雑誌の経済欄は、
読んでいるんです
証券会社の言いなりになるな、と」
まるで悪徳商法のようにいう
雑誌に何と書いてあったか知らぬが、
この嫁のようなお人よしを、
あおりたてる記事でなければよいが
「証券会社じゃないところで、
たしかな株を買いたいんです
その店で二倍に増えるという株を買います
適当なのをお姑さん、
選んでくださいな
二倍になる株でようございます
三倍までならなくていいですから」
嫁はむちゃくちゃをいう
私は返事する気もおこらず、
どっと疲れてしまった
嫁は本気らしく、
熱に浮かされたようになっている
「これでパパを、
びっくりさせてやりますわ」
と一人上機嫌で電話を切った
ウチの嫁たちの特徴として、
横の連絡網がやけに発達しているようだ
たちまち、
「豊中の道子ですけど・・・」
と次男の嫁から電話がかかる
「お姑さん、
西宮のお義姉さんに、
二倍になる株教えはったんですって?」
「教えるも何も、
そんなこと誰にもわかりませんよ、
治子さんにも困ったもんやね、
何や足が地についてないの、
右から左へ儲かるもののように、
思てますよ」
「そうなんですよ、
こういっちゃナンですけど、
あのお義姉さんに、
株が動かせるわけありませんわ、
そこへくるとあたしは、
社会勉強と経済観念啓発をかねて、
株を研究してるんですわ
ところで、お姑さん、
〇〇を買うたんですけど、
これ、利回りはどうなんでしょう?」
「あんた、
研究して買うたんでしょうが」
「ですけど、
何や、ようわからへんのですよ、
いったい何が買い得でしょうねえ、今は
あたしが買うとみな下がるんですよ
これ、何とかなりません?」
なりません?たって、
この分では、次男の嫁の、
社会勉強と経済観念啓発も、
怪しいものだ
私のほうが怖くなってきた
「あんたねえ。
欲出して大けがしなさんなよ、
儲かりゃいい、
というもんではないんやからね、
それは私は少しは株をやり、
いくらかは儲けもし、
今もちょっとやってますよ
でもこれもまあ、
いうたら勉強が面白いからですよ
世の中の動きを見て、
なんで値が動くのか、
そのへんの推理が楽しいからや
怠り無う新聞見て、
ニュースに気つけて、と
こういうのがボケ防止になる、
思てますのや
欲かいて株をはじめると、
怖いでっせ」
「お姑さんは、
儲けを独り占めなさるつもりですかっ、
教えて頂けないんですねっ」
「教える教えない、
の問題やない
市場でスイカやイワシを買うのと違う、
いうてますねん
何が買い得なんていわれへん」
「いえなきゃいいんです
西宮には教えて、
あたしとこには教えてもらえないんですね」
嫁は恨みがましくいう
「困った人やこと、
そんなこと私にも分からへんのやからね
私もシロウトやから、
これは絶対間違いなし、
なんてこと言えませんよ」
「よろしい、
わかりましたわ、
お姑さんはそんな気なんですね、
あたしにだけはアメリカンなんですねっ」
「アメリカンて何ですねん」
「人情が薄いんですよ、
お湯割りなんですねっ」
「濃い薄いということはありませんよ
それより、金、金の欲ばかりに、
のぼせなさんな、
ということ
声まであんた、道子さん、
色気無うなってまっせ」
「色気?」
「そうや、あんた、
この前パパが浮気してる、
いうて取り乱していたときのほうが、
よっぽど人間らしい、
女らしい声でしたで」
「そうかもしれませんけれど、
色気よりやっぱり、
金気ですわ
金気あってこその色気です」
「なさけないこと、
いうてくれる
人間、金気より色気ですよ、
人生で大切なんは」
私は情けなくなって、
電話を切る
(次回へ)
・私は以前、
「長生きとは」と考えて、
「古馴染みが次々死んでいくのを、
見るのが長生きだ」
という結論に達したことがあった
それは、
西条サナエという古くから知ってる、
六十くらいの女で、
昔、私の店の事務員で働いてくれた子が、
「長生きしても、
ちっとも楽しいことはない、
長寿を祝うなんて、
ウソや思います」
と嘆いていたからだ
私は、
何も知らないなあ、
と思った
長生きなんて元々、
楽しくないものだ
古馴染みの次々欠けていくのを、
見るのが長生きなのだから
さればこそ、
順番が来るまでの時間を楽しく、
心ゆくまで味わい、
「夢うつつ」で過ごせばよいのだ
(長生きしたなあ)
と自分で思ってしまうと、
(長生きしたとて何が嬉しかろう?
