(その日から伊勢はさっそくリリの分子シンセサイザーの改良と、それに関するリリの動きのチューニングに取り組む。伊勢の分子シンセサイザーはタフな装置であり、極端な条件でない限り、どんな場所でも、どんな天候でも使えるようになっている。リリの分子シンセサイザーは、救護と護身以外の動きは特定のプログラムと結びついていて、融通が利かない。さすがに伊勢で、コンセプトはすぐに決まり、新しい分子シンセサイザーを発注するとともに、リリの訓練開始。リリも結構楽しんだらしい。)
リリ。アン(A02)姉さんの動きにはびっくりしたけど、私もかなり近づけるようになりました。
伊勢。そうね。自動人形って、結構個性がある。アンの調整を公開するだけでいいと思っていたけれど、あなた専用の改良も必要。来てくれてありがとう、勉強になったわ。
リリ。私もうれしいです。なんだか、からだが軽くなりました。
(実際には、アンよりもすばしっこいし、ジャンプ力などでは勝っている。というのも、人工筋肉は細くなるが、体重が減るほどには力は減らないからだ。)
伊勢。アンの目標は何でもそつなくこなせることだけど、あなたには特別な能力が欲しい。小柄で軽い機体を生かした。
リリ。楽しみです。空中飛んだり、壁に張り付いたり。
伊勢。そんなの無理よ。でも、近いのならできるかな。努力してみる。
(目的は、救護用アンドロイドとしていち早く現地に到達し、救護の準備をするとともに、自分で解決できる部分はしてしまう、ということだ。
クロやエスほどは無理としても、細い経路を行くことができる。外見は子供だが、アンドロイドなので、被災者に与える安心感は大きいだろう。しかも、救護能力自体はA31と同等。もちろん、核事故の後始末等に使える。
作戦行動上は、小型の機体は不利だ。しかし、動きがすばしっこくできるので、陽動作戦には向いている。空中を飛んだり、垂直に近い壁を登るかのような動作を見せると、心理的効果は抜群だろう。
自動人形なので、目標設定は素早く、つまり、ある程度の連続動作ができ、人ならアクロバットの範疇に入る、八艘飛びみたいのや、木から木へ連続して飛び移る動作ができる。もっとも、失敗したときは悲惨なので、服などで保護する必要がある。成功したときは、すばらしい動作で、あっと言う間に移動してしまい、あっけにとられる。
ただ、コントローラから半径500mの有効活動範囲の制限はいかんともしがたく、私(奈良)か伊勢が必死でリリを追いかけないといけない。リリもアンと同じく好奇心が強く、ちょこまかと動きたがるので、大変だ。
壁上りは訓練した。靴にクライミングシューズの機能もつけた。クライミングはリリ自身が面白いらしく、得意技の一つになった。
小魔法は、何度も同じのを見せるとタネがばれるので、レパートリーを増やす必要がある。この手のおちゃめなしかけは、伊勢は大好きで、思いつくままに種類を増やしたらしい。私の意見ではバリエーションを含めて50種類もあれば実用と思うのだが、図に乗って1000種近くを登録してしまったらしい。ただし、よく繰り出す代表技があって、それは10種ほどである。)
(さて、私の方も負けていられない。
エスのヘビとしての自然動作は、擬態としての効果の他は、あまり凝らないことにした。もともと、ヘビは普段はほとんど動かない。ややおしゃべりな設定で、いつも腹話術しているエスは、それだけで変。
跳躍、木登り、穴くぐり、泳ぎなどはそのまま生かす。這う動作は普通は前進だが、ヘビによっては妙な這い方をするものがあり、可能な限り、エスにもできるようにした。
救護活動に役立つ動作が求められていて、咬んで引っ張るとか、ねじるとかができる。ニシキヘビは首のところが細いので、ここに長めのベストを付け、上述したように、主につかむ動作のためのロボット腕(左右に2本ずつ、計4本)、救護用薬箱、会話装置などが取り付けられている。
