巨人・ラーメン・相撲と私

人生色々。議論反論も色々。たくさんの投稿お待ちしています。風景写真、競馬予想もやってます。

WBC(日本対米国)

2006年03月14日 | ジャイアンツ愛☆
   残念ながら負けてしまいました。審判の判定が問題とされていますが、私に言わせるとよく「3-4」で食い止めたなあと思います。その理由は日本の投手の攻め方です。

   単純に言うと、下からバットが出てくる打者(例えば元巨人のローズ)は、高めの球が苦手で、バットを上からかぶせて出てくる打者(巨人の高橋由伸)は、高めの球を得意とします。

   米国の選手のほとんどが前者でした(A・ロドリゲスは後者)。にも関わらず、「外角低め」一辺倒の攻め。あそこまで徹底しすぎると、たとえいいコースに決まっても、山をハられて打たれます。まして低めの方が得意なのだから。高めを使う事によって、打者は高めを意識する。そうなった時に、外角低めの変化球がより一層生きてきます。さらに低めのボール球にも手を出すようになるでしょう。

   試合を見ていて、滑って高くなってしまったボールが何球かありましたが、カラぶったり、ファールしたりと、前にすら飛んでいなかった。やはりもっと高めを使うべきでしょう。

   ついでに審判の判定について。あれは皆様周知の通り、判定ミスです。しかもあの場面で、三塁走者を判断できるのは、近くにいる塁審だけです。はっきり言って主審からは見えません。

   それにしても素晴らしかったのは、「西岡」のスタートの切り方。あのタッチアップは100点満点。スロー再生を見て分かったことだが、相手が飛球を捕るタイミングに合わせて上半身だけ体重移動させて、捕る寸前まで足を離さず、捕った瞬間足を離してスタート。そうすることによって、すぐにトップスピードにもっていけます。あんな高度なタッチアップを見たのは初めてです。全国のお父様!運動会の徒競走にも使えると思います。

   おそらくあの主審も、あんなタッチアップを今まで見たことがなかったと思います。確かに主審の位置から「西岡」の上半身だけを見ると、早くスタートしているように見えます。しかし、先にも述べたが、あの場面の判定は、最も近くにいた塁審に委ねるべきです。主審がしゃしゃり出る場面ではありません。

   少し長くなったが、もう少しお付き合い下さい。思わぬ収穫もありました。それは米国の投手のモーションはかなり大きいし、意外とクイックモーションが下手だったことです(全員とは言わないが)。それに加えて、日本の盗塁技術は思ったよりも高い。イチローの情報を頼りにもっともっと盗塁を仕掛けて貰いたい。ああ、金城(横浜)に代えて、赤星(阪神)がほしかった。それから和田(西武)に代えて屋敷(大洋)もほしかった。

   頑張れ日本!予選を突破して米国にリベンジだ!

   

なんつっ亭

2006年01月26日 | ラーメン紀行★
  先週ですが、ついに行ってきました「なんつっ亭」。写真はラーメン+味玉。マズそうな写真になってしまいました。(反省)

  平日ですが、駐車場(20~30台程)は満車だし、店外に行列は出来ているし、やめようかと思いました。でもここまで来たのだからと、列に並びました。やっと店内に入れたと思ったら、まだ席に着くことは出来ず、再び待つこと20分。周りに目をやると、客の四分の一は女性でした。ネギチャーシュウを注文する人がほとんどでしたが、私は初めて行く店では、基本を知る為に「ラーメン」を頼みます。従って今回は、「ラーメン+味卵、豚丼」を注文しました。

  肝心のラーメンの感想ですが、うまい。とても。「マー油」と言われている黒い油のコクと香りが私の舌を踊らせる。麺もこれは普通ではない。例えるなら、細いながらも歯ごたえのある、あの「一蘭」の麺を太くした感じで良かった。

  それから、あの有名な「○頭火」や「○じら軒」で食べた豚丼は非常に脂っこかったので、私は豚丼が嫌いになりました。しかし、性懲りも無く、頼んでしまいましたが、これがまた先の2店と違って脂っこくない。旨かった。結局、無理してスープを飲み干したせいか、胃がもたれましたが。