ちっとも楽しいことは、
ないではないか)
などという、
やくたいもない省察が生まれてくる
それゆえ、
長生きした、
なんて自分で考える間もないように、
日々忙しく、
日々楽しく、
「夢うつつ」で、
飛び跳ねて過ごせばいいのだ
そうなってはじめて、
(まあまあ、
よう長いこと、
泣かずに遊んではりまんなあ・・・)
と長寿を祝ってもらえることになる
「敬老の日」に、
お祝いの毛布や湯呑を市役所から頂くのは、
決して、
「長生きして何が嬉しかろう」
という省察に対してではない
生きている限りは、
この夢うつつで充実して過ごしたい、
とかねて思っていた私であったが、
ここへきて、
べつな省察を強いられた
長生きとは、
古馴染みが次々と再婚していくのを、
見ることだ
というのである
かの眉間にいつも縦皺を刻んでいた、
西条サナエが、
もと教師の爺さんと結婚して、
幸せになったのか、
今は晴れやかな声で電話してくる
また、仲間の七十二歳の魚谷夫人も、
ふとした縁で知り合った、
八十一歳の熟年男性と再婚した
そういう方法で、
晴れやかになったり、
幸福になったり、
というのも結構なことであるが、
私などは何しろ、
画に書道に映画鑑賞、
古典を読む会と、
実に忙しくて、
毎日晴れやかに幸福になり、
男なしでも結構、
充実できるなあ、
と思っていた矢先、
これまたショッキングなニュースに、
接した
英会話クラブの、
メアリと呼び名を与えられていた、
七十四歳の飯塚夫人、
これもさる老紳士と結婚するという
飯塚夫人は、
団栗のような体つきだが、
いつも小奇麗に身じまいをしていて、
好もしい
もと音楽の先生だったそうで、
今も歌う声は美しく、
ピアノも弾け、
何より明るい気性なのがよい
飯塚夫人はうちへやってきて、
告白する
「とてもやさしい方
問題のあるわたしを、
気にするなとなぐさめて下さって:
というのは、
経済問題であろうか
たいてい老婚というと、
双方の子供たちがしゃしゃり出て来て、
邪魔するのは、
おのれらの相続分、
分け前が少なくなりはせぬかと、
欲をかくからであろう
秋とは名ばかり、
いまだに夏の名残の暑さがたゆとう今朝など、
冷蔵庫でよく冷えた苺ジャム、
オレンジママレード、
キウイジャムがまことに美味である
それに白くふんわりした、
食パンのおいしさ
ヨーロッパへ行ったとき、
あちらのパンがみな不味くて、
困ったことがあった
偉大な文明の遺産は、
それはそれで立派であったが、
日々のパンが岩のように固かったり、
粟おこしのように、
ポキポキしていたり、
割るとパラパラと破壊されていく、
というのはせつない
そこへくると、
日本の白いパンの味は、
デリケートで精緻で、
しっとりしていて、
実に文明の極致といえよう
これをカラッと焼く
外側がパリっとして、
内側がしっとりし、
何ともいい匂いの、
美味なものである
老婚もよし、
独り身の残世もよし、
であるが、
私はというと、
断然、独り身の残世である
独り身のこの、
すがすがしい自由
清く正しく美しく精神、
推進運動家の私としては、
老婚の幸福を否定するものではないものの、
何をいまさら・・・
という気がつくづくする
などと一人考え、
ミルクティを飲みつつ、
ゆったりしていると、
「お姑さん、
西宮の治子ですけど」
長男の嫁である
「だしぬけですけど、
いま、儲かる株は何でしょう?