我々、情報部員と行動を共にすることが予想されたので、A31と同様に時空間計、通信機、アナライザーの情報統合部分を内蔵させた。IDセンサーも埋め込み。センサーは一部の鱗に擬態している。エス専用の小さなLS砲とアナライザーをベストに取りつける。
舌を出し入れするのは匂いを検出するためらしく、息をしなくてよいので合理的だが、ヘビの気味悪い動作の筆頭であろう。エスの化学センサーは普通の嗅覚と、舌自身に付いている。有名なヘビの遠赤外線センサーは、建物の天井に取り付けられるヒトの検出センサーを流用している。
目が視覚センサーなのは言うまでもないが、聴覚センサーも鱗の擬態で付いている。だから音はよく聞こえる。放射線センサーも、内蔵。)
奈良。(通信機で) エス、来てくれるか。だれかA31、腹話術に対応してくれ。
(移動用かばんの改良を頭の中で考えていてもしかたがないので、実物を見て考えることにする。)
エス(アン)。お呼びですか。
(アン(A02)が腹話術している。アンはいつもの救護服を着て、いすに座る。私の周りには、なぜかがっしりした体つきの女性が集まっているが、アンがその筆頭で、健康と美の象徴、といった感じだ。そのアンの膝の上でとぐろを巻いているニシキヘビがエス、そんな構図だ。ヘビは生命力と再生の象徴。かわいいエスを見ていると、なぜこれが悪魔に結びついたのか、想像もできない。)
奈良。ああ、呼んだ。エス、アン、来てくれてありがとう。
エス(アン)。指令は。
奈良。いや、インスピレーションのために呼んだだけだ。そのまましばらくいて欲しい。何か他の用件があったか。
エス(アン)。いえ、何もありません。お役に立つならうれしいです。
奈良。ふむ。
(エスをじっと見る。現場まではID社用車で行ける。社用車の改造はもうできている。というのも、クロ(A01)の専用出入り口があるからだ。別の自動人形がいる場合は、例の旅行カバンか、たとえば、リリの究極の普段着の外套に隠れて移動。自分でも、側溝や天井裏を使ったりして簡単に隠密行動できる。逃げるときも、木登りはできるは、泳げるは。生物のデザインとして良くできている。
あれこれ考えていると、志摩が正面入り口から入ってきた。営業の帰りらしい。感心感心。)
エス(アン)。志摩さん、お帰りなさい。お疲れさまです。
志摩。ああ、エスか、しゃべっているのは。ただいま。部長、帰ってきました。
奈良。どうだった。
志摩。ぜんぜんだめです。いつものことですが。価格表をちらっと見て、絶句して無言。取り付く島もありません。向こうの計画の話すら聞けませんでした。しつこく食い下がるのも、変ですし。ID社の紹介はさせてもらえたし、お茶も出してもらえましたけど。
奈良。なんでID社の営業なんか呼んだんだろう。
(私は自分と志摩の茶を入れて、志摩の席に向かう。)
志摩。さあ。感じとしては、相見積もりが必要なので、ちょっと呼んでみたとか。そんな感じでした。あ、お茶ありがとうございます。
奈良。医療機器メーカーだったな。
志摩。そうです。売り出し中の。求人もやっているから、拡大路線のようです。実はちょっと気になることがあって、ご相談が…。
清水。こんにちは。
(もう一人入ってきた。鈴鹿の同級生、清水亜有だ。ただの民間人。本物語の主要人物では、唯一マッドなところがない常識人。数学者の卵で、自然科学全般に関心がある、感心な学生。今日もID社の専用端末で調べものするらしい。通学用らしいカバンを持っている。入ってすぐにエスに気づいたようだ。
志摩の相談はあまり緊急性がないようなので、後回しにした。DTM手話でその旨を伝えた。)
清水。インドニシキヘビ。本物ですか。かわいいです。
(清水までかわいいと言っている。ニシキヘビの多少の知識があるからのようだ。エスには、分かる人には分かる魅力があるようだ。)
奈良。自動人形だ。クロみたいに動物型の機体。基本的能力はアンと同じ。
清水。良くできてます。触れますか。
奈良。大丈夫だ。エス、相手してやってくれ。外部の人間だが、我々と同様に、しゃべってくれてよい。
