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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

21,姥寝酒 ①

2025年06月05日 08時26分35秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「おかーちゃん」

夕食も終わり、
そろそろ眠ろうかしら、
と思っていると電話がかかってくる

「ワシや
まだ起きとんのか」

「良一かいな」

「豊中や」

「何や、西宮かと思たがな」

次男の清明は豊中に住んでいる
長男の良一は西宮に住んでいる

身内の間ではもっぱら、
住む地名で呼び合う

三男は箕面に住んでいるが、
これはめったに電話してこない

「おかーちゃん」

などと電話してくるのは、
長男と次男である

五十六だの五十二だのという、
いい年のおっさんが、
子供時分そのままに、
「おかーちゃん」と呼ぶのは、
大阪弁に「おかーさん」という、
言葉がないせいである

昔、私の夫は姑のことを、
「おかーはん」と呼んでいたが、
これは現代では死語になった

長男も次男も、
声がよく似てきた

長男は代々の服地問屋の仕事を受け継ぎ、
「山勝」という会社の社長であり、
次男は鉄鋼会社の部長であるが、
何ぞというとき、
私に電話してくる

とくに次男の電話が多い
私の思うに次男が、
淋しがりだからであろう

仕事がらみの宴会が終わり、
家へ帰ってみれば、
女房は眠っており、
息子は二階へ閉じこもり、
所在なさに寝酒をひっかけ、

(やっこらしょ)

とばかり電話を引っ張ってきて、

「おかーちゃん、ワシや」

などといってくるらしい

私の迷惑もかえりみず、
くちゃくちゃと上司のワルクチ、
使いにくい近頃の女の子のワルクチ、
会社の内紛、
得意先のエゴ・・・
なんかをしゃべりたて、
訴えるのである

私はうるさくてならない

苦情や愚痴は神さんにいっても、
しょうがないこと、
自分で処置しなければ、
どうにもならないのだ

私はこの頃、
水墨画に興味を持ち、
展覧会に行ったり、
画集を眺めたりしている

また、私がひそかに考えている、
私の神さん、モヤモヤさんは、
泣きごとや苦情をいうと面白がって、
よけい不運を割り当ててくる

だから、
うんとふんばって跳ね返さなければならない

私も、やっと、齢八十になって、
その間の機微を悟ったのであるが、
しかし私が長男や次男の年頃の頃には、
もうそんなことは皮膚感覚的に悟っていた

そのころ私は病床の夫に代わって、
老舗の暖簾を守るのに必死であったが、
私はどこへも、
「おかーちゃん」
といっていくところはなく、
古くからの番頭を相手に、
得意先や銀行と渡り合って、
なんとか城を守り通したのである

ウチの息子たちも、
「おかーちゃん」
などと泣き言をいってるひまがあれば、
経済界の情報を集めたり、
町に出てデパートやスーパーの活気、
女のファッション、
若い子向きの雑誌やマンガを見ればよい

どんなものをみんなが欲しがっているか、
面白がっているか、
人と同じことをしないと不安なくせに、
人に目立ちたいという気が、
いまの人間にある、
そういうものは何やろか、
などと考えたりするほうが、
ずっと面白い・・・のではないか、
と、私など思うのに、
この息子たちは、
十年一日のごとく、

「おかーちゃん」

といってくる

そんなに私を頼っていて、
私がもしいなくなれば、
どうするのだろう

いいかげんに自立しろ、
といいたいぐらいであるが、
もしそんなことを言ったりしたら、
大変である

彼らにいわせると、
八十になるのに、
マンションで一人暮らししたがる、
やっかいなトシヨリが、
気になるからこそ、
電話をたえず入れて、
その無事をたしかめ、
動静を把握していようという、
子供の孝心、
それを有難いとも思わず、
うるさいだの、
いいかげんに自立せよ、
だのとは

(何ちゅうこというてまんねん
偉そうに
ちっとは感謝の心、
いうもん、持ちなはれ)

と怒り狂うであろう

私も別に偏屈婆さんではない証拠に、
有難いこととは思うが、
それでも、
長男が会社経営の愚痴をこぼし、
次男が社内の内紛に泣き言を、
のべたてるのは、
甘えだと思うほかない

私もつい、今までは、

(ほんなら東京の支店、
縮小したらどないですねん)

とか、

(常務に反対ばっかりせんと、
常務のお気に入りらも取り込むように、
輪を拡げなはれ)

などと示唆してきたが、
もう私も八十になれば、
浮世の雑踏から遠ざかりたいもの

いつまでも、
頭が禿げ、腹の出て来た、
いい年のおっさんに、
子守唄を唄ってやることもないであろう

そう思っているのに、

「おかーちゃん」

の電話はなりひびく

次男はいう

「何しとんねん」

何してようと勝手ではないか

「本を読んでますのや」

「テレビ見ながら、か
音楽、聞こえてるやないか」

「テレビはかけてまへん
面白い番組がないよってな
CDでショパンのピアノ曲、
聞いてますねん」

「何読んでんねん」

「山頭火の句集や」

「ショパンと山頭火と、
何の関係、あんねん」

ほんとにうるさい奴である

「関係なかってもええやないの
聞きたいもん聞き、
読みたいもん読んで、
何が悪うおますねん」

「何も悪い、
いうてへんやないか!」

すぐ喧嘩腰になってしまう

「山頭火の句集はね、
私が受け持っている市の公民館講座、
書道クラスのおけいこ用に、
生徒さんに書いてあげようと思てね」

ちゃんとしたお手本は、
私が習っている先生の結社から、
発行されるものを使うが、
いわば副読本のようにして、
私の書いたものを、
一枚ずつ生徒さんにあげる、
それがとても喜ばれる

それに書く歌や俳句も、
私は自分でさがしてくる






🖌     🖌     🖌


(次回へ)

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