何か儲かる株を教えて下さいな」
ほんとにだしぬけである
朝霞の海に、
苺ジャムのパンなど前にして、
聞く話題ではない
私はぶっきらぼうに答える
「儲かる株、なんて、
人だのみして買うてもダメですよ」
「そうですか?
でもお姑さん、
いつも儲けてらっしゃるんでしょ」
私は年季が違う
前々から手を染めてはいるものの、
ようく研究もし、
考えあぐね、
納得し、
決心して買う
責任は自分にあると、
ようく腹をくくり、
楽しんで買う
この金をなくしたら、
首をくくらねばならぬ、
というのではないから、
ゆとりがある
研究調査はゆとりがなくては出来ない
そこをポーンと飛び越えて、
人に向かって儲かる株を教えろ、
というのはあまりにも雑駁である
「治子さん、
なんでそんな気になりましたんや
あんた、前は、
株なんか怖いと思うてたんと、
ちがいますのんか」
この嫁はまことに世間知らずで、
前に私が株をやっているというと、
泣き声を立てて、
「そんな恐ろしいこと、
やめて下さい」
と不安がっていたではないか
それが今や、
風向きが変わり、
儲かる株はないか、
などというようになっている
財テクの嵐が吹きまくり、
日本中マネーゲームにうつつをぬかして、
いるような時代であるから、
おっとり嫁もその毒気に、
中てられたのであろう
よくいえばおっとり、
悪くいえばぼんやりの、
箱入り主婦のこの嫁など、
株なんかに手を出すのは、
一番危ないのである
おまけにお人よしときているから、
人のいうことに釣られやすい
大やけどするのがオチであろう
(次回へ)
・シルバーファッションショーは、
絶大な支持のうちに、
大成功のようであった
そもそも私たちが、
(面白そう!)と思ったものは、
みな成功するのだ
それも私たちが加わったから、
成功したというべきかしら
これこそ自慢というものであろう
数日して次男から電話がある
思いなしかうきうきした声
「道子がおかーちゃんとこへ、
行ったそうやな」
「来ましたがな
あんた、
ややこしいことしなさんなや」
「何もしてへんがな
・・・いやしかし、
ウチの課にええ女の子がおってな」
「トシヨリに、
いやな話聞かせんといてや」
「何もそんなんと違うがな
よう働いて気がついて、
べっぴんで気立てがようてな・・・
ワシ、その子がおるよって、
えらい助かるねん、仕事が」
「へーえ」
「道子が見当違いの心配しとるけど、
そんなんやあらへんねん
その女の子とは気が合うんやな、
心と心、フィーリングが合うんやな、
ワシの気立てがええさかいや、
いいよんねん、
エエ男や、いいよんねん」
「誰がそんなおべんちゃらいいますねん」
「その女の子が、や
おべんちゃらやない、
本気や、いうねん
な、おかーちゃん」
「何ですねん」
「ワシ、そない、エエ男かなあ
いや、男前やない、
今日びの女は男前に惚れん、
気立てに惚れる、て
おかーちゃん」
「うるさいな」
「ほんまにそんなこと、
あるんやろかなあ」
「私ゃ知らん、
けど道子はんの内助の功、
忘れんようにしてや
私が面倒やよってに」
人は自慢、
うぬぼれを支えにして、
辛きこの世を渡っていく、
としみじみ思わずにいられない
ところで自慢といえば、
私の住む町は用心もよく、
防犯的見地からいえば、
ほとんど事件らしい事件もない、
住宅街である
自治会の活動も活発だから、
町内の様子もよく知れていて、
かつて治安を乱されることもなかった
ところがある晩、
サイレンを鳴らして、
警察の車が飛び交う
火事でもないようだ
どうしたのだろうと、
私は窓から眺めたが、
パトカーが飛んでいくのが見えただけで、
よくわからない
私のマンションから遠からぬところで、
何か事件が起きたらしい
私は外へ出るのをやめ、
一階の管理人に電話してみた
「楠木さんの家に、
強盗が入りましてな」
という驚くべきニュースである
「楠木さん、
大丈夫だったんですか?」
「へえ、
丁度、