清水。エスが名前ですか。エスさん、はじまして。
エス(アン)。はじめまして。ごく最近、日本ID社に来ました。
清水。わあ、ヘビがしゃべる。おもしろーい。ヘビの心が分かるなんて素敵です。
エス(アン)。えーと、お名前は。
奈良。清水亜有(しみず あゆう)がその人物の名前だ。鈴鹿の級友で、理学部数学科の学生。得意技は数字列を一瞬で覚えること。清水くん、エスは体長2mの、小ぶりなメスの成体の設定だ。君と同様か、少し上の年齢と考えてもらえばよい。
エス(アン)。亜有さん。私はまだ調整中で、本物のニシキヘビとほとんど交友はありません。ヘビの気持ちが分かるとはいえますが。
清水。それで十分。いろいろお話ししてください。
エス(アン)。ええ、時間の許す限り。
清水。奈良さん、エスさんがここにいる理由は何ですか。単にいるだけとは思えません。
奈良。相変わらずするどいな。日本ID社にいること自体か、それとも、いま現在、この部屋にいる理由か。
清水。できれば両方。
奈良。日本IDには臨時で来ている。予定ではあと3ヶ月しかいない。私もそれ以上のことは知らない。いまここにいる理由は、移動手段を考えていたのだ。
清水。移動手段?。ああ、目立ちすぎる、ということですか。カバンに入れて持ち運べば?。
奈良。それは前の担当者が考えて、専用のカバンまである。重いので、屈強な男性か、アンドロイド型自動人形でしか運べない。自分で移動可能なカバンみたいなのがあれば、と思ったのだ。
清水。ふーん。
(清水が考え出した、ということは、自明な解がない、ということだ。この女、なぜか単純な頭の回転速度は伊勢より速い。)
伊勢。あら、亜有さん。こんにちは。
(伊勢が廊下側の入り口から入ってきた。リリの訓練終了、のようだ。リリも入ってくる。)
清水。こんにちは、伊勢さん。あら、また新しい自動人形です。いったい何機増えたのかしら。
(なぜ自動人形と分かったのかといえば、アンに似たデザインの救護服を着ていたからだ。)
奈良。この2機だ。紹介しよう。名前はリリ、中学生の設定だ。機能はアンと同等。救護用アンドロイドだ。リリ、この人物は鈴鹿の友達で、清水亜有。数学が得意。調べもののためにここに来ている。リリ、あいさつしなさい。
リリ。はじめまして。リリです。よろしく。
清水。はじめまして。清水亜有といいます。
リリ。パパ、この女、パパの愛人?。
(いっ、いきなりなんてことを。)
清水。パパって、奈良さんのこと?。
奈良。そうらしい。リリの設定では。
清水。残念ね、愛人になりたくても、奈良さんはID社きってのおしどり夫婦。あなただって、微妙だわ。
(う、反撃か、女の戦いの始まりなのか。)
リリ。ううん、パパは本物のパパなの。それよりパパ、いい趣味してるわね。お胸の大きい女が好きなの?。
(ぱっと亜有の顔が赤くなって、両腕で胸を隠そうとする。しかし、それは不可能だ。かえって、腕で胸が押さえられて、その、何と言うか、襟の間から見える部分が強調されてしまっている。
いつも来るので、次第に慣れてしまっていたのだ。リリから指摘されるまで、すっかり忘れていた。)
リリ。宣戦布告ね。いいわ、パパは渡さない。リリが守ってみせる、この女の毒牙から。
アン。じゃ、私は毒牙ナンバー・ツー。
(わざわざ自分の胸を見て言っている。あおる発言。自動人形って、こんなのだったか。)
奈良。毒牙って、この界隈では一番毒牙が少ないのが亜有なのだが。
伊勢。それは失礼しました。次回から私、毒牙のギミックも用意しておきます。ふふ、お覚悟を。
エス(アン)。私には毒牙がありません。何かの間違いでは。
(口は災いのもと。リリがいいように場を操っている。特に、伊勢の発言は冗談に聞こえないところが怖い。
救いの手を差し伸べたのは、志摩だった。)
志摩。リリ、君の技を亜有に見せてあげてよ。
リリ。しかたないわね。亜有さん、私はこう見えても魔法使いなの。伊勢さんの弟子なのよ。