  総評:これには賛否両論分かれると思うが、店の回転率を上げるには、客を早くさばく。皆様はどう思いますか。

  特に横浜にある「○○家」は旨い店もあるが、「さっさと食え~」といった雰囲気を強く感じる店もある。しかし、この「なんつっ亭」は、全くそういった雰囲気がない。店員にもないし、あれだけ待たされているのに、不思議と客にもない。これを良いととるか悪いととるか、人それぞれだが、私は「何でもかんでも合理主義」で回転率重視の都会風営業方針に強く反対だ。味はもちろん、雰囲気も素晴らしい「なんつっ亭」に今後も頑張ってもらいたい。
  

栃東優勝記念・玉ノ井部屋紀行(初場所千秋楽を終えて)

2006年01月23日 | 相撲人気復興委員会★
   1月22日(日)、私は3時に仕事を切り上げ、急いで駅へ向かった。向かう所は「両国国技館」。何場所ぶりになるだろうか、待ちに待った日本人力士の優勝に、どうしても興奮を抑えきれなかった。朝青龍が嫌いなわけではないが、まもなく沸点に達する日本人としてのDNAを抑えることはできなかった。まだ決まったわけではないが、栃東の優勝パレードを見るためであった。

   国技館に着いたはいいが、案の定入場券完売の為、中に入れず。両国周辺の飲食店ならば相撲の放映くらいはしているだろうと思ったが、意外とない。しかし、ちゃんこ屋ではきちんと放映されていた。

   店に入ると、琴欧州と白鵬が土俵に上がった頃だった。ぎりぎりセーフ。四人用の席だったが、テレビがよく見える位置だったので、遠慮なく一人だったが座らせて頂いた。とりあえず生ビールを注文。

   すると、子供連れの夫婦が店に入ってきた。テレビの見づらい位置しか空きがなく、いかつめのひげ面の旦那は店員に「こんな席じゃテレビが見えねえ」とか何とか文句を言っているのが聞こえた。私と全く同じ考えで店に飛び込んできたとみて、テレビを見るにはこの上ない、自分のテーブルに案内した。するととても喜んで座ってきた。私も一人だったので、非常にうれしかった。

   意気投合した私達は、栃東の優勝も手伝って、次第に酒もすすみ、気が付けば本来の目的である「栃東のパレード」(6時半開始)を忘れ、ハッと思い時計を見ると、時計の針は7時を指そうとしていた。皆で急いで皿とコップを空け、国技館に駆けつけたが、先程のにぎわいが嘘のように静まりかえっていた。

   しかし、「そうだ玉ノ井部屋まで行ってしまおう。」と皆の心は一つになっていた。だが場所が分からない。運良く通りがかりのおじさんに教えてもらい、タクシーで20分ぐらいだと言っていた。それを聞いた我々は、迷うことなくタクシー乗り場に向かった。なぜか小学2年の男の子もノリノリだった。
 
   どう考えても20分以上かかっていたが、何とか玉ノ井部屋の近くに到着した。しかし、部屋とは逆の方向へ群衆が流れていた。またしても終わった後か。不安になった。しかし意外にも部屋の周りには人集りが出来ていた。若い衆に聞くと、大関は後援会や記者に囲まれて出てこられないと言っていた。

   ここまで来たのだからと、関係者のフリをしたり、中に入ろうと色々試みたが、さすが相撲部屋だけにガードは固かった。だが若い衆と色々話したり、たくさん写真を撮ったり、大関が割った樽の酒を飲んだりと、意外と楽しめた。上の写真はその時の様子です。

   そうこうしていると、こんな話が聞こえてきた。大関はNHKに出演する為、車で移動するらしい。「やった。会える。それだけでも来た甲斐がある。そうだ。このブログの為にも、素晴らしい写真を撮るぞ。」と意気込んだ。