老先生が家に帰って来はったところ、
玄関に強盗居って、
『金出せ』いうたそうです」
「まあ、恐ろしい」
「楠木さん、
とっさに財布出して渡しはったら、
賊はそれ取って、
楠木さんねじ伏せた、
いいまんねやが、
この賊、どう見ても楠木さんより、
年上やったそうですわ
しばらくじっとせえ、
いうて逃げたそうです」
「まだこの辺にいるかもしれへんねえ」
「うちも警戒して、
エレベーターや屋上、
おまわりさんと一緒に見まわってもらお、
思てます
なんぼトシヨリやいうても、
危険ですよってな」
しかし、
えらい賊である
楠木さんより高齢のくせに、
強盗する気になっただけでも、
悪いことには違いないが、
やるではないか
楠木さんが、
どんなに怖い目をされたか、
と心配していたが、
一週間ばかりあとの、
パンジークラブ例会では、
もう元気で、
「いや、何ちゅうても、
相手が年寄りなんで、
驚きましたな」
といっていた
洒脱な人なので、
今はおかしがっていた
「別に刃物も棒切れも持ってないし、
私より年長、
八十くらいと思うたけど、
ヘタして怪我してもつまらんし、
言う通りしてました
歯は抜けてたですな
じっとせえ、が、
ひっとへえ、と、
フガフガ聞こえましたで」
みんなが笑うと、
「しかし力もあったし、
足腰しっかりしてました
白髪短こう刈って、
作業着でしたなあ」
七万円取られ、
そのほかカードなど入れていたが、
カードはまもなく、
付近の溝から発見されている
この犯人は半月ばかりして、
ほかの事件でも挙げられた
よその家へ無断であがりこみ、
ジャーのご飯を食べ、
ビールを飲んで眠りこんでいたところを、
見つかり、逮捕されて調べられるうちに、
強盗の件もわかったそうである
これは楠木さんの話である
「泥棒はやっぱり、
八十一やったそうでな
本人は百二十歳で死んだ、
泉重千代さんをお手本に、
百二十まで生きるつもりや、
いうとるらしい
つかまったとき、
重千代Tシャツ着てた、
いいますなあ」
「そんなの、売ってますの?」
「ミナミのデパートで、
この前、徳之島フェアしたとき、
売り出したんやそうです
そのTシャツの胸に、
『万事くよくよせぬがよい』
と書いてあったらしい」
私は笑ってしまう
重千代さんに私淑するその泥棒も、
「えらい」というべきか
「力も強うて、
メシもよう食うて元気や、
いいまっせ
爺さん、警察の人集めて、
長生きのコツをしゃべった、
いいまんなあ
長生き自慢してたらしい」
ひとしきり笑ったが、
そのあとふと私は思いつき、
聞いてみた
「その人、
身寄りはありませんの?」
「さあ、それですよ・・・」
楠木さんは考えこむ顔になった
「娘がいるけれど、
爺さんは悪事が身について、
音信不通になってるみたいです
どうしても知らせてくれるな、
娘は幸せに暮らしているから、
会いとうない、
というそうです
何でも、別荘いっぱい持ってる金持ち、
という話です
一年中その別荘を渡り歩いてるとか」
「まあ」
「信州にも別荘あるらしい、
いうて自慢してました
刑事さんらは、
爺さんのホラやろうと、
いうてましたがねえ・・・」
私も楠木さんも、
きっと思うことは同じであろう
村中さんの信州の別荘に違いない
「ま、何にしても、
百二十まで生きようという気起こすと、
執着が出まんなあ
悪いことしてでも、
生きとうなりまっしゃろ」
「ほんと、自然に任せて」
「行雲流水で」
「流れのままに、
枕一つかかえて、
どこででも寝られるというような、
暮らしがいいですわねえ」
「・・・爺さんのホラ話は、
ここだけのことにしまひょ」
と楠木さんは言った
「ええ、村中さんは、
二度とここへ戻っていらっしゃらないかも、
しれへんし・・・」
村中夫人は、
信州の山小屋へ出発するといって、
阪神間のマンションも、
引き払っている
(了)
・村中夫人は怒りのあまり、
声をかすれさせていた
それは、
(これがうらやましくないのか、
うらやましいといえ!)