清水。魔法?。魔法って、アニメなんかでありがちな、あの魔法?。伊勢さんも魔法使いなの?。
リリ。アブラカダブラ、えいっ。
(アブラカダブラ、なんて良く知っているな。リリがゆびを指した1mほど先の空中。ぼんっ、と音がして、煙が上がる。それだけ。)
清水。わあ、すごい魔法。私もやりたい。
リリ。ふふん、あなたのような科学者には、しょせん無理ですわ。伊勢さんは特別なの。東洋一の魔法使いよ。
伊勢。世界一って言ってるでしょ。亜有さん、この技は危険なので人間には無理。発射装置を使えば仕掛けが分かる。リリ以外の自動人形がやると雰囲気が出ない。今のところ、リリ専用の技なの。
清水。うらやましい。リリさん、いいなー。
リリ。分かった?。魔法が必要ならいつでも呼んでね。
伊勢。で、何を話していたの。
(私はいきさつを説明。伊勢がしばし考えるが、すぐにアイデアが出るわけでもなし。)
伊勢。リリの魔法で消して、また現れるなんてできたらいいのに。
(おや、案外ロマンチックなことを言う。なるほど、透明人間ならぬ透明ヘビか。エスは本物のニシキヘビと違って、ある程度体表の色を変えられるので、カメレオンみたいに周りの色に溶け込ませることができる。しかし、それは動かない場合で、動いてしまうと、人間や動物の視覚をごまかすのは困難だ。
あるいは、逆に目立ってしまってロボットということをアピールしてもよい。一輪車に乗っているとか、そんなの。
順当に、自律移動かばん、という手もある。飛行するかばんという童話があったっけ。おや、これは行けるかな。)
伊勢。飛行かばん。できそう。私が設計してあげる。
志摩。かばんが飛んだら、それこそ目立ちます。
伊勢。単なるたとえよ。頭の中で車輪とオートジャイロをかばんに付けて、それからかばんを変形して行き、自然な形にするの。
志摩。オートジャイロ?。
伊勢。説明は難しいわ。ヘリコプターみたいな形だけど、翼はエンジンでは回さない。付いているだけ。
清水。それで飛ぶの?。
伊勢。飛ぶのよ。凧みたいなもの。回転する凧。ふふ、面白そう。奈良さん、資金は確保できる?。
奈良。エスの行動範囲が広がる計画だったら、エスの維持費の中に入れられるだろう。自動人形の維持費は莫大だから、積載量20kgのオートジャイロくらいお安いご用だ。何とかする。
リリ。アン(A02)姉さんの動きにはびっくりしたけど、私もかなり近づけるようになりました。
伊勢。そうね。自動人形って、結構個性がある。アンの調整を公開するだけでいいと思っていたけれど、あなた専用の改良も必要。来てくれてありがとう、勉強になったわ。
リリ。私もうれしいです。なんだか、からだが軽くなりました。
(実際には、アンよりもすばしっこいし、ジャンプ力などでは勝っている。というのも、人工筋肉は細くなるが、体重が減るほどには力は減らないからだ。)
伊勢。アンの目標は何でもそつなくこなせることだけど、あなたには特別な能力が欲しい。小柄で軽い機体を生かした。
リリ。楽しみです。空中飛んだり、壁に張り付いたり。
伊勢。そんなの無理よ。でも、近いのならできるかな。努力してみる。
(目的は、救護用アンドロイドとしていち早く現地に到達し、救護の準備をするとともに、自分で解決できる部分はしてしまう、ということだ。
クロやエスほどは無理としても、細い経路を行くことができる。外見は子供だが、アンドロイドなので、被災者に与える安心感は大きいだろう。しかも、救護能力自体はA31と同等。もちろん、核事故の後始末等に使える。
作戦行動上は、小型の機体は不利だ。しかし、動きがすばしっこくできるので、陽動作戦には向いている。空中を飛んだり、垂直に近い壁を登るかのような動作を見せると、心理的効果は抜群だろう。
自動人形なので、目標設定は素早く、つまり、ある程度の連続動作ができ、人ならアクロバットの範疇に入る、八艘飛びみたいのや、木から木へ連続して飛び移る動作ができる。もっとも、失敗したときは悲惨なので、服などで保護する必要がある。成功したときは、すばらしい動作で、あっと言う間に移動してしまい、あっけにとられる。