   大関を待っている間、混雑を想定して、何度も写真の試し撮りをした。しかし、大関が出てくると先程の練習などまるで役に立たないほど、押しくらまんじゅうになった。とにかく栃東に「おめでとう」とか「来場所も頑張れ」とか「日本の宝だ」とか訳の分からんことを叫びながら、シャッターを何度も押した。大関を乗せた車はさっさと行ってしまった。

   栃東に夢中になっていた私は、我に返った。「いったいここはどこなんだろう」そして「どうすれば帰れるのか」と。

   目の前に交番があったので、私はそこへ聞きに行った。そして先程の夫婦と子供とは、近くのコンビニで待ち合わせた。聞き終えて、コンビニへ向かうと、見覚えのある車が、コンビニの駐車場から出て行くのが見えた。先程NHKへ向かったはずの、栃東を乗せた車だった。部屋からたった50mのコンビニで買い物するとは、考えもつかなかった。ああ、私もコンビニに行っていれば握手ぐらいはできただろうに。見事大関に肩すかしを食らってしまった。

   「西新井」行きのバスに乗り、ようやく電車に乗れた。私の目的地は浅草だった。夫婦と子供は、途中の「北千住」で下りた。電車が走り出したが、3人とも私に手を振るのを止めなかった。小学2年の子の寂しそうな表情は、今でも忘れられない。ドラゴンボールの話で、私とかなり盛り上がっていたのだから無理もない。私と別れるのを残念に思ったのだろう。そんな顔をされると、私にもこみ上げてくるものがあった。「今生の別れになるだろうが、さようなら。立派な力士になれよ。」私も懸命に手を振り返した。あの子がちゃんこ屋で、「僕は力士になるんだ。」と言っていたのを思い出しながら。

   そんな感慨にひたりつつ、カメラに記録された写真を見た。しかし、どこを探しても、栃東の写っている写真は一枚もなく、その代わりに、おばちゃんの後ろ姿が写った写真は何枚も収められていた。   

   

頑張れ栃東!(初場所14日目を終えて)

2006年01月21日 | 相撲人気復興委員会★
   明日いよいよ千秋楽だ。混戦となった今場所だが、優勝は1敗の「栃東」か2敗の「白鵬」(写真左)に絞られた。

   プレッシャーがかかると慎重になりがちな「栃東」だが、今場所は立ち合いに迷いがなく、自分の相撲に徹している。いいぞ!頑張れ栃東!

   今場所は客の入りも良いそうだ。「琴欧州」が大関に昇進し、相撲界全体が活気づいたように思う。気力の有無で非常に左右される相撲はとても面白い。是非皆様も栃東の勇姿をご覧下さい。

      

松井秀喜ベースボールミュージアム

2006年01月18日 | ジャイアンツ愛☆
   近くを通りかかったので立ち寄りました。平成17年12月8日に開店したそうです。場所は小松空港の近くにあります。

   写真は、松井秀喜の少年時代です。勘のいい方は早速気付いたことでしょう。右打ちの構えをしています。そう、小学校低学年頃は右で打っていたのです。意外な事実なので、クイズに出るかもしれません。

   中には松井が昔使った野球道具、小学生時代の作文、幼稚園の時の絵、プロ入り第1号から402号(日米通算)までのすべての写真、見あきてしまうほどたくさんあった賞状やトロフィーなど、様々な物が展示してありました。特に印象に残ったのは、少年時代のVTRでした。小学校の頃から170㎝はあったと思います。とにかく大きく、ぷっくらしてました。

   体に恵まれた松井は、中学の頃から全国大会にも出ていました。ちなみにイチローもその大会に出場していたそうです。打球の飛距離は当時から群を抜いていました。中学3年の時、松井は星陵高校の山下監督と初めて対面します。山下監督は「えらく太った子だ」と思ったそうです。そこで山下監督は冗談半分で「おい。おまえうちの高校でやるならもっとやせてこい。」と言いました。そしたら松井はたった3ヶ月で20㎏も絞ってきたました。その時山下監督は、松井の努力に感心し、「よし。この子を4番として育てよう」と決心したそうです。