という悲鳴のような口調であった
「春・秋は京都・奈良、
それに阪神間の海の見えるマンションを、
まわっていますのよ!」
村中夫人は、
私にうらやましい・・・
をいわそうとしている
自慢は、
うらやましがられてはじめて、
手ごたえがあるらしい
私は聞いた
「まわって何をしていらっしゃるんですか」
「何をって!
あなた、
京都・奈良・阪神間ですわよ
あの美しい古都ですわよ」
私は息子や嫁といつも渡り合っているから、
怒り狂った人間を相手にするのに、
慣れている
「あ、なるほど、
お宅は東京の方やから、
京都・奈良が珍しいのね、
われわれ関西もんは、
日帰りできるところやから、
京都・奈良は庭先ぐらいに、
思うてますのでね
それにわれわれ関西もんから見ますと、
あない食べ物のまずい信州に五か月居って、
どないしはるんやろ、
と心配になりますねん」
「だって、
信州の山小屋ですわよ!」
「漬物と山菜しかない山の中で、
どないしますねん
ターザンごっこやあるまいし、
上方にんげんというのは、
食べ物のまずいところに、
おられませんのよ」
「・・・」
「自分の住んでる関西が、
地球上最高や、
思てますのよ、
誰も定年になったかて、
信州の山小屋へ五か月も行く、
アホおらへんのちゃうかしらん」
その時楠木さんが、
いい機会と思ったのか、
「村中さん、
ベルトつけて下さい、
うるさいですよってな」
といい、
村中夫人はしぶしぶ前を向いたが、
怒りで目は爆ぜそうになっていた
私は信州の山小屋よりも、
ファッションショーを見ようという、
村中夫人の気持ちのほうが不思議である
山小屋に五か月も居る、
ターザン暮らしには、
おしゃれも必要あるまいに
市民ホールには横幕が掲げられ、
人の姿も多く、
いかにも花やいでいた
私たちが車から下りると、
「山本さん」
「歌子さん、こちら!
早く早く」
と山永夫人や大野夫人、
それに飯塚夫人、
更には宇野夫人などが、
私の手を取らんばかりに、
「もうすぐ出番ですわよ」
なにしろ一般公募の、
シルバーファッション、
百人ものお婆ちゃんや主婦が、
手づくりファッションで練り歩こう、
というのだ
楽屋が大混雑
飯塚夫人手づくりの、
ピンクのトリコットの散歩服を着て、
私は白いスポーツシューズを履く
あとでもう一度、
パーティドレスの部に出るので、
私はミッソーニの小さいシルクの傘を、
手にしている
「その日傘の、
紫というところがすてきですわ」
宇野夫人が嬉しそうに、
ほめてくれる
「そう?