ただ、コントローラから半径500mの有効活動範囲の制限はいかんともしがたく、私(奈良)か伊勢が必死でリリを追いかけないといけない。リリもアンと同じく好奇心が強く、ちょこまかと動きたがるので、大変だ。
壁上りは訓練した。靴にクライミングシューズの機能もつけた。クライミングはリリ自身が面白いらしく、得意技の一つになった。
小魔法は、何度も同じのを見せるとタネがばれるので、レパートリーを増やす必要がある。この手のおちゃめなしかけは、伊勢は大好きで、思いつくままに種類を増やしたらしい。私の意見ではバリエーションを含めて50種類もあれば実用と思うのだが、図に乗って1000種近くを登録してしまったらしい。ただし、よく繰り出す代表技があって、それは10種ほどである。)
(さて、私の方も負けていられない。
エスのヘビとしての自然動作は、擬態としての効果の他は、あまり凝らないことにした。もともと、ヘビは普段はほとんど動かない。ややおしゃべりな設定で、いつも腹話術しているエスは、それだけで変。
跳躍、木登り、穴くぐり、泳ぎなどはそのまま生かす。這う動作は普通は前進だが、ヘビによっては妙な這い方をするものがあり、可能な限り、エスにもできるようにした。
救護活動に役立つ動作が求められていて、咬んで引っ張るとか、ねじるとかができる。ニシキヘビは首のところが細いので、ここに長めのベストを付け、上述したように、主につかむ動作のためのロボット腕(左右に2本ずつ、計4本)、救護用薬箱、会話装置などが取り付けられている。
我々、情報部員と行動を共にすることが予想されたので、A31と同様に時空間計、通信機、アナライザーの情報統合部分を内蔵させた。IDセンサーも埋め込み。センサーは一部の鱗に擬態している。エス専用の小さなLS砲とアナライザーをベストに取りつける。
舌を出し入れするのは匂いを検出するためらしく、息をしなくてよいので合理的だが、ヘビの気味悪い動作の筆頭であろう。エスの化学センサーは普通の嗅覚と、舌自身に付いている。有名なヘビの遠赤外線センサーは、建物の天井に取り付けられるヒトの検出センサーを流用している。
目が視覚センサーなのは言うまでもないが、聴覚センサーも鱗の擬態で付いている。だから音はよく聞こえる。放射線センサーも、内蔵。)
奈良。(通信機で) エス、来てくれるか。だれかA31、腹話術に対応してくれ。
(移動用かばんの改良を頭の中で考えていてもしかたがないので、実物を見て考えることにする。)
エス(アン)。お呼びですか。
(アン(A02)が腹話術している。アンはいつもの救護服を着て、いすに座る。私の周りには、なぜかがっしりした体つきの女性が集まっているが、アンがその筆頭で、健康と美の象徴、といった感じだ。そのアンの膝の上でとぐろを巻いているニシキヘビがエス、そんな構図だ。ヘビは生命力と再生の象徴。かわいいエスを見ていると、なぜこれが悪魔に結びついたのか、想像もできない。)
奈良。ああ、呼んだ。エス、アン、来てくれてありがとう。
エス(アン)。指令は。
奈良。いや、インスピレーションのために呼んだだけだ。そのまましばらくいて欲しい。何か他の用件があったか。
エス(アン)。いえ、何もありません。お役に立つならうれしいです。
奈良。ふむ。
(エスをじっと見る。現場まではID社用車で行ける。社用車の改造はもうできている。というのも、クロ(A01)の専用出入り口があるからだ。別の自動人形がいる場合は、例の旅行カバンか、たとえば、リリの究極の普段着の外套に隠れて移動。自分でも、側溝や天井裏を使ったりして簡単に隠密行動できる。逃げるときも、木登りはできるは、泳げるは。生物のデザインとして良くできている。
あれこれ考えていると、志摩が正面入り口から入ってきた。営業の帰りらしい。感心感心。)
エス(アン)。志摩さん、お帰りなさい。お疲れさまです。