   そこで山下監督は、松井にとんでもない課題を与えました。「1年の時は、石川で1番の打者になれ。2年になったら、北陸で1番の打者になれ。3年になったら、全国で1番の打者になれ。」と。

   松井は努力の結果見事それに応え、日本一の打者となりました。しかし、周知のことではありますが、高校最後の夏の試合は、残念ながら一度もバットを振らせてもらえずに敗退しました。

   いつ言ったのか分かりません。もしかしたら、最近言ったことかもしれませんが、山下監督は松井のことをこう評しています。「松井は努力の天才である」と。

   

金沢兼六園「「唐崎の松」と明智光秀

2006年01月10日 | いいねえ!この風景!
   雪に覆われた兼六園、とても感動しました。

   この「唐崎松」は、13代藩主前田斉泰(なりやす)が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てた黒松だそうです。ここまでは、パンフレットに書かれていることですが、「国盗り物語」(司馬遼太郎著)にも「唐崎松」の事が書かれていました。ご紹介します。

   1571年、比叡山延暦寺を焼き払った信長は、その後の抑えとして、「明智光秀」に琵琶湖西岸(比叡山の東側山嶺)の坂本に城を築くように命じた。

   坂本の湖岸に唐崎という土地がある。復古趣味の豊かな光秀は、古今集に詠まれている、いまはない「唐崎の松」を何としても植えたかった。湖北(当時はまだ浅井の領地)で姿のいい松を見つけ、軍隊を要して松を運んできたそうだ。その時浅井軍に襲撃され負傷者を出した。

   いま織田軍は、東西南北に蜂起した敵のために悪戦苦闘しているのに、松掘りのために兵を出し、さらに負傷させたことに信長は激怒したそうだ。そこまでして植えたかったのだろう。

   あらゆる能力に長けた光秀は、築城の才能にも恵まれていたそうだ。攻防としてだけでなく、景観としても見事な城を築いた光秀は、即興の歌を詠んだ。

     我ならで  誰かは植ゑむ  一つ松
        こころして吹け  滋賀の浦風             『国盗り物語(四)』(司馬遼太郎著)より
     

続きまして、「大雪警報!大乗寺」(石川県金沢市)

2006年01月09日 | いいねえ!この風景!
   永平寺にも劣らぬこの雪の量。

   雪に飛び込んだら、ふわっとした感触で体の形が残ると思いきや、ガツン!

  石の上だと知らずに飛び込んでしまい、打撲しました。

   皆様、雪に飛び込む前に確認しましょう(笑)。  

大雪警報!永平寺

2006年01月07日 | いいねえ!この風景!
   見て下さいこの雪の量。すごいでしょ。福井県永平寺(曹洞宗大本山)の参道です。

   門前町のおばちゃん曰く、「こんなに降ったのは、初めてや~。」

   「観測史上初」という言葉をよく耳にする昨今、地球の未来が心配です。どっかの大統領に言いたい。自国の繁栄も大事だが、地球の環境問題の方がもっと大事だ。だって、環境がなければ繁栄だって幸せだってないんだから・・・。

   

富士山と江ノ島

2005年12月19日 | いいねえ!この風景!
   先日「葉山」で撮影しました。

   残念ながら富士山には雲がかかっていました。かかっていなければ、もっと素晴らしいのだが。残念。それから、湘南海岸内側の小さな島は「江ノ島」です。

   冬は寒いが、景色が澄んでいるからいいですね。

   今度撮る時には富士山がばっちり撮れればいいなあ。

   

   

最終回(←却下)

2005年12月06日 | ラーメン紀行★
   ブログを始めたはいいが、投稿する時間がなく、忙しい上に趣味の多い私がこれ以上趣味を増やすとパンクしてしまうので、これで最後となります。
   しかし、先日、素晴らしい景色を見てきました。その時カメラを持ってなく撮影出来なかったので、今度必ず撮ってきます。それを載せた時が本当の最後となります。
   先日載せた「芦ノ湖と富士山」以上の景色です。楽しみにしていて下さい。