宇野さんのいまのブラウスもすてきね
青磁色、っていうのかしら?」
「あら、これ、
実は風呂敷なのよ」
「風呂敷?」
「風呂敷の頂き物がたまりましてね、
思いついてブラウスに仕立ててみたの、
一ばんあとの『思いつきファッション』に、
出演するつもり」
てんやわんやの騒ぎであった
「東神戸の『パンジークラブさん!』」
と呼び出されて、
私はジーンズに羽織からリフォームした、
ブラウスの大野夫人と腕を組んで、
袖から舞台へ出ていった
七百人くらいのホールの客席は、
ぎっしりの人であった
舞台が煌々と明るいので、
客席は暗く沈んで全く見えない
軽快なジャズ風のBGМが流れて、
解説の女性の声がひときわ高く、
「ピンク色の散歩着は、
ご年配のお肌によくあいます
少しとろみのあるトリコット、
これはお髪の銀色にも黒髪にも、
どちらにも向く色でございます
アクセサリーのブレスレット、
日傘を紫で統一していらっしゃるのは、
心憎いですね
白いスポーツシューズ、
これが案外、
お足元の悪い熟年女性の方には、
お便利でございます
・・・もうお一方、
この方はスポーツウーマンでいらっしゃる、
ジーンズのパンツにシルクのブラウス、
というアンバランスがとても現代風・・・」
その解説のあいだ、
私と大野夫人は、
腕を組んだり離したりしつつ、
他のお婆さんモデルにまじって、
舞台の端から端へ歩き、
またもとの袖へ帰ることを繰り返した
音楽に乗って軽快に歩けるのであった
そのときふと、
ごく前に近い席で、
村中夫人がこちらを見上げ、
ポカンと口を開けて、
舞台に見入っているのを発見した
その無邪気なビックリぶりに、
ふと私は心を動かされる
あんなにさっきは、
いじめてごめんなさいねえ
関西の女って、
意地悪かもしれないわねえ
でも大阪女は、
どうしてもターザンごっこは、
出来ないのよ
やっぱり、
綺麗なものを着て、
美しく装って、
おいしいものを食べ、
気心のあったたくさんの友達と、
楽しく老いていきたいのよ
どんな旦那か知れないけれど、
サラリーマンが、
金をやりくりして、
信州の山荘や、
南紀のリゾートマンションを買うのは、
さぞ爪に火をとぼす生活であったろう
首尾よく人生設計を遂げたといっても、
二人きりで一年中ターザンごっこで、
過ごすなんて、
上方もんには考えらもしない
荒涼不毛の生活、
というべきか
午後はプロのファッションショー
さすがにモデルの動きが美しく、
ドラマチックな演技である
(次回へ)
・楠木さんはかしこい人でもあるから、
私と同様、
村中夫人の大体のアウトラインを、
さぐりあてたとみえ、
さからわぬようにしている
「わたくしのほうは、
油画をはじめておりますの
前は日本画でしたが、
釈然といたしませんので、
五十五の年から油画にかえましたの」
「ほう、パンジークラブでも、
油画サークルがありますが、
展覧会に出品なすったらいかがですか」
「ふふん」
とまた村中夫人は強烈にいった
「わたくし、
まだまだ、人さまの前に出すには、
とてもとても、
というところですわ」
「いや、
パンジークラブは同好会ですから、
入選落選などという決まりはありませんよ」
「いいえ、
べつに他人の目で、
入選落選を決めて頂く必要は、
ないことですし、
ふふん」
このへんから、
私は村中夫人の言葉も耳障りになってきた
実に妙な女である
私は言葉を交わすのを控えていたが、
村中夫人は私の耳にも、
自分の意見をねじこみたいようであった
「人さまがおっしゃるんですけどね、
わたくしの鑑識眼は大変高いそうです
目が高い、っていうのは、
不幸でございますわねえ
自分自身の作品に対しても妥協できなくて、
とてもとてもこれでは・・・
ということになりますわ
まずは老後の楽しみ、
それにいささかの芸術志向によって、
手なぐさみしているというところでしょうか」
これは自慢ではないか
女の自慢はべたべたとまわりくどくて、
いやらしい
とても男の自慢のようにはいかない
早く西宮のホールへ着けばよい、
と思うのに道路は混んで、