志摩。ああ、エスか、しゃべっているのは。ただいま。部長、帰ってきました。
奈良。どうだった。
志摩。ぜんぜんだめです。いつものことですが。価格表をちらっと見て、絶句して無言。取り付く島もありません。向こうの計画の話すら聞けませんでした。しつこく食い下がるのも、変ですし。ID社の紹介はさせてもらえたし、お茶も出してもらえましたけど。
奈良。なんでID社の営業なんか呼んだんだろう。
(私は自分と志摩の茶を入れて、志摩の席に向かう。)
志摩。さあ。感じとしては、相見積もりが必要なので、ちょっと呼んでみたとか。そんな感じでした。あ、お茶ありがとうございます。
奈良。医療機器メーカーだったな。
志摩。そうです。売り出し中の。求人もやっているから、拡大路線のようです。実はちょっと気になることがあって、ご相談が…。
清水。こんにちは。
(もう一人入ってきた。鈴鹿の同級生、清水亜有だ。ただの民間人。本物語の主要人物では、唯一マッドなところがない常識人。数学者の卵で、自然科学全般に関心がある、感心な学生。今日もID社の専用端末で調べものするらしい。通学用らしいカバンを持っている。入ってすぐにエスに気づいたようだ。
志摩の相談はあまり緊急性がないようなので、後回しにした。DTM手話でその旨を伝えた。)
清水。インドニシキヘビ。本物ですか。かわいいです。
(清水までかわいいと言っている。ニシキヘビの多少の知識があるからのようだ。エスには、分かる人には分かる魅力があるようだ。)
奈良。自動人形だ。クロみたいに動物型の機体。基本的能力はアンと同じ。
清水。良くできてます。触れますか。
奈良。大丈夫だ。エス、相手してやってくれ。外部の人間だが、我々と同様に、しゃべってくれてよい。
清水。エスが名前ですか。エスさん、はじまして。
エス(アン)。はじめまして。ごく最近、日本ID社に来ました。
清水。わあ、ヘビがしゃべる。おもしろーい。ヘビの心が分かるなんて素敵です。
エス(アン)。えーと、お名前は。
奈良。清水亜有(しみず あゆう)がその人物の名前だ。鈴鹿の級友で、理学部数学科の学生。得意技は数字列を一瞬で覚えること。清水くん、エスは体長2mの、小ぶりなメスの成体の設定だ。君と同様か、少し上の年齢と考えてもらえばよい。
エス(アン)。亜有さん。私はまだ調整中で、本物のニシキヘビとほとんど交友はありません。ヘビの気持ちが分かるとはいえますが。
清水。それで十分。いろいろお話ししてください。
エス(アン)。ええ、時間の許す限り。
清水。奈良さん、エスさんがここにいる理由は何ですか。単にいるだけとは思えません。
奈良。相変わらずするどいな。日本ID社にいること自体か、それとも、いま現在、この部屋にいる理由か。
清水。できれば両方。
奈良。日本IDには臨時で来ている。予定ではあと3ヶ月しかいない。私もそれ以上のことは知らない。いまここにいる理由は、移動手段を考えていたのだ。
清水。移動手段?。ああ、目立ちすぎる、ということですか。カバンに入れて持ち運べば?。
奈良。それは前の担当者が考えて、専用のカバンまである。重いので、屈強な男性か、アンドロイド型自動人形でしか運べない。自分で移動可能なカバンみたいなのがあれば、と思ったのだ。
清水。ふーん。
(清水が考え出した、ということは、自明な解がない、ということだ。この女、なぜか単純な頭の回転速度は伊勢より速い。)
伊勢。あら、亜有さん。こんにちは。
(伊勢が廊下側の入り口から入ってきた。リリの訓練終了、のようだ。リリも入ってくる。)
清水。こんにちは、伊勢さん。あら、また新しい自動人形です。いったい何機増えたのかしら。
(なぜ自動人形と分かったのかといえば、アンに似たデザインの救護服を着ていたからだ。)
奈良。この2機だ。紹介しよう。名前はリリ、中学生の設定だ。機能はアンと同等。救護用アンドロイドだ。リリ、この人物は鈴鹿の友達で、清水亜有。数学が得意。調べもののためにここに来ている。リリ、あいさつしなさい。
リリ。はじめまして。リリです。よろしく。
清水。はじめまして。清水亜有といいます。
リリ。パパ、この女、パパの愛人?。
(いっ、いきなりなんてことを。)
清水。パパって、奈良さんのこと?。
奈良。そうらしい。リリの設定では。
清水。残念ね、愛人になりたくても、奈良さんはID社きってのおしどり夫婦。あなただって、微妙だわ。
(う、反撃か、女の戦いの始まりなのか。)
リリ。ううん、パパは本物のパパなの。それよりパパ、いい趣味してるわね。お胸の大きい女が好きなの?。
(ぱっと亜有の顔が赤くなって、両腕で胸を隠そうとする。しかし、それは不可能だ。かえって、腕で胸が押さえられて、その、何と言うか、襟の間から見える部分が強調されてしまっている。
いつも来るので、次第に慣れてしまっていたのだ。リリから指摘されるまで、すっかり忘れていた。)
リリ。宣戦布告ね。いいわ、パパは渡さない。リリが守ってみせる、この女の毒牙から。
アン。じゃ、私は毒牙ナンバー・ツー。
(わざわざ自分の胸を見て言っている。あおる発言。自動人形って、こんなのだったか。)
奈良。毒牙って、この界隈では一番毒牙が少ないのが亜有なのだが。
伊勢。それは失礼しました。次回から私、毒牙のギミックも用意しておきます。ふふ、お覚悟を。
エス(アン)。私には毒牙がありません。何かの間違いでは。
(口は災いのもと。リリがいいように場を操っている。特に、伊勢の発言は冗談に聞こえないところが怖い。
救いの手を差し伸べたのは、志摩だった。)
志摩。リリ、君の技を亜有に見せてあげてよ。
リリ。しかたないわね。亜有さん、私はこう見えても魔法使いなの。伊勢さんの弟子なのよ。
清水。魔法?。魔法って、アニメなんかでありがちな、あの魔法?。伊勢さんも魔法使いなの?。
リリ。アブラカダブラ、えいっ。
(アブラカダブラ、なんて良く知っているな。リリがゆびを指した1mほど先の空中。ぼんっ、と音がして、煙が上がる。それだけ。)
清水。わあ、すごい魔法。私もやりたい。
リリ。ふふん、あなたのような科学者には、しょせん無理ですわ。伊勢さんは特別なの。東洋一の魔法使いよ。
伊勢。世界一って言ってるでしょ。亜有さん、この技は危険なので人間には無理。発射装置を使えば仕掛けが分かる。リリ以外の自動人形がやると雰囲気が出ない。今のところ、リリ専用の技なの。
清水。うらやましい。リリさん、いいなー。
リリ。分かった?。魔法が必要ならいつでも呼んでね。
伊勢。で、何を話していたの。
(私はいきさつを説明。伊勢がしばし考えるが、すぐにアイデアが出るわけでもなし。)
伊勢。リリの魔法で消して、また現れるなんてできたらいいのに。
(おや、案外ロマンチックなことを言う。なるほど、透明人間ならぬ透明ヘビか。エスは本物のニシキヘビと違って、ある程度体表の色を変えられるので、カメレオンみたいに周りの色に溶け込ませることができる。しかし、それは動かない場合で、動いてしまうと、人間や動物の視覚をごまかすのは困難だ。
あるいは、逆に目立ってしまってロボットということをアピールしてもよい。一輪車に乗っているとか、そんなの。
順当に、自律移動かばん、という手もある。飛行するかばんという童話があったっけ。おや、これは行けるかな。)
伊勢。飛行かばん。できそう。私が設計してあげる。
志摩。かばんが飛んだら、それこそ目立ちます。
伊勢。単なるたとえよ。頭の中で車輪とオートジャイロをかばんに付けて、それからかばんを変形して行き、自然な形にするの。
志摩。オートジャイロ?。
伊勢。説明は難しいわ。ヘリコプターみたいな形だけど、翼はエンジンでは回さない。付いているだけ。
清水。それで飛ぶの?。
伊勢。飛ぶのよ。凧みたいなもの。回転する凧。ふふ、面白そう。奈良さん、資金は確保できる?。
奈良。エスの行動範囲が広がる計画だったら、エスの維持費の中に入れられるだろう。自動人形の維持費は莫大だから、積載量20kgのオートジャイロくらいお安いご用だ。何とかする。