ゆっくり走っている
村中夫人がなにごとも、
自信ありげにいうので、
私はこの人も教師をしていたのであろう、
と思った
何ごころもなく、
座つなぎのつもりで、
「何かお仕事をなさってましたの」
というと、
たちまち村中夫人は金切声で答えた
「わたくしは専業主婦です
胸を張ってそう申し上げます
専業主婦の仕事も、
なまなか出来ることじゃありませんわ
日常のことならともかく、
生涯の人生設計をたてるとなりますと、
信州の山荘に五か月、
白浜のマンションに二か月、
あと、京都・奈良・阪神間をめぐるという、
こういう遠大なプランを実現させるためには、
フツーのボーッとした専業主婦では、
出来ません!」
私はびっくりして口をつぐみ、
楠木さんはあわてて、
「ご尤もご尤も」
とうなずいた
「自分で申すのもナンですけれど」
村中夫人はうっとりした、
ひびきの声になり、
「こう見えてわたくしは、
若いころから、
何かしら才能があったのかもしれませんわ
女学生の頃には
『あなたのような女性が学問しなきゃ、
学問する女性はいない』
と進学をすすめられたり、
洋裁のアルバイトをすれば、
婦人雑誌の附録の先生に推薦したい、
といわれたり、
ちょっと地域の問題で運動すれば、
『あなたぐらい政治家に向いた、
女性はいない、ぜひ政治家に』
とすすめられたり・・・」
さすがの楠木さんも、
いまは黙って運転している
「ある社長は、
『あなたなら社長も出来る、惜しい』
とため息をつかれたりしました
自慢でいうんじゃありません
事実だから申しあげているんです
でも、わたくし、
そのどれも鄭重にお断りしましたの
そして教師の妻として三十年近く、
やっと晴れて信州の山荘に・・・」
どこを廻ろうと好き好きであるが、
自慢の臭みでまわりを疲れさせるのだけは、
やめてほしいものである
パンジークラブはみな、
大人の節度のある、
感じのいいシルバーエイジの、
人々ばかりであるのに、
なんでこんな風変わりな人が、
もぐりこんだものやら、
ことに私がカチンときたのは、
「いいトシをしてまで、
働くというのが、
人間の幸せとは思えませんわ」
というコトバである
悠々自適は働く人のうちにこそあるのだ
老先生でなければ、
という古い患者の脈を取り、
わずかばかりの習字教室へ、
せっせと顔を出し、
息子と電話で渡り合い、
嫁に自慢させて自信を取り戻させ・・・
そういう怱忙の人生の中に、
いうにいえぬ悠々自適の人生の閑雅が、
含まれているといわねばならぬ
「それはまあ、
とてもお幸せそうなお暮しですけれど」
私は笑いながらいった
「私ゃその、
定年になった大学の先生が、
私大へ行ったり、
あちこち夏期講座を東奔西走、
していらっしゃるというお暮しも、
ええやないかと思いますわ
楽しそうなんですもの
さぞ充実していらっしゃることでしょうねえ」
「だけど山荘へも、
殆ど来られない生活ですわよ、
どういうつもりか、
首をかしげてしまいますわよ」
村中夫人は、
私に答えるために、
わざわざふり返り、
勝気そうな吊目で私を一べつする
「わたくしどもは実をいうと、
笑っていますのよ
建てたきりで、
その大学の先生は一度も、
来ていらっしゃらないんですからね
そんな生活しなくてよかった!
と思いますわ
わたくし、
何が大学教授だと思ってますの
夫が大学教授だといって、
威張るおくさんにふふん、
という気ですわ」
そうか、
と私は思った
村中夫人はそのことに、
コンプレックスを持っているのでは、
なかろうか
私が一向感心しないので、
やっきになって、
シートベルトをはずし、
ほとんど半身うしろへ向けて、
私にいう
「わたしどもはね、
夏の五か月は信州の山荘、
蓼科ですわ
それから冬の二か月は白浜の、
リゾートマンション、
海が見えて、
毎日、温泉に浸かれるんですよ、
おわかり?
家の中に温泉ですわよ!」
「今は温泉の花、
というのを売ってますから、
どんなマンションだって、
すぐ草津温泉や白浜温泉に、
なってしまいますけど」
(次回へ)